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第一章 忍冬

四 舞台の中心で…

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 四日目、実技女子の部、黄花は龍神の如く美しく跳び回り、皆が力強い舞に圧倒された。目を奪われた男子達が「黄花、凄く綺麗だったよ」「今日の自由時間、一緒に庭園を散策しないか?」「いいや黄花、私と散策しよう」と群がり、積極的に誘いだす。褒められて喜ばない女子はいない、だが、その中にお目当ての男子の姿がなく、黄花は肩を落とした。
 その日の講習終了後、黄花は曇った顔をして、今にも泣き出しそうだった。上位選抜者となったが祝いの言葉をかけれず、蒼亞と壱黄は夕日を眺める黄花の側に付き添った。そんな時、観にきていた彼が駆け寄ると、黄花はすかさず抱きつく。
「伯父上…釵黄には、私の気持ち…ぐすっ、伝わってないのかしら…」
 蒼亞と壱黄も、黄花の想いがここまで深いとは知らなかった。
 彼は抱きしめて頭をなでながら言う。
「黄花はとても魅力的だよ、釵黄が今は気づかなくてもいつかきっと分かる時が来るよ、だから悲しまないで、俺は黄花の笑顔が好きだよ、黄花の笑顔はある人・・・を思い出すんだ」
「ある人…?」
 黄花は彼を見て首を傾げ、壱黄も首を傾げる。
「うん、とても透き通る笑顔で誰もが彼女・・を守りたくなるんだ、明るくて弟思いでさ、とても心が強いんだ、黄花そっくりだよ」
「女子…なのですか? 伯父上はっその方がすっ好きなのですか?」
 彼は頷いて優しく言う。
「彼女がいないと俺は生きられないよ、彼女のことはとても大切で、大好きだよ」
 黄花も壱黄も、兄以外の存在に驚く。
「そっ、その方は今は?」
 彼は胸に手をあて儚げに微笑む。
「…ここに、ずっと俺といるよ」
 困惑する黄花と壱黄の手を取り、彼は自身の胸に手を重ね合わせる。
「二人共感じるだろ? これが彼女、黄怜なんだ、そして…お前達の伯母さんだよ」
 彼は微笑み目で頷いた。

 夕餉の後、蒼亞達は夜の庭園で散策することにした。蒼亞は前方を、壱黄と黄花は後方をとぼとぼと歩く。
 壱黄が尋ねる。
「蒼亞、お前知っていたのか?」
「いいや、知らなかったよ、私も初日の夜初めて知ったんだ…」
「そうか…」
 二日目の蒼亞の様子に納得し、壱黄は言葉を詰まらせる。
 二人にとっても告げられた話は衝撃的で、傷痕を見て涙を流す二人を前にしても、彼は一粒も涙を溢さなかった。彼は涙脆いが、決して芯は弱くない。
「黄花」
「…何?」
「黄怜様に似ているか今度黄虎様に聞いてみろよ、驚くぞハハハ」
「蒼亞…」
 黄花も言葉を詰まらせる。
 蒼亞は立ち止まり体ごと振り返って言う。
「私達が生まれる前に色んな事があったけど、今は三人共志ぃ兄ちゃんの家族だ、私は志ぃ兄ちゃんの幸せを守れる家族・・になるよハハハ」
 壱黄は胸を熱くさせる。
「蒼亞っ、私も一緒になるよ!」
「壱黄、私とお前だけか? はぁー、後一人足りないなー」
 そう言って、蒼亞は横目でじろっと見る。
「何よ蒼亞っ、そんなの当たり前じゃないのっ 伯父上はずっと私の伯父上よ! ふんっ」
 黄花は腕を組みつんと澄まし顔をする。
「黄花、伯父上は私のでもあるのだぞ…ぷっハハハ」
 蒼亞は片眉を上げて言う。
「黄花、元気になったみたいだな、釵黄はいいのか?」
「今は釵黄よりも伯父上よっハハハハ」
 蒼亞は壱黄の肩に手を置く。
「ふっ、さすがお前の妹だなハハハ」
「敵わないよハハハ」
 壱黄は腕を組んで顔を横に振る。
 そして、三人は彼のために誓い合った。


 五日目、男子実技の部、楽器では音に長けた朱雀家を中心に、馬術、剣術では白虎家を中心に選抜者が決まった。武術は、基本編の型と応用編の勝ち抜き戦で選抜者を決める。特に応用編では、武神を生む白虎家と蒼龍家が毎度上位を占める。そこで、平等に民に他の神家も披露できるよう、今回から基本編選抜者は、応用編選抜者を省いた上位四人が選ばれることになった。午前に行われた基本編試験の結果、一位は十五になる玄武家の玄史げんし、二位は十六になる玄武家の玄銘げんめい、三位は十五になる白虎家の海虎かいと、四位は蒼亞、五位は十七になる朱雀家の朱鷹あやたか、六位は壱黄、七位は十四になる黄龍家の黄仭こうじん、八位は十七になる蒼龍家の蒼汰そうた、残念ながら釵黄は二十位だった。
 昼餉後、応用編試験のため庭園には舞台が準備された。七年前の事もあり、磨虎は「壱黄、今回は初戦『参りました』は駄目だぞっハハハ」柊虎は「お前は実力は十分あるのだから、せめて三回戦までは頑張るのだハハハ」甥である壱黄を明るく励ます。しかし、壱黄は「いいえっ、私は蒼亞を目標にします!」鋭く眼光を放った。「そっそうか…」柊虎は驚き「あいつ…どうしたのだ?」磨虎も訝しむ。彼は兄と観に来ていて「二人共頑張るんだぞ」微笑んで頭をなでた。蒼亞は兄と目で頷き合い、壱黄と「やるぞっ」と気合いを入れる。
 一回戦、二回戦と順調に試合が行われ、壱黄は宣言通り実力を発揮し、見事に準々決勝を勝ち抜く。だが、準決勝対戦相手の海虎に鋭い一発を撃ち込まれ、崩れるように膝を突き動けなくなってしまう。海虎は体格も大きく逞しく、次期白虎家の護衛候補だ。現護衛指揮官力虎りきとの孫といえば、誰もが相手が悪かったと口を揃える。しかし、前回海虎は蒼亞に負けているのだ。「勝負有り!」続行不可能と判断し、磨虎が声を上げた。拳に打倒蒼亞を掲げ、決勝への意気込みは凄まじい。
 蒼亞は舞台に上がり、壱黄に駆け寄り体を支える。
「壱黄、大丈夫か?」 
「痛てッ、ふぅ…蒼亞、大丈夫だよ、ありがとう」
 壱黄はお腹を押さえながら立ち上がる。
「流石海虎だ、全試合一発で相手を倒しているのも、きっとお前との決戦のため体力を温存しているのさ、気を抜くなよ」
「わかった」
 二人は強く頷き合う。
「壱黄っ、大丈夫か?」
 彼が駆け寄って来た。
 壱黄は舞台を下り、お腹を摩りながら言う。
「伯父上、負けてしまいました、痛ッ」
「が…頑張ったな、凄いぞ…強くなったな、ううっ…」
 泣き虫な彼は声を震わせた。

「志瑞也っ、泣くな‼︎」

「わっ…わかってるよっ、ぐすっ…」
 おや?
 いつも笑顔の朱翔が、珍しく彼を怒鳴った。彼は深呼吸を繰り返し、涙を堪えている。彼が泣くのはいつもの事、何故止めるのだろう。
「蒼万っ、志瑞也の側にいとけっ」
 兄は頷き彼を胸に抱き寄せ「壱黄は大丈夫だ」言いながら頭をなでる。壱黄は目で「私は何ともないよ?」と首を傾げ蒼亞を見る、蒼亞も首を傾げ「知ってる」と頷く。
 磨虎が険しい顔で言う。
「朱翔っ、決勝は志瑞也には観せない方がよいのではないか?」
「志瑞也、無理はするな」
 柊虎も険しい顔で彼の背中を摩る。
「おっ俺は蒼亞が頑張ってるとこ観たいんだっ! お願い、がっ頑張るから…」
 …はて、彼は何を頑張るのだ?
 何やら集まって不思議な緊張感が漂う中、朱翔が顎に手をあて考えだす。その間、誰も一言も話さず、眉を寄せ朱翔を見ていた。
 朱翔は鼻息をつき落ち着いた声で言う。
「朱夏、琴を用意しろ」
 朱夏は顔を曇らせる。
「…よいのですか?」
「案ずるな、私が吹き始めたら合わせるんだ、いいか?」
「わかりました」
 兄妹は頷き合う。
「朱夏ちゃんありがとう」
「いいえ、ふふふ」
 朱夏は彼に微笑み、琴を取りに客室のある宿舎へと向かった。琴に笛までと、演奏会でも開くのだろうか。決勝舞台を黄龍殿門前広場に移し、子供達全員を殿内に入れ、突き出し窓と扉を開けた。
「壱黄、蒼亞、どうしたの?」
 黄花が駆けつけるも、二人にも訳がわからない。
「壱黄と黄花も殿内に入っていろっ」
「何故ですか? ここで蒼亞を応援させて下さい!」
「私もここにいるわ!」
「なら柊虎と磨虎の側から離れるなっ、いいなっ」
 朱翔の鋭い眼差しに二人はただ頷き、即座に双子の伯父の元へ駆けていく。
 蒼亞と海虎は舞台に立ち向かい合うも、この状況に今一つ集中できずにいた。更に舞台に上がってきたのは、磨虎でも、柊虎でもなく、朱翔だった。
 朱翔が二人の間に立ち低く言う。
「いいかお前達、何が起きても・・・・・・動じるな」

 ……?
 二人とも首を傾げる。

「返事ぐらいしろっ‼︎」
「はっはい‼︎」
 二人は別の緊張で額に汗を滲ませた。
「用意はいいか?」
 二人は構えて頷く。
「初め!」
 前回海虎は八つ、蒼亞が五つの時だ。銅色に瞳を光らせ白の熱風を巻き起こし、まさに白虎さながらの唸り声が聞こえてくる。正直、壱黄が準決勝まで昇るとは思わなかった。昨夜の決意が、壱黄の心を奮い立たせたのだ。ならばと、友の思いに蒼亞は応えるべく、軽やかに攻撃を右に躱し、青の打撃を海虎の左脇腹に打ち込む。
(よしっ、入った!)
 海虎がぴたっと動きを止め蒼亞を見下ろし、きらんと八重歯を光らせたと同時に「ゔッ…」右拳から放たれた打撃が蒼亞の左脇腹にめり込む。以前とは比にならない破壊力、蒼亞よりも威力は数倍も上だ。「ふっ、少し手を抜いたのだ、まだやれるだろ?」余程蒼亞に負けたのが悔しかったのか、一発では足りないようだ。「お前性格最悪だなっ」振り落とされる足を両腕で受け流すも、躊躇いのない衝撃が痺れるように腕に伝わる。すかさず身軽さを活かした回し蹴りで、弧を描き海虎の顎を掠めた。「痛ッ…くそっ、やるな」海虎は擦り切れた顎の血を拭い、四肢での連続技を繰り広げる。
(くそっ、はっ速いっ)
 蒼亞は必死に受け止めながら右に左にと躱すも、徐々に舞台端へと追い詰められてしまう。
「蒼亞っ、打ち返してこいっ! このままだと場外へ落ちるぞっハハハ」
 海虎は煽りながらも隙は与えない。
(今だっ!)
 打撃の間の呼吸を読み取り、蒼亞は高く跳躍し前転しながら海虎の背後に「ストン」と着地する。だが、動きを読んでいた海虎は体を翻し待ち構え、蒼亞の首を背後から腕でがしっと絞めた。蒼亞は瞬時に隙間に手を入れ阻むも、海虎は力づくで持ち上げる。「かはッ、くッ、くそっ…」蒼亞は足をばたつかせながらもがく。

「蒼亞っ…」

 彼は涙目で唇を震わせていた。
(しっ、志ぃ…兄ちゃんっ、こっ…この馬鹿力めっ)
 海虎の力は弱まる気配はない、恐らく「参った」と言わせたいのだろう。踵で脛や膝を突くも、びくともしない。

 ピーヒョロー…
 チャン、チャラララン…

 ふと、軽やかな笛と琴の音が聴こえてきた。「あ…」一瞬弱まった海虎の腕を、蒼亞は「ふんっ」と即座に振り解き拘束から逃れる。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
 蒼亞は呼吸を整えながら構えた。

「あれは何だっ?」
 海虎が空を見上げ固まる。

「ん? なっ…」
 蒼亞も見上げて固まる。
 淀んだ空気が押し寄せ、雨雲が渦を巻いているではないか。空を覆い尽くす巨大さに、二人は呆気に取られた。

「お前達っ、何やってるんだっ! 早く続けろっ‼︎」

 朱翔は怒鳴った後、直ぐにまた笛を吹きだす。子供達は扉や窓から顔を出し、壱黄と黄花も空を見上げる。その場が唖然とする中、兄は涙を堪える彼を抱きしめていた。

 …このまま続けろと?

 彼は酸っぱい物でも食べたかのように、渋い顔で口を尖らせている……とても不思議な顔だ。頼れる弟になるのだ! 蒼亞は気を取り直し意識を集中させ、同時に海虎も切り替え再び睨み合う。力量で勝てないのであれば技で挑むしかない、海虎は一定の間で攻撃を繰り返し、動きも鋭く無駄がない。躱しながら隙を探し、更に仕掛けるとなると、こっちが断然不利だ。長期戦を視野に入れ、誘きだす戦法しかない。できるだけ最小限の動きで攻撃を躱し海虎の体力を消耗させ、読まれないよう時折わざと打撃を受けた。それは、蒼亞にとっても危険な賭けだ、まともに受けてないにしろ、海虎の拳は重く内臓に響く。気の抜けない接戦が続き、互いの呼吸も次第に荒くなってきた。

 ──そして、時は来たり!

 海虎が右手でがしっと蒼亞の左肩を掴んだ。掴みにかかるということは、確実に技を打ち込み試合を終わらせるつもりなのだ。渾身の一撃を残している相手に一瞬の隙も与えてはいけない、刹那、親指を掴み反対に捻り手を解いた。「なっ」海虎は関節の連動で、腕が真っ直ぐに伸ばされ体勢をわずかに崩す。間一空けず、蒼亞は親指を両手で掴み、身体全体で真下に体重をかけてしゃがんだ。「うあぁっ」肩を突き出すように引っ張られた海虎は、前のめりに転びそうになる。蒼亞は流れるように親指を返し、手首を捻りながら背後を取り両膝裏を素早く蹴る。膝を突く海虎の背中に腕を回し、手首を肩甲骨まで捻り上げ、自然に腹這いとなった仙骨にごつっと膝を突きあてた!

「ゔああぁッ!」

 海虎は痛みで絶叫する。
「後はお前が言うまでこのままだっ」
「ゔああーッ」
 それでも海虎は、額に血管を浮き立たせ歯を食いしばる。
「海虎っ言えっ!」
「くッ くそっ…」
 もう、海虎に跳ね返す体力など残っていない、だが、それは蒼亞も同じだ。力強くで拘束を解かれては、この後の戦いに勝ち目などない、海虎はそれぐらい強い相手なのだ。
「強情な奴だなっ、言うんだっ!」
 蒼亞は更に膝を突き立て、手の捻りを強めた。
「ゔああッ! まっ、参ったッ」

「勝負有り!」

 舞台端から磨虎が言い、蒼亞は拘束をすっと解き、片膝を突いてしゃがむ。
「海虎大丈夫か?」
「くそっ… お前っ何だこの技はッ」
「ハハハ今度教えるよ、ほら立てよ」
 蒼亞は海虎の腕を掴み立ち上がらせる。
 海虎は突かれたお尻を摩り、痛みを緩和させるように手首と肩をぐるぐる回す。
「お前いつから考えていた?」
 蒼亞は両眉を上げ得意げに言う。
「お前打撃に一定の間があるって、知っていたか?ハハハ」
「なっ…始めからではないかっ! ふっ、お前とは長い付き合いになりそうだな」
「お前の性格次第だなハハハ」
 子供達も殿内から出て来て舞台を取り囲み、大満足の二人の戦いに拍手喝采を送る。
 海虎が不思議そうに言う。
「そういえば、あの空は何だったのだ?」
「今は晴れてるな…」
 二人は空を見上げた。

「蒼亞ーっ、海虎ーっ、大丈夫かっ?」

 彼と朱翔が駆け寄ってきた。
「志ぃ兄ちゃん大丈夫だよ、へへへ」
「よかったぁ… 海虎、顎は?」
 彼は蒼亞の頭をなでた後、海虎の顎を触り傷を確認する。
「これぐらい大丈夫ですよハハハ」
「そっか、二人共かっこよかったよ。蒼亞、優勝おめでとう、海虎も準優勝おめでとう」
 彼は少し涙目のまま微笑んだ。
「志ぃ兄ちゃんありがとう」
「ありがとうございます」
 蒼亞は自慢げに言う。
「海虎、あの技は志ぃ兄ちゃんに教えてもらったんだ」
「えっ、志瑞也さんが?」
「でも今じゃ蒼亞の方が上手だよアハハハ」
 海虎が彼の手を取って握る。
「志瑞也さんっ、是非私にご指導を!」
「アハハ俺でよければ、へへ」
 彼は嬉しそうに照れ笑う。
「海虎、そろそろ手を離さないと…怒られるぞ」
 そう言って、蒼亞はちらっと兄を見た。
「あっ、わかった…ふっ、ハハハハ」
 海虎は慌てて彼の手を離す。
 壱黄と黄花も舞台に上がってきた。
「蒼亞おめでとう、やったな!」
「ありがとう壱黄」
 二人は肩を組み合う。
「海虎も二位おめでとう」
「壱黄も選抜者おめでとう、腹は大丈夫か?」
「いい拳だったぞハハハ」
 壱黄はお腹を摩り、二人は笑って握手する。
「三人共おめでとう」
 黄花も交えて喜びを分かち合い、彼は朱翔に肩を組まれ、微笑ましく眺めていた。

 朱翔が「パン」と手を叩き前に立ち言う。
「よし、皆っ、後は片付けて明日の準備だ! 選抜者は余興の練習だ!」
「はい!」
 全員が元気に返事する。

「あのっ!」

 誰だ誰だと、子供達が顔を振り向かせ騒つく中を、一人の男子が堂々と舞台に上がってきた。
「あっ…朱翔師匠っ」
「どうしたんだ釵黄?」
「けっ決闘させて下さいっ」

 何と? 全員の目が点になる。

 朱翔は腕を組んで言う。
「釵黄、お前は初戦で負けただろ? 蒼亞に敵うわけないだろ?」

 そうだそうだと、全員が頷く。

「ちっ違いますっ、そっ蒼亞では、ありません…」

 おや?
 何事にもきちんと発言する釵黄が、珍しく言葉を吃らせた。

「なら壱黄か?」
「ちっ違います…」
「…まさかっ、海虎?」

 いやいや、いくら何でも体格の差がありすぎる。釵黄が顔をぶんぶん横に振り、一先ず全員が安堵する。

 朱翔は鼻息をついて問う。
「じゃあ誰なんだ?」

 いよいよか!
 全員が固唾を呑む中、釵黄は視線を向けて答える。

「志瑞也さんですっ」

 ……。

「ええーっ?」

 全員の張り上げる声が門前に響き、指名を受けた彼は、当然誰よりも驚き大声を出した。騒つく子供達を手振りで鎮め、朱翔は優しく尋ねる。
「釵黄、何で志瑞也と決闘したいんだ?」
「おっ黄花は『伯父上でも、愛があればお嫁さんになれる』と言っておりましたっ、流石に志瑞也さん相手では、私は敵わないと思い身を引きました、しかし志瑞也さんは婚姻しているとお伺いしましたっ それなのに一昨日っ、おっ…黄花の頬に、くっ…口づけしておりましたっ」

 何と?
 疑惑の視線が一斉に彼へと向かい、彼はたじたじになる。

「それではっ、黄花が可哀想ですっ」

 そうだそうだ!
 釵黄は群衆を味方につけ、挑戦状を叩き突ける。

「男として勝負して私が勝てばっ、もう黄花に口づけしないでほしいのです!」

「きゃぁーっ!」
「うおぉーっ!」
「ピューピュー」
 黄色い歓声に雄叫び、指笛までと、会場は再び興奮状態へと幕を開けた。

「釵黄…」
 黄花の頬がぽっと赤くなる。

 …はてさて、これはどうしたものか?

 案の定、彼は瞳をきらきらと輝かせ感激し、今直ぐにでも釵黄に抱きつきそうだ。もはや、彼の脳内は決闘のニ文字すら、きらきらで掻き消されているのだろう。可愛い姪の恋の行方を応援する側なのだから仕方ない。真剣な眼差しで意を決して舞台に上がった釵黄、皆の前で黄花に想いを告白したようなものだ。しかも、隠れて黄花の行動をずっと見ていたのか、発言の内容から、彼の振舞いがふしだらだと訴えている。そんな釵黄を嬉しそうに見つめる黄花、恋の決戦が始まるのかと期待に胸を膨らませる群衆、そして、舞台場外端で顔を引き攣らせている師匠三人と、真顔の兄。絶妙な温度差のある雰囲気に、蒼亞と壱黄は自然と顔がにやけてくる。

「釵黄っ! 釵黄っ!」
「釵黄っ! 釵黄っ!」
 拳を挙げた群衆からの熱い声援が飛び交い、まるで前夜祭かのような、ここ一番の盛り上がりを見せた。

「お前達っ静かにしろっ!」
 朱翔が両手を上げ、会場はしんと鎮まる。

 朱翔は苦い顔をしながら人差し指で頭を掻く。
「あー、えっとー、つまりだな、釵黄は七年前から、黄花が好きなのか?」
 この場を収められるのは…そう、もうこの男しかいない。
 釵黄はこくんと一回頷く。
 朱翔はにっこりと目で訴えながら言う。
「黄花、後はお前次第・・なんじゃないのか? そうだろ?」
 そして、打開策を提案する。
「お前から釵黄に〝おまじない〟の説明をしてあげれば、釵黄も志瑞也も大怪我・・・しなくて済む、な?」
 意味のない戦いになるのは……間違いない。当然のことながら、生身の護身術しか知らない彼では、神力を使える釵黄が必ず勝つ。だが、あまりにも見応えのない戦いにわざと彼が負けたのかと疑われ、釵黄が恥をかく可能性がある。実に、配慮に長けた上手い言い回しだ。知らない周りからすれば、恋のため成人に戦いを挑んだ勇士、男気、負傷・・する覚悟を称賛されるだろう。

 黄花が釵黄にゆっくり近づく。
「釵黄はずっと私を見てくれていたの?」
「きっ…君は素敵過ぎるのだ、私なんか…勉学以外なんの取り柄もないよ、それに君の周りはいつも男らしい者ばかりだ…」
 うつむいて言う釵黄の手を黄花は取る。
「そんなことないわっ、釵黄が書物を読んでいる姿が、私は好きなの、ふふふ」
「え?」
 釵黄が顔を上げる。
「君は…私が、す…好きなのか?」
「そうよ、知らなかった? ずっと目で言っていたけど、あなた全然気づかないんだもの」
 口を尖らす黄花の手を釵黄は握り返す。
「君に見つめられと、書物の内容が頭に入ってこないのだよ、すまない…」
「いいのよ、伯父上が頬にする口づけは〝おまじない〟といって、私が泣いていたり悲しんでいる・・・・・・・・・・・・時に、元気が出るようにしてもらっていただけよ、ふふふ」
「ならっ、次からは…わっ私が君にしてあげるよ」
「釵黄…」
 二人は恥ずかしそうに見つめ合う。

 ……。

「コホン、あーお前達、話はまとまったか?」
 朱翔が二人の世界を止めてくれた。
「はっはいっ、けっ」
「決闘して釵黄が大怪我・・・・・・したら、私嫌だわ…」
 やはり、黄花は賢い、瞬時に、朱翔の言葉の意図を読んでいた。しかも、都合の悪い・・・・・内容は伏せ、釵黄から〝おまじない〟の権利までも貰い受けた。

 黄花流奥義! 悲しげに、上目遣いで見つめる。

 釵黄は顔を真っ赤に染めた。
「わっ私は君を守れるなら怪我ぐらい平気だけど、君がそう言うのなら、やめるよ」
 如何なる秀才でも、恋は盲目とはこのことだ。いずれ、黄花の本性を知る時がくる。だがその時は、釵黄に逃げ道などない。その後、子供達の間で〝恋の・・おまじない〟が流行ったのは、言うまでもない。無事に彼への疑惑の視線も解けたが、蒼亞と壱黄には、黄花の猛々しい勝利の笑い声が……聞こえた。
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