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第一章 忍冬

十 定めを知る

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 翌日、黄花を含めた蒼亞達五人は、金龍殿表の庭園に向かう。五神家宗主含めた第二宗主、第三宗主が集結し、浄化の儀式の準備のため、従者達によって金龍殿全体に清めの酒が撒かれていた。黄花は到着するなり父黄虎に言われ、悪阻が酷い母虎春こはるに付き添うため銀白龍殿へと向かった。兄夫婦や仲間達が集まる輪の中に、四人は昨夜の事を悟られないよう手に汗を握り笑顔で向かう。
「兄上、志ぃ兄ちゃん」
「伯父上」
「皆すっかり仲良くなったんだな、指導会が楽しみだなアハハ」
 微笑む彼とは反対に、兄は腕を組み瞳だけで四人を見た。
 玄史は気づいてない素振りで言う。
「志瑞也さん、玄咊はいつ迎えに行けば宜しいですか?」
「そうだな、蒼万、儀式は俺いないと駄目か?」
「お前は見なくて良いのか?」
「…よく分からないけど、少し苦しいんだ」
 そう言って、彼は金龍殿に視線を送り胸元を握りしめた。
 兄は彼の腰に手を回して引き寄せる。
「いなくても構わない、半刻で終わる」
「わかった、ありがとう…」
 彼は眉をひそめ微笑んだ。
 黄怜にとって前宗主黄羊おうようは良い記憶ではないはずだ、共有する彼にはどう感情が伝わっているのだろう。静かに金龍殿を見つめる彼を兄は黙って後ろから抱きしめ、兄の仲間達も、その様子を静かに見守っていた。一夜明け、今まで気にも留めなかった光景が、一つ、一つ、意味がある事に気づかされる。
 彼は一呼吸ついて兄から離れて言う。
「蒼万、今後のもあるから、玄史を連れてお母さんと話してくるよ」
「わかった」
 彼と兄は頷き合う。
「兄上、私達は…」
「お前達は儀式に参加するのだ」
 恐らく、彼が兄に伝えたのは玄武家の事。
「…わかりました」
 蒼亞、壱黄、海虎は察して頷く。
「玄史行こうか」
「はい」
 彼は玄史と銀龍殿へ向かい歩きだす。玄史の背丈は既に彼を超えている。自分も十五の時には彼を超えているのだろうか、並んで歩く後ろ姿に、三年後の彼との姿を重ね蒼亞は眺めた。

 あ!

 膝から崩れるようによろめいた彼を、玄史がすかさず腰に腕を回して支え、蒼亞達三人は目を見開く。心配そうに顔を覗き込む玄史に、彼は片手を顔の前で振って苦笑いし、玄史の肩に手を置き体勢を整える。玄史は支えの手を離すべきか、困惑しているのだろう。単に躓いただけなら支えは一度で十分だが、恐らく、彼は腰が立たない状態なのだ。しかし、過剰に心配して蒼亞達が群がれば、兄に怪しまれてしまう。側に立つ兄の顔が見れず、三人は額に冷や汗を垂らした。
 その時、蒼亞の横をさっと影が通過する。
 まずい。
 玄史は近づいて来る兄に驚き、あたふたと彼の腰から手を離した。すっと兄が彼の腰に手を回すが、彼は必要ないと顔を横に振って兄の手を払い、玄史の腕を掴み引っ張って歩きだした。玄史は彼の手を振り払うこともできず、引き攣った顔で振り返り兄に頭を下げた。三人には、玄史の気持ちが痛いほどよく分かる。ところが二人の後姿を見送ると思いきや、兄は追いかけ「うわっ」背後から彼を横に抱き上げた。哀れな玄史は驚く間もなく兄に顎で合図され、頷いて気まずそうに歩きだす。彼はじたばたと暴れるが、暫くすると大人しくなり連れて行かれた。
「ぷっ、クククッ…」
 兄の仲間達は声を殺し笑っていた。
 朱翔が呆然とする三人に言う。
「な? あの二人見ていたら笑えるだろ?ハハハハ」
 笑えるようになるには、まだまだ観察が必要だ。そもそも、自分達の立場から同様に笑ってよいものか、三人は苦笑いするしかなかった。

 兄が戻る頃に丁度準備が整い、浄化の儀式が始まった。小殿は使用されなければ直ぐに取り壊されるが、清めの酒一斗甕〔約十八リットル〕を百甕も使う大殿を浄化するなど、滅多に見られない事だ。金龍殿に向かって各宗主を先頭に右から蒼龍家、朱雀家、黄龍家、白虎家、玄武家が立ち並ぶ。五神家を総括する宗主黄理が列から三歩前に出て、全員で合掌し深く頭を下げた。すると空気が一変、この場に居る数十人の気配すら無と化した。物にも生命が宿るとするならば〝不言不語ふげんふご〟これが金龍殿の最後の言葉なのだろう。まるで運命を受け入れたかのように、奇妙なほど宮全体が深閑としていた。全員が頭を上げると同時に、新たな首途を祝うが如く世が明けた。
 朱雀家以外は神獣を出し、金龍二匹、青龍三匹、白虎四匹に殿を囲わせた。各神家の神獣が揃う迫力に、蒼亞、壱黄、海虎は圧倒され言葉を失う。兄の青龍を見るのは久々だが、周りの神獣と比べるとその大きさは歴然だ。現に他の宗主達も見上げ、他の神獣までもが警戒していた。そんな周囲の視線など気にも留めず、青龍は外に出れて嬉しいのかうずうずと蠢き、遊びたいと兄を横目で瞥見べっけんする。兄は双眸を淡く光らせ、青龍を睨み顔を横に振った。
 次に玄武家宗主観玄かんげん清玄きよはると義兄が、神獣ごと金龍殿に巨大な結界を張った。観玄が黄理に頷いて完成の合図を送り、全員が自身の神獣に指示を送ると、神獣達は一斉に結界の中で殿を壊しだした。屋根からは瓦が飛び散り、腐った柱は衝撃で簡単に倒れ、殿壁は粉々に砕かれていく。巻き上る煙や埃で、結界内はもわもわと白く濁った。結界のお陰で、騒音どころか埃一つ飛んでこない。だが、目に映る光景からは、今にでも呻き声や振動と共に破壊音が聞こえてきそうだ。徐々に建物が崩れて行く中、時折切り裂くような亀裂音が鳴る。

 何だ?

 結界の異変に全員が気づく。

「くっ…」
「兄上?」
 側に立つ兄の様子もおかしい。

「蒼万っ、青龍を抑えろ!」

 柊虎の声で全員が一斉に兄に振り向く。
 兄は額に汗を滲ませ、青龍を睨みつける。
「…できぬっ」
「なっ…もしやっ、玄武家の結界かっ?」
 兄は重く頷く。
 玄武家の強力な結界によって兄の指示が遮断され、野放しになった青龍が興奮しているのだ。予期せぬ出来事に、緊張の糸が張り巡る。
 兄の元へ全員が集まり、黄理が落ち着いた口調で言う。
「蒼万、結界を解けば青龍を抑えられるのか?」
「黄理様、可能だとは思いますが、直ぐには無理です…」
 それまでの間、多少の被害が起こるのは避けられない。兄は太腿の横で拳を握りしめた。
 盛虎が怒鳴る。
「蒼明っ、このままではその内結界が崩れるぞっ!」
「盛虎、蒼万に考える間を与えてくれぬか」
「蒼万っ、何か方法はないのか?」
「父上、それは…」
 祖父と父が兄の側に寄り問うが、珍しく兄は言葉を詰まらせた。
 玄武家の者達は先に青龍の異変に気づき、休む事なく霊力を送り続けている。観玄が急ぎ対策を取るよう、険しい顔で黄理に視線を送った。だが、青龍はまるで嘲笑うかのように、楽しそうにはしゃぎ回っている。他の神獣達も敵わないと悟っているのか、それとも阻むと逆上する可能性を見越しているのか、止めることはせず、ただ青龍を眼で追っていた。普通の神獣は、主の指示が遮断されたとしても暴れたりなどしない。想像以上の青龍の気性の激しさに、蒼亞達は愕然とする。次第に破壊する物が無くなり物足りなくなったのか、青龍が結界に体当たりしだし、空気を揺るがす亀裂音を響かせた。
 全員が、何か、何か、何か、手に汗を握り締める。
 と、その時…。

「蒼万ーっ!」

 彼の声で、全員が辺りを探す。

 …何処だ?

 柊虎が空を見上げる。
「朱翔っ、あれは雀都さくとではないか?」
「祖父上が志瑞也を呼びに行かせたんだ」
 晟朱せいじゅが微笑んで頷き、盛虎は「ふんっ」と腕を組み鼻を鳴らした。

 雀都が優雅に着地し、胴体を屈め彼が背中から飛び下りた。
「ありがとう雀都」
「クピッ」

 彼が輪の中に駆け寄る。
「蒼万っ、青ちゃんが暴れてるって本当か?」
 兄は頷き彼の背後を指差した。
「あの中に皆いるのか?ったく、青ちゃんは直ぐ・・調子に乗るんだなアハハ」
「志瑞也っ、笑ってる場合じゃないんだっ、お前青龍を止められるのかっ?」
 いつになく朱翔も真剣だ。
 彼は腕を組んで首を傾げる。
「そうだなぁ、今のまま結界を解いたら危ないんだろ?」
「うん」全員が頷く。
「でもこの結界は外から誰も入れないんだよな?」
「うん」全員が頷く。
「ならちょっと待ってて、へへへ」
 彼に何か考えがあるのだろうか、一人だけ緊張感が全くない。彼は結界の近くまで行き、辰瑞を出した。
「蒼亞っ、あれが志瑞也さんの?」
 海虎は初めて見る辰瑞に驚く。
「うん」
「蒼亞っ、壱黄っ、海虎!」
「玄史っ」
 駆け寄る玄史に蒼亞は尋ねる。
「玄咊は?」
「玄華様と話をしていたら雀都が飛んで来てな、玄咊を玄華様にお願いして私は走ってきたのだ、何がっ…あっ、あれが麒麟、辰瑞か?」
 玄史も海虎同様に驚く。
「うん、玄史説明は後だ」
「わかった」
 玄史は頷き、四人は彼に視線を向けた。 
 彼は辰瑞の頭をなで、結界の中の青龍を指差した。辰瑞は結界を見つめ、彼はぼそぼそ口を動かした後、体ごと振り向きにっこり笑って手招きする。

「蒼万ーっ!」

 兄は直ぐに彼の元へ駆けて行き、二人は少し話して頷き合い、兄が先に辰瑞に跨り彼を前に乗せた。

「朱翔ーっ、後宜しくなーっ!」

 彼は手を振って飛び立った。
「聞こえてるよーっハハハ」
 朱雀家の者達しか笑っていない。
「朱翔っ、志瑞也は何と?」
「柊虎、志瑞也と蒼万にはやられたよハハハハ」
「何を笑っているのだ?」
 眉を寄せる柊虎をよそに、朱翔は明るい声で言う。
「まあ見ていればわかるさ、宗主様達、二人に任せて大丈夫ですが、少しここから離れましょう」
 何がなんだかさっぱりだが、全員は言われた通り金龍殿から離れ、結界の頂上にいる兄夫婦を見上げた。彼は兄にお腹を支えられ、落ちそうなほど上半身を真下に屈め口元に両手を添えた。
 次の瞬間、

「わーっ!」

 彼の一声が響き辺り結界が「パ─ン!」と弾け飛んだ。玄武家の三人は風圧に押され、その場に尻もちを突く。三人は咽せながら袖で顔を覆うも、全身白く埃まみれになってしまう。

「玄弥ーっ! ここから離れるんだーっ!」

 義兄は瞬時に父清玄に呼びかけ、祖父観玄を背負い走って避難する。青龍はここぞとばかりにニヤリと笑い、天を目掛けて真っしぐらに飛び出す。「めっ!」目の前で手掌を突き出す彼の一声で、青龍は彫刻のように固まってしまった。瞳を泳がす青龍に、彼は睨みながら顔を横に振る。すると、何食わぬ顔で甘えだし、彼と兄に頬擦りして辰瑞に寄り添った。地上に戻り辰瑞から下りると、彼は集まった神獣達と戯れだす。

 兄だけ全員の元へ駆けつけた。
「皆様、ご心配おかけしました」
 深く頭を下げる兄に、黄理が驚きながら言う。
「そっ蒼万、これは一体…」
「志瑞也の神力です」
 ……?
 知らない彼の力に、全員困惑する。
 朱翔はにやけながら前に出て来て言う。
「蒼万、ちゃんと説明してもらおうか? お前は自分が武神じゃないって、いつ気づいたんだ?」
 全員がまさかと驚愕する。
「蒼万っ、知っておったのか?」
「はい祖父上」
「いっいつじゃ?」
 兄は一呼吸ついて明かし始めた。
「六年前領域調査の際発覚した、人間の強い怨霊を覚えておりますか?」

─ 六年前 ─
 当時、離れた領域で災厄が頻繁に起こっていたが、関連性が無いと思われていた。兄が彼を連れて領域調査へ向かうと、彼は決まって村や町に行きたがり、茶菓子屋や甘味処へ寄ったり村人や商人と談笑するのだ。その日も町へ行くと、露天で装身具を売っている商人がいた。
「おっ、そこの男前の旦那達見て行って下さい」
 商人は二人の風貌から神族だと把握はしても、顔は誰かは知らない。
「これを貰って喜ばない女子はおりませんよハハハ」
 彼は直ぐに飛びつき、台に並べられた色鮮やかな装身具を手に取って、黄花への贈り物を物色した。
 彼は不思議そうに尋ねる。
「おじさん、他のお店もだったけど桃色の指輪は売ってないの?」
 彼の雰囲気に話し易い神族だと思い、商人は口調を変えて言う。
「桃色? ああ、紅水晶のことかい? ハハハ今その指輪は売れないよ」
 顔の前で手を振って笑うも、首を傾げる彼に指を差す。
「旦那まさか、を知らないのかい?」
 商人は目を丸くする。
「旦那達神族様だろ?」
 その顔は、何故知らないのかと言いたげだ。指を差され不快に眉を寄せる兄に、商人はしまったと口を手で塞ぐ。
「おじさん、この簪買うから噂教えてよ」
 彼の笑顔に商人は安堵し、声を静めて話しだした。
「かなり昔の話なんだがある男前の商人がいてな、その男には可愛らしい嫁がいて確か幼馴染みだと聞いた。婚姻の贈り物は紅水晶の指輪で、嫁は肌身離さず指に着けていたらしい。暫くして嫁が妊娠してな、男は領域を跨いで稼ぎに出たそうだが、はっ、なんせ顔がいい分女が寄って来てな、情を交わした女は数えきれなかったそうだ、しかも独り身だと嘘までついてな」
 商人は腕を組み、考えられないと呆れ首を捻る。
「そいつ最低だなっ、それで?」
 彼は目くじらを立てて食いつく。
「そうだろ? 旦那達立ち話もなんだ、こっちに座りな」
 楽しくなってきた商人は、気前よく長椅子を詰め座るよう促す。彼は喜んで腰掛け、兄は顔を横に振り断った。気まずい顔をする商人に、彼はいつもだから大丈夫と微笑み噂話の続きを求めた。
「それでな、嫁は毎月届く夫からの文を胸に帰りをひたすら待っておったんだがな、はぁ…残念な事に、腹の子は流れちまったんだよ…」
「そんな…」
 商人と彼は胸に手をあて、伏し目がちに辛かっただろうと頷く。
「じゃあその後お嫁さんは?」
「もちろん体調が回復してから、文を足取りに夫を追いかけたさ…」
 商人は大袈裟に肩を落とし「はぁー」と溜息を吐く。
「ちゃっ、ちゃんと会えたのか?」
 そう願う彼に、商人は頷き彼はほっとする。
「だが別の女と子を作っておった…」
「は?」
 商人は目で頷き、彼は顔に怒りを滲みだす。
「女の腹は大きくてな『もう直ぐ産まれるのが楽しみだ』て、男は村の者達に話していたそうだ、しかもその女の手には…」
 目を見開き彼に訴える。
「まさかっ、桃色の指輪か?」
 御名答、商人は満足げに頷く。
「嫁はさぞ悲しかっただろうよ」
「当たり前だよっ」
 彼は口を尖らし商人と頷き合う。
「裏切られた気分さ」
「俺だったら・・・・絶対許さないよっ」
「…?」
 彼は女子ではないが、商人は首を傾げた。
「それでっ、おじさんっ、お嫁さんはどうなったんだっ?」
「あ、ああ…結局その村の入口の木で首を吊ってな、死に顔は悪相で見るに耐えなかったそうだ、村人は知らない女にこんな所で自害されて傍迷惑だと怒ってな、はぁー、亡骸を川へ捨てちまったのさ…」
 商人は無理もないと険しい顔をする。
 彼は眉をひそめる。
「なんだよそれ…でもっ、その男は自分のお嫁さんって分かるだろ? そうだっ、指輪っ、指輪を着けていたんなら…」
 すっかり話に入り込んでいる彼に、商人は感情を乗せる。
「それがな、着けてなかったそうだっ、しかもだぞっ、その後直ぐに男の女が倒れてな、出産まで苦しんだ末、腹の子と共に死んじまったらしいっ」
 商人はわざとらしく体を震わせる。
「そんな…じゃっ、じゃあその男はっ、その後どうなったんだ?」
「気が狂ったかのように昼夜問わず『嫁が迎えに来たーっ!』て叫んでな、心配した村人が領主へ相談に行くよう促したが、きっと自分のした事分かっていたんだな、素行が知れるのを恐れてか、断固として行かなかったそうだ」
 彼と兄は、噂で留まった理由が分かった。
「結局その男はな、嫁を捨てた川で土左衛門として見つかったのさ」
 商人は両眉を上げ当然と頷く。
「じゃあ何で夫婦って分かったんだ?」
「奇妙な事にその男の喉にな、紅水晶の指輪が二つ詰まっていたそうだ、一つならまだしも二つでてきた事に村の者達も不審に思っていたが、ある日隣町に出掛けた村人が宿に泊まってな、女将に男の死に様の話をしたら、紅水晶の指輪をした女が夫を探しに訪れていたって話を聞いたのさ」
 それで二人が夫婦と繋げたのだと、彼は納得して頷く。
 商人は鼻息をつき、台の上から指輪を一つ取り、日に翳し眺めながら言う。
「だが最近からな、紅水晶の指輪を持った女が不可解な死を遂げてな、全てその男が立ち寄った村だった事から噂が広がったのさ、昔の話だからその男の女ではないはずだが、他の女との孫って噂もあるんだ、だから今紅水晶の指輪は売れないんだよ、呪われた指輪ってな」
 彼と兄は目配せで頷き合う。
「そっか、ありがとう。おじさん話し上手いねアハハ」
「そうかい?ハハハ」
 彼は席を立って懐から賽銭袋を取り出し、お代を上乗せして渡した。
「また何か噂話あったら聞かせてくれよな」
「任せときなっ、まいどっ」
 品も売れ話代も貰い、商人は喜んで手を振って見送った。
 兄は直ぐに祖父や父に報告し、亡くなった女子達の村へ出向いた。嫁の死から数えると約百年。怨霊の願いが人間の霊魂であれば、蜘霊ちりょうになるには十分な期間だ。男の死が呪いかは不明だが、生命力の弱い胎児を狙えば母子共に呪いで殺せる。直接取り憑き呪い殺せるようになった今、再び噂が立ち始めたのだ。しかも、その女子達の村の近辺こそ、災厄が起きていた場所だった。領主が報告や調査を怠っていたのではなく、彼の様に人間と話す者は神族に多くはいない。兄が村人達に話を聞くと、亡くなった女子は確かに皆紅水晶の指輪を所持し、最初の二人は明らかにその男の子孫だった。旅をしながら女子を孕ませていたから、災厄の場所に一貫性がなかったのだ。だが、残りの二人は贈り物として貰っただけで何の繋がりもなく、怨霊は既に見境なく殺戮を始めていた。いずれは、執着する紅水晶の指輪にすら関係性の意味を無くす。運良く最近亡くなった女子の村で、隣村で近々婚姻する女子がいると聞きつけた兄は、急ぎその村へ向かう途中、予想通り大物の妖魔に出会したのだった。
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