彼と兄と過ごした日々 〜蒼亞の願い〜

アマリリス

文字の大きさ
26 / 36
第ニ章 桜草

二十六 渇愛

しおりを挟む
 暫くして、義兄が部屋に訪れた。
「よし、皆横になるのだ」
「はい」
 寝床に入って義兄が穏やかに話しだすが、精神的に疲れてる四人は、すっと睡魔に引き寄せられていく。

(ここは…)
 蒼亞は目覚めると、またもや草原に横になっていた。立ち上がって構えるように拳を握り、草原を突き進む。暫くして靄がかかり、再び一面が濃霧に包まれた。最初の夢と同様、暫く歩くと薄っすらと景色が見えだし、急いで駆け抜けると、やはりそこは東宮。探し回るも夢の蒼亞の姿が見当たらず、蒼亞殿がある場所には、取り壊されたはずの蒼万殿があった。まだ生まれていないのか、それとも、まだ十二になっていないのか。次なる夢は如何なるものか? 意を決して蒼万殿の扉を開け、中に入り辺りを見渡す。改めて見ると、夢の中とは思えない程、龍柱の彫刻までもが鮮明に再現されていた。だが、またもや侍女や従者の姿もなければ、モモ爺達や傘寿の姿も見当たらない。自ら探しに動けば、また嫌な思いをするのではないかと怖気付いてしまい、何処に行けば良いのか分からず、蒼亞はその場で立ち止まってしまう。すると、庭園の奥から笑い声が聞こえてきた。
「アハハハ 蒼万は相変わらずだな。なあ柊虎?」
「そうだなハハハ」
(この笑い方は…志ぃ兄ちゃん?)
 蒼亞は急ぎ庭園へ向かう。そこには、兄と彼と柊虎が椅子に腰掛け、楽しそうに雑談していた。蒼亞は安堵して近づき、三人の姿を確認する。彼も柊虎も変わりなく、兄も姿は同じだが、まだ彼とは婚姻していないのか未婚男子の髪型だった。ふと、何処からともなく侍女の沙羅が現れ、彼と柊虎に会釈して、兄に近づき声をかける。
「蒼万様、蒼凰様がお呼びです」
「……」
 黙り込む兄に、柊虎は微笑んで言う。
「気にするな蒼万、私達はここで待っているよ」
「…直ぐ戻る」
 席を立ち緑龍殿へと向かう兄を、彼は瞳で追った。
「何の、話かな…?」
「気になるのか?」
 彼は伏し目がちに答える。
「ううん…」
「志瑞也、もしっ」
「柊虎、もういいんだ。俺が好きなのは柊虎だよ」
 そう言って、彼は席を立って柊虎に近づくと、太腿に横に座り、頬に手を添えて見つめる。
「柊虎、キスして…」
 唇を重ね合う二人から、蒼亞は思わず顔を横に背ける。夢だとわかっていても居た堪れず、その場から立ち去ろうとした。ところが、奥の柱の影に、出掛けたはずの兄がいた。
「跡をつけて…よいか?」
「いいよ。柊虎が安心するなら、沢山つけて…」
 柊虎は彼の首筋に唇を寄せ、数箇所に鬱血痕をつける。
「ん…柊虎、もっとして…」
 柊虎は頬に口づけし「臆病ですまない…」と、声を震わせ彼を抱きしめた。彼は柊虎の頭をなで、背中に手を回す。兄はぐっと眉間に皺を寄せ、その場から立ち去った。蒼亞は滲む視界を腕で拭い、急ぎ兄を追いかける。兄は早歩きで緑龍殿に着き、父の自室へと向かう。
「父上、お呼びでしょうか」
「入りなさい」
 兄は戸を開け中に入り、会釈して腰掛けた。
 父は鼻息をつき兄と向き合うも、顔を曇らせて言う。
「蒼万、お前に婚約・・の話がきているのだが… 気が進まぬなら断ってもよいぞ…」
「……」
 兄はうつむき黙る。
「侍女から聞いたのだが、志瑞也が柊虎と来ているそうだな…」
「はい…」
 父は眉をひそめ溜息混じりに言う。
「…もう彼と会うのはやめなさい、お前が辛くなるだけだ…」
 兄は声を震わせて呟く。
「…それは、できません…」
「蒼万…」
「申し訳ありません」
 そう言って、兄は頭を下げた。
 父は哀れな目で兄を見つめ、瞼を閉じ深く鼻息をつき、額に手をあてた。
 
 ────自殿に戻った兄は廊下をゆっくり歩き、奥の客室へと向かう。戸の前では、柊虎が腕を組みうつむいて立っていた。足音で兄に気づくと、待っていたかのように言う。
「蒼万、後を頼む…」
「…柊虎、もうこんなこと…」
 二人の重苦しい雰囲気に、蒼亞は胸騒ぎを感じる。
「お前には悪いと思っている。しかし私では… 駄目なのだ…」
 兄に言っているのか、自身に言っているのか、眉をひそめ柊虎は戸の前から立ち去る。兄は躊躇しながらも、ゆっくりと戸を開けた。

「あ… 柊虎っ、何処…」

 やはり、寝床には、裸体で悶える彼がいた。夢だからか、発情する彼の声に煽られる事はないようだ。だが、部屋に入り衣を脱ぎだす兄が、これからしようとする行為に蒼亞の鼓動は大きく軋みだす。兄は彼に近づき、何も言わず頬に触れる。「柊虎っ…」兄の手の温もりに嬉しそうに微笑み、瞳を潤ませ甘く見つめた。「もっと、触って…」頬に触れる兄の手を取り、胸にあて「あ…っ、熱い…」身体をびくつかせる。吐息を漏らしながら、腹部、臍と辿り、反り勃った性器にぐっと押しあて「はんっ…」淫らに肩を竦めた。兄は覆い被さり、彼の身体を貪りだす。二人の裸体が艶かしく絡み合い、蒼亞は苦痛に顔を歪ませた。
(あ…兄上っ、やっやめて下さい…)
 兄は彼の股の間に下半身を滑らせ、唇で全身に愛撫を繰り返す。彼は兄の背筋をなぞり、指の関節を立て皮膚を掴む。
「気持ちいい…あっ、柊虎… もっとして…」
 彼は内股や足裏で兄の身体を擦った。
「ん……柊虎、もう欲しい… 柊虎の挿れて…」
 兄は彼の両足の太腿を掴み上げ、入口に亀頭をあてがう。小さな入口をこじ開け、兄は腰を沈め少しずつ挿入する。彼は押し寄せる侵入物に首を反らし、苦しそうに足の指を曲げた。入口の縁は皺がなくなるほど広がり、傷つけないよう兄は途中で止め、馴染まさせてから奥まで貫いた。
「あう…っ、いいっ…ああっ、入ってるっ… 柊虎…気持ちいい、あ……」
 兄に絶え間なく刺激され、彼の性器は先から蜜を垂らした。皮膚が高く弾き、入口は卑猥な粘り音を鳴らす。彼は自身の性器を握り、弄りながら恍惚に兄を見つめる。愛し合う行為のはずなのに、蒼亞は脚が竦み立ち去ることができなかった。
 兄は彼を抱え起こし、太腿に乗せお尻を掴み引き寄せる。
「あ…っ、奥まで入って、気持ちいい…」
 兄の首に腕を回して、彼は耳元で甘く囁く。
「柊虎、好き… 大好き…」
 兄は強く抱きしめ、欲情のままに突き上げた。喘ぎながら叫ぶのは、兄の名ではない。兄が一言も発さないのは、声で気づかれないためか。時折首筋に咬みつきそうになるも、柊虎の跡を目にし下唇を咬んだ。
「柊虎… キスして……」
 舌と舌を絡ませ兄の唾液を味わう彼は、獣の様に擦り寄せ兄の身体を堪能する。
「柊虎の… 中に出して…」
 甘くねだる彼の瞳は、まるで悪魔の微笑みを見ているようだ。
「ああっ…いい! 奥気持ちいい…柊虎、それっ、いっいちゃうっ…あっ、あ…っ、いくっ、いっああー!……」
 絶頂と同時に腰を捩り、お尻を動かし兄を締め上げる。兄は根本までぐっと挿し込み、彼の体内で爆てた。結合部分は隙間なく密着し、彼は涙を溢しながら兄の頬に触れて見つめる。
「俺の中…  柊虎でいっぱいにして…」
 何度も、何度も、兄は彼に悲愛を注ぐ。気を失った彼の身体を丁寧に拭き、兄が衣を着せ頬をなでると、彼は兄の手を掴み「行かないで、柊虎…」と、心細く呟く。兄は悲痛に顔を歪め、そっと手を解き、静かに部屋を出た。

 兄の自室の前には、柊虎が暗い顔で腕を組み、庭園に向かって立っていた。近づく兄に気づいているはずだが、柊虎は振り向かず、黙って腕を解いた。
 兄は柊虎に背を向け、戸に手を伸ばして言う。
「お前を呼んでいる…」
「わかった… ありがとう…」
 柊虎は頷き客室へ戻る。
 兄は自室に入り、着替えるため衣を脱いだ。身体には彼につけられた跡が、いくつも……悲しく残っていた。胸元についた跡に、兄はそっと触れる。
「し…志瑞也… ううっ…愛している、ううっ…」
 兄は膝から崩れ落ち、声を殺して泣きだした。言いたくても言えない、たった一言。彼の名を繰り返し呼ぶも、彼が呼ぶのは……兄ではない。あまりにも悲愴な姿に、蒼亞は呼吸が乱れ頭を抱える。
「兄上っ、ううっ…兄上──っ‼︎」

 ガツガツガツ…

(ん、何だっこの音は…?)
 辺りを見渡しても、目の前には泣き崩れる兄の姿しかない。視界に入った右手首には、紅い糸が巻きつけられていた。
(なんだこの糸……そうだ!)
 眠る前、夢に惑わされないう、海虎の案で皆で着けたのだ。蒼亞は直ぐに霊力を込め直す。彼と柊虎が結ばれていたなら、これもまた、蒼亞が思った事。向き合わなければと、涙を拭い兄を見つめた。暫くして、寝床で横になる兄の元へ柊虎が訪れ、庭園へ呼びだした。
「蒼万、毎度辛い思いさせて、すまない…」
「私だけではない… お前もだ」
 柊虎もまた、穏やかではない、彼を満たせず、苦渋に兄に頼んだのだろう。一方は心を得られたが、身体は得られず。もう一方は身体を得ても、心は得られない。
 兄は眉をひそめうつむく。
「私の血があの時、口に入らなければ…」
「蒼万、私の救いは相手がお前という事だけだ… お前のことだ、大切に抱いているのだろ?」
 そう言って、柊虎は悲しげに微笑む。
「……」
「どう愛されたかぐらい、目覚めた時の志瑞也の接し方を見ればわかるさ。私のことを考えて跡もつけていない」
「……」
 柊虎は手を後ろで組み、兄の前をゆっくり歩きながら言う。
「しかもお前は志瑞也以外は抱いてないはずだ…いや、抱けないよな… ふっ、他の者なら慰み者か、女の代わりに抱く性欲処理扱いだ」
「柊虎…」
 兄の辛さを、柊虎は一番よくわかっていた。どれが正しい選択なのか、間違った選択なのか、答えは何処にもないのかもしれない。全てを得ろうとするのは……欲だ。蒼亞は二人から離れ、客室へと向かい彼の部屋に入った。

「ううっ…ごめんよ、蒼万…」
 やはり、彼は兄の想いに気づいていた。それは、例え柊虎と結ばれても、兄の想いを知っていてほしいと蒼亞が望んだからだ。〝今〟と言った彼は、以前兄と想い合っていたのか。それとも、気持ちを打ち明けず片想いで終わったのか。兄の殿で柊虎に抱かれたと、彼は自身を責めているのだろう。蒼亞は寝床に座り、蹲る彼の頭を優しくなでた。彼はむくっと上半身を起こし、右目、左目と手で涙を拭う。目線の前にいると、不思議と見つめ合っているようだ。毎回、独りで泣き腫らしているのだろう。例え夢でも、こんな姿は見たくない。
(志ぃ兄ちゃん、泣かないで…)
 彼の頬に触れようと右手を伸ばす。
「…お前、誰だ?」
 え?
 深黒の瞳と目が合い、蒼亞は頭が真っ白になる。途端、耳に咀嚼音が鳴り響き、直ぐに手首の紅い糸を見て、これは夢だ、これは夢だ、これは夢だ! 呪文のように唱え霊力を込め直す。逃げ出そうとするが「お前誰なんだっ」彼はすかさず蒼亞の右手を掴み、鋭く睨みつけてきた。予期せぬ事態に、存在を伏せようと蒼亞は焦る。
「えっとっ、そっ蒼万様のっ」
「蒼万の何だ?」
 即座に問い返す彼に、蒼亞は目を泳がせた。
「あっあのっ…」
 緊張から手の平が汗ばみ、彼の訝しむ双眸から蒼亞は目が逸らせなくなる。すると、彼はぴくっと眉を寄せ、辿るように蒼亞の手の平に鼻をつけた。
「お前、蒼万と似た匂いがするな」
「うわっ」
 いきなり手を引っ張られ、蒼亞は前のめりになる。

「ちゅ… んっ…」

 ───柔らかな唇、熱い舌、首筋にあたる彼の四指。突然の出来事に思考が追いつかず、再び咀嚼音が耳に鳴り響いた。
「…ちゅっ、ふふっ、唾液も似た味がするな。ならここはどうだ?」
 彼は唇を舐めて、蒼亞の股間に手を伸ばした。
「あ…っ」
「ふっ、お前可愛いな。やりたいんだろ? させてやるよ。その代わり……蒼万って呼んでいいか?」
 ぞっとする冷やかな微笑み、これは一体誰だ? 蒼亞の帯をするっと解いて上衣の前を開き「いい身体してるな、鍛えてるのか?」舐めるよな視線で見つめる。触れる彼の指の動きに下腹部が反応し、彼は躊躇うことなく下衣に手を突っ込んだ。
「まっ待ってっ、あ…!」
 彼を押し退けようとするが、驚くほどに手に力が入らない。彼は下衣を捲って性器を露わにし、蒼亞の股間に顔を埋めた。
「はむっ… んっ…ん…」 
 身体とはこうも残酷か、彼の口内の温かさや舌使いに、抗うことができない。
「う…っ、やっやめてっ…」
 彼の背中の衣を掴み引き剥がそうとするが、性器は意思に反して膨らむ。彼は咥えながら「ふっ」と鼻で笑い、上目遣いで蒼亞を見ながら、裏筋を舌先でなぞり、熟れた亀頭にしゃぶりついた。
「あうっ…!」
 目眩のするような刺激に、どうしようもなく自分が男なのだと感じた。このまま、快楽に溺れてしまえば楽なのかもしれない。しかし、彼にこんなことをされたいわけではない。してほしかったわけでもない。ただ……代わりではなく、兄を愛するように見つめられたかったのだ。
「やっ、やめるんだっ あ…っ、しっ志ぃ兄ちゃん!」
 蒼亞は彼の肩を掴んで引き剥し、直ぐさま寝床から逃げだした。反対の壁を背に、急ぎ呼吸を整え霊力を込め直す。唾液の艶を纏う性器は、悲しくも反り勃っていた。木台の上にあるちり紙で拭き取り、乱れた衣を正しながら、止まらない手の震えに目の縁を赤く染めた。
「何でっ、ううっ…何でこんな… 柊虎様が好きじゃないのかよ!」
 彼は顔をしかめ首を傾げる。
「志ぃ兄ちゃん? お前、蒼…亞…か? まさか…」
 彼は寝床から立ち上がって近づき、驚きながら確かめるように蒼亞の顔や肩に触れる。夢の蒼亞は存在していた。だがまだ幼く、両親と共にいるのだろう。姿が見えなかった事を含め、姉が婚姻して間もない時期だと蒼亞は推測した。
「志ぃ兄ちゃん、私は今十二だよ」
「十二歳⁉︎」
 蒼亞は頷いて言う。
「これは義兄上の術なんだ」
「玄弥の?」
 玄武家の術ならあり得ると理解したのか、彼は先程とは一変、親しむように頭をなでながら微笑む。
「そうか…」
「うん」
 ならばと蒼亞は尋ねる。
「志ぃ兄ちゃん、何で柊虎様といるの?」
 彼はすっと笑を消して、声を重く沈ませて言う。
「お前のせいだ」
「…え?」
「お前があの時キスさえしなければ、俺は発情しなくて済んだんだ」
「あ…あの時?」
 蒼亞は迅速に記憶を辿り、彼に口づけした出来事を思い返す。だとすると、この夢は七年前の講習会後だ。決して忘れていたわけではない。だが、蒼亞が彼の身体の事を知ったのは一ヶ月前だ。
「なっ何があったの⁉︎」
 彼は蒼亞から離れ不気味に笑う。
「ふっこの際お前が誰だっていいさ、教えてやるよ。様子を見にきた柊虎はな、発情した俺に煽られて俺を抱いたんだっ、しかも無理やりな!」
 闇に揺れる瞳には、憎しみが込められていた。
「そんなっ…」
 蒼亞はよろめいて、木台に「ガタン」と寄りかかる。
「あ…朱翔様は、とっ止めなかったの⁉︎」
 彼は眉をひそめ呆れるように言葉を吐く。
「ハッ、朱翔は止めたけど……興奮した柊虎が殴ったんだ!」
「柊虎様が…⁉︎」
 蒼亞は呼吸が乱れ息苦しくなる。
「いいか蒼亞、柊虎はな、ううっ…蒼万を呼ぶ俺を抱いたんだ。泣いて嫌がる俺に『蒼万だと思ってよい、怖がるな』って… ううっ… お…俺は柊虎を傷つけたんだ…」
 彼は罪を告白しながらわなわなと肘を曲げ、胸の高さで両手を見つめる。今でもその時の感触が残っているのか、震えながら拳を握りしめた。
「でっでもっ、兄上が迎えに来たって!」
「来たさっ、でも……俺を置いて行ったんだ! ううっ…」
 まさか、兄がそんな事するなど。これは夢だ! 蒼亞は惑わされないよう、右手首の紅い糸を左手で強く掴んだ。
「俺は今でも蒼万を愛してる……何度も、何度も、謝ったけど… 蒼万はこんな身体にした自分といない方が、俺が幸せになれるって… 苦しかった、呼んでも振り向いてくれなかったんだ、ううっ…」
 彼の訴えが、心を真っ二つに引き裂く。彼はこんなにも兄を愛している。愛とは素晴らしいだけではない、時に憎悪と化するのだ。彼の怒りは徐々に高まり、瞳の色が淡く変化してきた。
「俺が苦しい時蒼万は側にいなかった、側にいたのは朱翔と柊虎だっ、ううっ…蒼万はな、お…俺から逃げたんだ… 俺は蒼万がいないと駄目なのに、ううっ…俺を捨てたのは蒼万だ! 俺を捨てた奴の名前なんか二度と呼んでやるもんか‼︎」
 彼の瞳が琥珀色に光り、髪がゆらゆらと逆立つ。外からは雷の音が鳴り響き、彼から漂う熱風が、這うように身体に纏わりつきだした。
「蒼万の唾液はな、前はもっと濃厚で甘かったんだ…」
 彼は頬を濡らし唇に触れ、幸福だった記憶を懐かしむ。
「キスも……セックスも、気持ちよくて… 愛されているって感じられたんだ、ぐすっ… それが今はどうだ? ハッ、抱いている時ですら名前を呼んでくれない……」
 蒼亞は思わず口走る。
「えっ、気付いていたの⁉︎」
 戸の隙間から、差しかかる光が奇怪に点滅し、彼の歪んだ微笑みを怪しく照らした。
「ふっ当たり前だろ? ってかやってるの聞いていたのか? アハハハ! 発情しているからって理性が完全に飛ぶわけじゃない、蒼万だって気づいているさアハハハ!」
 彼は狂ったように腹を抱えて笑う。
「じゃあっ、何で振りなんか⁉︎」
 彼の眼光が蒼亞を突き刺す。
「柊虎の痛みを思い知ればいいんだ‼︎」
「なっ…」
「柊虎はな、もう俺を抱けないんだ… あの時を思い出して『すまない』って泣くんだ… ぐすっ…だから俺の身体が欲求を溜めないよう、ううっ…ここに連れて来るんだ… 俺の身体を優しく触ってさ、昂めて興奮したら……蒼万に柊虎だと思って抱かせるんだっ‼︎」
 蒼亞には咀嚼音すら聞こえず、息をしているのさえわからない。代わりに全身に響いていたのは、彼の言葉だけだった。
「俺は獣だ、匂いや味は誤魔化せるわけないだろ? アハハハハハ!」
 彼は嘲笑うかのように、身体を反らし高々と笑う。
「……」
 あまりの内容に、蒼亞は青褪めた顔で立ち竦んだ。
 彼は涙袋を赤く腫らして微笑む。
「蒼亞、俺がどんな気持ちかわかるか?」
 自身を嫌悪するかのように、彼は胸元を握りしめる。
「会いたくないのに会いたい… 会わなかったら身体が疼く… だからって身体だけ繋がっても…意味ないんだよ! それならこんな身体っ、誰に抱かれても同じなんだっ‼︎」
 岩盤を打ち砕くような激しい稲妻が落ち、地面が大きく揺れ動いた。蒼亞ははっと我に返り、柱や戸が軋めく様子に目を凝らす。彼の力の暴走は見た事がない、それなのに何故? それとも、蒼亞の記憶から想定したものなのか。「バン!」と戸が開き、風が一気に部屋に流れ込む。
「志瑞也!」
 柊虎と兄が一直線に彼に駆け寄る。
「来るな‼︎」
 彼の怒鳴り声で再び稲妻が落ち、足底から地響きが上がってきた。空気が纏わりつく熱風と擦れ、毛穴の開いた皮膚にびりびりと振動が伝わる。兄と柊虎は髪を靡かせ、険しい顔で立ち止まった。彼は両腕で身体を掴み、拒絶するかのように顔を横に振りながら言う。
「もっもう耐えられない…もう嫌だ、こんな身体…もうっ嫌だ──‼︎」
 爆風が雪崩の如く、粉々に戸を吹き飛ばす。
「うわっ」
 蒼亞は飛び散る木片を両腕で遮り、突き刺さる風に目を窄める。地上に迫る積乱雲は空を覆い、おどろおどろしく渦を巻き、天の怒りとも思える光景は、まさに、この世の終末を現していた。
 彼は蒼亞を見つめて言う。

「ふっ、俺が死んで困るなら… 皆で死ねばいい」

「志瑞也っ、やめるのだ!」
 柊虎は烈風を遮りながら必死に呼びかけるが、兄は黙ったまま立ち尽くしていた。彼は眉をひそめながも、求めるような眼差しで兄と見つめ合う。一言でいい、一言、愛する者からの言葉が聞きたい……だが、兄は一度決めたことは変えない。今更むしが良すぎると思っているのか、拳を握り伏し目がちにうつむいた。こいつには何を言っても無駄だ、そんなこと初めから知っていたと、彼はくしゃっと髪を掴んで項垂れた。蒼亞は歩くことができず、足を踏ん張りながら前のめりに声を張り上げる。
「志ぃ兄ちゃんやめるんだ!」
 彼は腕を振り下ろしながら放つ。
「ゔるさいっ‼︎」
 天井が吹き飛び、部屋の壁が亀裂に沿って剥がれ、飛び交う木片が兄の頬を掠め血を滲ませた。蒼亞は地面に伏せ、這いつくばいながら彼の元へ行こうとするが、近づくことすらできない。
 彼は抜けた屋根から天を見上げた。
「辰瑞… ううっ……俺の願い、聞いてくれ…」
 蒼亞は壁際まで飛ばされ片隅に蹲る。
「しっ志ぃ兄ちゃん、くっ…くそっ」
 烈風が旋回する中で、彼だけが宙に浮いているかのように揺らめいていた。その姿は神秘的で、奇怪的で、まるで神の降臨ともいえるほど、恐ろしかった。
 彼は涙を横に流しながら振り向く。
「蒼亞、成長したお前に会えて、良かった…」
 そう言って、眉をひそめ口元で何かを呟いた……。
「なっ…志ぃ兄ちゃん!」
 風は更に勢いを増して電光石火を走らせる。

「全て、消してくれ…」

 突き刺すような眩い光が差しかかる。逆光の中で揺れ動く大きな影は、翼を広げ天に首を上げて──鳴いた。瞬間、金属が擦り切れるような悲鳴に節々から力が抜け、息が途切れる程の激しい頭痛が襲う。神々しい光と共に視界が霞み、蒼亞は頭を抱えながら彼に片手を伸ばした。
「駄目だああぁ───‼︎」






「…っ」



「……亞っ」


 バチン!
「起きろっ、蒼亞!」

 ん?
 衝撃で開いた視界には、額に汗を垂らす玄史がいた。蒼亞は状況が掴めず、鈍い感覚に誘われ頬に手をあてぽかんとする。
「顔が、痛いぞ…」
 瞳をぐるっと動かすと、海虎と壱黄も額に汗を滲ませ、蒼亞を覗き込んでいた。
「当たり前だっ、私が引っ叩いたのだ!」
 玄史が眉間に皺を寄せる。
「蒼亞っ、はっ…早く霊力を込めるのだっ、うっ…」
 胸には玄史の手が置かれていた。
「……あっ、ごっごめんっ」
 慌てて霊力を込め直し、壱黄、海虎、玄史の順に手を離して、三人も霊力を込め直す。
 玄史は畳にどすっと腰を落とし額の汗を拭う。
「ふぅー、危なかったな」
「本当だよ、起きないからびっくりしたよ」
 壱黄が安堵の顔色を見せ、蒼亞は三人に言う。
「皆、ありがとう…」
 海虎は残念そうに肩を落とす。
「糸は意味なかったか…」
「違うよ、ちゃんと効果あったさ。だけど私の心が弱かったんだ。玄史の言う通りこの特訓は私が一番危ないなハハハ ありがとうな海虎」
「そうか、なら良かった」
「皆はどうだったんだ?」
 蒼亞が尋ねると、三人は微笑んで頷いた。
「海虎、もう刺繍が得意なの隠すなよ。お前を揶揄ったりする奴がいたら私が許さないよハハハ」
「壱黄!」
 かばっと海虎が壱黄に抱きつく。きらきら族は、色々と共通点があるようだ。
 様子を見ていた義兄が言う。
「皆何とか髪拾いしているな、ぷっクククッ」
 確かに、長いのは腰、短いのは眉までと、不揃いに髪は乱れ暴れていた。後から、玄七にでも整えてもらおうと、四人は互いを見て苦笑いする。
「後一刻だけど朝餉はここに運ばせるから、終わったら海虎以外は目隠しして庭園においで」
「はい」
 四人は頷く。
「海虎、庭園に着いたら、私が合図するまで声は出さないでね」
「はい、わかりました」
 義兄はにこっと笑い、部屋から出て行った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

創作BL短編集

さるやま
BL
短編まとめました。 美形×平凡、ヤンデレ、執着・溺愛攻め多め

孤独な蝶は仮面を被る

緋影 ナヅキ
BL
   とある街の山の中に建っている、小中高一貫である全寮制男子校、華織学園(かしきのがくえん)─通称:“王道学園”。  全学園生徒の憧れの的である生徒会役員は、全員容姿や頭脳が飛び抜けて良く、運動力や芸術力等の他の能力にも優れていた。また、とても個性豊かであったが、役員仲は比較的良好だった。  さて、そんな生徒会役員のうちの1人である、会計の水無月真琴。  彼は己の本質を隠しながらも、他のメンバーと各々仕事をこなし、極々平穏に、楽しく日々を過ごしていた。  あの日、例の不思議な転入生が来るまでは… ーーーーーーーーー  作者は執筆初心者なので、おかしくなったりするかもしれませんが、温かく見守って(?)くれると嬉しいです。  学生のため、ストック残量状況によっては土曜更新が出来ないことがあるかもしれません。ご了承下さい。  所々シリアス&コメディ(?)風味有り *表紙は、我が妹である あくす(Twitter名) に描いてもらった真琴です。かわいい *多少内容を修正しました。2023/07/05 *お気に入り数200突破!!有難う御座います!2023/08/25 *エブリスタでも投稿し始めました。アルファポリス先行です。2023/03/20

もう一度言って欲しいオレと思わず言ってしまったあいつの話する?

藍音
BL
ある日、親友の壮介はおれたちの友情をぶち壊すようなことを言い出したんだ。 なんで?どうして? そんな二人の出会いから、二人の想いを綴るラブストーリーです。 片想い進行中の方、失恋経験のある方に是非読んでもらいたい、切ないお話です。 勇太と壮介の視点が交互に入れ替わりながら進みます。 お話の重複は可能な限り避けながら、ストーリーは進行していきます。 少しでもお楽しみいただけたら、嬉しいです。 (R4.11.3 全体に手を入れました) 【ちょこっとネタバレ】 番外編にて二人の想いが通じた後日譚を進行中。 BL大賞期間内に番外編も完結予定です。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

処理中です...