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俺の彼氏がバースデイ
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アナウンスが聞こえ、電車が速度を緩やかに落としていく。
隣県に着いてすぐ、バスに乗ると決めていた通りに俺は最寄りのバス停へと足を運んでいた。
目的地は姉の小春が教えてくれたカフェに行くためである。
姉曰く、静かでお客さんも疎らだからゆっくりできるというカフェはその言葉の通り、都心からそう離れていない割にはゆったりとした時間が流れている場所だった。
「こんにちは~」と、知り合いの家でも祖父母の家でもないのに思わずそう言ってしまうのも、そういった雰囲気のせいでもあるだろう。
黒いフサフサの髪の毛に白髪が目立ち始めたマスターと、柔らかい笑顔で出迎えてくれる奥さんの二人が今日も優しくいらっしゃいと声を掛けてくれた。
時刻は11時に近くなってきていた。奥さんに注文を聞かれ、店の入り口のボードに書かれていたナポリタンとケーキセットを注文したところだった。ということはおそらく、女子はもう既に俺の家へと行っているな。
そして俺が不在なことを知り、どうするか相談している頃か。
そう考えるととてつもなく悪い事をしているようで胸が痛くなりかけたが、何のためにここまで来たんだと自分を奮い立たせていると、ポケットから規則的なバイブ音が聞こえる。
途端にしまった、と俺は慌ててポケットに手を突っ込む。
いつもなら携帯の電源を少なくとも午前中は切っていたはずだった、なのに今日に限ってはそのルーティンを忘れていた。
今からでも遅くはないと、俺はいまだ手の中で震え続けている携帯の電源をオフにしようとした。
だが、一瞬で電源ボタンにかけた指が止まってしまう。
携帯の画面には間違いなく、榊 哲太と表示されていたのだから。
何で?榊?どうして俺に?答えのない問いが俺の頭を回っていた。だって、どうして。よりによって俺の誕生日に掛けてくるんだよ。
そう混乱しているうちに、手の中の震えは収まっていた。
けれど、俺の手はまだ小刻みに震えたままだ。
どうする、掛け直すか。いや、掛け直したところで何て言うつもりだ?
あの日、自分勝手な理由で醜態を晒した言い訳を、それからのことをどう説明するつもりだよ。
すると、次は確実に携帯の方が短い震えを上げたと見れば、画面には榊の名前。
―電話までして申し訳ない。実は今日、南沢に会うために家に行った。もし良かったら今日、会えないか?何時になってもいい、連絡待ってる
初めてメールを交わした時と同じく固い文面に、安堵していた。
多分、榊に嫌われてはいない、そう感じたのだ。
会えないか。そういうニュアンスで言われるのは榊だけではないし、小野や斉藤や今までの友人たちにも何度も言われてきた。
けれど、その度にこんな気持ちになったことはなかった、涙が滲むくらいに嬉しいなんてー。
もう、どうなったって良いと思っていた。榊と会ってどんな顔で何を言おうと、今日、榊に会えるなら会ってくれるなら、そんなことは関係ないとさえ思えた。
―電話に出られなくてごめん。実は今、隣県に来ていて夜まで帰らないつもりなんだ。…もし、榊さえ良ければこっちで会えないか?
それからは1分1秒が早く過ぎればいいと、ひたすらに腕時計とテーブルに出しっぱなしになっていた携帯を交互に見ていた。
画面には榊のメールが表示されたまま。
―もちろん、今からすぐに行く。絶対にそこから動かないでくれ
そう表示されたメールを見た瞬間、きっと俺の顔はだらしないことになっていたと思う。
絶対にそこから動かないでくれー。それはきっと、ドラマとか漫画で可愛いふわふわ系の主人公にカッコ良い男が切羽詰まった表情で言うセリフだろ?
なのに相手は柔らかさのかけらもない、ゴツゴツした男なんて、理想と現実のギャップもいいところだ。
だから勘違いするって。浴衣が似合うと言った榊にそう思った自分を思い出す。
あの時はまさか、自分がこれほどまでに榊を好きになるとは思いもしなかった。
けれど今、俺は確実に榊が好きだ。好きすぎておかしくなってしまうほどにあいつを好きになっている。
奥さんが運んでくれたナポリタンはしっかりとケチャップの味がしていて、でもどこか懐かしい味を思い出させてくれるものであっという間に平らげていた。
その後に持ってきてくれたチーズケーキは、奥さんが素材にこだわって一から作り上げたようだと、照れる奥さんの隣でマスターが教えてくれた。
ずっとチラチラ見ている時計は13時を指そうとしていた。ということは最後の連絡から二時間くらいか、俺が家を出たのが九時でここに着いたのは11時近くだから順当に電車に乗れればそろそろ着いてもおかしくはない。
そわそわと腕時計と携帯、それから店の大きい窓を眺めるが、榊が来る気配はまだない。
…もしかして道に迷った?それか、女子に捕まったとか?
待ち人を待つだけで嫌な想像まで浮かぶ自分に驚きながら、それでも根気強く待ち続け結局、時計は14時を指そ うとしていた。
さすがにこの店がアットホームで長居しやすいとは言え、これ以上は迷惑になる。
そう判断して店を出ることにした。
「待ってなくていいの?」
「え?」
「誰か来るのを待ってるのかなと思って。余計なお世話だったかしら」
さすがだな、と俺は素直に感服していた。きっと奥さんは俺がチラチラと見ていた意味にそして、そろそろと重い腰を上げた意味に気が付いていたのだろう。
「はい、大丈夫です。多分、この後会えると思うので」
奥さんとマスターに礼を言って、店を後にしゆっくりとした歩みで来た道を戻っていた。
…そういえば今日は携帯、鳴らないな。いつもなら電源を入れた瞬間から、大量のメールや着信を告げるバイブがけたたましく響くというのに。
こういう年も、もしかしたらあるのかもしれない。
一番嫌いな日に珍しく俺は、前向きにそう思いながら歩く。
そして名前も知らない公園に差し掛かった、その時だった。
隣県に着いてすぐ、バスに乗ると決めていた通りに俺は最寄りのバス停へと足を運んでいた。
目的地は姉の小春が教えてくれたカフェに行くためである。
姉曰く、静かでお客さんも疎らだからゆっくりできるというカフェはその言葉の通り、都心からそう離れていない割にはゆったりとした時間が流れている場所だった。
「こんにちは~」と、知り合いの家でも祖父母の家でもないのに思わずそう言ってしまうのも、そういった雰囲気のせいでもあるだろう。
黒いフサフサの髪の毛に白髪が目立ち始めたマスターと、柔らかい笑顔で出迎えてくれる奥さんの二人が今日も優しくいらっしゃいと声を掛けてくれた。
時刻は11時に近くなってきていた。奥さんに注文を聞かれ、店の入り口のボードに書かれていたナポリタンとケーキセットを注文したところだった。ということはおそらく、女子はもう既に俺の家へと行っているな。
そして俺が不在なことを知り、どうするか相談している頃か。
そう考えるととてつもなく悪い事をしているようで胸が痛くなりかけたが、何のためにここまで来たんだと自分を奮い立たせていると、ポケットから規則的なバイブ音が聞こえる。
途端にしまった、と俺は慌ててポケットに手を突っ込む。
いつもなら携帯の電源を少なくとも午前中は切っていたはずだった、なのに今日に限ってはそのルーティンを忘れていた。
今からでも遅くはないと、俺はいまだ手の中で震え続けている携帯の電源をオフにしようとした。
だが、一瞬で電源ボタンにかけた指が止まってしまう。
携帯の画面には間違いなく、榊 哲太と表示されていたのだから。
何で?榊?どうして俺に?答えのない問いが俺の頭を回っていた。だって、どうして。よりによって俺の誕生日に掛けてくるんだよ。
そう混乱しているうちに、手の中の震えは収まっていた。
けれど、俺の手はまだ小刻みに震えたままだ。
どうする、掛け直すか。いや、掛け直したところで何て言うつもりだ?
あの日、自分勝手な理由で醜態を晒した言い訳を、それからのことをどう説明するつもりだよ。
すると、次は確実に携帯の方が短い震えを上げたと見れば、画面には榊の名前。
―電話までして申し訳ない。実は今日、南沢に会うために家に行った。もし良かったら今日、会えないか?何時になってもいい、連絡待ってる
初めてメールを交わした時と同じく固い文面に、安堵していた。
多分、榊に嫌われてはいない、そう感じたのだ。
会えないか。そういうニュアンスで言われるのは榊だけではないし、小野や斉藤や今までの友人たちにも何度も言われてきた。
けれど、その度にこんな気持ちになったことはなかった、涙が滲むくらいに嬉しいなんてー。
もう、どうなったって良いと思っていた。榊と会ってどんな顔で何を言おうと、今日、榊に会えるなら会ってくれるなら、そんなことは関係ないとさえ思えた。
―電話に出られなくてごめん。実は今、隣県に来ていて夜まで帰らないつもりなんだ。…もし、榊さえ良ければこっちで会えないか?
それからは1分1秒が早く過ぎればいいと、ひたすらに腕時計とテーブルに出しっぱなしになっていた携帯を交互に見ていた。
画面には榊のメールが表示されたまま。
―もちろん、今からすぐに行く。絶対にそこから動かないでくれ
そう表示されたメールを見た瞬間、きっと俺の顔はだらしないことになっていたと思う。
絶対にそこから動かないでくれー。それはきっと、ドラマとか漫画で可愛いふわふわ系の主人公にカッコ良い男が切羽詰まった表情で言うセリフだろ?
なのに相手は柔らかさのかけらもない、ゴツゴツした男なんて、理想と現実のギャップもいいところだ。
だから勘違いするって。浴衣が似合うと言った榊にそう思った自分を思い出す。
あの時はまさか、自分がこれほどまでに榊を好きになるとは思いもしなかった。
けれど今、俺は確実に榊が好きだ。好きすぎておかしくなってしまうほどにあいつを好きになっている。
奥さんが運んでくれたナポリタンはしっかりとケチャップの味がしていて、でもどこか懐かしい味を思い出させてくれるものであっという間に平らげていた。
その後に持ってきてくれたチーズケーキは、奥さんが素材にこだわって一から作り上げたようだと、照れる奥さんの隣でマスターが教えてくれた。
ずっとチラチラ見ている時計は13時を指そうとしていた。ということは最後の連絡から二時間くらいか、俺が家を出たのが九時でここに着いたのは11時近くだから順当に電車に乗れればそろそろ着いてもおかしくはない。
そわそわと腕時計と携帯、それから店の大きい窓を眺めるが、榊が来る気配はまだない。
…もしかして道に迷った?それか、女子に捕まったとか?
待ち人を待つだけで嫌な想像まで浮かぶ自分に驚きながら、それでも根気強く待ち続け結局、時計は14時を指そ うとしていた。
さすがにこの店がアットホームで長居しやすいとは言え、これ以上は迷惑になる。
そう判断して店を出ることにした。
「待ってなくていいの?」
「え?」
「誰か来るのを待ってるのかなと思って。余計なお世話だったかしら」
さすがだな、と俺は素直に感服していた。きっと奥さんは俺がチラチラと見ていた意味にそして、そろそろと重い腰を上げた意味に気が付いていたのだろう。
「はい、大丈夫です。多分、この後会えると思うので」
奥さんとマスターに礼を言って、店を後にしゆっくりとした歩みで来た道を戻っていた。
…そういえば今日は携帯、鳴らないな。いつもなら電源を入れた瞬間から、大量のメールや着信を告げるバイブがけたたましく響くというのに。
こういう年も、もしかしたらあるのかもしれない。
一番嫌いな日に珍しく俺は、前向きにそう思いながら歩く。
そして名前も知らない公園に差し掛かった、その時だった。
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