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邂逅編
邂逅Ⅱ ドラムと音楽
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邂逅Ⅱ ドラムと音楽
スネアドラムの音色は、沈んだ気持ちをポップアップさせてくれる。
バスドラムの音色は、しおれた気持ちに芯を与えてくれる。
クラッシュシンバルの音色は活力を、ハイハットシンバルはノリを与えてくれる。
というように、気持ちが沈んだときには、いつもドラムを叩くようにしている。
いつ頃からだろうか。
あの時を思いだし、ぼーっと、なにも考えずにひたすらドラムを叩くようになったのは。
言っていなかったが、僕はもともとドラマーとして活動していた。名前は「AIM」。
でも、そんな幸せな時間にも、必ず終わりが来る。
幸せだからこそ、終わりが早く感じる。
世の中は不平等で出来ている。時間も、才能も、特技も、学力までも――。
僕に与えられたのは、才能だと言われていた。言われていたといっても、回りが勝手に思っていただけだ。
それまでなんとも思っていなかった才能が、一瞬にして「呪い」へと変貌を遂げた瞬間を、一時も忘れたことはない。
腹の底から、煮えたぎるような怒りが沸き上がってくるあの感覚。殴り倒してしまいそうになる。
全身の血液が、水銀に置き換わったかのような倦怠感。
まるで絶望が循環しているような感覚。
「お前の音楽に、心は無い!」
忘れたい。何度そう願ったか。
「才能だな。すげえな。」
そんな声が大嫌いになったよ。
「彼女」を見ていると、いつか絶望の底へ堕ちてしまうのではないかと、そう思ってしまう自分も、嫌いだった。
「よいしょっと。」
昭和くさい台詞を吐きながら、スネアドラムを起こした僕に茜が話しかける。
「夏希。この寮にキッチンてあったっけ?」
このような高校では食堂が用意されているため、キッチンが無い寮が多い印象だ。
「んーあるっちゃある。」
「どういうこと?」
「そのままの意味だよ。部屋には無いけど、ロビーにはあるよ。」
茜はどこか納得した様子でスマホをいじり始めた。
チャイムと聞くと、キーンコーンカーンコーンのフレーズが出てくる。これは、日本の学生がそのような共通概念を持っているからであって、生まれたときからあったわけではない。
そもそも、日本に生まれていなければ、キーンコーンカーンコーンではなかったかもしれない。いきなりポップスが流れ出すかもしれない。
常識とは、育った環境による固定概念に過ぎない。
そう、教師たちが「常識的に考えて……」と得意気に説教する度に思う。
担任の菜奈先生は滅多に怒らない。今は、うざい教頭が自信げに「常識」についての見解を述べている。
全く、アホらしい。
石島之宏はこの学校の教頭で、いつもことある度に口を挟んでくる、厄介ジジイだ。
もう何年もこの学校に居るらしいので、生徒たちの間では、そろそろ変われとブーイングが起きている。
「せんせー、早く授業しましょーよー!」
自信げに語る石島之宏に痺れを切らしたのか、最初に口を切ったのはクラスのマドンナ、花鳥美月である。
彼女とは幼なじみで、幼稚園の頃からの付き合いだ。
……いつになっても感心するよ、その行動力。
夏希という名前には「つき」が入っており、美月とともに月月コンビ(読み方は諸君に任せる)と呼ばれていた。
思い出に耽っていると、先生がまた流暢に常識について語る。
もう、仕方がない。
僕が常識について抗議を醸そうとしたとき――
動いたのは帰国子女だった。
「常識?常識って、なんだ?」
はい、ため口。そういえば、中学のときもそんな奴いたな。
「常識などというものは、育った環境からなる先入観に過ぎない。教頭はたまたまその家に生まれて、たまたま育てられて、たまたま教頭となった。その過程で培った常識がある。じゃあ外国で育ったら?そこが貧困に直面していたら?何とか物質を節約してしのぐだろう。そこでは物資は大切という常識が培われる。金もちには想像もできないことだ。」
今や茜の抗議に、誰もが聞き入っていた。
茜は帰国子女だと言った。
今まで何処にいて、何を学び、何を経験し、何を感じてきたのだろう。
きっとそれは、僕たちのような人にはわからない感情なのかもしれない。
そんな経験をしているからこそ、こうして語れるのかもしれない。
教頭は諦めた様子で授業を始める。
年々、人手不足が目立つようになったため、教頭自ら授業することも少なくなかった。
二年最初の授業はほとんど学級活動だった。
本来、学級活動というのは担任がやるのだが、今日は残念なことに、菜奈先生が弟の入院でお休みだという。
その代わりに、教頭が授業をすることになっていた。
はじめは、短縮授業が何日間か続く。巷では楽週間と呼ばれているとか何とか。
窓から見える体育館のステンドグラスが、太陽光を反射して、妖しく輝いた。
さて、これからスネアドラムのチューニングをしなければならない。
短縮授業四時間のため、早急に下校した僕。男子に茜が見つからないかという心配をする必要はなかった。
朝、教頭が菜奈先生から伝言を預かっていたらしく、その内容は。
「水原茜さんの部屋は空きがなく、一人で二人部屋を使っている橘夏希くんの部屋に入れることになりました。男子寮ですが、今時はジェンダーフリーな時代ですので、ご理解のほど、よろしくちょ。」
というものだった。
チューニングキーを取り出した僕は、掛けてあるスティックケースからスティックを出す。
スティックを回して指を慣らした僕は、チューニングを始める。
スネアのタン、タンという音が、心をポップに弾ませてくれた。
◇
諸君は「スマホ」という便利な小道具を知っているか?
などというのは愚問だ、ということはすでに知っている。
今時はスマホ一つで作曲ができる時代だ。
特にこの、「スキル・サウンド」というアプリは、その場にキーボードが無くても作曲できる優れものだ。
とはいっても、スキル・サウンドでできる作曲には限りがあるため、結局はパソコンと対峙する羽目になっていた。
踊るように白鍵と黒鍵を行き来する自分の指を眺め、ソフトに入力していく。
midiキーボードは直接ソフトに入力できる優れものだ。
ただ、欠点があって。
ボーカロイドは非対応なため、自分で入力しなければならないのがタブーだ。
サビのメロディーラインを入力したところで、後ろからスネアの音がしてくる。
タンタン、タンタン……
後半の方が少し低い。おそらくチューニングしているのだろう。
この部屋にドラムセットがあるということは、夏希がドラムをやっている可能性が高い。
というかほぼ確実だろう。
よい考えを思いついたので、一通り作業を済ませることにする。
インスピレーションは固まっている為、比較的早く出来た。
あとはドラムのパートを入れるだけだ。
○
スネアのチューニングが終わった僕は、早速基礎練を始める。
キックの音色が鼓動を鳴らした。
慣れてきたらフィルインを入れる。久しぶりに叩いたが、躓くことはなかった。
しばらくして茜がよってくる。
ニヤ、と訝しげ(訳あり)な笑みを溢した茜は近寄ってきて、僕のカバンを倒した挙げ句、またハイハットを倒しおった。
そんなことお構い無しの茜は僕に言う。
「夏希、頼みたいことがある」
「なに?」
唐突に茜はそう言う。
「ドラム、叩けるんでしょ?だったら――」
茜が次に発した言葉を聞いた瞬間、過去の情景がフラッシュバックした。所謂、心的外傷後ストレス障害、通称PTSDというやつである。
「おまえに音楽をする資格はない。」
酷く、冷酷に。
「おまえの音楽に、心は無い!」
ホールにて。審査員より。
「才能だな。すげぇな」
周りからの言葉。
吐き気を催した僕は、急いでトイレへと駆け込もうとする。
しかし、足に力が入らずに、その場で倒れ込む。
茜の「ちょっ!おま、しっかり!」という声が、遮断される寸前の脳内に、直接響いてきた。
スネアドラムの音色は、沈んだ気持ちをポップアップさせてくれる。
バスドラムの音色は、しおれた気持ちに芯を与えてくれる。
クラッシュシンバルの音色は活力を、ハイハットシンバルはノリを与えてくれる。
というように、気持ちが沈んだときには、いつもドラムを叩くようにしている。
いつ頃からだろうか。
あの時を思いだし、ぼーっと、なにも考えずにひたすらドラムを叩くようになったのは。
言っていなかったが、僕はもともとドラマーとして活動していた。名前は「AIM」。
でも、そんな幸せな時間にも、必ず終わりが来る。
幸せだからこそ、終わりが早く感じる。
世の中は不平等で出来ている。時間も、才能も、特技も、学力までも――。
僕に与えられたのは、才能だと言われていた。言われていたといっても、回りが勝手に思っていただけだ。
それまでなんとも思っていなかった才能が、一瞬にして「呪い」へと変貌を遂げた瞬間を、一時も忘れたことはない。
腹の底から、煮えたぎるような怒りが沸き上がってくるあの感覚。殴り倒してしまいそうになる。
全身の血液が、水銀に置き換わったかのような倦怠感。
まるで絶望が循環しているような感覚。
「お前の音楽に、心は無い!」
忘れたい。何度そう願ったか。
「才能だな。すげえな。」
そんな声が大嫌いになったよ。
「彼女」を見ていると、いつか絶望の底へ堕ちてしまうのではないかと、そう思ってしまう自分も、嫌いだった。
「よいしょっと。」
昭和くさい台詞を吐きながら、スネアドラムを起こした僕に茜が話しかける。
「夏希。この寮にキッチンてあったっけ?」
このような高校では食堂が用意されているため、キッチンが無い寮が多い印象だ。
「んーあるっちゃある。」
「どういうこと?」
「そのままの意味だよ。部屋には無いけど、ロビーにはあるよ。」
茜はどこか納得した様子でスマホをいじり始めた。
チャイムと聞くと、キーンコーンカーンコーンのフレーズが出てくる。これは、日本の学生がそのような共通概念を持っているからであって、生まれたときからあったわけではない。
そもそも、日本に生まれていなければ、キーンコーンカーンコーンではなかったかもしれない。いきなりポップスが流れ出すかもしれない。
常識とは、育った環境による固定概念に過ぎない。
そう、教師たちが「常識的に考えて……」と得意気に説教する度に思う。
担任の菜奈先生は滅多に怒らない。今は、うざい教頭が自信げに「常識」についての見解を述べている。
全く、アホらしい。
石島之宏はこの学校の教頭で、いつもことある度に口を挟んでくる、厄介ジジイだ。
もう何年もこの学校に居るらしいので、生徒たちの間では、そろそろ変われとブーイングが起きている。
「せんせー、早く授業しましょーよー!」
自信げに語る石島之宏に痺れを切らしたのか、最初に口を切ったのはクラスのマドンナ、花鳥美月である。
彼女とは幼なじみで、幼稚園の頃からの付き合いだ。
……いつになっても感心するよ、その行動力。
夏希という名前には「つき」が入っており、美月とともに月月コンビ(読み方は諸君に任せる)と呼ばれていた。
思い出に耽っていると、先生がまた流暢に常識について語る。
もう、仕方がない。
僕が常識について抗議を醸そうとしたとき――
動いたのは帰国子女だった。
「常識?常識って、なんだ?」
はい、ため口。そういえば、中学のときもそんな奴いたな。
「常識などというものは、育った環境からなる先入観に過ぎない。教頭はたまたまその家に生まれて、たまたま育てられて、たまたま教頭となった。その過程で培った常識がある。じゃあ外国で育ったら?そこが貧困に直面していたら?何とか物質を節約してしのぐだろう。そこでは物資は大切という常識が培われる。金もちには想像もできないことだ。」
今や茜の抗議に、誰もが聞き入っていた。
茜は帰国子女だと言った。
今まで何処にいて、何を学び、何を経験し、何を感じてきたのだろう。
きっとそれは、僕たちのような人にはわからない感情なのかもしれない。
そんな経験をしているからこそ、こうして語れるのかもしれない。
教頭は諦めた様子で授業を始める。
年々、人手不足が目立つようになったため、教頭自ら授業することも少なくなかった。
二年最初の授業はほとんど学級活動だった。
本来、学級活動というのは担任がやるのだが、今日は残念なことに、菜奈先生が弟の入院でお休みだという。
その代わりに、教頭が授業をすることになっていた。
はじめは、短縮授業が何日間か続く。巷では楽週間と呼ばれているとか何とか。
窓から見える体育館のステンドグラスが、太陽光を反射して、妖しく輝いた。
さて、これからスネアドラムのチューニングをしなければならない。
短縮授業四時間のため、早急に下校した僕。男子に茜が見つからないかという心配をする必要はなかった。
朝、教頭が菜奈先生から伝言を預かっていたらしく、その内容は。
「水原茜さんの部屋は空きがなく、一人で二人部屋を使っている橘夏希くんの部屋に入れることになりました。男子寮ですが、今時はジェンダーフリーな時代ですので、ご理解のほど、よろしくちょ。」
というものだった。
チューニングキーを取り出した僕は、掛けてあるスティックケースからスティックを出す。
スティックを回して指を慣らした僕は、チューニングを始める。
スネアのタン、タンという音が、心をポップに弾ませてくれた。
◇
諸君は「スマホ」という便利な小道具を知っているか?
などというのは愚問だ、ということはすでに知っている。
今時はスマホ一つで作曲ができる時代だ。
特にこの、「スキル・サウンド」というアプリは、その場にキーボードが無くても作曲できる優れものだ。
とはいっても、スキル・サウンドでできる作曲には限りがあるため、結局はパソコンと対峙する羽目になっていた。
踊るように白鍵と黒鍵を行き来する自分の指を眺め、ソフトに入力していく。
midiキーボードは直接ソフトに入力できる優れものだ。
ただ、欠点があって。
ボーカロイドは非対応なため、自分で入力しなければならないのがタブーだ。
サビのメロディーラインを入力したところで、後ろからスネアの音がしてくる。
タンタン、タンタン……
後半の方が少し低い。おそらくチューニングしているのだろう。
この部屋にドラムセットがあるということは、夏希がドラムをやっている可能性が高い。
というかほぼ確実だろう。
よい考えを思いついたので、一通り作業を済ませることにする。
インスピレーションは固まっている為、比較的早く出来た。
あとはドラムのパートを入れるだけだ。
○
スネアのチューニングが終わった僕は、早速基礎練を始める。
キックの音色が鼓動を鳴らした。
慣れてきたらフィルインを入れる。久しぶりに叩いたが、躓くことはなかった。
しばらくして茜がよってくる。
ニヤ、と訝しげ(訳あり)な笑みを溢した茜は近寄ってきて、僕のカバンを倒した挙げ句、またハイハットを倒しおった。
そんなことお構い無しの茜は僕に言う。
「夏希、頼みたいことがある」
「なに?」
唐突に茜はそう言う。
「ドラム、叩けるんでしょ?だったら――」
茜が次に発した言葉を聞いた瞬間、過去の情景がフラッシュバックした。所謂、心的外傷後ストレス障害、通称PTSDというやつである。
「おまえに音楽をする資格はない。」
酷く、冷酷に。
「おまえの音楽に、心は無い!」
ホールにて。審査員より。
「才能だな。すげぇな」
周りからの言葉。
吐き気を催した僕は、急いでトイレへと駆け込もうとする。
しかし、足に力が入らずに、その場で倒れ込む。
茜の「ちょっ!おま、しっかり!」という声が、遮断される寸前の脳内に、直接響いてきた。
応援ありがとうございます!
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