三日月の竜騎士

八魔刀

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第2章 竜剣編

第24話

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 レギアスは自分の精神世界に入る時のように、ファタの精神世界へとドラゴンの力を使って侵入する。考えが正しければ、この世界の何処かに彼女が眠っている筈だと、レギアスはファタの精神世界の奥深くへと進んでいく。

 レギアスの精神世界はドラゴンの意志である裏レギアスが寝床にしている所為か、薄暗い闇を象徴するような世界だった。
 ファタの精神世界も、似たようなモノであった。何処までも闇が続き、奥へ進む道が真っ直ぐ延びているだけ。レギアスはその道を滑るように飛んで進む。

 その一番奥に、茨で囲まれた空間があった。
 その茨の中に、クレイセリアが鎮座していた。
 紅いワンピースを着て、膝を抱え込んで椅子に座っている。

 ファタはクレイセリアの精神を消してはいなかった。消せなかったのか、消さなかったのかは分からないが、確かな事は此処にこうしてクレイセリアの精神が生きているという事だ。
 レギアスは茨の中に足を踏み入れ、座り込んでいるクレイセリアの前に立つ。

「……来たんだ、レギアス」

 どこか疲れ切ったような声で、クレイセリアが言った。
 顔を上げて、レギアスと目を合わせる。
 クレイセリアの顔は窶れていた。同時に何かを諦めているような目をしている。

「……先輩」
「先輩は止めてよ……私がそんなんじゃないってもう分かってるんでしょ?」
「……どうしてこんな事をしたんだ?」
「こんな事って何? レギアス達を騙してたこと? 騎士の皆を殺したこと? それとも王女様を殺したこと?」
「全部だ」
「お母さんに会いたかったから……それ以外に無いよ」

 それはきっと本心なのだろう。子供が母親に会いたがるのは当然の事だ。レギアスもそれを否定するつもりは無い。
 ファタはクレイセリアのその心を利用したのだろう。今までの言動が全てクレイセリアの本心だったとは、レギアスは思えなかった。具体的な証拠は何処にも無い。ただレギアスがそう感じて、それを信じて此処までやって来たのだ。
 レギアスとて一般的な感情を持つ。結果的にベールは一命を取り留めたが、ベールの命を狙い危険に晒したのはクレイセリアで、その事に関してレギアスは憤りを感じている。

 だがレギアスはマーレイに頼まれた。クレイセリアを助けてやってほしいと。
 そう頼まれた時、レギアスは己の心に従って助けると決めた。
 それはその時既に、心の何処かでクレイセリアの事を友として信じていたからだ。
 その心が今も尚、強く訴えかけている。
 全部が全部、クレイセリアが望んだ事ではないと。
 だとすれば、彼女も救われるべき一人なのだ。

「……ファタが言っていた。お前、俺を殺したくないってファタに反抗したらしいな?」
「それは……だって……」

 クレイセリアは口籠もる。
 レギアスは確かめるようにして、そっと尋ねる。

「お前……いつから此処に居たんだ?」
「っ……」

 クレイセリアが驚いた顔を浮かべる。
 それを見て、レギアスは確信を得た。

「クレイセリア……俺と最後に話したのは何時だ?」
「……な、何でそんな事訊くの? 貴方は私を殺しに来たんでしょ? 殺されて当然の事をしたんだし、早く殺してよ」
「……」

 レギアスはクレイセリアの前に跪き、そっと彼女の手を取った。そしてクレイセリアが列車の中でしてくれたように、自分の魔力を流した。

 ヒーリングフォース――人間の魔法ではない、ドラゴンの魔法だ。魔法と言うよりも、もっと単純な力と言うべきだろう。

 人間は魔力という動力源を術式という装置に通して初めて魔法を発動する事ができる。魔力だけでは治癒という複雑な魔法を発動できない。

 だがドラゴンはそうではない。魔力だけで魔法を発現できる。
 もっと端的に言えば、イメージするだけでいいのだ。

 今レギアスは、クレイセリアの心を落ち着かせたいと願いながら、残り僅かな魔力を流している。

「ドラゴンに近付いた今なら分かる……魔力を通して相手の心が読める。あの時、お前は俺の事を本気で心配してくれた。その時の魔力からはお前の心を感じれた。だが敵として前に現れた時、お前の心が無かった。あの時から既にファタに支配されていたんだろう?」

 そう、レギアスはあの時、槍を通して魔力を流した時にクレイセリアの精神が表に出ていなかったのを見抜いていたのだ。

 レギアスは最初からクレイセリアと戦っていなかった。
 最初から【魔女】ファタと戦っていた。

 それを裏付けるように、クレイセリアは「どうして……?」と驚きながら呟く。
 しかしそれでもクレイセリアは首を横に振ってレギアスから手を離す。

「た、例えそうだとしても、人を騙していたのは変わらない! それに、お母さんが皆を殺してる時、私、怖くて逃げてた! 私が逃げなかったらお母さんが人を殺さないで済んだかもしれないのに! そうすれば王女様だって殺されなかった! 私はただお母さんに会いたくて! お母さんに褒めて欲しくて! 頭を撫でて欲しかった! なのに! レギアスを連れて来るだけで良いって言ってたのに! 殺せって言われて! 殺したくなんてなかった! そう言ったらお母さんが怒って! 怖くなってお母さんから逃げちゃった!」

 クレイセリアは大粒の涙を流しながら一気に気持ちを吐き出した。
 レギアスはそれをただ黙って聞き続ける。

「お母さんが人を殺す時も、レギアスと戦ってる時も、ずっと此処から見えてた! でも怖くて止められなかった! 私が殺したのも同じよ!」
「……それで、俺に殺してほしいのか? そうやってまた、母親から逃げるのか?」

 レギアスの発言に、クレイセリアはキッと睨み付けてレギアスの胸元を締め上げる。

「逃げるしかないじゃない! 私はお母さんに逆らえない! こうしてる間にもお母さんの意識が戻ろうとしてる! 私、分かってるんだよ? レギアスがまだお母さんを殺してないのは、私がいるからなんでしょう!? 私が生きてるから、お母さんを殺せない! そうでしょう!?」

 その通りである。クレイセリアが生きている限り、レギアスはファタを殺せない。
 ファタはクレイセリアの肉体に魂を取り憑かせ、身体を乗っ取っていると言っていい。都合良く魂だけを外側から殺せる手段を、レギアスは持ち合わせていない。
 だからと言って、レギアスはクレイセリアを殺してまでファタを殺す気は無かった。
 クレイセリアは必ず救い出す。そうマーレイと約束したのだ。
 それをクレイセリアは悟り、自分を殺すように言っているのだ。
 それが自分の罰であり償いだと、本気でそう言っているのだ。
 だがそれは償いではない。

「クレイセリア、それは俺がお前を殺す理由にはならない」
「なんで……!? 王女様を、レギアスの大事な人を殺したんだよ!?」
「そもそも、ベールは死んでない」
「え……!?」

 クレイセリアの表情が、信じられないモノを見たような顔で固まる。
 先程から聞いていれば、クレイセリアはベールが死んだと思い込んでいるようだ。
 レギアスは軽く笑って見せる。

「ベールは生きてる。だからお前に恨みなんて抱いていない」
「で、でも私、お母さんが王女様を刺すのを止められなかった……」
「お前だけが悪いんじゃない。ベールを危険な目に遭わせて守れなかった俺にも大きな非がある。だからこの事でお前を責める事はしない」
「でも他の人達は!?」
「列車で待っている筈の彼らの事なら、俺はどうなったかまでは知らない。だがもし殺していたとしても、俺がお前を裁く権利は無い。だがファタは違う。奴はお前を利用し、ベールを殺しかけた。此処で逃がしてしまえば、必ず何処かで大勢の犠牲者を生む。それは変えられないとお前も分かっているから、自分を殺せと言ったんだろう。だから奴は必ずこの手で殺す。お前の母親だろうと、お前を苦しめ、俺の大事な人達を殺そうとするのなら容赦しない」
「……でも、じゃあ私に何をしろって言うの……?」

 レギアスは立ち上がり、クレイセリアに手を差し伸べた。
 もうこの世界に留まっていられないのか、レギアスの身体が霞のように徐々に消え始めていた。魔力ももう尽き果てているのだろう、それでもまだ消えるわけにはいかないとその場に踏み止まっている。

 何が彼をそこまで掻き立てるのだろうか。どうしてまだ会って間もない【魔女】を助けようとするのだろうか。どうして命を狙った相手に手を差し伸べる事ができるのだろうか。
 彼が人間ではないからか。彼がドラゴンだからそんな事ができるのだろうか。
 それとも彼が人間だからか。彼がドラゴンではないからそんな事ができるのだろうか。

「どうして私を助けるの……?」
「俺達――友達だろ?」

 クレイセリアはレギアスの手を見つめ、そして――しっかりと握り締めた。



    ★



 レギアスはファタから――クレイセリアの身体から弾かれ飛ばされた。
 ガンブレイドを地面に突き刺して身体を支え、クレイセリアを見る。

「うあああああああッ!」

 クレイセリアは絶叫しながら黒い魔力を噴き出していた。レギアスが斬り落とした右腕から血を流しながら、残った左手で頭を抱えて藻掻き苦しんでいる。
 それは決してレギアスに斬られた腕の痛みで苦しんでいるのではない。クレイセリアが身体の中でファタと戦っているのだ。
 その証拠に黒い魔力に混じって紅い魔力が見え始め、右目だけだが元に戻った。

 レギアスは斬り落とした右手が付いたまま地面に落ちている【竜剣】を見付け、それをファタに拾われる前に回収しようとする。
 だが戦いの反動で脚が蹌踉めき、地面に転がってしまう。

「おのれぇええええ! 出来損ないが妾に刃向かうのかあああ!?」

 クレイセリアを振り払おうとでもしているのか、魔力を暴走させて辺りに振り撒く。
 レギアスはその魔力に巻き込まれないよう、言う事を聞かない身体を動かして避けていく。
 落ちている【竜剣】に何とか近付こうとするが、それに気が付いたファタが邪魔をする。

「させぬわあああ!」
「ぐっ!?」

 純粋な魔力の塊がレギアスに撃ち込まれ、レギアスは【竜剣】から遠ざけられる。
 ファタは【竜剣】を拾おうとするが、クレイセリアが身体を止めた。

「このおおおおおおッ!」

 ファタはクレイセリアの拘束から逃れようと足掻く。噴き出している黒い魔力の半分が紅く染まったその時、ファタはクレイセリアの身体を放棄した。

 【竜剣】からかなりの魔力を得た為だろう、クレイセリアの身体から弾き出たファタの魂は半分肉体を得ていた。とは言っても人間の見た目ではなく、全身を黒い鱗と魔力で覆われた、辛うじて女体だと分かる程度の異形の姿をしていた。

 正しく、デーマンと言ったところだろう。

『【竜剣】は!? 【竜剣】は何処じゃ――』

 ファタは【竜剣】が落ちていた場所へ振り向く。

 そこには既にレギアスが立っており、【竜剣】を拾い上げていた。
 レギアスが【竜剣】をゆっくり持ち上げ、両手で柄を握り締める。
 すると【竜剣】は息を吹き返したように強大な黒い魔力を生み出した。そして灰色だった剣身は黒く染まり、剣身の中心が縦に割れて開いた。剣身の中から赤い剣身が現れ、赤と黒が混じった荒々しい剣へと変わる。

 これこそが真に覚醒した【竜剣】の姿である。

 レギアスは【竜剣】の魔力を巻き上げ、上段に振りかぶった。

「これが……ドラゴンの力だ」
『お……おおぉぉぉぉぉぉぉぉ――!!』

 咆哮を上げながら迫ってくるファタに目掛けて、レギアスはドラゴンの牙を振り下ろす。

絶牙ぜつが――黑竜破こくりゅうはァァァアッ!!」

 それはレギアスが放ってきた闇竜破とは比べ物にならない大きさだった。
 空間を斬り裂いて放たれた黒い衝撃波がファタを呑み込み、そのままニーズヘッグの心臓すらも呑み込んで全てを消した。遅れてやって来た衝撃音が大気を震撼させ、その威力を更に強調させる。それは正にドラゴンの咆哮のようだった。

 咆哮が止み、後に残ったのは衝撃波によって穿たれた綺麗な大穴と静寂だった。

「――――ハァー……!」

 技を放ったレギアスは力が一気に抜け、元々尽き果てていた魔力も体力も限界を超えてその場に倒れてしまう。
 倒れた状態でレギアスは右手に握った【竜剣】を見つめる。
 技を放った時、裏レギアスが嗤った気がした。
 事実、レギアスはドラゴンへと近付き、【竜剣】を手にした事で更にドラゴンへと近付いた。
 何処までが裏レギアスの狙いだったのかは分からないが、少なくともドラゴンの力を高めたのは確かだ。
 今回も上手いこと踊らされたのかもしれないと、レギアスは力なく笑う。

 そうしていると、すぐ横から誰かが立つ音がした。
 見上げると、右腕を失ったクレイセリアが見下ろしていた。傷口は魔法で止血されている。

「よぉ……気分はどうだ?」
「……最悪。母親を殺しちゃったんだから」

 クレイセリアはその場に座り込み、静かに涙を流し出す。最初は小粒だった涙が、次第に大きくなっていき、嗚咽も出始める。
 クレイセリアは本当に母親が好きだったのだ。失敗作と思われていても、利用されていても、怖かったとしても、唯一の母親で、母親の愛を確かに欲していた。

「……俺を恨んでも良いんだぞ」
「ぐずっ……ううん……これは私の罪だから……」
「……そうか」
「でも……」
「ん?」

 クレイセリアは肘から先を失った右腕の傷口を触りながら、茶化すように笑う。

「傷物にした責任は取ってね……?」
「……ベールに殺される」

 二人は笑い合った。
 一方は上半身裸で血だらけで、一方は片腕を失ってボロボロで。

 だがその笑い声も、襲ってきた震動で途切れる。
 黙示の塔が激しく揺れ始め、レギアス達がいる場所が崩れ始めた。
 そこだけではない。レギアスがニーズヘッグの心臓をファタと一緒に破壊してしまった事で、塔全体が崩壊を始めたのだ。

 二人は逃げようとするが、満身創痍である二人は逃げる事はおろか、立ち上がる事すらできない。
 万事休すか、そう思った矢先、二人の目の前の空間に穴が空く。
 見慣れたその穴に、レギアスとクレイセリアは吸い込まれ、外へと投げ出された。
 投げ出された場所は黙示の塔から離れた所で、塔が崩壊していく様子がよく見える。

「……良くやってくれたねぇ」
「マーレイ……」

 マーレイがレギアスの前に現れる。
 その時、クレイセリアがビクッと震えた。
 そう言えばクレイセリアはマーレイに育てられていたんだったな、とレギアスは思い出す。
 母親の存在を知ってからはマーレイから離れ、母の下で魔法を学んだとか。

「……マーレイ……お婆ちゃん」

 クレイセリアが怖ず怖ずとマーレイを呼ぶ。
 マーレイは右腕を失ったクレイセリアの姿を見て、少し悲しそうに目を伏せる。
 そしてゆっくりと口を開いた。

「……よく……生きててくれたねぇ……」
「っ……!? お、お婆ちゃん、私、私……!」

 マーレイはクレイセリアに歩み寄り、クレイセリアの頭を優しく撫でた。

「あんたにファタの事を教えなかったのは、あの子の闇をあんたに教えたくなかったからさ。だけど、アタシが間違っていたよ……。あんたにとっては、アレでもあの子が母親だったんだからねぇ。違う……怖かったんだよ……あんたもあの子のように闇に魅入られるかもしれないってねぇ……ごめんよぉ」
「お婆ちゃん……私……お母さんを……!」
「……よしよし、辛かったねぇ……ほんと、ごめんよぉ」

 クレイセリアはマーレイにしがみ付き、マーレイはそのクレイセリアを優しく抱き締めた。

 その姿を眺めながら、レギアスは考える。
 もし、自分の本当の両親がファタのように闇に魅入られていたら。
 もし、大切な人の命を狙ったら。
 その時は剣を向けられるだろうか。
 片やドラゴンだ。有り得ない話では無い。

「……何を今更。他人に決めさせておいて、自分だけができないなんてありえねぇよ」
「坊や、クレイを救ってくれてありがとう」

 クレイ? と首を傾げれば、クレイセリアの事だと言われる。
 レギアスはぐったりと倒れたまま、力なく頷く。

「マーレイ……この未来は視えてたんじゃないのか?」
「【千里眼】とて万能じゃないさ。ある程度まで見通せても、その先の先まで見通せるとは限らないさね」
「……これからどうするんだ?」
「そうさねぇ……」

 完全に崩壊していく黙示の塔を眺めながらマーレイは顎をさする。
 あの塔はマーレイの住処でもあったが、崩壊してしまった今は家無しの身である。
 塔を破壊する気は無かったレギアスだが、結果的に破壊してしまった身としては、多少なりの罪悪感でも抱いているのだろうか。
 そのどうでもよさげな表情から察するに、罪悪感の一欠片も感じていないようだが。

「イル坊に新しい隠居場所でも提供して貰うさね」
「イル坊って……国王相手でも坊や扱いかよ」
「そうさね、アタシは【魔女】だからねぇ」

 マーレイはニカッと笑みを見せた。
 それにつられてレギアスも鼻で笑い、先程から襲ってくる睡魔に身を任せるのだった。




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