未来設計図【改訂版】

夏生青波(なついあおば)

文字の大きさ
1 / 27
1.主従の朝

(前)

しおりを挟む

 午前六時、白井澄人しらいすみとはカードキーを操作盤のセンサーにかざし、タワーマンションのエントランスフロアに入った。フロントカウンターに立つコンシェルジュに笑顔で頭を下げる。
「おはようございます!」
「おはようございます、白井さん」
 コンシェルジュも挨拶を返してきた。住人ではない澄人がカードキーを持ち、毎日ここへ来ているのは管理会社も承知している。部屋の所有者が出入りの許可を与えた者として登録されているのだ。
 エレベーターホールでまたカードキーをかざす。エレベーターに乗るのにもカードキーは必要で、行き先階もカードキーのデータで自動的に設定される。高速エレベーターが静かに上昇していく。
 三十七階でドアが開いた。茶褐色のカーペットを踏みしめ、目的の部屋に向かう。ホテルの中を歩いているようだ。

 玄関ドアのハンドル部分にカードキーをかざすとダブルロックの解除音がした。静かにドアを開けて中へ入る。シューズクロークに入り自分専用のスリッパに履きかえ、まずキッチンに向かった。ビジネスバッグを隅に置き、手に提げていた袋から取り出した弁当箱を白い大理石風クォーツストーンの調理台に載せる。スーツの上着を脱いでバッグの上にかけ、リビングに行った。
 遮光カーテンを開けると、朝の光が一気に室内を満たす。白い本皮のソファ、波打ち際を思わせるオフホワイトからエメラルドグリーンにグラデーションするカーペット。今日もいい天気だ。
 浴室のチェックに行くと使われた形跡はなかった。ならばシャワーを必ず浴びるだろう。澄人は寝室に向かった。軽くノックをしてドアを開け、中へ入る。ダブルベッドに人が寝ている。

「おはようございます、泰徳やすのり様。カーテンを開けます」
 上掛けの下でこの部屋の住人がもそりと動いた。
 カーテンを開けると差しこむ日射しで敷きつめられたカーペットの海中のような青さが際立った。上掛けの白さとのコントラストが美しい。
 ベッドで逞しく長い腕が伸びをする。
「朝か……おはよう、澄人。今朝も可愛いな」
 あるじたわむれの言葉を澄人は微笑で受けながす。
「おはようございます。シャワーを浴びられますか?」
「ああ」
 澄人はウォークインクローゼットから着替えを用意する。ベッドを出て、ジムで鍛えた逞しい体を改めて伸ばしているのが二十七歳になったばかりの紅林泰徳くればやしやすのりである。三月生まれでまだ二十六歳の澄人が仕える主であり、仕事では同期にもかかわらず上司だった。

 泰徳がシャワーを浴びている間に、書斎と作りかけの建築模型のあるホビールームの確認をする。テーブルや机を拭いてソファや棚の埃を払う。床掃除は出勤するときに起動するロボットクリーナーの仕事だ。
 キッチンへ戻った澄人は手を洗うと、調理台で弁当箱の中身を皿に盛った。今日は梅むすびと鮭むすびに、卵焼き、牛肉のしぐれ煮、ほうれん草胡麻和え、里芋の煮物に漬物だ。弁当箱のままでいいと泰徳は言ってくれるが、電子レンジで温められる物は温かく食べてもらいたい。茶の仕度をして、弁当箱を洗った。

 髪を拭きながら下着一枚の姿で泰徳がダイニングに来た。まず茶を出す。
「昨夜、いたると別れた」
 その言葉に澄人ははっと泰徳の顔を見て、さようですかと頷き、朝食を運ぶためキッチンに戻った。
 ほっと安堵の息がこぼれた。結城至ゆうきいたるは中堅商社社長の子息で、今まで泰徳が付きあってきたセフレの中では飛び抜けて美形だった。しかしその性格に難があった。泰徳の前ではしおらしい。だが裏では泰徳が並行して付きあっている他の相手に嫌がらせをして仲を引き裂いたり、澄人に罵言を浴びせてきたりした。最近では泰徳もそんな結城の言動に気づいたと見え、逢瀬が間遠になっていた。

 トレイに載せた皿と箸を泰徳の前に並べる。
「かなりごねられたぞ」
 それはそうだろう。泰徳は東証一部上場企業の社長令息だ。涼やかな眼差しに高い鼻梁、唇はやや薄いが、整った顔だちをしている。いつもにこやかで人の気持ちを明るくさせるし、セフレにもプレゼントを惜しまない気前の良さもある。別れたいとは思うまい。
「泣き落としなどという面白いものを見せてもらった」
 結城はもう泰徳のセフレとしての価値を完全に失ったようだ。
「安心したか?」
 不意の言葉に澄人は顔を上げた。泰徳が興味深げに見つめてくる。澄人はにこやかに頷いた。
「はい」
 泰徳が声を立てて笑う。
「正直でいい。いただきます」
 箸を取って泰徳が朝食を口に運ぶ。
「お前は始めから至が気に入らないようだったな」
「他の方をないがしろにしていましたので」
「お前の目は確かだった。だんだんずうずうしくなってきて、物をねだるだけでなく、この部屋に来たいとしきりに言いだした」

 ああ、と澄人は思った。泰徳はこのプライベートな空間に他人を入れたがらない。今までの恋愛で、泰徳本人よりそのバックの紅林家の名や金が目当ての者が多すぎたせいもあるだろう。他人を簡単には信用しないのだ。
 泰徳が箸を止めた。

「お前は俺にもっと厳しくしてもいいんだぞ。セフレなど持つなとか、せめて一人にしろとか。お前の忠言なら聞く覚悟はある」
 澄人は頬が赤らむのがわかり、うつむいた。
「その、恋愛は、きわめて個人的なことですので、そこまで踏みこむことは、わたくしの、職分を、越えます」
 つっかえながら答えると、ふっと泰徳が笑ったようだった。
「相変わらず硬いな、お前は」
 からかいとわかっていても、ますます頬が熱くなる。
「泰徳様がお好きになった方なら、それは特別なお方です。わたくしは泰徳様のお気持ちを尊重するだけです」
 視線を上げてそれだけ言うと、澄人は素早く一礼して洗面所に逃げた。だからその時の泰徳の表情は見なかった。

 昨夜、泰徳が留守の間にタイマーでセットしておいた下着や靴下などの洗濯物を浴室に干す。それが済んだら寝室へ行ってシーツの交換とベッドメイキングだ。ワイシャツとシーツはコンシェルジュを通してクリーニングに出すため、ランドリーバッグに畳んで入れる。ゴミは後で各階にあるゴミ置き場に持っていくつもりだ。今の澄人は護衛というより正に世話係であり、ハウスキーパーである。




しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

【BL】捨てられたSubが甘やかされる話

橘スミレ
BL
 渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。  もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。  オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。  ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。  特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。  でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。  理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。  そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!  アルファポリス限定で連載中  二日に一度を目安に更新しております

バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?

cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき) ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。 「そうだ、バイトをしよう!」 一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。 教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった! なんで元カレがここにいるんだよ! 俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。 「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」 「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」 なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ! もう一度期待したら、また傷つく? あの時、俺たちが別れた本当の理由は──? 「そろそろ我慢の限界かも」

  【完結】 男達の性宴

蔵屋
BL
  僕が通う高校の学校医望月先生に  今夜8時に来るよう、青山のホテルに  誘われた。  ホテルに来れば会場に案内すると  言われ、会場案内図を渡された。  高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を  早くも社会人扱いする両親。  僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、  東京へ飛ばして行った。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

処理中です...