Parasite

壽帝旻 錦候

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episode 16

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「ちょっとゴメンね」
 ほんの数十分前の出来事へと思いを飛ばしていた俺の意識をリアルタイムへと引き戻したのは、俺と大介が膝と膝を突き合わせているところを跨ぐ、デニムの上からでも分かる、スラリとした美脚と、その持ち主の声。
 かなりの間抜け面をさらして見上げる俺を少しも気にすることなく、彼女の視線は真っ直ぐ前を向いて、操縦席の鶴岡さんの方へ歩み寄る。
 あれだけギャーギャーと騒いでいた米澤さんも松山さんも、いつの間にか大人しくなっていた。
 相変らず獣のように低い唸り声をあげるエンジン音と、ケツから伝わる震動だけが、兵員室には響いていた。

「ねぇ。アナタ、今は目の前のモニターに映し出されている前方の景色に、ナビゲーションシステムを発動させて運転するのが精一杯の状態でしょう? なら、戦術データリンクシステム借りていい?」

 鶴岡さんの背後に立っているものの、時折、大きな水鳥のけたたましい鳴き声のような音に掻き消されないよう、大きな声を出す晴香さん。
 実は、この車両は、兵員室だけでなく、操縦席の前にすら窓というべきような立派なものはなく、小さな覗視孔付きの小窓があるだけ。
 その為、外部に取り付けられたカメラが映し出す映像を、モニター画面によって確認しながら運転する間接視認法を取り入れているのだ。
 そこに、GPSナビゲーションシステムをそのまま重ね合わせて、リアル画像で目的地までナビをしてもらいながら、操縦するというわけだ。
 乗用車を普通に運転するのとは違って、フロントガラス越しにリアルな景色を見るのではなく、モニター越しという間接的な状況確認での操縦だからこそ、集中を切らすことが出来ない鶴岡さんは、視線を画面から離すことが出来ない。
 彼は顏を前に向けたまま返事をしたようだ。
 その声は俺の耳には届かなかったが、操縦士席の横の、モニターや色々なスイッチ、装備が設置されてある場所へと移動する彼女を見れば、鶴岡さんが彼女の頼みを聞き入れたと思って間違いない。
 側面に大量にある様々なスイッチやボタン。
 バンドマンのような出で立ちから、まるで音響機器を調整しているんじゃないかと勘違いしそうなほど、手慣れた手つきで操作する彼女の姿を見ると、やはり、一般人ではないのだと思い知らされる。

「ん? ねぇ。このシステム、壊れてない?」

 苛立ったような声を上げる彼女に皆の視線が集中する。
 運転をしている為、彼女の方に振り返る事は出来ず、顏は前を見据えたまま、焦りと驚きの声を出す鶴岡さん。

「えぇ? そんなわけないですよ! 基本、この島にある軍用車両は毎日数回に渡り、メンテナンスを行い、いつ有事が起きても、問題なく使えるようにしてある筈です。島内中央にある陸海空軍合同軍事司令部だけじゃなく、本土の最高指令室にも、衛星回線を使って、連絡がとれるようになっているのですから、故障なんてことは……」

 晴香さんの操作が誤っているのではないかと疑い、システムに関しては絶大な信頼をおいているような口振り。
 そんな彼の後頭部を見て、腰を両手に当て、首を片側に倒して大きく肩を上下させた彼女は溜息をついたのだろう。
 再びある一ヶ所に集中し、スイッチを押したり、モニターの横の壁に掛けられ、さらにモスグリーンのゴムバンドをバッテン状にして固定したキーボードを叩くが、モニターの画面はカーナビのような映像を映しているだけ。
 この車両が前に進むたびに地図の道路上にある矢印周辺の画像が変化していくのみだ。

「わざとじゃない?」
「ええっ?」

 素っ気なく吐き捨てた晴香さんの言葉に、大きな声を上げて、一瞬、振り返りそうになりながらも、鶴岡さんは、操縦中だという事を思い出し、終わてて正面に向き直した。

「そんな、誰がどうして……そんなの誰の得にもならないじゃないですかっ」

 困惑した様子で手元にあるボタンを何度か押して、彼の前にあるモニターの横に備え付けられている無線マイクを手に取り、「こちら中部航空方面隊一等空佐・鶴岡。『paraiso』軍事司令部、聞こえますか?」と、必死で呼びかけるが、どこからも、その声に応えるような音声は聞こえてこない。
 激しく振動しあえぐような音が絶え間なく響く兵員室からでは、実際の音は聞こえないが、苛々したように何度もスイッチを人差し指で連打する鶴岡さんの動きを斜め後ろから見ていれば、カチカチカチッというマウスをクリックするような軽い音が脳内で勝手に効果音として再生される。

「あの二人、一体何を話しているの?」

 気が付けば、俺のすぐ隣に席を移動してきた米澤さんが、耳に息を吹きかけながら話しかけるので、全身に一気に鳥肌がたった。

「のわっ! ちょ、ちょっと、いきなり何ですかっ!」
「ウォウォンッ」
「っつか、こらっ! ボンッ! おっも! 重いっ」

 息のかかった左耳を両手で押さえて仰け反り、一人で騒ぐ俺に連動して、じゃれるように飛びつくボン。
 お通夜状態とまではいかないが、さっきまでの考え込んでいるような、落ち込んでいるような暗い雰囲気から、俺達の気持ちを敏感に察知して心配していたらしく、ベロベロと俺の顏を舐め回す。
 お調子者で、じっとしていられない大介らしくなく、洋一郎と離れてからは大人しく、妙にかしこまったような態度だった彼も、そんな俺達を見て吹き出した。

「かっつんも、ボンも。ふざけてんなよぉ~。そんなことよりも、晴香さん達が何を話しているのか、しっかり聞きなよね」

 ボケ担当……いいや。
 天然ぶちかまして、いつもはツッコまれる役割の大介に、注意されるというこの屈辱。
 くぅ~っと唸って、拳をプルプル震わせるものの、コイツの言うことはもっともだ。
 静かにしていた松山さんもニヤニヤと小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、こちらを見ているが、そんなことはスルーだ。
 この島に来る前の彼は、クールでまともそうな男だと思っていたが、飛行場での醜態を見てからは、俺の中での彼の位置づけは大介と同じかそれ以下。
 駄目な大人の代表になっている。
 プイッと顏を背けると、「拗ねちゃって、かーわいいー」と、オカマのようにクネクネとした動作をつけた裏声で茶化してくる。

 うん。
 きっと、これは彼なりに、俺達の気を紛らわす為の演技だ。気遣いだ。

 そう思い込むことにして、ダメダメ松山さんのことは気にせずに、前にいる二人に集中すれば、俺達がバカやっている間も、シリアスな状況は変わらず、渋い表情をした晴香さんの横顔があった。

「メールも、量子暗号転送システムも駄目だわ。やっぱり、意図的にこの車両の装置だけ、不具合を起こさせているか、元々、中身のない空っぽのハコだけを備え付けさせたのか。そこまでは、システム関係のプロじゃないから分からないけれど、間違いなくあのクソ男は、私達に外部との連絡をさせないようにしたことだけは確かね」
「クソ男って……日野浦空将ですか? 確かに、あの人、以前と比べて言動に多少の違和感を感じましたが、それは、この島の異常事態を考えれば、精神が混乱するのも……」

 鶴岡さんにとっては、日野浦さんは上官であり、しかも、尊敬すべき人間。
 庇うような発言をするも、すぐさま晴香さんによって、彼の援護射撃はあえなく撃沈した。

「いいえ。彼は性格に難があるだけで、いたって冷静よ。その証拠に、アナタが言う、毎日数回チェックとメンテナンスをしていて、システムエラーや装備の不備があるはずのない軍用車両のうち、たまたま不具合だらけのストライカーZ装輪装甲車のキーを持ち出し、アナタに渡す確率って、一体どのくらいかしら?」

 車内の騒音に負けないように声を張り上げる彼女は、怒っているわけではなく、自分で考え理解しろと諭しているような言い方。

「しかも、彼。わざわざ車両ナンバーまで一つも間違えずに記憶し、アナタに伝えたわよね? あんなにも切迫した場面で、わざわざ車両を選び、確認するほどの余裕があったなんてねぇ」

 日野浦さんに対する厭味も若干含んだ一言が決定打となった。
 ここからでは彼の後頭部と、わずかに見える左側の顎と頬ぐらいしか見えないが、それでも、悔しそうに顏を歪ませたように見えた。

「それでは、自分の最も信頼すべき上官が、私達を裏切るような真似を?」

 大きく張り上げた声は、微かに上擦っている。
 これまでの言葉や振る舞いから不信感を抱いていた彼は、信じたくはなかったが、日野浦さんが、よからぬことを企んでいると認めるしかなく、同じ軍人として恥ずべき行為であり、悔しさで震えていた。
 だが、俺としては、この車両に日野浦さんが小細工をしたことなんて、大した問題じゃなかった。
 それよりも、日野浦さんが“よからぬことを企んでいる”いわば、裏切り者である可能性が高いことの方が問題だった。
 大切な親友である洋一郎が彼と共に行動しているのだ。
 しかも、彼から言い出した『薬』を貰う為に、彼の言う『研究所』へと向かっているんだ。

 それらが全て『嘘』であったらと思うと、嫌な予感しかしない。

 目の前に座るもう一人の親友も俺と同じような顏をしている。
 少し前屈みになって、膝をギュッと握りしめている大介の手を、気遣うように舐めるボンを見ていると、ふと、自分の右手に温かいものが添えられた。
 視線を下にやると、そこには米澤さんの手があった。

「大丈夫よ。百瀬君には本郷さんがついているから。少しでもおかしな行動をとれば、あの人が先を見越して対処するから」

 斜めの方向にいる松山さんが米澤さんの言葉を肯定するように頷いている。
 システム関連に関しては確かに、洋一郎と同じかそれ以上の能力を持っているとはいえ、戦闘においては、きっと、感染した後に逃亡したタカシさんの方が身体能力からいっても上であろう。
 けれど、いない人間と比較しても仕方がない。
 米澤さんにしろ、松山さんにしろ、絶大な信頼を寄せる人なのだから、信じるしかない。

「――とりあえず。この車両の装備が壊されていたとしても、他の機能は全て無事。目的地まで、もう目前です。今から入る安全地帯の中にある軍事関係の施設内に行けば、本土の最高指令室にも、この島の現状を伝えることが出来ますから、問題はないでしょう。早急に皆さんを救出に来てもらうように連絡しますよ」

 深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた鶴岡さんが、車内の全員に届くよう、腹の底から発声させたのは、目的地到着のアナウンス。
 景色が見えないので、もうすぐ着くと言われてもピンとは来ないが、数十分程度の移動だったと思われるので、飛行場からは10km程度離れた場所なのだろう。

 頑丈な鉄壁に守られた場所。
 そこに入れば、俺達の安全は保障されたようなものであり、そこに辿り着いたということは喜ばしいことであるにも関わらず、俺達は手放しでは喜べなかった。

 大事な親友。 
 大切な仲間。

 彼らの無事が確認出来、そして、生きて再会した後に、家族の元へ帰るまでは浮かれるなんて出来ない。

「さぁ、皆さん。ここからは、大人しく席に着いていてください。入る為に色々と審査がありますので」

 操縦している鶴岡さんと、かったるそうにゆっくりと兵員室に戻って来た晴香さん以外の全員が、海外旅行で入国審査をする時のように表情を硬くし、姿勢をピンッと張る。
 別に俺達が審査されたり調査されたりするわけではないのに、何故か、『審査』という言葉に反応して、わざとらしいまでに品行方正に見せようとするのは日本人特有のものなのだろうか。
 あまりに、皆が同じような姿勢をとっているのに気が付き、つい、笑みが漏れた。
 俺は、洋一郎には悪いが、この安全地帯と呼ばれる場所に入る時、これで、感染者に襲われる心配はないと、ほんの少しだけホッとしてしまった。
 けれど、俺はここで、とても重要な情報を手にする事になる。
 その事によって、結局、俺は『paraiso』の真の本拠地に乗り込まなくてはならなくなるのだが、今はまだ、ある一人を除いて、それを知る者は誰もいない。
 そして、その一人ですらも、これから起きることを甘く見過ぎていた。
 お陰で俺達は、最悪の状況へと進んで行くことになるのだが……

 それを知るのはもう少し後になってからであった。

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