サクラメント300

朝顔

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24 さくらを追いかけて

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「どうして……その名前を……」

 誰もが混乱していた。
 梶だってまさか佐倉の名前を言うことになるなんて思わなかった。
 だけど考えてみれば、桜と佐倉は漢字が違うだけだ。
 そして、この目の前の二人の名前は、佐倉から聞かされた過去の話に出てきたのだ。
 どう考えても線が繋がったとしか思えない。

 一瞬静まり返ったが、沈黙を破ったのは夕貴だった。

「な……なぜ、貴方がその名を知っているんですか!? 貴方は誰ですか? 未春のことを知っているんですか? 今彼はどこに!?」

 佐倉は夕貴は怯えていて、自分と会ったらまだ恐怖を感じてしまうかもしれないと言っていた。
 だが、夕貴の態度は恐怖というより、懇願に近かった。
 どうしても知りたい、お願いだからという勢いで梶のスーツを掴んできた。

「夕貴、落ち着いて。彼はSAKURAを探している人なんだ」

「だから、なんでこの人が? 探してる? じゃあなんで未春の名前を知ってるの?」

「それは……」

 津久井は止めに入ったはいいものの、本人もよく分からなくなってしまったようだ。
 梶も今知ったばかりの事実に頭痛を覚えた。
 手を開いて前にして、少し落ち着いて整理しましょうと言った。

「佐倉未春は私と同じ建物で働いています。たまたま仲良くなり、昔の話になって、貴方達の名前が……。確認しますが、貴方が元恋人の夕貴さんですね?」

 元恋人と呼ばれたことに、夕貴は傷ついたような顔になって下を向いた。少し掠れた声でそうですと返してきた。

「未春は過去を話してくれましたが、写真撮っていたことなんて一言も……、それで今まで気がつきませんでした。私も自分の事情をちゃんと話していなかったので、お互い様ですが、全く気が付かなかったなんて……」

 思い出せば目黒川が弟に貸していた写真集を持ってきた時、佐倉はすぐに反応していた。
 憧れの人の夢を奪った過去を知られるのが恐くて、逃げるように背を向けてしまった。
 一瞬だけ見えた背表紙から何の写真集だか分かるなんて、好きだった人間でないとありえない。

 佐倉が憧れの写真家SAKURAだったことが分かったが、もっと問題が大きくなってしまった。
 知られたら恐いどころか、夢を奪った張本人だったなんて、最低だと罵られて殴られるくらいの話だ。
 殴られて許してもらえるならいいが、二度と関わりたくないと言われてしまったら……

 それを考えたら梶の背中は寒くなって、心臓が軋んで痛くなった。

「お願いです。未春の居場所を教えてください」

 今度は向こうが頼んでくる番になっていた。
 夕貴の様子を見た梶は、あることに気がついた。

「……そういえば、足は治っているんですか?」

「事故直後は上手く動きませんでしたが、リハビリして一年後には歩けるようになりました。たまに痛む時はありますけど、日常生活に支障はありません。走れるし、大丈夫なんです。だから……」

「治療費、か……」

「そうなんです。毎月毎月……もう大丈夫なのに、心苦しくて……。でも唯一繋がっている線だから切ることができなくて……。両親が僕のためを思って別れるように迫ったのを聞きました。あの時は僕も動揺していて、仕方ないと受け入れたんです。でも……何も言えずに別れることになるなんて、どうしても辛くて……ちゃんと謝りたいんです。ずっと未春を探していたんです」

 佐倉から聞いた話とはずいぶん方向が違うことになっていた。
 おそらく罪悪感から、必要以上に恐れられていると思い込んでしまったのだろう。

 焦った様子で必死な顔をしている夕貴も、あの時のまま、時間が止まっているように見えた。

「ひとつ、いいですか? 二人は運命の番だと聞きました。今は結婚していますか?」

 津久井と夕貴は顔を見合わせた後、二人で揃って首を横に振った。

「私達は付き合ってもいません。佐倉くんのことで決着がつかないと夕貴は前に進めないと言っています。私は夕貴の気持ちが固まるまで、側でずっと待ちます。夕貴の決断を……尊重するつもりです」

 夕貴の中に残る、佐倉への感情を知った梶は胸が苦しくなったのを感じた。
 津久井のあの態度からしても、もしかしたら自分が選ばれない可能性を感じているのだろう。
 五年も側で大人しく待ち続ける津久井の執念を感じたが、梶だって負けてはいなかった。

 二人が顔を合わせることは、お互い動き出すために必要なことだ。
 だが、いまだに二人の男の間で揺れている状態に見える夕貴を、このまま佐倉の前に出すことを考えたら苦い気持ちになった。
 おそらく佐倉は、二人の幸せを願うと思うが、二人が付き合っていないことを知ったら、夕貴の中の感情を読み取ってしまう。
 そして夕貴が一生忘れられない相手になって、彼の中に色濃く刻まれてしまう。
 そんなことは、絶対に嫌だと思ってしまった。

「分かりました。私も未春には前に進んで欲しいので、決着をつけることが必要だと思っていました。ですが、条件があります」

 梶の提案に二人の視線が集中したのが分かった。
 梶はゆっくりと、条件について語り始めた。







 空港を出るタクシーの中で、梶は佐倉に電話をかけた。
 数回のコールで留守電に変わってしまい、何度かけてもだめだった。
 今まで散々送れずにいたくせに、鬼のようなメッセージを送っているがひとつも既読にならない。

 まさか、全然連絡をせずにいたので、呆れられて嫌われてしまったのかもしれない。
 コンテストのことで謝罪もあるのに、その前からキレられていたら、絶対に許してなどもらえない。
 梶は自分の太ももを叩いて頭を抱えた。

 目黒川に電話をかけると、こちらはコールが鳴る前にハイと声が聞こえた。

「今戻った。未春は今日出社しているのか? 電話に出ないんだ。連絡がつかない。勤務は午後からだよな? 様子を見ておくように頼んだが大丈夫だったのか?」

『落ち着いてください。佐倉様ですが、現在系列のビルで欠員が出たそうで、本社ビルには出社されていません。申し訳ないのですが、私もこちらでの勤務がありますので、状況は確認できておりません』

「何だって!? 大丈夫なのか? まさか倒れていたり……」

『三日前にマンションの前でお会いした時は元気そうでした。ですがその時、愛華嬢が勝手に押しかけてきていて、鉢合わせになり、仕方なく仕事上の付き合いがあったことは伝えました』

「お、お、お前……」

『愛華嬢のことです。ライバルだと分かったら、絶対に今後も接触してくるはずです。いらないことや嘘を言うかもしれません。その時に揉めるより、過去の関係だったと正直に伝えておいた方がいいと判断しました』

 確かに派遣されてきた女性の中でも、愛華はかなりしつこかった。
 立場は分かっていると思うが、それでも偶然を装って近づいてくるかもしれない。
 彼女達は信用が第一の仕事だが、愛華は父親が裏社会で権力を持っていて、望んでこの仕事に就いたらしい。見た目でも持て囃されていたので、信用なんて考える必要もなく調子に乗っていそうだった。
 三人が鉢合わせた状況がよく分からないが、とにかくもう一つ、フォローが必要なことが増えたということだ。
 梶はもっと頭を下げて、椅子にくっ付いてしまいそうになった。

「分かった。どの道、話さなければいけないことだった。俺からちゃんと話す。今から未春の家に行く」

『ああ、それなら。もう引越しは完了しています。時間的にももう出勤されているかと。ヤマノクリーンに連絡をして、出勤先のビルを聞いてみますか?』

「いや……今本社の前まで来たから、俺が直接聞きに行く」

 ちょうどよく本社の前に着いたので、電話をするより早いと、梶はタクシーから降りて走った。

 もしかしたら、こっちに来ているかもしれないし、近くのビルならすぐに向かえばいい。
 それで時間をもらって話をしたい。

 ビルの中に滑り込むように入った梶は地下に向かった。
 ヤマノクリーンの看板が見えたら、乱れたスーツを正してノックをしてからドアを開けた。
 ドアの向こうは事務所のスペースになっていて、雑然と並んだ机の一番奥、パソコンの後ろから、男の顔がぬっと出てきた。

「はい? どちら様ですか?」

「梶エンターテイメントの常務取締役で、梶智紀と申します。突然すみません、佐倉さんは今どちらにいらっしゃいますか?」

 一瞬間があって、男はぽっかりと大きな口を開けてから、慌てた様子で立ち上がった。

「梶常務ですか!? これは、失礼しました。ええと、佐倉ですか? ああ、確か以前部屋の掃除を担当していましたね。しばらく隣駅のビルに行ってもらっていたんですけど、実は今、休暇をとっておりまして……」

「休暇? どういうことですか?」

「ええと、三日前、田舎に住んでいるご家族から、彼の叔父が緊急で手術をすることになったからと連絡があって……。緊急連絡先として私の携帯を教えていたそうです。一度ここに寄ってもらって話をして、その足で向かったと思います」

 ずいぶんと佐倉の事情に深く関係していそうな雰囲気から、彼が話に聞いていた、佐倉を助けてくれた泰成先輩に間違いないだろうと分かった。

「分かりました。すぐに連絡を取りたいんですが、なかなか繋がらなくて困っているんです」

 実際に泰成に見てもらおうと、梶はこの場で佐倉に連絡を取ろうと電話をかけ始めた。

「あー……それは、その……あいつ、慌てて出て行っちゃったので、あそこに……」

 作業着姿の泰成が、申し訳なさそうに指差した先には、一台のスマホが置かれていて、ブーブーと音を立てて振動した後、画面は真っ暗に戻った。

 耳に当てたスマホから、留守番電話に接続します、と声が聞こえてきた。

「すごい鳴りまくってて、見るわけにもいかないし、あいつも困っていると思うんですけど、私もここ離れるわけにいかなくて。一応向こうの親族の方には忘れていると伝言してほしいと連絡しています」

「……どこですか?」

「えっ?」

「未春が向かった場所です。私が届けに行きます」

 梶の迫力に押されて、緊張した様子の泰成の額からたらりと汗が流れた。
 どういうことなのか分からないという顔の泰成から、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえてきた。





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