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27 秘密の扉
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長い鎖が体に巻き付いて、指一本動かせない。
罪を背負った男は、乾いた大地に転がって、太陽の光に焼かれてこのまま一生を終えるのだろう。
汚れてしまった右手が真っ黒になっていた。
それが自分の罪だ。
逃れることはできない。
そう思っていた。
車の助手席に乗った佐倉は、黙ったままハンドルを握る梶の横顔をチラリと見た。
こんな風にお互い何も話さないのに、この沈黙が落ち着く相手というのは珍しいと思う。
誰かといると必要以上に気を遣ってしまうし、夕貴といた頃も、何か言って夕貴を楽しませないととよく考えていた。
何も考えずとも、空気でお互いの考えていることが分かる。
この人とは出会った時からそんな感じだったなと佐倉は思った。
「あれ……駅前のマンションに向かっているんじゃないのか?」
駅前に向かう大通りに入るところを曲がらなかったので、佐倉は梶に声をかけた。
夕貴と津久井に会った後、送ってやると言われて車に乗せてもらった。
二人に会う約束をした後も、梶は忙しく過ごしていた。
やっと対面を果たせたので、これでゆっくり話せると思っていたのに、梶は職場にでも向かうのかと思ってしまった。
「……ちょっと、俺の家に寄ろうと思ってな」
やけに真剣な横顔に、佐倉はドキッとしてしまった。
しかも、俺の家だ。
佐倉のアパートに行ったことはあるが、梶は今まで自分の家に呼んでくれることはなかった。
一緒に過ごすのは、会社だと役員室で、後はホテルに行くこともあったが、梶は頑なに自分の部屋には近づかなかった。
むしろ、部屋のことを必要以上に話題にするのも避けていたと思う。
あの愛華という、女性が言っていた言葉が気がかりで、いつ話に出そうかと思っていたところだった。
「あのさ……電話の履歴を調べていたんだ。智紀、話したいことがあるって送ってくれていただろう? あれって、夕貴達のこと? でも、少し前だったような……」
「あぁ……それは、あの時は、未春がSAKURAだったことに気がついていなくて、順番がおかしくなってしまったが……その……気持ちを、話そうと思っていたんだ……」
「気持ち……?」
梶が何を考えているか。
一緒にいる空間でリラックスしている、というようなものは伝わってくるのだが、何を考えて何をしたいのか、そういったことまではさすがに分からない。
梶の気持ちが知りたかった。
そして佐倉もまた、梶を特別に思っていることを伝えたかった。
そこからはまたお互い無言で、梶からは緊張した空気だけが伝わってきた。
車を止めた後、つい先日、訪れたばかりの梶のマンションのエントランスに入り、今度は部屋の主人がちゃんと鍵を開けるところまでをしっかり見届けることになった。
やはり中は高級マンションらしく、プライバシーが保たれた内廊下で、梶の住んでいる階は二部屋しかなかった。
その片方も梶が所有していると聞いて、異次元すぎて言葉が出なかった。
煌びやかな高級家具が置かれたハイグレードな部屋を予想していたが、室内はシックな黒で統一されていて、ほとんどと言っていいほど物がなかった。
リビングスペースはがらんとしていて、デカいソファーがドカンと置かれているだけで、他には何もなく、テレビすら置いていなかった。
「……何というか……シンプルな部屋だな」
「ほとんど寝に帰るだけだから、何もないんだ。冷蔵庫の中も水しか入っていない」
部屋を見ればその人の暮らしぶりが分かるというが、余計なものをとことん削ぎ落とした、いかにも梶らしい部屋だなと思ってしまった。
まるでいつ消えてもいいように、常に準備しているみたいだと思ってしまった。
「料理だけはたまにやるから、調味料は揃っている。食材は使い切らないと腐らせるから、保存はしていない。一人で消化する趣味の程度だったが、未春に食べてもらえるようになってから、凝り始めてスパイスも取り揃えたんだ」
確かに広々とした何もない部屋と違い、キッチンだけは色々と物が置かれていた。
スパイス棚に、見たこともないような量の小瓶が見えて、思わず目を瞬かせてしまった。
「え? 俺が食べる?」
「そうだ、最初は料亭の飯を取り寄せていたが、あまり箸が進まなくなっただろう。途中から俺が作った料理に切り替えたら、全部食べてくれたから、それ以来、俺が作ったものを温め直して出していた」
「ええ!? てっきり、近くの定食屋から買ってきていたのかと……。本当に? 家庭的な料理の方が好きだから俺は嬉しかったけど……嘘だろう、そんなに手間をかけていてくれたなんて……言ってくれればよかったのに」
蟹とかフグとかスッポンみたいな料理にさすがに胃がもたれてきた頃、肉じゃがやシチューなどの優しい味わいの料理に変わった。
まさかそこまでしてくれていたとは思わなかった。
梶は気を遣わせたくなかったんだと言って笑った。
こんなことが自然にできる人だから、モテて当然だと思ってしまった。
「目黒川から聞いた。俺が出張に行っている時に、下で会ったそうだな。その時に、あの女にも……」
「ああ、愛華さん? アルファの相手をする専門の人だってね」
「それはっ……そうなんだが、すまない。自暴自棄になって荒れていた頃、それを抑えようと次々と手配されて……その時は、もうどうでもいいって投げやりになっていたから……」
「謝ることはないよ。俺だって過去はあるし、それに自暴自棄って……コンテストの後のこと?」
梶は背中を丸めて小さくなって、そうだと伝えてきた。
自分がSAKURAの賞を奪い、コンテストを台無しにしてしまったとして梶は負い目を感じていた。
荒れていた時期、というのはそのことだったのかと佐倉は息を吐いた。
とにかく事情が分かって、少し気持ちは落ち着いた。
「その……あの女は他に何か……」
「俺を智紀の友人か何かだと思って、また会わせて欲しいって、冷たくされるのが好きなんだとさ」
ちょっといじわるく言ってみたら、梶は息を吸い込んで顔に手を当てていた。
自信たっぷりの男が慌てている姿を見るのは可愛いと思ってしまったが、胸にチリっと焦げるものがあった。
覚えのある感情だが、あの時よりも甘く胸は揺れていた。
動揺している様子の梶にゆっくり歩み寄って、シャツの袖を掴んでツンと引いてみた。
「冷たくって何だろうな? 俺とする時は、しつこいくらい甘ったるいくせに。少なくとも俺は裸で放り出されたことはないし、服だっていいって言うのに、いつも着せてくるし……」
「待って、待ってくれ。違うんだ、確かに俺は最低なことをしてきたが……あの頃は色々とおかしくて……未春に出会ってやっとまともに戻れたというか……」
汗を流してしどろもどろになっている梶がますます可愛く思えてしまった。
クスリと笑った佐倉は、梶の胸元に顔を寄せてシャツの上から唇を寄せた。
「冷酷な氷王子」
「な、なんだ、それは……」
「自分の部屋でしかヤレないってなんの話だ?」
「あっ……あの女……そんなことまで……」
教えてくれるまでやめないぞという意味を込めて、下半身を押し付けていやらしく揺らした。
こういう時、自分は攻めだったなと佐倉は思う。可愛らしい梶の顔を見たら自然と体が動いてしまった。
真っ赤になった梶は熱い息を吐いて、まるでイキそうになったみたいにビクビクと腰を揺らした。
「まっ、待ってくれ。未春と触れ合うの……久しぶりだから、やばい……匂いが……興奮して頭がおかしく……」
「興奮してるのか。可愛いな」
「くっ……未春っ」
涙目できっと睨まれたが、もう本当に可愛いとしか思えなかった。
下剋上してやった気分だったが、しかしここは、ちゃんと話してもらわなければいけない。
佐倉は梶のシャツの胸元をぎゅっと掴んだ。
「何を聞いても受け止めるからさ。早く話せよな」
もっと赤くなった梶は目を泳がせた後、覚悟を決めたみたいに息を吐いて佐倉の腕を掴んだ。
「こっちだ……見せるから」
そう言って梶に引かれて連れてこられたのは、リビングを出て廊下の突き当たりにある部屋だった。
漆黒の扉を開けると、そこに見えた光景に佐倉は思わず息を呑んだ。
「こ……これは………」
□□□
罪を背負った男は、乾いた大地に転がって、太陽の光に焼かれてこのまま一生を終えるのだろう。
汚れてしまった右手が真っ黒になっていた。
それが自分の罪だ。
逃れることはできない。
そう思っていた。
車の助手席に乗った佐倉は、黙ったままハンドルを握る梶の横顔をチラリと見た。
こんな風にお互い何も話さないのに、この沈黙が落ち着く相手というのは珍しいと思う。
誰かといると必要以上に気を遣ってしまうし、夕貴といた頃も、何か言って夕貴を楽しませないととよく考えていた。
何も考えずとも、空気でお互いの考えていることが分かる。
この人とは出会った時からそんな感じだったなと佐倉は思った。
「あれ……駅前のマンションに向かっているんじゃないのか?」
駅前に向かう大通りに入るところを曲がらなかったので、佐倉は梶に声をかけた。
夕貴と津久井に会った後、送ってやると言われて車に乗せてもらった。
二人に会う約束をした後も、梶は忙しく過ごしていた。
やっと対面を果たせたので、これでゆっくり話せると思っていたのに、梶は職場にでも向かうのかと思ってしまった。
「……ちょっと、俺の家に寄ろうと思ってな」
やけに真剣な横顔に、佐倉はドキッとしてしまった。
しかも、俺の家だ。
佐倉のアパートに行ったことはあるが、梶は今まで自分の家に呼んでくれることはなかった。
一緒に過ごすのは、会社だと役員室で、後はホテルに行くこともあったが、梶は頑なに自分の部屋には近づかなかった。
むしろ、部屋のことを必要以上に話題にするのも避けていたと思う。
あの愛華という、女性が言っていた言葉が気がかりで、いつ話に出そうかと思っていたところだった。
「あのさ……電話の履歴を調べていたんだ。智紀、話したいことがあるって送ってくれていただろう? あれって、夕貴達のこと? でも、少し前だったような……」
「あぁ……それは、あの時は、未春がSAKURAだったことに気がついていなくて、順番がおかしくなってしまったが……その……気持ちを、話そうと思っていたんだ……」
「気持ち……?」
梶が何を考えているか。
一緒にいる空間でリラックスしている、というようなものは伝わってくるのだが、何を考えて何をしたいのか、そういったことまではさすがに分からない。
梶の気持ちが知りたかった。
そして佐倉もまた、梶を特別に思っていることを伝えたかった。
そこからはまたお互い無言で、梶からは緊張した空気だけが伝わってきた。
車を止めた後、つい先日、訪れたばかりの梶のマンションのエントランスに入り、今度は部屋の主人がちゃんと鍵を開けるところまでをしっかり見届けることになった。
やはり中は高級マンションらしく、プライバシーが保たれた内廊下で、梶の住んでいる階は二部屋しかなかった。
その片方も梶が所有していると聞いて、異次元すぎて言葉が出なかった。
煌びやかな高級家具が置かれたハイグレードな部屋を予想していたが、室内はシックな黒で統一されていて、ほとんどと言っていいほど物がなかった。
リビングスペースはがらんとしていて、デカいソファーがドカンと置かれているだけで、他には何もなく、テレビすら置いていなかった。
「……何というか……シンプルな部屋だな」
「ほとんど寝に帰るだけだから、何もないんだ。冷蔵庫の中も水しか入っていない」
部屋を見ればその人の暮らしぶりが分かるというが、余計なものをとことん削ぎ落とした、いかにも梶らしい部屋だなと思ってしまった。
まるでいつ消えてもいいように、常に準備しているみたいだと思ってしまった。
「料理だけはたまにやるから、調味料は揃っている。食材は使い切らないと腐らせるから、保存はしていない。一人で消化する趣味の程度だったが、未春に食べてもらえるようになってから、凝り始めてスパイスも取り揃えたんだ」
確かに広々とした何もない部屋と違い、キッチンだけは色々と物が置かれていた。
スパイス棚に、見たこともないような量の小瓶が見えて、思わず目を瞬かせてしまった。
「え? 俺が食べる?」
「そうだ、最初は料亭の飯を取り寄せていたが、あまり箸が進まなくなっただろう。途中から俺が作った料理に切り替えたら、全部食べてくれたから、それ以来、俺が作ったものを温め直して出していた」
「ええ!? てっきり、近くの定食屋から買ってきていたのかと……。本当に? 家庭的な料理の方が好きだから俺は嬉しかったけど……嘘だろう、そんなに手間をかけていてくれたなんて……言ってくれればよかったのに」
蟹とかフグとかスッポンみたいな料理にさすがに胃がもたれてきた頃、肉じゃがやシチューなどの優しい味わいの料理に変わった。
まさかそこまでしてくれていたとは思わなかった。
梶は気を遣わせたくなかったんだと言って笑った。
こんなことが自然にできる人だから、モテて当然だと思ってしまった。
「目黒川から聞いた。俺が出張に行っている時に、下で会ったそうだな。その時に、あの女にも……」
「ああ、愛華さん? アルファの相手をする専門の人だってね」
「それはっ……そうなんだが、すまない。自暴自棄になって荒れていた頃、それを抑えようと次々と手配されて……その時は、もうどうでもいいって投げやりになっていたから……」
「謝ることはないよ。俺だって過去はあるし、それに自暴自棄って……コンテストの後のこと?」
梶は背中を丸めて小さくなって、そうだと伝えてきた。
自分がSAKURAの賞を奪い、コンテストを台無しにしてしまったとして梶は負い目を感じていた。
荒れていた時期、というのはそのことだったのかと佐倉は息を吐いた。
とにかく事情が分かって、少し気持ちは落ち着いた。
「その……あの女は他に何か……」
「俺を智紀の友人か何かだと思って、また会わせて欲しいって、冷たくされるのが好きなんだとさ」
ちょっといじわるく言ってみたら、梶は息を吸い込んで顔に手を当てていた。
自信たっぷりの男が慌てている姿を見るのは可愛いと思ってしまったが、胸にチリっと焦げるものがあった。
覚えのある感情だが、あの時よりも甘く胸は揺れていた。
動揺している様子の梶にゆっくり歩み寄って、シャツの袖を掴んでツンと引いてみた。
「冷たくって何だろうな? 俺とする時は、しつこいくらい甘ったるいくせに。少なくとも俺は裸で放り出されたことはないし、服だっていいって言うのに、いつも着せてくるし……」
「待って、待ってくれ。違うんだ、確かに俺は最低なことをしてきたが……あの頃は色々とおかしくて……未春に出会ってやっとまともに戻れたというか……」
汗を流してしどろもどろになっている梶がますます可愛く思えてしまった。
クスリと笑った佐倉は、梶の胸元に顔を寄せてシャツの上から唇を寄せた。
「冷酷な氷王子」
「な、なんだ、それは……」
「自分の部屋でしかヤレないってなんの話だ?」
「あっ……あの女……そんなことまで……」
教えてくれるまでやめないぞという意味を込めて、下半身を押し付けていやらしく揺らした。
こういう時、自分は攻めだったなと佐倉は思う。可愛らしい梶の顔を見たら自然と体が動いてしまった。
真っ赤になった梶は熱い息を吐いて、まるでイキそうになったみたいにビクビクと腰を揺らした。
「まっ、待ってくれ。未春と触れ合うの……久しぶりだから、やばい……匂いが……興奮して頭がおかしく……」
「興奮してるのか。可愛いな」
「くっ……未春っ」
涙目できっと睨まれたが、もう本当に可愛いとしか思えなかった。
下剋上してやった気分だったが、しかしここは、ちゃんと話してもらわなければいけない。
佐倉は梶のシャツの胸元をぎゅっと掴んだ。
「何を聞いても受け止めるからさ。早く話せよな」
もっと赤くなった梶は目を泳がせた後、覚悟を決めたみたいに息を吐いて佐倉の腕を掴んだ。
「こっちだ……見せるから」
そう言って梶に引かれて連れてこられたのは、リビングを出て廊下の突き当たりにある部屋だった。
漆黒の扉を開けると、そこに見えた光景に佐倉は思わず息を呑んだ。
「こ……これは………」
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