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①
しおりを挟む人生とは思い通りにいかないことの連続だ。
富や名誉、絶世の美女に囲まれた酒池肉林のハーレム。
誰もが望んだって、手にできるわけではない。
思うだけなら誰にでもできるが、望んだことを叶えるとか手に入れるとか、そんなことができるのはこの国の皇帝くらいだろう。
権力の頂点、太陽と呼ばれ、崇め奉られる存在。
俺はそんな人生はハッキリ言ってごめんだ。
皇族、貴族の争い。
食うか食われるかみたいなその中心にいるのなんて、息が詰まって立っているだけで死ねる。
まあ、そういう意味では俺は自分が望んだものを手に入れることに成功した、この帝国では数少ない人間の一人になったと言えるだろう。
そう、これから始まるのは、殺伐とした権力争いでも、皇帝の愛を巡っての愛憎ドラマでもない。
元貴族、今は平民落ちした俺の自由気ままなスローライフ。
ここまで来るのにそれなりに苦労はしたが、何とか自分の望み通りの人生を勝ち取ったのだ。
今の俺の名は、テンペランス・カラン・ヴィーヴル。
名乗るだけで、舌を噛みそうなこの世界で、ようやく自分の人生がスタートするのだと、心の中で笑いが止まらなかった。
◇◇◇◇
もう何日も同じ景色を眺めながら、ガタガタと揺れる悪路に苦しめられて、尻と腰に致命的なダメージを負いながら俺は馬車に乗っている。
片側はどこまでも続く平原、片側は鬱蒼とした森。森に沿って作られた道をひたすら馬車は走り続けている。
馬車と言っても、貴族が使うような立派なものではない。
痩せた馬に、年老いた御者、屋根のない荷台に乗せられて、荷物として持つことが許されたのは鞄一つのみ。
そんな俺の行く末を心配して、隣で泣きそうな顔をしているのが、見届け人として同行を許されたアルモだ。
今まで従者として、身の回りの世話をしてくれていたので、最後も自分が行くと申し出てくれた。
日に焼けた肌にそばかすがよく似合っているが、いつも元気でお喋りなくせに、ここに来るまでずっと無言だった。
「俺の負けだ。そろそろ話をしてくれてもいいだろう」
我慢比べをしていたわけではないが、気まずい沈黙に耐えきれず、俺の方が先に口を開いた。
アルモは下を向いていたが、やっと顔を上げた。
「どうしてこんなことに……僕は今でも納得ができません」
「仕方ない、すべて自分の身から出た錆、自業自得ってやつだ。温情をいただけたことに感謝するべきだ」
「そっ……そんな! ですが! あの方が言ったことはほとんどっっ」
まるで弟のように思ってきた可愛いアルモを騙すのは忍びないが、話を聞いている御者は味方ではないので本音を話すことはできない。
俺は口元に指を立てて、それ以上はダメだという顔をした。
「あの方、のことはもう口に出してはいけない。もう目にすることもできないお方だ。俺はただ、幸せを心から祈っているだけだよ」
「テンペランス様……」
「その名も仰々しいな、これからはランと名乗ることにしようかな」
俺がそう言うと、アルモはいっそう悲しい表情になって下を向いてしまった。
思えば様々な思惑が飛び交う気の抜けない世界で、アルモだけは心が休まる相手だった。
そんなアルモにも言えないことはたくさんあった。
まず第一に、俺は元からこの世界にいた人間ではない。
憑依者である、ということだ。
遡ること一年前、この世界で生きる、テンペランスに俺は憑依した。
しかもこの世界は俺がよく知っている世界であったのだ。
前の世界での自分についての記憶は曖昧だ。
男であったが名前は思い出せない。
平凡な大学生で、何か事故に遭ってそこからの記憶はなし、おそらく死んだのだろう。
目を覚まして、別人の体に入っていることにまず驚いたが、そこから元の世界の記憶と今の体の記憶が入り混じってだいぶ混乱した。
ようやく落ち着いた頃に、この体が誰の体であるか、そしてこの世界の全てを理解できた。
鏡に映った自分の容姿を見て、この世界はタイトルは忘れたが、男同士の恋愛をテーマにした西洋風異世界のBLゲームの世界だと気がついた。
そして、今の自分テンペランスは、そのゲームの登場人物だということも。
なぜ知っていたのかと言えば、ゲームが好きだった前世の俺は、ある時、ゲーム会社が募集していたテストプレイのアルバイトに応募した。
採用されて、任されたのがこのBLゲームだった。
てっきりアクションゲームを任されるものだと思っていたのに、全く興味のないBLゲームに勘弁してくれと思ったが、仕事なのでキッチリやった。
全攻略対象者のルート、ノーマル、バッドエンドルート、全てやり込んで、操作性や問題点などをレポートにまとめたくらいだ。
だからこのゲームの世界のことは、細かいことまでしっかり頭に入っていた。
ゲームの舞台は、アンヴァンシーブル帝国、帝都にある帝国貴族学校。
いわゆる学園モノのBLゲームで、その作りはよくある設定と内容で、特に他と比べてこれといった特徴的なものがない作品だった。
ベースとしては、女性はいるが数は少なく、人口のほとんどが男で、男性同士での結婚や子を成すことも可能な世界。
主人公は、誰もが心を奪われる可愛らしい容姿で、平民であったが男爵家に拾われて養子となる。貴族学校に入学し、その可愛らしさと明るい性格で、次々と周りの男を虜にしていく。
つまり、誰を落とすかという恋愛攻略ゲームだ。
メインルートはこの国の第一皇子であるフィエルテ皇子。
様々な困難を乗り越えて結ばれ、ハッピーエンドとなる。
そんなゲームで俺が憑依したキャラクターは、フィエルテルートで活躍する、悪役令息のテンペランスだった。
そのことに気がついた時には、どうしたらいいかと頭を抱えた。
どうしたって悪役なのだ。
立ち位置は帝国で最も金と力を持つとされる公爵家の次男、そしてフィエルテの婚約者。
幼い頃からフィエルテの皇妃となるべく、厳しい教育と訓練を受け育ったが、後から登場した主人公にあっという間に皇子の心を奪われてしまう。
怒り狂い、主人公に嫌がらせをして苦しめ、最後は人を使って、主人公を殺そうとした罪で投獄される悲劇の人だった。
そして最後の卒業式シーンで、フィエルテはテンペランスを断罪して婚約破棄を言い渡す。
他の攻略者たちは、テンペランスを罪の証拠を集め、一緒になって断罪する。
ラストシーンではその場でフィエルテが主人公にプロポーズ、ようやく結ばれてハッピーエンドとなる。
ゲームとしては悪役令嬢モノから引っ張ってきた、二番煎じどころか百番煎じぐらいの使い古された設定で、変わり映えしないお決まりのラストだ。
どうやら二度目の生きる機会をもらえたらしいが、悪役として消えていく人物だということに最初はひどく動揺した。
しかし物は考えようだ。
クヨクヨしていても始まらない。
ゲームの全てを知っている、というのは俺に与えられたチート能力で、これほど強い力はないと考えた。
俺が憑依した時点でゲームは既にスタートしていて、皇子、他攻略者たちの心は主人公にあった。
今さらどうあがいてもこの関係を変えることなどできない。
俺は予定通り悪役令息を演じたが、シナリオでは徹底的にやったテンペランスとは違い、やり過ぎないというところに重きを置いた。
パーティーで取り巻きを利用して嘲笑しても、ワインは頭からかけないとか、ベッドの中に毒虫や毒蛇ではなく、ヒヨコを入れておくなど。
転ばせたりするにしても怪我をしない程度を心がけた。
細心の注意を払って、ちくちくとした嫌がらせに留めた。
結果、俺の作戦は成功した。
断罪シーンでは、攻略者達が俺の数々の悪行の証拠を晒していくのだが、大したものはなく、決定打となる殺害未遂も、ただ川に落とした、しかも足がつく深さの場所だったという、これまた微妙な悪行になった。
しかしシナリオシステムというのは、どうしてもその方向に無理矢理にでも進むらしい。
俺は予定通り断罪されたが、みんなどんな罰を受けさせようか悩む事態になってしまった。
シナリオでは投獄だったが、どう考えてもそこまでの悪行ではなく、どうしようかと断罪中に攻略者同士が話し合いを始めてしまった。
そこで俺は自分から考えていた罰プランを披露することになった。
「ううぅ……公爵家からは廃嫡、平民に落ちて、辺境のど田舎に追放、教会に一生奉仕すること……なんて恐ろしい罰」
「なかなかいいだろう、処刑とか投獄されるよりよっぽど軽い罰だ」
目に涙を浮かべて、悔しそうにハンカチを噛んでいるアルモの背中をポンと撫でた。
下を向いていたアルモは、またぐわっと勢いよく顔を上げた。
「そもそもっ! 罰を受けるようなことですか!? あの、ジョリとかいう男爵令息! 礼儀も作法もなってないし、婚約者のいる皇太子殿下に気軽に近づいて……どう考えても無礼なのはアチラですよ! テンペランス様は貴族としての心得を説いて窘めていただけなのに……」
「んー……まぁ、それがテンプレっていうか……」
「はい!? なんですか?」
「いや、その……、俺はこの処分で満足しているからさっ、あんまり暗くならないで」
俺がそう言うと、自暴自棄になっている可哀想な人という目で見られて、アルモはまたガックリと項垂れてしまった。
そう、世の中、自分の思い通りになんてなかなかいかないものだ。
……だが。
時には上手くいくこともある。
子供時代に憑依したわけではなく、すでに何もかも成長しきった十七歳。
一年後に婚約破棄と断罪シーンを控えていて、ここから人間関係の修復は不可能。
ならばシナリオ通り進めて、自分のラストだけはちゃっかり変えることを選んだ。
つまり今のこの状況は、俺が思い願った通りになった。
ややこしい貴族の世界からは縁を切り、田舎でのんびりスローライフ!
これこそ、憑依後、この世界で俺が目指してきたその後の人生なのだ。
それに、ここはBLゲームの世界なので男同士の恋愛とかからも距離を置きたい。
色々と奪われたが、そんなものはどうでもいい。
ど田舎に、それなりの家を用意してもらっている。
こんなに恵まれた罰はあるだろうか。
悲嘆に暮れるアルモには悪いが、さっさと服を脱ぎ捨てて叫び出したいくらいの開放的な気持ちになっていた。
「あそこです。村が見えてきましたよ。あれが辺境ど田舎村です」
御者が指差した先には、ぽつぽつと家が建っていて、やっと集落が見え始めた。
そのネーミングどうにかならないのかと思いながら、俺はこれから始まるハッピーエンドのその後の世界に、溢れそうな期待で胸を膨らませていた。
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