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第一章
⑱動き出した針
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サロンでの集まりの翌日。
放課後のティータイムで、フェルナンドはひどく不機嫌だった。
気のせいでもなく、始終むくれている気がする。
作戦会議に自分だけ不参加だったことが、気に入らなかったのだろうか。
「フェルナンド、お茶の味が気に入らなかったのですか?」
「お茶は美味いよ、リリアンヌが入れてくれて不味いわけがない」
「そうですか……」
フェルナンドは何か物言いたげな視線を送ってくる。
「私が気に入らないのは、なぜリリアンヌを駆り出すのかというところなんだよ」
「それは、ある程度、エリーナとアルフレッド様と交流があって、事情を分かって動ける者でないと…」
「それはそうなんだけど、だか、しかし、だけど、それが、あれで、これが、それで…」
フェルナンドが壊れたみたいに、ブツブツと言っているので、リリアンヌはムッとした。
「なんですか。はっきり仰ってくれないと分かりませんよ」
フェルナンドがまた、むくれた子供みたいな顔をした。また始めに戻った。
「リリアンヌ」
名前を呼ばれて手招きされた。
あの合図だ。
フェルナンドが、もっとお互いを知り合えるようにと提案した事で、リリアンヌがフェルナンドのすぐ隣に座るというやつだ。距離が近くて恥ずかしいと訴えたが、上手く丸め込まれてやることになった。
すごすごと、フェルナンドの隣に座ると、横から抱きしめられた。
「心配なんだよ。リリアンヌが怪我でもしたら、かすり傷一つでも私は許せないんだ」
肩口に顔をうずめるフェルナンドの表情はうかがいしれない。
「フェルナンド、あまり、心配なさらないでください。剣は無理ですが、護身術には覚えがありますし、もし不届き者がいたら、この私が!」
「こら!」
フェルナンドがリリアンヌの頬をむぎゅっと掴んだ。
「ふっるふぁんほほたま」
当然、鳥のくちばし状態で上手く喋れない。
「それが心配なんだよ。約束して、無茶はしないって。怪しいヤツが来たら、私か、アルフレッド達にすぐ知らせること!」
フェルナンドはリリアンヌの頬を掴んだ手を離し、さらさらとした金色の髪を撫でて、毛先をくるくると回した。
「はい、その様にします」
リリアンヌがそう言うと、フェルナンドもにっこりと笑った。どうやら、機嫌は治ったようだ。
しばらくゆっくりしてから、仕事が残っているフェルナンドとそこで別れた。
帰り際、急に冷たい風が吹いてきた。リリアンヌが空を見上げると、厚い雲がいまにも青い空を飲み込もうとしていた。
□□□
「そう、それじゃ、エリーナに関してはかなり警戒されているようだね」
薄暗い部屋。グラスにトクトクと液体が注がれ、満たされると男は指先でグラスの縁をなぞった。
「はい。毎日誰かしら側にいて、一人になることはありません」
真っ黒な影の中から、もう一人の男の声が聞こえた。
「そうかぁ、さすがに警戒してきたね。ふふふっ、アルフレッドが絶望に歪んだ顔早くみたいな」
男は優雅にグラスの液体を飲み干すと、また新たに注いだ。赤い色をした液体は微かに差し込む光に照らされてテロテロと光った。
「そういえば、エリーナの護衛役に、先日の令嬢がついています」
「ああ、彼女については何か分かった?」
「アレンスデーンの方ではほとんど情報がありませんでした。病弱でほとんど家にこもり、外へ出ることなく生きてきたようです。派手な噂も一切ありません」
「へぇー、見た目と違って、品行方正じゃないか」
「唯一、語られているのは、珍しくパーティーに出た際、数人の男に襲われたそうです。しかし、護身術を使って全員倒したらしいですね。気軽に手は出せないと噂になっていました。目立った情報はそのくらいです」
「へぇー、やっぱり面白いなぁ。そういえば僕はあの男も気に入らないんだ。いつも嘘くさい笑顔を振りまいて、頭の中では何を考えているか。そうだね、彼女は使えるかも。ふふふっ」
男は可笑しくてたまらないというように、ケラケラと笑い続けた。
「では、例の件は揃い次第始めます」
「ああ、任せた」
影は再び闇に堕ちていった。
男は室内に満ちた沈黙を、グラスの液体をとともに飲み干す。
「さて、もうすぐ時は満ちるね。みんなどう踊ってくれるかな、僕は楽しみで仕方がないよ」
僅かに差し込んでいた光が雲に隠れ、やがて完全な闇が辺りを包んだ。
□□□
先程まで晴れて日が差していたが、急にどんよりとした雲が広がり、辺りは薄暗くなってしまった。
「嫌な空ね…」
今にも雨が落ちてきそうな空を見て、ローリエは呟いた。
エリーナを宿舎へと送りとどけ、自分の宿舎へと帰るところだ。
リリアンヌにジェイド王子の事を聞いてから、ローリエも独自に調べを進めていた。
それでなくとも、最近は嫌な気配を感じていたのだ。
実害はないのだが、じわりじわりと侵食されていくような、何とも言いがたい空気だ。
分かりやすい変化は、ジェイドの信者だ。誰が始めたかも分からないが、ジェイドを心酔する者が増えてきた。
それは、ローリエのような上位の貴族に多い気がする。
学園という場所は、貴族社会の縮図であるし、ないものでもある。つまり、上下関係は存在するが、王子から男爵位まで、同じ箱に押し込まれるのだ。ほとんど特別待遇はない。
それを好機と捉える者もいるが、甘い露を飲んで生きてきて、いきなりの集団生活だ。
爵位の優劣で、優遇されてきた者ほど、心の中でかなりの反発を持っている。
(そこに、上手く入り込んで来たわね)
今までは、生徒会の抑止力で問題なく収まってきた。いや、反発を利用しようとする者がいなかった。
ジェイドのような、人を操るのが上手い者はそのピースにぴったりと当てはまる。
そして、ジェイド王子には、アルフレッド王子と深い因縁がある。
(このまま何事もなく、とはいかなそうね)
それに、もう一つローリエには気がかりな事があった。確信はないが、どうにも拭いきれない。
ポツリポツリと雨が落ちてきて、雨粒の一つが鼻の頭のてっぺんに落ちた。
リリアンヌが鼻の頭に雨粒が落ちると願いが叶うよと言った事を思い出した。
ずいぶん面白いことを言うと思った。
初めはローリエの勘違いから始まった関係だが、今ではすっかり親友になった。
仲が良すぎて、時折殿下の羨ましそうな視線を感じる。もちろん、そういう時は、思いきりリリアンヌに抱き付いて可愛がってみる。
さすがに例の攻撃を女性には放ってこないので、これは女友達の特権である。
しかし、この女友達は、時折、大変無鉄砲な行動をする事がある。
ジェイドと出会ってしまったのも計算外だ。
リリアンヌには求心力がある。
何かしら興味を持たれてしまったのは確実だ。
「わたしが守らないと」
先ずは、今ある懸念から消していかなくてはと考え、降りだした雨の中、ローリエは歩き出すのであった。
□□□
放課後のティータイムで、フェルナンドはひどく不機嫌だった。
気のせいでもなく、始終むくれている気がする。
作戦会議に自分だけ不参加だったことが、気に入らなかったのだろうか。
「フェルナンド、お茶の味が気に入らなかったのですか?」
「お茶は美味いよ、リリアンヌが入れてくれて不味いわけがない」
「そうですか……」
フェルナンドは何か物言いたげな視線を送ってくる。
「私が気に入らないのは、なぜリリアンヌを駆り出すのかというところなんだよ」
「それは、ある程度、エリーナとアルフレッド様と交流があって、事情を分かって動ける者でないと…」
「それはそうなんだけど、だか、しかし、だけど、それが、あれで、これが、それで…」
フェルナンドが壊れたみたいに、ブツブツと言っているので、リリアンヌはムッとした。
「なんですか。はっきり仰ってくれないと分かりませんよ」
フェルナンドがまた、むくれた子供みたいな顔をした。また始めに戻った。
「リリアンヌ」
名前を呼ばれて手招きされた。
あの合図だ。
フェルナンドが、もっとお互いを知り合えるようにと提案した事で、リリアンヌがフェルナンドのすぐ隣に座るというやつだ。距離が近くて恥ずかしいと訴えたが、上手く丸め込まれてやることになった。
すごすごと、フェルナンドの隣に座ると、横から抱きしめられた。
「心配なんだよ。リリアンヌが怪我でもしたら、かすり傷一つでも私は許せないんだ」
肩口に顔をうずめるフェルナンドの表情はうかがいしれない。
「フェルナンド、あまり、心配なさらないでください。剣は無理ですが、護身術には覚えがありますし、もし不届き者がいたら、この私が!」
「こら!」
フェルナンドがリリアンヌの頬をむぎゅっと掴んだ。
「ふっるふぁんほほたま」
当然、鳥のくちばし状態で上手く喋れない。
「それが心配なんだよ。約束して、無茶はしないって。怪しいヤツが来たら、私か、アルフレッド達にすぐ知らせること!」
フェルナンドはリリアンヌの頬を掴んだ手を離し、さらさらとした金色の髪を撫でて、毛先をくるくると回した。
「はい、その様にします」
リリアンヌがそう言うと、フェルナンドもにっこりと笑った。どうやら、機嫌は治ったようだ。
しばらくゆっくりしてから、仕事が残っているフェルナンドとそこで別れた。
帰り際、急に冷たい風が吹いてきた。リリアンヌが空を見上げると、厚い雲がいまにも青い空を飲み込もうとしていた。
□□□
「そう、それじゃ、エリーナに関してはかなり警戒されているようだね」
薄暗い部屋。グラスにトクトクと液体が注がれ、満たされると男は指先でグラスの縁をなぞった。
「はい。毎日誰かしら側にいて、一人になることはありません」
真っ黒な影の中から、もう一人の男の声が聞こえた。
「そうかぁ、さすがに警戒してきたね。ふふふっ、アルフレッドが絶望に歪んだ顔早くみたいな」
男は優雅にグラスの液体を飲み干すと、また新たに注いだ。赤い色をした液体は微かに差し込む光に照らされてテロテロと光った。
「そういえば、エリーナの護衛役に、先日の令嬢がついています」
「ああ、彼女については何か分かった?」
「アレンスデーンの方ではほとんど情報がありませんでした。病弱でほとんど家にこもり、外へ出ることなく生きてきたようです。派手な噂も一切ありません」
「へぇー、見た目と違って、品行方正じゃないか」
「唯一、語られているのは、珍しくパーティーに出た際、数人の男に襲われたそうです。しかし、護身術を使って全員倒したらしいですね。気軽に手は出せないと噂になっていました。目立った情報はそのくらいです」
「へぇー、やっぱり面白いなぁ。そういえば僕はあの男も気に入らないんだ。いつも嘘くさい笑顔を振りまいて、頭の中では何を考えているか。そうだね、彼女は使えるかも。ふふふっ」
男は可笑しくてたまらないというように、ケラケラと笑い続けた。
「では、例の件は揃い次第始めます」
「ああ、任せた」
影は再び闇に堕ちていった。
男は室内に満ちた沈黙を、グラスの液体をとともに飲み干す。
「さて、もうすぐ時は満ちるね。みんなどう踊ってくれるかな、僕は楽しみで仕方がないよ」
僅かに差し込んでいた光が雲に隠れ、やがて完全な闇が辺りを包んだ。
□□□
先程まで晴れて日が差していたが、急にどんよりとした雲が広がり、辺りは薄暗くなってしまった。
「嫌な空ね…」
今にも雨が落ちてきそうな空を見て、ローリエは呟いた。
エリーナを宿舎へと送りとどけ、自分の宿舎へと帰るところだ。
リリアンヌにジェイド王子の事を聞いてから、ローリエも独自に調べを進めていた。
それでなくとも、最近は嫌な気配を感じていたのだ。
実害はないのだが、じわりじわりと侵食されていくような、何とも言いがたい空気だ。
分かりやすい変化は、ジェイドの信者だ。誰が始めたかも分からないが、ジェイドを心酔する者が増えてきた。
それは、ローリエのような上位の貴族に多い気がする。
学園という場所は、貴族社会の縮図であるし、ないものでもある。つまり、上下関係は存在するが、王子から男爵位まで、同じ箱に押し込まれるのだ。ほとんど特別待遇はない。
それを好機と捉える者もいるが、甘い露を飲んで生きてきて、いきなりの集団生活だ。
爵位の優劣で、優遇されてきた者ほど、心の中でかなりの反発を持っている。
(そこに、上手く入り込んで来たわね)
今までは、生徒会の抑止力で問題なく収まってきた。いや、反発を利用しようとする者がいなかった。
ジェイドのような、人を操るのが上手い者はそのピースにぴったりと当てはまる。
そして、ジェイド王子には、アルフレッド王子と深い因縁がある。
(このまま何事もなく、とはいかなそうね)
それに、もう一つローリエには気がかりな事があった。確信はないが、どうにも拭いきれない。
ポツリポツリと雨が落ちてきて、雨粒の一つが鼻の頭のてっぺんに落ちた。
リリアンヌが鼻の頭に雨粒が落ちると願いが叶うよと言った事を思い出した。
ずいぶん面白いことを言うと思った。
初めはローリエの勘違いから始まった関係だが、今ではすっかり親友になった。
仲が良すぎて、時折殿下の羨ましそうな視線を感じる。もちろん、そういう時は、思いきりリリアンヌに抱き付いて可愛がってみる。
さすがに例の攻撃を女性には放ってこないので、これは女友達の特権である。
しかし、この女友達は、時折、大変無鉄砲な行動をする事がある。
ジェイドと出会ってしまったのも計算外だ。
リリアンヌには求心力がある。
何かしら興味を持たれてしまったのは確実だ。
「わたしが守らないと」
先ずは、今ある懸念から消していかなくてはと考え、降りだした雨の中、ローリエは歩き出すのであった。
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