四角い世界に赤を塗る

朝顔

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② 悪魔の囁き

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「何をふざけたことを……。俺はガッシュの一番弟子を五年やったんだ。知っているもなにも、美術界の人間なら、それがどういう意味かみんな分かっている」

 突然家に入って来た男は、ロランが怒って声を張り上げるのを、ニヤけた顔で見ていた。

「なるほど、落ちぶれても矜持だけは残っているようだな。そのおかげで死ねずに生きているのか」

「……なにが言いたい?」

「なぁに、喧嘩をしに来たわけじゃない。仕事の依頼だよ。貴族の御子息に、絵を教えてもらいたい」

「は? 絵の……教師だって?」

 あまりに予想外のことを言われたので、怒りがどこかへ飛んでしまった。
 ロランは、ついに変な幻でも見ているのかと、自分の頭を疑った。

「何もおかしいことはないだろう。アンタは落ちぶれているが、いちおう画家だ。今だって、そのボロボロの画材を持って、通りで似顔絵を描いているんだから」

「……それしか金を稼ぐ方法を知らないんだ。おかしいだろう! 貴族の子供の教師だぞ、こんな肥溜めみたいなところに住んでる、貧乏画家に声がかかるはずがない。向こうからお断りされる」

「まぁ、それが……。色々と訳ありでねぇ」

 男はそう言いながら、机の上に置いた袋から金貨を取り出して、ロランに見せつけるように手の上に乗せて転がし始めた。
 再び、ごくりと唾を飲んだロランは、仕方なく、近くの椅子に座った。

「アンタ、ギャンブルでそうとう負けたらしいな。グロニのところに借金があるんだって? しかも、他の金貸しからも追われている。こんな暮らしじゃ、返せないだろう。グロニは、命を取るだけじゃすまないぞ。四肢を切って、それでも死ねないようにして、じわじわと……、そんな風に死にたいのか?」

 自暴自棄になった数ヶ月で、それまで稼いだ金は全て消えてしまった。
 それからは、借金を繰り返し、似顔絵描きで稼いだ金は全て酒に消えていた。
 このまま生きていても、まともな暮らしはできない。
 目の前で金貨を見せられたら、喉から手が出るほど欲しいと思ってしまった。
 あれだけあれば、一生遊んで暮らせる。
 こんな借金に追われることもなく、クソみたいな暮らしや、もう描きたくもない絵からオサラバできる。

 黙り込んだロランを見て、話を聞く気になったな、と言って男はニヤッと笑った。

「俺はバロック。こう言った話の仲介をやっている、何でも屋みたいなモンだ。依頼人については、明かせない。あまり、考えないことだ」

「金さえもらえればどうでもいい。ワケありというのは、どういうことだ?」

「絵を教えるのは、普通にやってもらってかまわない。ただ、坊ちゃんと仲良くしてもらいたいんだよ」

「それのどこが……」

「仲良くってのは、男を教えてやってほしいってことだ。分かるだろう?」

「は!? 何を言ってるんだ? 子供相手にそんなバカなことを!!」

 ドンっと机を叩いてロランが身を乗り出すと、バロックは、まぁ聞いてくれと言って手を胸の前で広げた。

「坊ちゃんの歳は二十三だ。成人はしている」

「なんだ……てっきり……、そいつは男に興味があるのか? それなら、絵を学ぶなんて回りくどいことをしないで、専門家に来てもらえよ」

「興味があるかどうかは分からん。ほとんど外部の人間と接触しないから、女の経験もないし、そもそも恋愛の経験すらないだろうな」

「深窓のご令息への性指南ってやつか? 悪いことは言わない。経験を積むために男を使うのは、妊娠したら困るからだろうけど、未経験の男が安易に足を踏み入れたら、二度と女が抱けなくなるかもしれない」

 性的指向で悩んでいるわけでないなら、あまりに短絡的な選択だと思った。
 ロラン自身は自分で選択した道なので、何も言えないが、後悔がないと言えば嘘になる。
 ましてや、他人が良かれと思ってなどと、そんな理由で背中を押すなんて絶対にだめだと思った。

「それでいいんだ」

「はぁ!?」

「それが本当の依頼だ。お前は、絵の教師としてある貴族の令息に近づく。授業はおかしいと思われないように普通にやれ。そのうち慣れれば、監視の目が緩むはずだ。そこで令息に性的な面でもレッスンを始めろ。上手くやって、男を受け入れる体にするんだ。男の味を覚えさせて、子孫を残せないようにする、それが目的だ」

「ご……強姦しろって言うのか!? だいたい性的なレッスンって、いくら世間知らずと言っても、拒否するだろう! 貴族に対する不敬罪で捕まる。上手いことやれなれなんて無謀すぎる」

「上手く丸め込むんだ。相手は立派な成人の男だが、頭は子供だ」

「なっ……!! 何だって!?」

「そういう家系なんだ。体は成長するが、精神的な成長が遅い子がたまに生まれる。専門家じゃないから年齢とかは分からん。それなりに会話はできるが、中身は子供と言っていい。過去の例から見ると、死ぬまでそのままだった場合と、後から急に成長する場合があるらしい」

 バロックが何を言っているのか、理解が追いつかなくて、ロランはパクパクと口だけを動かしたが、言葉が出てこなかった。
 やはり奇妙な夢かもしれないとまた思ってしまった。

「多少気難しいところはあるが、子供だから、仲良くなれば言いくるめられるだろう。何しろ、友人もいないと聞くから、遊び相手に飢えているはずだ。友人のように仲良くなり、行為を嫌がったら友達をやめると言って脅すんだ」

「…………最低だ」

「元ガッシュの工房にいた経歴があって、ソッチの経験も豊富だろ? 五年も一番弟子だったわけだから。それでいて、金に困っている男、これはお前にしかできない仕事だ。最悪、逆になってもいい、とにかく男を覚えさせるんだ。種を残せないように」

「ふざけんな! そんなに気に入らないやつなら、刺客でも送って始末してもらえよ。その方が確実で安くすむはずだ。俺はそんなことはやりたくない!」

 そう言ってロランはバロックを睨みつけて、立ち上がった。
 貴族の争いなんかに巻き込まれるのはごめんだった。
 自分達で解決してくれと、鼻息を荒くして叫んだら、次の瞬間、ガタンと椅子が転がる音とともに、大きな手が伸びて来て、ガッと喉元を掴まれた。

「ゔ……ぐゔゔっ……」

「画家先生よぉ、アンタ選べる立場じゃないんだわ。この話を知ってしまったんだ。断っても、どの道命はない。このまま、グロニの所へ連れて行ってやってもいいんだぜ」

 嵌められたと思った時は遅かった。
 おそらく家に入って来た時から、こうするつもりだったのだろう。この男の方が一枚も二枚も上手だ。
 しかもロランはほとんど食べていないので、押し返して逃げれるような力がない。

「この……外道……、悪魔め……」

「何とでも言ってくれ。俺も仕事なんだ。上手くやれば金がガッポリ入ってくるんだ。そこまで悪い話じゃないだろう。ゲロ臭い廃人を助けてやろうっていうんだ。感謝してほしいくらいだぜ」

 それじゃあ本格的に説明に入ろうと言って、バロックは歯を見せてニヤリと笑った。
 悪魔に見下ろされたロランは、喉を締める手からは解放されたが、力なく床に崩れ落ちた。
 悪夢のような人生はどこまで続くのだと、絶望を噛み締めた。




 

 どこまでも続くように思える長い廊下を歩く。
 窓から心地よい風が入ってきて、ロランの髪を揺らした。
 ロランの目には、ピッチリと乱れのない黒々とした燕尾服の背中が見えている。
 真っ白になった頭とのコントラストが美しいとさえ思える。
 顔に刻まれた皺から、かなりの歳だとは思うが、しっかりした足取りと、少しもブレることのない体を見ると、とても老いた人には見えない。
 ヨロヨロ歩いているロランの方が、年寄りに見えてしまう。

「歩きながらで申し訳ございません。確認したいことがございまして、よろしいですか?」

「は……はい」

「ロラン様は、現在二十八歳。十八で王立美術学校を卒業して、ガッシュ工房で五年働いたということで間違いないですね?」

「ええ、間違いありません」

 全て経歴書に書いて事前に提出済みだが、口頭でも確認するらしい。
 この男は聞いていた通り、服装と同じキッチリした性格のようだ。

「こちらでも調べさせていただきましたが、工房との契約が切られたのは、ガッシュ氏に対する名誉を傷つける行為があったとか?」

 ピタッと足が止まり、向けられた話は予想していたものだった。
 心臓がビクッと揺れて、キシキシと痛んだ。
 かつて味わった痛みが、針のようになって再びロランの心臓を突き刺した。

「あの……それは……その……、師弟の芸術に対する方向性の違いと言いますか……」

「こちらとしては、その辺りのことを問題視するつもりはありません。きちんと仕事が出来る方ならそれでいいのです。この五年はずっと外国におられて、先月帰国されたとか?」

「はい、自分を見つめ直す旅に……。こちらに戻って、仕事を探していて、斡旋所からこの話を聞きました」

 話しながら、よく言うよと頭の中でもう一人の自分が呟いた。
 事前に決めてた話だったが、ギャンブルに借金、飲んだくれの最低男が何を見つめ直すのかと、心の中で笑ってしまった。

「先ほどもお話ししましたが、色々と難しいお方です。もし、気に入られなければ、ロラン様の実力とは関係なく、そこで契約を終了させていただきます」

「ええ、理解しました」

 背中を丸めながら、ロランが答えると、執事のルーラーは振り返ってロランの方を見ていた。
 まるで穴が開くかのように、ロランを上から下までじっと見てから、ルーラーはぐるりと背中を向けて歩き出した。

 廊下の奥、突き当たりまで歩くと、一番大きな扉があった。
 上質な木で作られた重厚な扉を、ルーラーがノックすると、コンコンという音がよく響いた。

「お連れしました」

 返事はなかった。
 まるでそれがいつもの合図かのように、ルーラーは静かに扉に手を掛けてゆっくりと開けた。

 いよいよだと思いながら、ロランはごくっと口に入っていた空気を飲み込んだ。





(続)
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