四角い世界に赤を塗る

朝顔

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㉑ 勝機の足音

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 長い間、波の間を漂って、浜辺に打ち上げられたようや気分だった。
 何の音も聞こえないが、穏やかで安らかで、気持ちよくて、このままずっと目を閉じていたかった。
 
 だけど、頭の中で早く起きろともう一人の自分が叫んでいて、ロランはうるさいなと思いながら、だるい気持ちでゆっくり目を開けた。

 厚く引かれたカーテンの隙間から、陽が差し込んでいて、室内をわずかに明るく照らしていた。
 ふかふかのベッドの寝心地に、ロランがまだ寝ていたいと思いながら寝返りを打った時、やけに広いベッドだと気がついた。

「え…………」

 自分の部屋のベッドではないと思った時、ロランはここがダーレンの部屋だと気がついて飛び起きた。
 ダーレンの姿はない。
 昨夜あったことは覚えている。
 ダーレンとベッドで抱き合ったが、その時に血を飲まされた。
 そのまま体が動かなくなって眠ってしまった。

 ロランはベッドから降りて自分の体を見渡した。
 服を着ていて、乱れたところはない。
 口の周りに手を当てたが、サラリと乾いていて、綺麗にしてもらったのだと気がついた。
 そのまま目線を上げると、カーテンから光が溢れていて、大事なことを思い出した。

「あっ!! 一族会議!!」

 急いで窓に駆け寄ってカーテンを開けると、外は明るくてすでに陽が高く上っていた。
 傍聴席に座って無理やり発言するつもりだったのに、寝過ごしてしまったのかもしれない。
 慌てて服を着替えたロランは、ダーレンの部屋から飛び出して、会議が行われている部屋に向かって走った。
 離れの近くを通った時に、向かいから走ってきた男がいた。

「おまっ、ロラン! どこにいたんだよ! 探したじゃないか!」

 息を切らしながら、汗だくで走ってきたのはダンだった。
 どうやらロランを探していたらしい。

「会議は?」

「もう始まっているが、まずは見届け人の紹介とか、形式的な挨拶が続いている」

 すでに終わっていたらどうしようかと思っていたが、まだ本題に入っていないと分かって、ロランはホッとして大きく息を吐いた。

「ベロニカ様から、進行によっては、使用人にも証言をさせると言われている。お前は特に、重要な証人になるんだよ。まったく、俺の手を煩わせるなんて……」

 会議場に向かって走ろうとしていたら、そこで顔を上げたダンと目が合った。

「お……お前、どうした?」

「え? 何だよ。早くしないと」

「いや……お前、そんな目をしていた……か?」

 訳のわからないことを言い出して足を止めているダンを見て、ロランはしびれをきらした。
 急げと言ったくせに、のんびり話している暇はない。

「先に行くぞ」

「あ、お……おい」

 会議場の前には、人が集まっていた。
 中に入れない者達もその様子を見たいのか、扉の隙間から中の様子を覗き込んでいた。
 ロランはすみませんと人混みをかき分けて、扉を開けて中に入った。
 会議はすでに始まっていて、見届け人の代表から、前公爵へのお悔やみの言葉が述べられていた。
 傍聴席は円形に設けられていて、その中央になる壇上には、証人が立つ場所があり、その後ろに一族が並んで座っていた。
 ロランはそっと足を進めて、教師と札が下げられている席を見つけて、その一番端に腰を下ろした。
 背の高い人が多くて、ダーレンの姿がよく見えない。
 ベロニカやその子供達と対峙するように、反対側の席に座っている、というところまでは確認できた。


「それでは、本題に移りたいと思います。前公爵、スペンサー氏は、突然倒れてから、意識をほとんど保つことなく眠るばかりだったので、遺言を残しておりません。そのため、王国法に乗っ取り手続きを進めますと、相続権は長男であるダーレン氏に移ることになります」

 会議の進行役は、中立の立場である王家から来た見届け人、国法省のトップである、ヴェンディ侯爵が務めていた。
 ウェンディ侯爵がダーレンを指名すると、人々の視線はダーレンに集まった。

「意義あり。王室認定医師会より、会長をおります、私、レニー・グローブが詳細を報告させていただきます」

 そう言って立ち上がったのは、先日ダーレンを診察に来た、ベロニカ側の医師だった。
 証人台に立って、手を上げた後、自信たっぷりに口を開いた。

「ダーレン氏がホルヴェイン家特有の始祖の血、人魚の血を色濃く継いだ存在であることは、幼少期に受けた検査からも証明されています。それから年を重ね、現在は二十三歳となっておりますが、私が行った、知能試験によると、ダーレン氏の能力は成人を超えるほどには到達しておらず、現時点でも完全体となるにはほど遠く、成人を超えている今、今後は望めないと判断しました。ここに結果をまとめた資料を提出させていただきます」

 流暢に言葉を述べたグローブ医師は、分厚い紙の束を見届け人であるウェンディ侯爵の前に置いた。

「私としては、相続権は次男のブライアン氏が相応しいと考えております。彼は心身ともに健康で、才能に溢れた良き青年であり、問題は何一つありません。私からは以上です」

「分かりました。では、ホルヴェイン家、専属のベネット医師、貴方の見解を教えてくれますか?」

 次に証言台に立ったのはベネットだった。
 長い髪をキッチリと後ろで結んだベネットは、ロランが座る席の方を見て、ニコッと微笑んだように見えた。

「グローブ医師は、医学院の先輩であり、尊敬しておりましたが、このようなことになり、残念です」

「それは、どういう意味ですか?」

「彼のような高名な方でも、金の誘惑には勝てなかった、ということです」

「何だと!! 貴様! 口を慎め!」

 ベネットの発言で、場内は混乱に包まれた。
 グローブ医師は、真っ赤な顔で机を叩いて立ち上がり、ウェンディ侯爵が慌てて、静粛にと声を上げた。

「そもそも、彼の専門は特殊遺伝学ではありません。ホルヴェイン家の特異な体質については、我が家が代々研究をしてきました。それなのに、私が公爵様の専属医師から外されたのは、奥様との諍いがあったからです」

「諍い、とは?」

「私が健康状態を管理していた頃は、特に問題はありませんでした。しかし、奥様が南方医学を学んだという薬学の専門家を家に呼び、滋養強壮に良いという薬草を飲ませ始めた頃から、公爵様の体調はおかしくなりました。私は何度も、診せてほしいと訴えましたが、役立たず扱いで担当から外されました。その後、公爵様は寝たきりに……」

「全部妄想です。能力がないから解雇されたことを逆恨みして、代々ホルヴェイン家に仕えていたと言っても、この女は無能だったと言うことです」

 話が不穏な方向へ進んでいき、ザワザワとみんなが騒ぎ始めた。
 グローブ医師が立ち上がり、ベネットを睨みつけたところで、ウェンディ侯爵は、パンパンと手を叩いて、話を戻しましょうと言った。

「大事なところをまだ話していませんね。ベネット医師、貴方から見て、ダーレン氏は問題ないということでしょうか?」

「ええ、そのように思います」

「はっ、どう見ても子供のままだ。あれのどこが問題ないと言うのだ!!」

 ついに立ち上がったグローブ医師が動き出して、ベネットの方へ向かって行った。
 そこで争いが起きないように警備している兵士が出てきて、グローブ医師の腕を掴んで止めた。
 一気に緊迫する場に、颯爽と立ち上がったのはベロニカだった。
 目に涙を溜めて、もうおやめくださいと言って頭を下げた。

「聞いていられませんわ。夫を亡くしたばかりでこんな……、あの子は私の子ではありませんが、それは目をかけて育ててきました。だからこそ、このような大役を押し付けてしまうのは、あの子にとって苦しいだけだと思うのです。こんな争いからは遠い場所に、空気の良い病院で、しっかりと治療を受けるべきだと思うのです。平和で温かく安らぎのある環境、それこそが、ダーレンにとって最適な場所だと私は考えます」

「つまり、前公爵夫人。貴方の意見では、ダーレン氏は、相続権を放棄して、王家の監視の元、余生は病院で過ごすべきと、そういうことですか?」

「ええ、ダーレンは……幼い故に、自らの危険性について何も分かっておりません。完全体でなければ、血は危険なまま、そして悲しいことに寿命も短い。ここで暮らすのは、あまりにも可哀想です」

 ベロニカの意見に、グローブ医師は顎が外れそうな勢いで頷いていた。
 やはり、考えていた流れの通りに一族会議は進んだ。
 当人達の意見を聞いた後、一族と見届け人で話し合いが行われて、多数決により後継者が決まるそうだ。
 ベロニカの熱演で場の空気は変わった。
 これはブライアンで決まりだろうと、そんな声がコソコソと周囲から聞こえてきた。

「ウェンディ侯爵、ここで証拠を一つ提出してもよろしいですか?」

「ええ、構いません」

 一気にベロニカの方に流れが傾いた時、ベネットが空気を破るように手を上げた。
 ベネットが言っていた勝機。
 きっとそれに当たるものに違いないと、ロランはゴクリと唾を飲み込んだ。
 ベネットから渡された紙の束を、ペラペラとめくって眺めたウェンディ侯爵は、これは! と言って驚愕の顔になった。

「これは、正式な証言書と、証拠のリスト……、本当のことですか?」

 ウェンディ侯爵が何を見ているのか、その取り乱した様子から、誰もが何だ何だと口を開いて、周囲は一斉に騒がしくなった。
 ベロニカ側も予想していなかった展開に、目を開いて動揺している様子だった。
 
「ええ、今頃、本人はすでに出頭しているはずです。専属の薬師であるサイモンという男は、妻であるベロニカ氏の依頼で、公爵様に心臓の機能を低下させる薬を飲ませていました。南方薬では禁忌とされる薬です。ゆっくりと、少しずつ弱っていき、最後は心臓を完全に止めてしまうものです。通常の診察では分からず、死後に血液を調べて、毒の検査をしても、見つからないものです。彼はいつどのくらい飲ませたか、その時の症状や変化、奥様の指示書、薬草の入手ルートから納品リストまで、事細かに記録しています」
 
 場内は騒然となった。
 まさかの病死したはずの公爵が殺された、しかも、その犯人が妻のベロニカという展開に、人々は一斉に立ち上がって、どういうことだと叫び声を上げた。

「ありえない! 嘘よ! 嘘の証拠だわ! だいたい、仮にそうだとして、なぜその薬師は自分から罪を認めたの? ありえないでしょう、悪人が改心したとでも? とんだ茶番よ、捏造だわ! こんなのは嘘よ!」

 ベロニカの言うことは確かにそうだった。
 悪いことをした奴が、素直に罪を認めるなんてありえない。
 ベロニカのことだ。
 自分が行う悪事を手伝わせるなら、絶対に口を割らないような者を選ぶはずだ。
 それなのに、自白して証拠まで提出するなど……

 ここで、会議場の扉が開いて、伝令が入ってきた。
 伝令はウェンディ侯爵の隣に行き、耳打ちして小さな紙を渡した。
 ウェンディ侯爵は頷いて、ご苦労だったと声をかけた。

 「ちょうど今の証言を裏付けるように、連絡が入りました。南方薬師のサイモンが刑罰省に出頭したそうです。公爵殺害の罪を自白したようです」

 場内は混乱から、怒号が飛び交い、ショックから気を失って倒れる者まで出てきた。
 まさに荒れ狂う大嵐の中、ベロニカは違う違うと言って一人で叫んでいた。

「ありえない、なぜ……なぜ………………っっ、ま…………まさか…………」

 何かに気がついたようにベロニカが視線を向けたのは、ダーレンの方だった。
 ロランの前に座っていた人が、興奮し倒れて連れて行かれたために、今度はダーレンの姿がよく見えるようになった。
 ダーレンは椅子に深く腰掛けて、足を組んでいた。
 目を光らせて、口元を指で擦っている姿は、とても幼いと言われていたダーレンには見えなかった。
 あそこに座っているのは誰だろう……
 ロランの心臓はドクドクと鳴り出して、ダーレンから目が離せなくなった。

 最初から仕組まれていたことかもしれない。
 手の上で踊らされていたのは……

「ここからは、私がお話ししましょう」

 そう言って、優雅に立ち上がった人を見て、誰もが言葉を失って息を呑んだ。


 
 

(続)
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