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第一章
④龍の伝説
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この世界は遥か昔、龍が支配していた。
しかし度重なる同族同士の争いで傷つき、数が消えていった龍は、新たに生きる道としてヒトに姿を変えた。
ヒトと交わり、血は徐々に薄れていった。
しかし、龍の血を変わらず受け継く者達もまだ数多く存在する。
龍王の伝説、第一章はこの内容から始まる。
ロドリゴが用意してくれた本を眺めながら、俺はマクシミル家に向かう馬車に揺られていた。
子供向けの本だからと思ったが、よく読めば王家やマクシミル家についても詳しく書かれている。この本が入れられていたのは、読めという事だろう。
通行証を持っているが、地区の移動には審査に時間がかかるので、俺は本をじっくり読み込んで時間をつぶしていた。
龍達の一番上に君臨したのが、白龍と黒龍の二龍だった。
その白龍の血を受け継ぐのが王族や王家の人間で、黒龍の血を受け継ぐのがマクシミル家の一族とされていた。
その他にも高位の貴族であれば、ほとんどが龍の血を受け継いでいる。
龍に姿を変えるなんてことはないが、攻撃力、回復力などで人を超える力を持つ。
嘘か誠かお伽話か、そんなことが書いてあった。
「古龍の血か……」
本を読みながら感想がポロリと口から溢れてしまった。乗合の辻馬車だったので、前に座っていた男性と目が合ってしまった。
「おっ、君も古龍の伝説に憧れているのか。熱心に何を読んでいるのかと思えば、龍王様の伝記だな。俺も子供の頃、夢中になって読んだよ。懐かしい」
目尻に皺を寄せて嬉しそうに微笑んでいだ男は、聞けば商人で貴族の屋敷に注文の品を届けに行くところらしい。
「伝記といっても、子供向けに脚色されたものですよね。まさか……本当に龍の血なんて……」
俺はこの場に来てもまだ半信半疑で、心の中ではありえないだろうと思っていた。
「そりゃ…平民の俺達には想像もできないが、お貴族様の中では当たり前に言われている話だからなぁ…。それに俺は発現を見た事がある」
「本当ですか? 発現って…龍の力を使うところですよね」
「ああ、何をしたのかはよく分からなかったが、その方の目の色が金色に変わって光ったんだ。ありゃ、普通の人間じゃないって、恐ろしくて震えたよ」
男の話によると、貴族同士が揉めているところに遭遇して、その瞬間を見たらしい。火を吹くとか雷を落とすとか、分かりやすい力を見たわけではないそうだ。目の色だけでは光の加減とも言えるので、その話が本当か嘘か俺には判断しかねた。
男は饒舌に自分がやっている店の話をして、ぜひ買いに来てくれと、きっちり宣伝までして途中で馬車を降りて行った。
静かになってからため息をついた。
仕事だ、任務だと考えて、俺は大事なことを頭から追いやっている。
そもそも現実感がないが、自分が招いた行為によって何が起こるか、分からないわけではない。
命を蔑ろにすることになるかもしれない。
それを考えると頭が痛い。
今ならまだ逃げ出す事もできる。
そう思いながら、馬車の窓から外を見ると、見たこともない大きな屋敷が点々と並んでいる光景が見えた。
まるで異界だ。ここはどこなのだろうか。
今まで俺が生きてきた世界とは違いすぎて体は縛られたように固まって動けなくなった。
ロウはとっくに過ぎて、ルネの貴族街を抜けて、大きな邸宅が並ぶ場所まで来てしまった。
もう後戻りはできない。
俺は体を這い回る罪悪感を押し込めて目を瞑った。
その時になって自分はちゃんとできるだろうか。まだ答えは出せそうになかった。
しばらく長い長い塀が続いていたが、やっと大きな門が見えてきて、ここがマクシミル家だよと声をかけられた。
約束の正午過ぎには間に合いそうだったので、ホッとしながら俺は門の前で馬車を降りた。
公爵家の馬車か招待客でもない限り、そのまま入る事はできない。
屋敷まではまだ距離がありそうだが、使用人の俺は徒歩で行く必要があった。
門の警備は、公爵家の騎士達が行っていた。
マクシミル家は貴族の中でも唯一の私兵を持つことが許されている。名前や簡単な質問をされた後、荷物を調べられてから許可が出て、ようやく中へ入ることができた。
細かい砂利で舗装された一本道がうねるように続き、両側は森がどこまでも広がっているように見える。
俺はその中を大きなバッグを抱えてひたすら歩いた。
歩きながら思い出すのはロドリゴとの会話だった。もっと詳しく聞いておけばよかったと、すでに後悔していた。
「マクシミル家の現当主は、カルセイン・マクシミル。アカデミーを出たばかりだから、二十五になったところだろう。彼はとにかく忙しいから、顔を合わせる事はほとんどないと思うが、メイズを溺愛していると聞くからくれぐれも注意しろ」
「分かりました。……でも、妹を溺愛しているなら、側に置く者は厳選しますよね。…よく侍従見習いで潜り込めましたね」
「マクシミル家は当主が変わってから、使用人達をほぼ入れ替えた。屋敷を取り仕切っている筆頭執事は前当主の時代にクビになったヤツらしいが、呼び戻されたと聞いた。公爵は彼を信頼して全て任せているらしい。とにかく人手で足りなくて、そこに上手く入り込めたんだ。周りも慣れていない状態だから緊張する事はない」
「はい……」
「忘れるな。血は少量でもいい。だが、他のものと混ぜてはいけない。理想はカップに入れて飲んでもらうことだ」
「……どうやったらそんな状態に持ち込めるか、見当もつかないですよ」
ため息をつく俺を見ながら、ロドリゴはまぁ頑張れと大きな口を開けて豪快に笑っていた。
いったいどこの誰がこんな依頼をしたのか。
俺が知ることはできないし、上手くいかない未来しか想像できなかった。
「ミケイド・トールス、聞いていますか?」
中指で銀フレームの眼鏡が押し上げられて、キラリと鋭く光ったのが見えて、ボケっと屋敷の中を眺めていた俺は慌てて姿勢を正した。
「す…すみません。壁画に見惚れてしまって……」
口に出してからしまったと自分の頭を叩きたくなった。説明を受けながら聞いていないなんて、初っ端から抜けているのもいいところだ。
厳しい言葉が飛んでくると身構えたら、意外にもその人は嬉しそうに笑った。
先程まで厳しい顔をしていたのが嘘のようだ。
「これはカルセイン様が当主になられた事を記念して特別に作られたものです。真ん中に描かれている鎧を着た騎士はカルセイン様です。剣を高く空に掲げて、黒い雲に覆われた空を切り裂いている場面です。裂かれた空からは光が差し込んで、長く苦しい時代の解放とこれから先の輝かしい未来を描いています。黒い部分には黒曜石をはめ込んで、剣の輝きには……」
目を輝かせながら、壁一面に描かれた壁画を前に、描かれた内容から技法まで嬉々として説明を始めてしまったのは、マクシミル家筆頭執事であるサイラスだ。
シルバーグレイの髪がよく似合う紳士で、歳はかなりいっていそうだが、腰は曲がっていないし、快活に動いてよく喋る人だった。
どうやら家宝を褒められたのが嬉しかったのだろう、仕事の話から離れて、話はついに絵の具の産地にまで及んでしまった。
初対面でどう扱ったらいいか分からず、とりあえずウンウンと必死に話を聞いていたら背後から、おーいと声がかかった。
「サイラスさん、このまま話してたら日が暮れますよ。新人くん、サイラスさんの前で絵の話は禁句よ。仕事にならなくなるから」
ピシッと髪の毛を後ろに引っ詰めて、濃紺のメイド服を着こなしているスラっと背の高い美しい女性だった。
「メイド長のアマンダよ。今日からの新人くんね。ええと…ミケイドだったかしら」
「はい、ミケイド・トールスです。よろしくお願いします」
さっと差し出された手を軽く掴んで握手をした。
サイラスは仕事が次の仕事があるらしく、後はよろしくとアマンダに任せて、喋り過ぎたと慌てて小走りで行ってしまった。
屋敷に着いてすぐ迎えてくれたサイラスに、玄関ホールの横の部屋に通されたので、まだ屋敷のことはほとんど分からない。
アマンダと屋敷の中を一緒に歩きながら、場所の確認と一日の仕事の流れについて説明を受けた。
鬱蒼と生い茂る森の中に突如現れたのは、白亜の大邸宅だった。
石造りで歴史ある外観だが、繰り返しきちんと修繕工事がされているのだろう。どこを見ても綺麗に整った造りになっていた。
とにかく大きい母家の他に、離れも見えただけでも数邸建っていたし、騎士の宿舎や剣術訓練場、使用人用の宿舎も完備されていた。
もっと奥の方へ行けば、厩舎に馬術訓練場もあるらしい。
案内だけで一日あっても足りないくらいなので、アマンダは屋敷内をさらっと歩いて確認したところで、後はその内覚えてねと言われて終わった。
「とりあえず今日は部屋に戻って休んで。お嬢様への紹介は明日行うから。それで、部屋なんだけど……」
「メイド長、私が部屋に連れて行きます。二階の角部屋ですよね」
アマンダがきょろきょろと周りを見渡していたら、通りがかったメイドが声をかけてきた。
赤毛に三つ編み、そばかすが可愛らしい女の子だ。幼さの残る顔から、まだ十代かもしれないと思った。
「ティファナ。よかった、夕食の件で料理長と打ち合わせがあるの。後は頼める?」
「はい、お任せください」
にっこりと微笑んだティファナという女の子だったが、やけにジロジロと俺を見てきたので、なんだろうと身構えてしまった。
さっさと先を歩いて行ってしまうので、俺は急いでティファナの背中を追った。
使用人用の宿舎へ到着して、案内された部屋に入ると、持ってきていた荷物は検査が終わっていて、ベッドの下に置かれていた。
「夕食は一階の食堂で、湯浴みがしたければ、桶を持って一階に取りに来て。明日の朝は早いから、早めに寝るといいわ」
「はい、ありがとうございます」
お礼を言って解放されるのかと思ったが、ティファナは部屋から出ることなく、物言いたげな目をしながら俺を上から下まで見てきて、濃いめのため息をついた。
「……まったく、ロドリゴめ。こんな使えなさそうな男を送りんでくるなんて」
「!? え…もしかして……!」
その名前が出てきたら間違いない。彼女が協力者ということだろう。あまり歓迎はされていない雰囲気を感じた。
「まぁいい。愚鈍ならそれだけ力がない子になるのだからその方がいいのは確かだ。お前、リオだったな。しっかりやれよ。私はお前の監視も兼ねているのだから、余計な事をしたら即始末するからそのつもりでいろ」
「き…君はいったい……」
まだ年若そうな少女とも言える女の子に、とんでもないことを言われて体が固まった。
ティファナはそれだけ言うと、無表情のまま部屋から出て行ってしまった。
とにかく屋敷へまず入り込むことには成功したが、ポツンと一人残されて、体の力が抜けてしまった。
ベッドに倒れるように転がって、低い天井を見上げながら一日のことを思い出していた。
明日からのことを思うと全身が重くなった。
早くと言われたが、考えることだらけでとても眠れそうになかった。
□□□
しかし度重なる同族同士の争いで傷つき、数が消えていった龍は、新たに生きる道としてヒトに姿を変えた。
ヒトと交わり、血は徐々に薄れていった。
しかし、龍の血を変わらず受け継く者達もまだ数多く存在する。
龍王の伝説、第一章はこの内容から始まる。
ロドリゴが用意してくれた本を眺めながら、俺はマクシミル家に向かう馬車に揺られていた。
子供向けの本だからと思ったが、よく読めば王家やマクシミル家についても詳しく書かれている。この本が入れられていたのは、読めという事だろう。
通行証を持っているが、地区の移動には審査に時間がかかるので、俺は本をじっくり読み込んで時間をつぶしていた。
龍達の一番上に君臨したのが、白龍と黒龍の二龍だった。
その白龍の血を受け継ぐのが王族や王家の人間で、黒龍の血を受け継ぐのがマクシミル家の一族とされていた。
その他にも高位の貴族であれば、ほとんどが龍の血を受け継いでいる。
龍に姿を変えるなんてことはないが、攻撃力、回復力などで人を超える力を持つ。
嘘か誠かお伽話か、そんなことが書いてあった。
「古龍の血か……」
本を読みながら感想がポロリと口から溢れてしまった。乗合の辻馬車だったので、前に座っていた男性と目が合ってしまった。
「おっ、君も古龍の伝説に憧れているのか。熱心に何を読んでいるのかと思えば、龍王様の伝記だな。俺も子供の頃、夢中になって読んだよ。懐かしい」
目尻に皺を寄せて嬉しそうに微笑んでいだ男は、聞けば商人で貴族の屋敷に注文の品を届けに行くところらしい。
「伝記といっても、子供向けに脚色されたものですよね。まさか……本当に龍の血なんて……」
俺はこの場に来てもまだ半信半疑で、心の中ではありえないだろうと思っていた。
「そりゃ…平民の俺達には想像もできないが、お貴族様の中では当たり前に言われている話だからなぁ…。それに俺は発現を見た事がある」
「本当ですか? 発現って…龍の力を使うところですよね」
「ああ、何をしたのかはよく分からなかったが、その方の目の色が金色に変わって光ったんだ。ありゃ、普通の人間じゃないって、恐ろしくて震えたよ」
男の話によると、貴族同士が揉めているところに遭遇して、その瞬間を見たらしい。火を吹くとか雷を落とすとか、分かりやすい力を見たわけではないそうだ。目の色だけでは光の加減とも言えるので、その話が本当か嘘か俺には判断しかねた。
男は饒舌に自分がやっている店の話をして、ぜひ買いに来てくれと、きっちり宣伝までして途中で馬車を降りて行った。
静かになってからため息をついた。
仕事だ、任務だと考えて、俺は大事なことを頭から追いやっている。
そもそも現実感がないが、自分が招いた行為によって何が起こるか、分からないわけではない。
命を蔑ろにすることになるかもしれない。
それを考えると頭が痛い。
今ならまだ逃げ出す事もできる。
そう思いながら、馬車の窓から外を見ると、見たこともない大きな屋敷が点々と並んでいる光景が見えた。
まるで異界だ。ここはどこなのだろうか。
今まで俺が生きてきた世界とは違いすぎて体は縛られたように固まって動けなくなった。
ロウはとっくに過ぎて、ルネの貴族街を抜けて、大きな邸宅が並ぶ場所まで来てしまった。
もう後戻りはできない。
俺は体を這い回る罪悪感を押し込めて目を瞑った。
その時になって自分はちゃんとできるだろうか。まだ答えは出せそうになかった。
しばらく長い長い塀が続いていたが、やっと大きな門が見えてきて、ここがマクシミル家だよと声をかけられた。
約束の正午過ぎには間に合いそうだったので、ホッとしながら俺は門の前で馬車を降りた。
公爵家の馬車か招待客でもない限り、そのまま入る事はできない。
屋敷まではまだ距離がありそうだが、使用人の俺は徒歩で行く必要があった。
門の警備は、公爵家の騎士達が行っていた。
マクシミル家は貴族の中でも唯一の私兵を持つことが許されている。名前や簡単な質問をされた後、荷物を調べられてから許可が出て、ようやく中へ入ることができた。
細かい砂利で舗装された一本道がうねるように続き、両側は森がどこまでも広がっているように見える。
俺はその中を大きなバッグを抱えてひたすら歩いた。
歩きながら思い出すのはロドリゴとの会話だった。もっと詳しく聞いておけばよかったと、すでに後悔していた。
「マクシミル家の現当主は、カルセイン・マクシミル。アカデミーを出たばかりだから、二十五になったところだろう。彼はとにかく忙しいから、顔を合わせる事はほとんどないと思うが、メイズを溺愛していると聞くからくれぐれも注意しろ」
「分かりました。……でも、妹を溺愛しているなら、側に置く者は厳選しますよね。…よく侍従見習いで潜り込めましたね」
「マクシミル家は当主が変わってから、使用人達をほぼ入れ替えた。屋敷を取り仕切っている筆頭執事は前当主の時代にクビになったヤツらしいが、呼び戻されたと聞いた。公爵は彼を信頼して全て任せているらしい。とにかく人手で足りなくて、そこに上手く入り込めたんだ。周りも慣れていない状態だから緊張する事はない」
「はい……」
「忘れるな。血は少量でもいい。だが、他のものと混ぜてはいけない。理想はカップに入れて飲んでもらうことだ」
「……どうやったらそんな状態に持ち込めるか、見当もつかないですよ」
ため息をつく俺を見ながら、ロドリゴはまぁ頑張れと大きな口を開けて豪快に笑っていた。
いったいどこの誰がこんな依頼をしたのか。
俺が知ることはできないし、上手くいかない未来しか想像できなかった。
「ミケイド・トールス、聞いていますか?」
中指で銀フレームの眼鏡が押し上げられて、キラリと鋭く光ったのが見えて、ボケっと屋敷の中を眺めていた俺は慌てて姿勢を正した。
「す…すみません。壁画に見惚れてしまって……」
口に出してからしまったと自分の頭を叩きたくなった。説明を受けながら聞いていないなんて、初っ端から抜けているのもいいところだ。
厳しい言葉が飛んでくると身構えたら、意外にもその人は嬉しそうに笑った。
先程まで厳しい顔をしていたのが嘘のようだ。
「これはカルセイン様が当主になられた事を記念して特別に作られたものです。真ん中に描かれている鎧を着た騎士はカルセイン様です。剣を高く空に掲げて、黒い雲に覆われた空を切り裂いている場面です。裂かれた空からは光が差し込んで、長く苦しい時代の解放とこれから先の輝かしい未来を描いています。黒い部分には黒曜石をはめ込んで、剣の輝きには……」
目を輝かせながら、壁一面に描かれた壁画を前に、描かれた内容から技法まで嬉々として説明を始めてしまったのは、マクシミル家筆頭執事であるサイラスだ。
シルバーグレイの髪がよく似合う紳士で、歳はかなりいっていそうだが、腰は曲がっていないし、快活に動いてよく喋る人だった。
どうやら家宝を褒められたのが嬉しかったのだろう、仕事の話から離れて、話はついに絵の具の産地にまで及んでしまった。
初対面でどう扱ったらいいか分からず、とりあえずウンウンと必死に話を聞いていたら背後から、おーいと声がかかった。
「サイラスさん、このまま話してたら日が暮れますよ。新人くん、サイラスさんの前で絵の話は禁句よ。仕事にならなくなるから」
ピシッと髪の毛を後ろに引っ詰めて、濃紺のメイド服を着こなしているスラっと背の高い美しい女性だった。
「メイド長のアマンダよ。今日からの新人くんね。ええと…ミケイドだったかしら」
「はい、ミケイド・トールスです。よろしくお願いします」
さっと差し出された手を軽く掴んで握手をした。
サイラスは仕事が次の仕事があるらしく、後はよろしくとアマンダに任せて、喋り過ぎたと慌てて小走りで行ってしまった。
屋敷に着いてすぐ迎えてくれたサイラスに、玄関ホールの横の部屋に通されたので、まだ屋敷のことはほとんど分からない。
アマンダと屋敷の中を一緒に歩きながら、場所の確認と一日の仕事の流れについて説明を受けた。
鬱蒼と生い茂る森の中に突如現れたのは、白亜の大邸宅だった。
石造りで歴史ある外観だが、繰り返しきちんと修繕工事がされているのだろう。どこを見ても綺麗に整った造りになっていた。
とにかく大きい母家の他に、離れも見えただけでも数邸建っていたし、騎士の宿舎や剣術訓練場、使用人用の宿舎も完備されていた。
もっと奥の方へ行けば、厩舎に馬術訓練場もあるらしい。
案内だけで一日あっても足りないくらいなので、アマンダは屋敷内をさらっと歩いて確認したところで、後はその内覚えてねと言われて終わった。
「とりあえず今日は部屋に戻って休んで。お嬢様への紹介は明日行うから。それで、部屋なんだけど……」
「メイド長、私が部屋に連れて行きます。二階の角部屋ですよね」
アマンダがきょろきょろと周りを見渡していたら、通りがかったメイドが声をかけてきた。
赤毛に三つ編み、そばかすが可愛らしい女の子だ。幼さの残る顔から、まだ十代かもしれないと思った。
「ティファナ。よかった、夕食の件で料理長と打ち合わせがあるの。後は頼める?」
「はい、お任せください」
にっこりと微笑んだティファナという女の子だったが、やけにジロジロと俺を見てきたので、なんだろうと身構えてしまった。
さっさと先を歩いて行ってしまうので、俺は急いでティファナの背中を追った。
使用人用の宿舎へ到着して、案内された部屋に入ると、持ってきていた荷物は検査が終わっていて、ベッドの下に置かれていた。
「夕食は一階の食堂で、湯浴みがしたければ、桶を持って一階に取りに来て。明日の朝は早いから、早めに寝るといいわ」
「はい、ありがとうございます」
お礼を言って解放されるのかと思ったが、ティファナは部屋から出ることなく、物言いたげな目をしながら俺を上から下まで見てきて、濃いめのため息をついた。
「……まったく、ロドリゴめ。こんな使えなさそうな男を送りんでくるなんて」
「!? え…もしかして……!」
その名前が出てきたら間違いない。彼女が協力者ということだろう。あまり歓迎はされていない雰囲気を感じた。
「まぁいい。愚鈍ならそれだけ力がない子になるのだからその方がいいのは確かだ。お前、リオだったな。しっかりやれよ。私はお前の監視も兼ねているのだから、余計な事をしたら即始末するからそのつもりでいろ」
「き…君はいったい……」
まだ年若そうな少女とも言える女の子に、とんでもないことを言われて体が固まった。
ティファナはそれだけ言うと、無表情のまま部屋から出て行ってしまった。
とにかく屋敷へまず入り込むことには成功したが、ポツンと一人残されて、体の力が抜けてしまった。
ベッドに倒れるように転がって、低い天井を見上げながら一日のことを思い出していた。
明日からのことを思うと全身が重くなった。
早くと言われたが、考えることだらけでとても眠れそうになかった。
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