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前編
前編③
サイラスの死を止めるためには、悩みを打ち明けてもらうのが重要だ。突然現れて友人になるのは不自然だったので、これ以上ない機会を得たと思っている。
「あ……あの……、アーデルハイド先輩は……好きな人はいますか?」
「いるよ」
ヨランは即答した。
かつての自分なら、いないと言っただろう。だが、これだけは嘘がつけない。
「そうなんですね、先輩も……。実は僕も……好きな人がいるんです。ど、同性で……」
「……それは、あの幼馴染の彼のことかな?」
ヨランは口元の笑みを崩さないように、必死で顔を作った。
ジェレミーへ審問をした時、二人の関係について何度も質問をしたが、ハッキリとした回答が得られなかった。幼馴染であることは認めるが、特別な関係かどうかに質問が移ると、ジェレミーは頑として口を開かず黙りに入ってしまう。
なぜ頑なに黙っていたのか、付き合いが始まってからも気になっていたが、何となく聞けずにいた。
ドクドクと揺れる心臓が痛いと思っていると、サイラスは目線を下に向ける。
「僕とジェレミーは付き合っている……。そういうことにしています」
「そういうこと、とは?」
「好きな人に振り向いてほしくて……、ジェレミーに協力してもらっているんです。付き合っていることにしてほしいって。自分でワザと噂も流して……お恥ずかしい話です」
声こそ出さなかったが、ヨランは初めて知る事実に息を吸い込んだ。ジェレミーが何も語らなかったわけは、サイラスの名誉を守るためだった。自分が不利な状況になったとしても、サイラスのために黙っていたのだと知った。
そして、それほどまでに思っていた相手だということも……。
「相手はどんな人? 告白はしたの?」
「すごく……カッコ良くて素敵な人です。好意は伝えています。でも話をはぐらかされて……結ばれてはいけない関係だからかもしれません」
「結ばれてはいけないって……もしかして、既婚者?」
「ち、違います……ただ……ちょっと問題があって……すみません、あまり詳しくは……」
それきり口が重くなったサイラスは、悲しげに目を伏せてしまった。
恋愛の悩み、これがサイラスを苦しめているものだとヨランは確信した。会ったばかりの関係で、これ以上を話していいか考えているようだ。あまり深追いしたら警戒されてしまう。
「恋愛と言っても、ようは人と人との繋がりだからね。誰でも思い通りになるものではない。長年一緒にいても、分かり合えないことだってある。気が向いたらでいい。私でよければ、いつでも相談に乗る」
「は……はい、ありがとうございます」
初回はまずこんなところだろう。
まだ早い。少しずつ、緊張を解き、何でも話せる関係になってみせる。
和やかに笑い合って握手をしたところで、バンっと音を立てて、指導室のドアが開かれた。
「やっぱり! ここにいたな!」
「ジェレミー!! 何でここに……!?」
力が有り余り過ぎてドアが壊れてしまいそうだ。驚いたサイラスが額に手を当てていると、ツカツカと歩いてきたジェレミーは、派手に机を叩いた。
「二人きりになろうったって、そうはいかないぜ。女みたいに細くてお綺麗な先輩だが、この人だって男だぞ。下心があって誘ったんじゃないのか!?」
「ジェレミー……、まだそんなことを……」
今まで可愛らしく震えているように見えたサイラスだったが、彼も怒ることがあるらしい。ジェレミーより強い力で机を叩き、眉を吊り上げて彼を睨みつけた。
「いい加減にして! 大丈夫だって言っただろう! 先輩に失礼だよ! 親身になって話を聞いてくれたんだ。もう君とは口を聞かないから!」
怒って口を膨らませたサイラスは、ブンと首を振り、ヨランに頭を下げた後、彼は一人で自習室を出て行った。
サイラスが消えて、自習室に何とも言えない沈黙が流れる。
思いがけず、ジェレミーと二人きりになってしまった。
ジェレミーはサイラスを追いかけると思いきや、ガタンと椅子を引き、ヨランの前に座った。
「……アンタとは、ちゃんと話してみたいと思っていた。堅苦しい言葉遣いは苦手なんだ。これでいいか?」
「構わないよ。学年が一つ違うというだけで、尊敬される謂れもないしね」
目を開けるとあの頃のジェレミーがそこにいる。それだけで胸が張り裂けそうになるのに、抱きしめることができない。
もどかしさで壊れそうな気持ちだったが、必死に目をつぶる。
過去戻りの禁術には厳しい制約があった。それは、過去戻りを他人に知られてはいけない、ということだ。
自分だけの秘密として決して口外してはいけない。話した瞬間、世界の均衡を保つため、それを聞いた相手は記憶を全て無くしてしまう。自分が誰であるかも忘れてしまうのだ。普通に話して信じてもらえるとは思えないが、この制約がある限り、ジェレミーに事情を説明し、助けを求めることは不可能だ。
——一人で、立ち向かわなければいけない。
——君を助けるために。
「ハッキリさせようぜ。なぜ、サイラスに声をかけた? 全く接点がなかったくせに」
「それは、教授からの勧めで……」
「ありえないね! あの教授は成績の悪い生徒には無関心、自分の出世のことしか考えていない。正直に言えよ。サイラスと付き合いたいんだろう?」
「そんなつもりはない」
「嘘つけ! あいつは今まで散々酷い目に遭ってきた。勝手に告白してきて、断ったら殴られたり、教室で上級生に襲われたり、勝手に惚れて付きまとって、私物を盗む変態もいたな。その度に、俺が出て行って、全員ぶん殴ってきた。悪いが信用できないんだよ」
ああ、懐かしい。
懐かしいと思ってしまった。
ジェレミーは、誰かのためにとことん熱くなるタイプだ。ヨランのために、ジェレミーがセクハラ上司を殴ってくれたことを思い出した。
切なくて……胸が張り裂けそうだ。
あれは、私のために怒ってくれたのに……。
「何と思ってくれても構わない。私は、誰かの役に立ちたかった。たまたま教授からサイラスの話を聞いて、急に思い立っただけ……本当にそれだけだよ」
ジェレミーの強い態度は、散々危ない目に遭ってきた幼馴染を思ってのことだ。怒りなど込み上げてはこない。むしろ、冷静になり、ジェレミーへしっかりと視線を送る。
じっと見つめると、ジェレミーは気まずそうな表情になり、ぽりぽりと頭をかいた。
「……すぐには認めない。これから、何かあれば飛んでくるように部屋の前で待つことにする」
「騎士団の訓練はいいのか? 学生でありながら、見習い騎士なんだろう?」
「よく知っているな……。訓練は休日だけ、学業が優先だ」
「サイラスから色々聞いたよ。剣術に優れていて、貴族学校の特別生になれたそうだね。現役の騎士を倒せるくらい強いって」
「あ……あいつ、そんなことまで……余計なことを」
サイラスから聞いたのはもっと簡単な説明だったが、ヨランは自分の記憶も交えて話した。ジェレミーは言葉とは違い、頬を赤らめて嬉しそうな顔をしている。
それを見たヨランの胸は、チクリと痛んだ。
「さっき、サイラスは怒っていたけど、今からでも追った方が……」
「いいんだ。怒りが持続するタイプじゃない。家も近いし、少し経てば、何事もなかったように普通に話しかけてくる」
もっと繊細なタイプだろうと言おうと思ったが、昨日今日会ったばかりの人間が言える話ではない。
「あいつの母親が再婚するまで、町の貧民街で家が隣同士だった。何度も喧嘩したけど、いつも謝ってくるのはサイラスの方で……俺達には深い絆があるんだ」
そうだ、二人には絆がある。
幼い頃から培われた、深い深い絆だ。
だから、恋人のフリなんて面倒なことを、文句も言わずにやっているのだろう。
いや、フリをしているのはサイラスだけかもしれない。
これだけ想っているんだ。
ジェレミーの方は本気かもしれない。
望んで引き受けた。
フリが本当に変わってほしいと願って……。
「……いいな」
「え……?」
ジェレミーにこれほど想われるサイラスを思ったら胸が熱くなり、つい恨み言を口にして悲しく笑ってしまった。
ジェレミーの不安そうな視線に気づき、ヨランは慌てて何でもない表情を作った。
「また明日、放課後に来るよ。君が心配するようなことは起こらない」
「……そう願っている」
そう、何かが起きる前に止める。
あの日、ヨランはそう心に誓った。
長く付き合えば、変わるものもある。
会話は減る。お互い忙しくて愛し合うことも減った。だけど、心は通じているから、ジェレミーのことは何だって分かる。
そう思っていた。
結婚して十年、付き合って二十年目を迎えた日。
ヨランは一人考え込んでいた。
夫であるジェレミーの態度がおかしい。
最近帰りが遅く、どこへ行っていたのか聞いても、要領を得ない返事ばかり。話をしていてもどこかうわの空で、ぼんやりとしている。
極め付けは先週のこと。
遅くに帰ってきたジェレミーは、なんと花束を持っていたのだ。片手で持てる大きさで、小さな白い花が集まったものだったが、その中にカードが入っていたのを見てしまった。
誰から貰ったのと問い詰めるヨランに、ジェレミーは誰でもない、道に落ちていたと言った。
落ちていた物をわざわざ持って帰ってくるなんて怪しい。
最近の態度からして、浮気をしているのかもしれない。
そう思ったら全てが怪しく見えてしまい、疑う心が日に日に大きくなっていく。
結婚した時に、二人で家を買った。
誰に貰ったのか知らないが、あの花束があると思うだけで二人の家が黒く汚れていく気がする。何度もジェレミーの部屋に入り確かめようとしたが、真実を知ることが怖くてできなかった。
もし、あのカードに、愛のメッセージが書かれていたら、どうにかなってしまいそうだ。
今日こそはと、ヨランは手に力を込める。
ずっとモヤモヤしながら考えていても仕方がない。何でも話し合える関係だったはずだ。
聞きたいことはたくさんある。だけど、今はまず、ジェレミーの気持ちを確認したい。
キッチンの椅子に座り、一人で悶々としていると、二階から降りてくる足音が聞こえてくる。ほどなくして、おはようと言ってあくびをしながら、寝起きのジェレミーが現れた。
「早いね、ヨラン。今日は早番? 遅番?」
「遅番。それに、審問会議があるから遅くなる」
「そうか。じゃ、帰りは俺が先だな。結婚記念日だし、ケーキを用意して待っているよ」
いつもと変わらない朝に思える。近づいてきたジェレミーは、ヨランの前髪に触れ、おでこにキスをした。
幸せだ。
幸せなはずなのに、不安の色が視界を曇らせる。
あのさ、この前のことだけど、それが言えない。
その先を言うことを考えたら、もっと口が重くなり、手が震えてしまう。
ヨランが膝を抱え、下を向いているうちに、ジェレミーはサッと着替え、朝食も食べ終えてしまった。
「昨日お隣さんから林檎を貰ったんだ。これで足りなければ全部食べていいよ」
器用なジェレミーは、手品のように林檎の皮をナイフで剥き、カットしたものを皿に載せてヨランの前に置いた。ジェレミーが籠いっぱいに入った林檎を見せてきたので、ヨランはクスッと笑う。
「そんなに食べられないって」
「おっ、笑った。なんか元気なさそうだからさ。体調は?」
「大丈夫だけど」
「なら食べて行ってくれ。美味いから元気出る」
ジェレミーがニカっと歯を見せて笑ったので、ヨランもつられて笑顔になる。それと同時に、どうして信じられないんだろうと、疑ってしまう自分に悲しくなった。
胸が苦しくなる時は、ジェレミーの温かさに触れたくなり、ヨランは口を開く。
「ねぇ、ジェレミー。空が青いのはなぜ?」
「鳥が青い絵の具で塗ったからだ」
「どうして鳥は空を青く塗ったの?」
「俺が頼んだの。いつでもヨランを近くに感じたいから。ヨランの瞳の色と同じにしてほしいって」
もうお馴染みになっている二人の冗談の掛け合い。どちらともなく言い出して、同じ答えをして笑い合いキスをする。
「それで? 夕方の空を赤く染めたのは……」
「それは俺、俺がジェレミーの瞳の色にした」
順番が逆の場合もあるが、お互いこの冗談が好きで、付き合い出した頃から言い合っている。
今日もヨランがそう言うと、微笑んだジェレミーが口付けてくる。柔らかな温もりが唇を満たしていくが、軽い口付けだけではなく、もっと欲しくなってしまう。
「おっ、と。時間だ。また、遅刻したら、部下からの視線が痛い」
「頑張って。アイザック副団長」
ジェレミーは得意げな顔で、騎士の挨拶のポーズをした後、手を振って家を出て行った。
玄関でその後ろ姿を見送ったヨランは、結局聞けなかったとため息を漏らす。
今夜は、今夜こそはちゃんと聞こう。
ドアが閉まった時、自分に言い聞かせた。
その時のことを思い出すと、胸が痛くなる。
迫り来る黒い影をヨランは知らなかった。
ただ、浮気の心配をしていた。
この後起こる悲劇に、何一つ……。
「あ……あの……、アーデルハイド先輩は……好きな人はいますか?」
「いるよ」
ヨランは即答した。
かつての自分なら、いないと言っただろう。だが、これだけは嘘がつけない。
「そうなんですね、先輩も……。実は僕も……好きな人がいるんです。ど、同性で……」
「……それは、あの幼馴染の彼のことかな?」
ヨランは口元の笑みを崩さないように、必死で顔を作った。
ジェレミーへ審問をした時、二人の関係について何度も質問をしたが、ハッキリとした回答が得られなかった。幼馴染であることは認めるが、特別な関係かどうかに質問が移ると、ジェレミーは頑として口を開かず黙りに入ってしまう。
なぜ頑なに黙っていたのか、付き合いが始まってからも気になっていたが、何となく聞けずにいた。
ドクドクと揺れる心臓が痛いと思っていると、サイラスは目線を下に向ける。
「僕とジェレミーは付き合っている……。そういうことにしています」
「そういうこと、とは?」
「好きな人に振り向いてほしくて……、ジェレミーに協力してもらっているんです。付き合っていることにしてほしいって。自分でワザと噂も流して……お恥ずかしい話です」
声こそ出さなかったが、ヨランは初めて知る事実に息を吸い込んだ。ジェレミーが何も語らなかったわけは、サイラスの名誉を守るためだった。自分が不利な状況になったとしても、サイラスのために黙っていたのだと知った。
そして、それほどまでに思っていた相手だということも……。
「相手はどんな人? 告白はしたの?」
「すごく……カッコ良くて素敵な人です。好意は伝えています。でも話をはぐらかされて……結ばれてはいけない関係だからかもしれません」
「結ばれてはいけないって……もしかして、既婚者?」
「ち、違います……ただ……ちょっと問題があって……すみません、あまり詳しくは……」
それきり口が重くなったサイラスは、悲しげに目を伏せてしまった。
恋愛の悩み、これがサイラスを苦しめているものだとヨランは確信した。会ったばかりの関係で、これ以上を話していいか考えているようだ。あまり深追いしたら警戒されてしまう。
「恋愛と言っても、ようは人と人との繋がりだからね。誰でも思い通りになるものではない。長年一緒にいても、分かり合えないことだってある。気が向いたらでいい。私でよければ、いつでも相談に乗る」
「は……はい、ありがとうございます」
初回はまずこんなところだろう。
まだ早い。少しずつ、緊張を解き、何でも話せる関係になってみせる。
和やかに笑い合って握手をしたところで、バンっと音を立てて、指導室のドアが開かれた。
「やっぱり! ここにいたな!」
「ジェレミー!! 何でここに……!?」
力が有り余り過ぎてドアが壊れてしまいそうだ。驚いたサイラスが額に手を当てていると、ツカツカと歩いてきたジェレミーは、派手に机を叩いた。
「二人きりになろうったって、そうはいかないぜ。女みたいに細くてお綺麗な先輩だが、この人だって男だぞ。下心があって誘ったんじゃないのか!?」
「ジェレミー……、まだそんなことを……」
今まで可愛らしく震えているように見えたサイラスだったが、彼も怒ることがあるらしい。ジェレミーより強い力で机を叩き、眉を吊り上げて彼を睨みつけた。
「いい加減にして! 大丈夫だって言っただろう! 先輩に失礼だよ! 親身になって話を聞いてくれたんだ。もう君とは口を聞かないから!」
怒って口を膨らませたサイラスは、ブンと首を振り、ヨランに頭を下げた後、彼は一人で自習室を出て行った。
サイラスが消えて、自習室に何とも言えない沈黙が流れる。
思いがけず、ジェレミーと二人きりになってしまった。
ジェレミーはサイラスを追いかけると思いきや、ガタンと椅子を引き、ヨランの前に座った。
「……アンタとは、ちゃんと話してみたいと思っていた。堅苦しい言葉遣いは苦手なんだ。これでいいか?」
「構わないよ。学年が一つ違うというだけで、尊敬される謂れもないしね」
目を開けるとあの頃のジェレミーがそこにいる。それだけで胸が張り裂けそうになるのに、抱きしめることができない。
もどかしさで壊れそうな気持ちだったが、必死に目をつぶる。
過去戻りの禁術には厳しい制約があった。それは、過去戻りを他人に知られてはいけない、ということだ。
自分だけの秘密として決して口外してはいけない。話した瞬間、世界の均衡を保つため、それを聞いた相手は記憶を全て無くしてしまう。自分が誰であるかも忘れてしまうのだ。普通に話して信じてもらえるとは思えないが、この制約がある限り、ジェレミーに事情を説明し、助けを求めることは不可能だ。
——一人で、立ち向かわなければいけない。
——君を助けるために。
「ハッキリさせようぜ。なぜ、サイラスに声をかけた? 全く接点がなかったくせに」
「それは、教授からの勧めで……」
「ありえないね! あの教授は成績の悪い生徒には無関心、自分の出世のことしか考えていない。正直に言えよ。サイラスと付き合いたいんだろう?」
「そんなつもりはない」
「嘘つけ! あいつは今まで散々酷い目に遭ってきた。勝手に告白してきて、断ったら殴られたり、教室で上級生に襲われたり、勝手に惚れて付きまとって、私物を盗む変態もいたな。その度に、俺が出て行って、全員ぶん殴ってきた。悪いが信用できないんだよ」
ああ、懐かしい。
懐かしいと思ってしまった。
ジェレミーは、誰かのためにとことん熱くなるタイプだ。ヨランのために、ジェレミーがセクハラ上司を殴ってくれたことを思い出した。
切なくて……胸が張り裂けそうだ。
あれは、私のために怒ってくれたのに……。
「何と思ってくれても構わない。私は、誰かの役に立ちたかった。たまたま教授からサイラスの話を聞いて、急に思い立っただけ……本当にそれだけだよ」
ジェレミーの強い態度は、散々危ない目に遭ってきた幼馴染を思ってのことだ。怒りなど込み上げてはこない。むしろ、冷静になり、ジェレミーへしっかりと視線を送る。
じっと見つめると、ジェレミーは気まずそうな表情になり、ぽりぽりと頭をかいた。
「……すぐには認めない。これから、何かあれば飛んでくるように部屋の前で待つことにする」
「騎士団の訓練はいいのか? 学生でありながら、見習い騎士なんだろう?」
「よく知っているな……。訓練は休日だけ、学業が優先だ」
「サイラスから色々聞いたよ。剣術に優れていて、貴族学校の特別生になれたそうだね。現役の騎士を倒せるくらい強いって」
「あ……あいつ、そんなことまで……余計なことを」
サイラスから聞いたのはもっと簡単な説明だったが、ヨランは自分の記憶も交えて話した。ジェレミーは言葉とは違い、頬を赤らめて嬉しそうな顔をしている。
それを見たヨランの胸は、チクリと痛んだ。
「さっき、サイラスは怒っていたけど、今からでも追った方が……」
「いいんだ。怒りが持続するタイプじゃない。家も近いし、少し経てば、何事もなかったように普通に話しかけてくる」
もっと繊細なタイプだろうと言おうと思ったが、昨日今日会ったばかりの人間が言える話ではない。
「あいつの母親が再婚するまで、町の貧民街で家が隣同士だった。何度も喧嘩したけど、いつも謝ってくるのはサイラスの方で……俺達には深い絆があるんだ」
そうだ、二人には絆がある。
幼い頃から培われた、深い深い絆だ。
だから、恋人のフリなんて面倒なことを、文句も言わずにやっているのだろう。
いや、フリをしているのはサイラスだけかもしれない。
これだけ想っているんだ。
ジェレミーの方は本気かもしれない。
望んで引き受けた。
フリが本当に変わってほしいと願って……。
「……いいな」
「え……?」
ジェレミーにこれほど想われるサイラスを思ったら胸が熱くなり、つい恨み言を口にして悲しく笑ってしまった。
ジェレミーの不安そうな視線に気づき、ヨランは慌てて何でもない表情を作った。
「また明日、放課後に来るよ。君が心配するようなことは起こらない」
「……そう願っている」
そう、何かが起きる前に止める。
あの日、ヨランはそう心に誓った。
長く付き合えば、変わるものもある。
会話は減る。お互い忙しくて愛し合うことも減った。だけど、心は通じているから、ジェレミーのことは何だって分かる。
そう思っていた。
結婚して十年、付き合って二十年目を迎えた日。
ヨランは一人考え込んでいた。
夫であるジェレミーの態度がおかしい。
最近帰りが遅く、どこへ行っていたのか聞いても、要領を得ない返事ばかり。話をしていてもどこかうわの空で、ぼんやりとしている。
極め付けは先週のこと。
遅くに帰ってきたジェレミーは、なんと花束を持っていたのだ。片手で持てる大きさで、小さな白い花が集まったものだったが、その中にカードが入っていたのを見てしまった。
誰から貰ったのと問い詰めるヨランに、ジェレミーは誰でもない、道に落ちていたと言った。
落ちていた物をわざわざ持って帰ってくるなんて怪しい。
最近の態度からして、浮気をしているのかもしれない。
そう思ったら全てが怪しく見えてしまい、疑う心が日に日に大きくなっていく。
結婚した時に、二人で家を買った。
誰に貰ったのか知らないが、あの花束があると思うだけで二人の家が黒く汚れていく気がする。何度もジェレミーの部屋に入り確かめようとしたが、真実を知ることが怖くてできなかった。
もし、あのカードに、愛のメッセージが書かれていたら、どうにかなってしまいそうだ。
今日こそはと、ヨランは手に力を込める。
ずっとモヤモヤしながら考えていても仕方がない。何でも話し合える関係だったはずだ。
聞きたいことはたくさんある。だけど、今はまず、ジェレミーの気持ちを確認したい。
キッチンの椅子に座り、一人で悶々としていると、二階から降りてくる足音が聞こえてくる。ほどなくして、おはようと言ってあくびをしながら、寝起きのジェレミーが現れた。
「早いね、ヨラン。今日は早番? 遅番?」
「遅番。それに、審問会議があるから遅くなる」
「そうか。じゃ、帰りは俺が先だな。結婚記念日だし、ケーキを用意して待っているよ」
いつもと変わらない朝に思える。近づいてきたジェレミーは、ヨランの前髪に触れ、おでこにキスをした。
幸せだ。
幸せなはずなのに、不安の色が視界を曇らせる。
あのさ、この前のことだけど、それが言えない。
その先を言うことを考えたら、もっと口が重くなり、手が震えてしまう。
ヨランが膝を抱え、下を向いているうちに、ジェレミーはサッと着替え、朝食も食べ終えてしまった。
「昨日お隣さんから林檎を貰ったんだ。これで足りなければ全部食べていいよ」
器用なジェレミーは、手品のように林檎の皮をナイフで剥き、カットしたものを皿に載せてヨランの前に置いた。ジェレミーが籠いっぱいに入った林檎を見せてきたので、ヨランはクスッと笑う。
「そんなに食べられないって」
「おっ、笑った。なんか元気なさそうだからさ。体調は?」
「大丈夫だけど」
「なら食べて行ってくれ。美味いから元気出る」
ジェレミーがニカっと歯を見せて笑ったので、ヨランもつられて笑顔になる。それと同時に、どうして信じられないんだろうと、疑ってしまう自分に悲しくなった。
胸が苦しくなる時は、ジェレミーの温かさに触れたくなり、ヨランは口を開く。
「ねぇ、ジェレミー。空が青いのはなぜ?」
「鳥が青い絵の具で塗ったからだ」
「どうして鳥は空を青く塗ったの?」
「俺が頼んだの。いつでもヨランを近くに感じたいから。ヨランの瞳の色と同じにしてほしいって」
もうお馴染みになっている二人の冗談の掛け合い。どちらともなく言い出して、同じ答えをして笑い合いキスをする。
「それで? 夕方の空を赤く染めたのは……」
「それは俺、俺がジェレミーの瞳の色にした」
順番が逆の場合もあるが、お互いこの冗談が好きで、付き合い出した頃から言い合っている。
今日もヨランがそう言うと、微笑んだジェレミーが口付けてくる。柔らかな温もりが唇を満たしていくが、軽い口付けだけではなく、もっと欲しくなってしまう。
「おっ、と。時間だ。また、遅刻したら、部下からの視線が痛い」
「頑張って。アイザック副団長」
ジェレミーは得意げな顔で、騎士の挨拶のポーズをした後、手を振って家を出て行った。
玄関でその後ろ姿を見送ったヨランは、結局聞けなかったとため息を漏らす。
今夜は、今夜こそはちゃんと聞こう。
ドアが閉まった時、自分に言い聞かせた。
その時のことを思い出すと、胸が痛くなる。
迫り来る黒い影をヨランは知らなかった。
ただ、浮気の心配をしていた。
この後起こる悲劇に、何一つ……。
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