二十二年前の君にも、愛していると伝えたい

朝顔

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前編

前編⑥

 発見時の死後硬直の状態から、サイラスが亡くなった時、彼は訓練に参加していた時間帯であるとされ、ジェレミーは無罪となり、自殺が濃厚とされたのだ。
 サイラスが死んでいたのは、貴族学校の旧校舎。
 普段、人が立ち寄らない場所であったが、一度だけふざけて二人で入ったことがあったそうだ。
 帰宅時間になってもサイラスが見つからないため、探し回っていたジェレミーは、いつもは閉まっている旧校舎の窓が開いているのを発見した。
 まさかと思い中に入り、サイラスの遺体を発見する。サイラスの胸に刺さった剣は、ジェレミーが騎士団の訓練に使用するために、ロッカーに保管していた予備のもので、サイラスもそのことは知っていた。
「自死であることに納得できなかった者が、ジェレミーが犯人だと思い込み、長年恨みを募らせた……可能性はあるな」
 そこで手に持っていたハンカチーフを見たヨランは、ハッとして目を見開いた。
 ジェレミーはあの日、ヨランがこのハンカチーフを持っていたことを知っている。
 玄関先でわざわざ直してくれたからだ。
 そのハンカチーフがクローゼットに挟まっているのを見たらどう思うだろうか……。
 あの日、帰宅したジェレミーはキッチンにケーキが入った箱を置いた。そこで、待ち構えていた犯人と鉢合わせる。ジェレミーは戦闘態勢に入り、争いになっただろう。
 しかしジェレミーは自らの剣を抜く前に、犯人に背を向ける。
 それはなぜか。
 犯人が誘導したのではないか。
 クローゼットの中を見てみろと……。
 ヨランが持っているハンカチーフには、血が飛んだような赤い色が点々と付いていた。柄にも見えるが、こんな色は付いていなかった。ジェレミーにも分かったはずだ。
 血がついたように見えるハンカチーフ。
 かつてサイラスの死を見たジェレミー。
 
——二十二年前を忘れるな。そう誘導されたらジェレミーはきっとクローゼットを開けようとする……。
——中に、ヨランがいると思い込んで……。
 
 完全に足の力が抜けて、ヨランは床に崩れ落ちた。
 ガクガクと震え、ハンカチーフを顔に押し付けて咽び泣く。
「ひどい……、なんて卑劣なやつ……ひどすぎる」
 これはサイラスに近しい者の復讐なのか。
 ジェレミーのことを調べ上げ、ヨランの職場に忍び込みハンカチーフを盗むという計画的犯行だ。
 サイラスの死を受け入れられず、ジェレミーが犯人だと思い込み、彼が死んだのと同じような方法で復讐を果たした。
 今すぐ犯人を殺してやりたい。
 だけど、そいつを八つ裂きにしたとして、ジェレミーは帰ってこない。
「どうしたら……どうしたらいい……俺はどうなってもいい……ジェレミー……ジェレミー」
 ヨランは床を叩き、嗚咽を上げて泣いた。ジェレミーの名を呼び、手を振り上げると、近くに積み上がっていた本が崩れ落ちた。
「……これは禁書か」
 世界の創造神、女神イルナは、祝福として人間達に様々な知恵を与えたという。その中で、神と同じような力を使えるという術がある。ほとんどが言い伝えとして、長い歴史の中で埋もれてしまったが、ひっそりと伝えられてきたものもある。
 騎士団が検挙した宗教集団の話を聞いたことがあった。女神イルナに強い信仰心があり、女神の力を得て、自らも神になろうという集団だったそうだ。
 彼らは古い文献を集めており、本当か嘘か分からない怪しげな本を数多く押収した。全て禁書扱いで焼き払う予定だと聞いていた。
 本があまりに多く、押収書庫がいっぱいになってしまったため、一部持ち帰り、後日一斉に処分するとジェレミーが言っていたのを思い出す。
 こんな事態になり、団の方も混乱していて回収を忘れているようだ。
 その中の一つが落ちた拍子に開いていた。何気なく見えたページに、ヨランは全身が冷え体を震わせる。
 そこには、時を戻る術と書かれていた。
 ジェレミーを亡くし、冷静な判断などできない。
 とっくに頭は壊れている。誰も信じないような怪しげな術が、救いのように思えて手を伸ばす。
 時戻りの禁術。
 必ず強い目的があること。
 目的がなければ戻れず、ただ失敗する。
 時を戻ったら、必ず目的を達成すること。
 誰にも知られてはいけないこと。
 ヨランは書かれている内容に触れ、指で触れながら何度も読み上げる。
「……目的を達成しなければ、今に戻る。死して過去に戻るので、それはつまり、死を意味している」
 バカげている。
 周囲の人間が見たら、頭がおかしくなったと思うだろう。
 その通りだ。
 ヨランにとって、これは神が与えてくれた光に見える。
 対価などどうでもいい。
 ジェレミーを助けることができるなら、なんだってできる。
 問題はいつに戻るか。
 ヨランは頭を悩ませた。
 ジェレミーが殺される直前に戻り止めたとして、彼はずっと恨まれ命を狙われ続ける。それに、ジェレミー自身もサイラスの死を助けられなかったことが、自分の責任だとして、ずっと苦しんでいた。
 夜中にサイラスの名を呼び、うなされるジェレミーの姿を何度も見てきた。
 それならば、全ての元になるサイラスの死を止めよう。そうすれば、サイラスは死なず、ジェレミーは恨まれず、悪夢に苦しめられることもなくなる。
 サイラスの死は二人が出会う前。
 つまり、ジェレミーは自分のことを知らない。
 あの頃、二人は噂通り恋人同士で、サイラスを助けることで、自分とは結ばれない運命になっても……。
「ジェレミーに……生きてほしい……。ジェレミーが幸せならそれでいい」
 ヨランはそのページを隈なく読み、本を閉じた後胸に抱えて立ち上がった。
 この術を決行するために必要な道具はすぐにそろう。重要なのは雷だ。
 目的を強く願い、愛する者の側で雷に打たれることで、過去へ戻ることができる。
 ヨランは窓の外を見る。空には黒い雲が広がり、ちょうど雨が降り出した。遠くで空が光るのが見えて、今だと走り出す。
 冷たい雨が降り頻る中、ヨランはジェレミーの眠る墓に向かい走り続けた。
  


 鏡の前に立ったヨランは、閉じていた目を開いた。
 頭の上から雷を受けた衝撃、落雷が体を突き破り、全身が焦げていく痛みは忘れられない。
 あの時、ヨランは一度死んだ。
 そして、あの怪しげな禁書のおかげで今ここに立っているのだ。
 ヨランは鏡の前でタキシードのタイを直し、髪を後ろに流して整える。
 男にしては甘すぎる薄紅色の髪は母親譲りだ。
 王国では馴染みがない、珍しい色である。
 母方の曽祖母は他国の出身で、代々呪術を行う家系だったらしい。時戻りができたのは、その血がヨランにも流れているからなのかもしれない。
 叔父から、高貴なアーデルハイド家に似合わないと嘲笑されたこの色だが、ジェレミーが好きだと言ってくれたから、今ではヨランも気に入っている。

 今日はサイラスの家、エドマン家のパーティーの日だ。
「ヘーゼル・エドマン……」
 鏡に向かい、ヨランはその名を呼んだ。
 ジェレミーを殺した相手は見当が付いている。
 サイラスに近しい者、そして、サイラスの自死に納得せず、金をねじ込んで調査を続けさせた人物。
 それがサイラスの義理の兄にあたるヘーゼル・エドマンだ。
 多才で剣術にも長けていると聞いた。
 義弟を殺した男だとジェレミーを恨み続け、計画を立て実行する。
 ヨランは時戻りに挑む前、ヘーゼルが犯人だろうと思っていた。今のヘーゼルには関係のない話だが、顔を合わせるのは複雑な心境だ。
 パーティーには、サイラスにジェレミー、そしてヘーゼルが参加する。
 サイラスが死を選ぶ日が近づく中、もしかしてこのパーティーで何かあるのではと考えていた。
「ジェレミー、君を死なせない。もう二度と……」
 肌をピリつく痛みが全身に広がり、今にも煙が上がりそうな気になる。
 運命を変えてみせる。
 ヨランは鏡に映る自分に向かい、強く誓った。



【続】
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