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後編
後編③
激しい頭痛に襲われて目を開けたヨランは、降り注ぐ朝日の中、自分が裸で寝ていたことに気づく。
そして、隣で同じく裸で寝ているジェレミーを見て、ほぼ全てを思い出した。
サイラスのことで大変な状況にもかかわらず、ジェレミーに襲い掛かるなど、あってはならないことだ。
ジェレミーも酔っていた。
だから、あんなことに……。
慌てて服を着て、寝ているジェレミーを残し部屋を出た。それからまだ指導の日が来ていないので、ジェレミーと顔を合わせていない。
そして今日はサイラスの指導の日だ。兄への告白について話をしなければいけないのに、こんな状況はマズいのではとまた頭を抱える。
少し外へ出て頭を冷やそうと思い席を立つと、そこに上官が歩いてきた。
この顔をまた見ることになるとはと、混乱から一転、ムカムカと怒りが込み上げてくる。
「おや、ヨラン君。こんな時間から席を立つとは、堂々と仕事を放棄するつもりですか?」
「レム上官。お言葉ですが、すでに今日仕上げる書類は全て終わらせています。昼休憩を取らなかったので、今から少し外へ行こうかと……」
「新人のくせに生意気なっ! 叔父上から厳しく指導するように言われていますからね! 新人に休憩など必要ない、席に戻りなさい!」
レム上官の横暴さに同僚はみんな苦しんでいたが、怖くて何も言えず下を向いている。騒がれるのは面倒なので席に戻ろうとすると、上官はヨランの尻を鷲掴みにしてきた。
「生意気なくせに色気付いて……。こんな体で仕事をするなんて、教育が必要ですね」
頭の中でカチンと火花が散った。かつてのヨランは、このセクハラにずっと心を殺して耐え抜いた。苦しんで苦しんで、やっとジェレミーに相談し、助けてもらったのだ。
あの頃の、ただ怯えていた自分はもういない。
ジェレミーがボコボコに殴ってくれたが、自分は何もできなかったことを少し後悔していたくらいだ。
ヨランは尻を掴んでいる上官の手を指でつまみ、渾身の力を込めて捻り上げた。
「うぁったたたたたたっ、いたっ痛いーー!!」
「これはおかしいですね。尻に虫が付いていると思って捻ったのですが、上官でしたか」
「何をするんだ! こ、こんなことをして……タダで済むと思っているのか!?」
脅してくるのは分かっていた。
同僚達が心配そうに見てくる中、ヨランは腕を組んで上官を睨みつけた。
「どうぞ、叔父に言いつけてください」
「え?」
「その代わり、私も所長や、長官に訴えます! 徹底的にやりましょう!」
初めからこうすればよかったのだ。
叔父のことを気にするばかり、ヨランはもっと上に向かい、声を上げる方法を取らなかった。ヨランが一人で奮闘していると、同じようにセクハラを受けていた女性の同僚が立ち上がった。
「私も……私も訴えます!」
それを皮切りに、次々と同僚が立ち上がった。これには歯を剥き出しにしていた上官も黙り込み後退りをした。
「くっ……ふざけやがって……!」
悔しそうにして頭を振った後、転びそうになりながらドアから出て行った。
パタンとドアが閉まると、一斉に同僚達が拍手をして、ヨランにありがとうと声をかけてきた。
新人の部署は大人しい者だけが集められており、みんなやりたい放題だった上官に怯え、耐えるしかなかったのだ。
やってやったぞとヨランは鼻から息をして、手を握りしめた。ジェレミーのように、殴ってやろうと思ったが、喧嘩慣れしていないので、負傷する可能性がある。あんな男のために、怪我をするなんてまっぴらだ。
クビになるかもしれないが、それならそれでいい。
時戻りをした今、審問官の仕事に未練はない。
そもそも叔父の顔を立てるために就いた職場だ。どんなに難しい案件を解決させても、叔父の力が動き、裁判官にはなれず、下っ端のままだった。
それならいっそ、時戻りの人生では、別の道を歩むのもいいかもしれない。
ヨランは興奮したまま、貴族学校の門をくぐり、指導室までやって来た。
すべて上手くいっている気分でいたが、そこにジェレミーが立っているのが見えて、一気に現実へ引き戻される。
「よ……よう、遅かったな」
気まずそうな顔をしたジェレミーを見て、回れ右をして帰りたくなった。
「サイラスは?」
「休みだ」
「休み!?」
まさかこんな時に、休まれるとは思わず、ヨランはもっと気が遠くなる。
「ちょっといいか? 話がしたい」
「……分かった」
ジェレミーが指導室を指差したので、ヨランは頷き、小さく息を吐いた。
酔った勢いとはいえ、無かったことにしてくれと言われるだろう。
そう思いながらジェレミーの後に続き指導室に入る。ドアが閉まった瞬間、背を向けていたジェレミーはくるりと振り向いてきた。
「あの……この前は……」
「大丈夫だったか?」
「え?」
「かなり、飲んでいただろう? 無理をさせたんじゃないかと思って……朝、聞けなかったから……」
忘れろと迫ってくるのではなく、体を気遣ってくれるジェレミーに、胸がキュッと鳴ってしまう。元から優しい人だった。やっぱりジェレミーだなと、胸に沁みる。
「体は大丈夫。少し二日酔いがあったけど、もう平気だ。それよりあの事だけど、誰にも言うつもりはない」
「……え?」
「あれは酔って起きた事故だ。お互い忘れた方がいいだろう」
サイラスが好きなら忘れた方がいい、そう言おうとしたら、ジェレミーはガシッとヨランの肩を掴んだ。
「好きなヤツがいるからか?」
「は?」
「サイラスから聞いた。ヨランには好きな相手がいるって。そいつのせいで、あの夜のことを忘れようとしているのか?」
「それは…………」
君だよ。
そう言いたいが、優しいジェレミーは、自分の気持ちを押し込めて責任を取ると言いそうだ。
一度目とは違う。
今はサイラスが生きている。
今度はジェレミーの思う通りに生きてほしい。
ヨランは口を閉じて目を逸らした
「……忘れたりしない、絶対に」
「ジェレミ……んんっ」
壁に押し付けられ、ジェレミーに唇を奪われる。
ダメだとジェレミーの胸を押すが、少しの力ではビクともしない。
「は……う……ん…………ぁ…………」
口内を舐められて口の端から涎がこぼれ落ちる。そのまま熱に溺れそうになるのを何とか留めた。
「だ、ダメだ……ジェレミー!」
ジェレミーの胸を叩き、顔を逸らして腕から逃れた。口を拭ったヨランは、ジェレミーに強い視線を送る。
「こんなのは……ダメだ!」
「どうして……」
「サイラスと付き合っているだろう?」
「は? それはフリだって!」
「フリでも、お前は違う。サイラスが好きなんだろう?」
「好きだよ。好きだけどそれは——」
コンコンとノックの音が響き、ヨランはパッとジェレミーから離れた。
ドアが開き、指導室の担当教官が顔を出して、何かあったのかと聞いてきた。個室から争うような声が聞こえてきたので気になったのだろう。
二人で頭を下げ、外へ出ることにした。
話が途中になってしまい、微妙な沈黙が流れる。
とりあえず学校から出るために歩き出したが、しばらく無言の時間が続いた。
「……さっきの話だけど」
気まずさに耐えかねたのか、ジェレミーが足を止める。ヨランもゆっくり顔を上げた。
「サイラスは家が隣同士で、前の父親がとんでもないヤツだったから、暴れるとよくうちに逃げてきた。子供心に守ってやらないとって思ったんだ。あいつのことは気にかけているし、願いは叶えてやりたいし、苦労した分幸せになってほしい」
「ジェレミー……、そこまで思っているなら……」
「自分でも、この気持ちが分からなくて苦しんだこともある。だけど、やっと分かったんだよ。これは……」
ジェレミーの後ろから走ってくる人が見えて、ヨランは視線を横に流す。見たことがある顔だと思ったら、エドマン家の御者だと気づいた。
ジェレミーは現在、エドマン家に支援され、敷地内の家に住んでいる。御者が迎えにきたのかと思ったが、やけに慌てた様子だった。
「た、大変、大変です! サイラス様が!」
御者の言葉にジェレミーは振り返り、ヨランは口に手を当てる。
まさか告白が早まり、断られてショックを受けたサイラスが……。
最悪の光景が目に浮かび、全身の血が冷えていくのを感じた。
色とりどりの花が咲き、鳥達が陽気に歌う。夜のパーティーとはまた違い、昼の庭園は賑やかで美しい。
ヨランは応接室の窓辺に立ち外を眺め、部屋のソファーに座ったジェレミーは、静かにお茶を飲んでいる。
「ヨラン、飲まないのか?」
「落ち着いていられるか! サイラスが怪我をしたって聞いたのに!」
「執事から大した怪我じゃないって聞いただろう」
「だけど……階段から落ちたって……」
学校からの帰り道、エドマン家の御者が慌ててジェレミーに伝えてきたのは、サイラスが怪我をしたということだった。
ヨランは悲劇が起こってしまったのかと、真っ青になり震えた。ジェレミーの方は比較的冷静で、御者も詳しく分からなかったので、状況を確認するためにエドマン邸へ向かった。
邸に到着すると執事が出てきて、サイラスは専属医師の診察を受けていると聞かされた。終わるまでお待ちくださいと言われ、通されたのが応接室で、ヨランは気が気ではなく、ウロウロと歩き回っていた。
落ち着けと頭の中で考える。
これは単なる事故で、サイラスの命に別状はない。サイラスが追い詰められたキッカケが告白なら、重要なのはこれからということだ。
兄と二人で出かけた際に告白すると言っていたので、物事に悲観的になり過ぎてはいけないと伝えたかった。
そして、その後は告白の日を特定し、その日からサイラスを尾行して、何かあったら体当たりで止める。
もう、それしか思いつかない。
しばらくすると、ガチャッとドアが開き、遅くなったと言い長身の男性が入ってきた。その姿を見たヨランは、ハッと息を呑む。
パーティーではちゃんと挨拶できず、遠くから見るだけだった。
部屋に入って来たのは、サイラスの義兄、ヘーゼルだ。部屋の隅にいるヨランに気づかずに、ジェレミーの方へ話しかけた。
「驚いただろう。ジェレミーにも、軽く伝えておくつもりが、御者が慌てていて、勝手に深刻だと思い込んでしまったらしい」
「ヘーゼルさん。サイラスは?」
「心配ない。階段で足を踏み外したが、一段目からだ。手すりに軽く頭をぶつけただけ。念のため医者にも見せたが、全く問題ない」
「よかった……」
ヨランが思わず声を漏らすと、ヘーゼルがパッと振り返った。切れ長の青い目が大きく開かれる。
「これは……、アーデルハイド家のご子息、ヨラン殿。先日のパーティーでは挨拶もできずに申し訳ございません。サイラスが大変お世話になっております」
ヘーゼルは華麗な身のこなしで、あっという間にヨランの前に来て、流れるように握手をしてきた。あまりの早技に言葉が出ない。
「よ……ヨラン・アーデルハイドです。あの、ヨランとお呼びください」
「もちろん。ヨラン、貴方のような美しい方が当家にいらっしゃると、この古ぼけた退屈な家が、王宮の大広間のように思えます」
「はあ、どうも……」
貴公子のように微笑んだヘーゼルは、ヨランの手の甲にキスをする。令嬢でもないのに、おかしいだろうと思ったが、そのまま手を離してもらえない。
困っていたら、いつのまにか隣にいたジェレミーが、ゴホンと咳払いをした。
「おおっと、これは失礼。美しい方を見るとつい体が反応してしまう、悪い癖だな」
手は離してもらえたが、ウィンクされてしまった。こんな距離の近い人は初めてで、圧倒されてしまう。
「サイラスは今、身支度をしているので、よければ私がお相手を」
「ヨラン!」
ヘーゼルと話しているのに、ジェレミーが横から入ってきた。しかも腕をグイグイと引くので、何事かとヨランは目を瞬かせる。
「いや、その……待つなら座らないか? ほら、椅子に……俺の隣に座れよ」
「ああ、いいけど……その前に……」
そして、隣で同じく裸で寝ているジェレミーを見て、ほぼ全てを思い出した。
サイラスのことで大変な状況にもかかわらず、ジェレミーに襲い掛かるなど、あってはならないことだ。
ジェレミーも酔っていた。
だから、あんなことに……。
慌てて服を着て、寝ているジェレミーを残し部屋を出た。それからまだ指導の日が来ていないので、ジェレミーと顔を合わせていない。
そして今日はサイラスの指導の日だ。兄への告白について話をしなければいけないのに、こんな状況はマズいのではとまた頭を抱える。
少し外へ出て頭を冷やそうと思い席を立つと、そこに上官が歩いてきた。
この顔をまた見ることになるとはと、混乱から一転、ムカムカと怒りが込み上げてくる。
「おや、ヨラン君。こんな時間から席を立つとは、堂々と仕事を放棄するつもりですか?」
「レム上官。お言葉ですが、すでに今日仕上げる書類は全て終わらせています。昼休憩を取らなかったので、今から少し外へ行こうかと……」
「新人のくせに生意気なっ! 叔父上から厳しく指導するように言われていますからね! 新人に休憩など必要ない、席に戻りなさい!」
レム上官の横暴さに同僚はみんな苦しんでいたが、怖くて何も言えず下を向いている。騒がれるのは面倒なので席に戻ろうとすると、上官はヨランの尻を鷲掴みにしてきた。
「生意気なくせに色気付いて……。こんな体で仕事をするなんて、教育が必要ですね」
頭の中でカチンと火花が散った。かつてのヨランは、このセクハラにずっと心を殺して耐え抜いた。苦しんで苦しんで、やっとジェレミーに相談し、助けてもらったのだ。
あの頃の、ただ怯えていた自分はもういない。
ジェレミーがボコボコに殴ってくれたが、自分は何もできなかったことを少し後悔していたくらいだ。
ヨランは尻を掴んでいる上官の手を指でつまみ、渾身の力を込めて捻り上げた。
「うぁったたたたたたっ、いたっ痛いーー!!」
「これはおかしいですね。尻に虫が付いていると思って捻ったのですが、上官でしたか」
「何をするんだ! こ、こんなことをして……タダで済むと思っているのか!?」
脅してくるのは分かっていた。
同僚達が心配そうに見てくる中、ヨランは腕を組んで上官を睨みつけた。
「どうぞ、叔父に言いつけてください」
「え?」
「その代わり、私も所長や、長官に訴えます! 徹底的にやりましょう!」
初めからこうすればよかったのだ。
叔父のことを気にするばかり、ヨランはもっと上に向かい、声を上げる方法を取らなかった。ヨランが一人で奮闘していると、同じようにセクハラを受けていた女性の同僚が立ち上がった。
「私も……私も訴えます!」
それを皮切りに、次々と同僚が立ち上がった。これには歯を剥き出しにしていた上官も黙り込み後退りをした。
「くっ……ふざけやがって……!」
悔しそうにして頭を振った後、転びそうになりながらドアから出て行った。
パタンとドアが閉まると、一斉に同僚達が拍手をして、ヨランにありがとうと声をかけてきた。
新人の部署は大人しい者だけが集められており、みんなやりたい放題だった上官に怯え、耐えるしかなかったのだ。
やってやったぞとヨランは鼻から息をして、手を握りしめた。ジェレミーのように、殴ってやろうと思ったが、喧嘩慣れしていないので、負傷する可能性がある。あんな男のために、怪我をするなんてまっぴらだ。
クビになるかもしれないが、それならそれでいい。
時戻りをした今、審問官の仕事に未練はない。
そもそも叔父の顔を立てるために就いた職場だ。どんなに難しい案件を解決させても、叔父の力が動き、裁判官にはなれず、下っ端のままだった。
それならいっそ、時戻りの人生では、別の道を歩むのもいいかもしれない。
ヨランは興奮したまま、貴族学校の門をくぐり、指導室までやって来た。
すべて上手くいっている気分でいたが、そこにジェレミーが立っているのが見えて、一気に現実へ引き戻される。
「よ……よう、遅かったな」
気まずそうな顔をしたジェレミーを見て、回れ右をして帰りたくなった。
「サイラスは?」
「休みだ」
「休み!?」
まさかこんな時に、休まれるとは思わず、ヨランはもっと気が遠くなる。
「ちょっといいか? 話がしたい」
「……分かった」
ジェレミーが指導室を指差したので、ヨランは頷き、小さく息を吐いた。
酔った勢いとはいえ、無かったことにしてくれと言われるだろう。
そう思いながらジェレミーの後に続き指導室に入る。ドアが閉まった瞬間、背を向けていたジェレミーはくるりと振り向いてきた。
「あの……この前は……」
「大丈夫だったか?」
「え?」
「かなり、飲んでいただろう? 無理をさせたんじゃないかと思って……朝、聞けなかったから……」
忘れろと迫ってくるのではなく、体を気遣ってくれるジェレミーに、胸がキュッと鳴ってしまう。元から優しい人だった。やっぱりジェレミーだなと、胸に沁みる。
「体は大丈夫。少し二日酔いがあったけど、もう平気だ。それよりあの事だけど、誰にも言うつもりはない」
「……え?」
「あれは酔って起きた事故だ。お互い忘れた方がいいだろう」
サイラスが好きなら忘れた方がいい、そう言おうとしたら、ジェレミーはガシッとヨランの肩を掴んだ。
「好きなヤツがいるからか?」
「は?」
「サイラスから聞いた。ヨランには好きな相手がいるって。そいつのせいで、あの夜のことを忘れようとしているのか?」
「それは…………」
君だよ。
そう言いたいが、優しいジェレミーは、自分の気持ちを押し込めて責任を取ると言いそうだ。
一度目とは違う。
今はサイラスが生きている。
今度はジェレミーの思う通りに生きてほしい。
ヨランは口を閉じて目を逸らした
「……忘れたりしない、絶対に」
「ジェレミ……んんっ」
壁に押し付けられ、ジェレミーに唇を奪われる。
ダメだとジェレミーの胸を押すが、少しの力ではビクともしない。
「は……う……ん…………ぁ…………」
口内を舐められて口の端から涎がこぼれ落ちる。そのまま熱に溺れそうになるのを何とか留めた。
「だ、ダメだ……ジェレミー!」
ジェレミーの胸を叩き、顔を逸らして腕から逃れた。口を拭ったヨランは、ジェレミーに強い視線を送る。
「こんなのは……ダメだ!」
「どうして……」
「サイラスと付き合っているだろう?」
「は? それはフリだって!」
「フリでも、お前は違う。サイラスが好きなんだろう?」
「好きだよ。好きだけどそれは——」
コンコンとノックの音が響き、ヨランはパッとジェレミーから離れた。
ドアが開き、指導室の担当教官が顔を出して、何かあったのかと聞いてきた。個室から争うような声が聞こえてきたので気になったのだろう。
二人で頭を下げ、外へ出ることにした。
話が途中になってしまい、微妙な沈黙が流れる。
とりあえず学校から出るために歩き出したが、しばらく無言の時間が続いた。
「……さっきの話だけど」
気まずさに耐えかねたのか、ジェレミーが足を止める。ヨランもゆっくり顔を上げた。
「サイラスは家が隣同士で、前の父親がとんでもないヤツだったから、暴れるとよくうちに逃げてきた。子供心に守ってやらないとって思ったんだ。あいつのことは気にかけているし、願いは叶えてやりたいし、苦労した分幸せになってほしい」
「ジェレミー……、そこまで思っているなら……」
「自分でも、この気持ちが分からなくて苦しんだこともある。だけど、やっと分かったんだよ。これは……」
ジェレミーの後ろから走ってくる人が見えて、ヨランは視線を横に流す。見たことがある顔だと思ったら、エドマン家の御者だと気づいた。
ジェレミーは現在、エドマン家に支援され、敷地内の家に住んでいる。御者が迎えにきたのかと思ったが、やけに慌てた様子だった。
「た、大変、大変です! サイラス様が!」
御者の言葉にジェレミーは振り返り、ヨランは口に手を当てる。
まさか告白が早まり、断られてショックを受けたサイラスが……。
最悪の光景が目に浮かび、全身の血が冷えていくのを感じた。
色とりどりの花が咲き、鳥達が陽気に歌う。夜のパーティーとはまた違い、昼の庭園は賑やかで美しい。
ヨランは応接室の窓辺に立ち外を眺め、部屋のソファーに座ったジェレミーは、静かにお茶を飲んでいる。
「ヨラン、飲まないのか?」
「落ち着いていられるか! サイラスが怪我をしたって聞いたのに!」
「執事から大した怪我じゃないって聞いただろう」
「だけど……階段から落ちたって……」
学校からの帰り道、エドマン家の御者が慌ててジェレミーに伝えてきたのは、サイラスが怪我をしたということだった。
ヨランは悲劇が起こってしまったのかと、真っ青になり震えた。ジェレミーの方は比較的冷静で、御者も詳しく分からなかったので、状況を確認するためにエドマン邸へ向かった。
邸に到着すると執事が出てきて、サイラスは専属医師の診察を受けていると聞かされた。終わるまでお待ちくださいと言われ、通されたのが応接室で、ヨランは気が気ではなく、ウロウロと歩き回っていた。
落ち着けと頭の中で考える。
これは単なる事故で、サイラスの命に別状はない。サイラスが追い詰められたキッカケが告白なら、重要なのはこれからということだ。
兄と二人で出かけた際に告白すると言っていたので、物事に悲観的になり過ぎてはいけないと伝えたかった。
そして、その後は告白の日を特定し、その日からサイラスを尾行して、何かあったら体当たりで止める。
もう、それしか思いつかない。
しばらくすると、ガチャッとドアが開き、遅くなったと言い長身の男性が入ってきた。その姿を見たヨランは、ハッと息を呑む。
パーティーではちゃんと挨拶できず、遠くから見るだけだった。
部屋に入って来たのは、サイラスの義兄、ヘーゼルだ。部屋の隅にいるヨランに気づかずに、ジェレミーの方へ話しかけた。
「驚いただろう。ジェレミーにも、軽く伝えておくつもりが、御者が慌てていて、勝手に深刻だと思い込んでしまったらしい」
「ヘーゼルさん。サイラスは?」
「心配ない。階段で足を踏み外したが、一段目からだ。手すりに軽く頭をぶつけただけ。念のため医者にも見せたが、全く問題ない」
「よかった……」
ヨランが思わず声を漏らすと、ヘーゼルがパッと振り返った。切れ長の青い目が大きく開かれる。
「これは……、アーデルハイド家のご子息、ヨラン殿。先日のパーティーでは挨拶もできずに申し訳ございません。サイラスが大変お世話になっております」
ヘーゼルは華麗な身のこなしで、あっという間にヨランの前に来て、流れるように握手をしてきた。あまりの早技に言葉が出ない。
「よ……ヨラン・アーデルハイドです。あの、ヨランとお呼びください」
「もちろん。ヨラン、貴方のような美しい方が当家にいらっしゃると、この古ぼけた退屈な家が、王宮の大広間のように思えます」
「はあ、どうも……」
貴公子のように微笑んだヘーゼルは、ヨランの手の甲にキスをする。令嬢でもないのに、おかしいだろうと思ったが、そのまま手を離してもらえない。
困っていたら、いつのまにか隣にいたジェレミーが、ゴホンと咳払いをした。
「おおっと、これは失礼。美しい方を見るとつい体が反応してしまう、悪い癖だな」
手は離してもらえたが、ウィンクされてしまった。こんな距離の近い人は初めてで、圧倒されてしまう。
「サイラスは今、身支度をしているので、よければ私がお相手を」
「ヨラン!」
ヘーゼルと話しているのに、ジェレミーが横から入ってきた。しかも腕をグイグイと引くので、何事かとヨランは目を瞬かせる。
「いや、その……待つなら座らないか? ほら、椅子に……俺の隣に座れよ」
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