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最終章
26、暫しの温もり
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朝から風が強かった。
ガタガタと揺れる窓の音で目を覚ましたリカルドは、水桶からくんだ水で顔を洗うと、ヨシと言って動き出した。
皇宮の厨房の横を通ると、朝早くから食材の下ごしらえをしていた料理人達が途方に暮れていた。
なんでも、招待客用の食事のリストが、外部に漏れたので、急遽当日に変更になったらしい。
もしかしたら、リリーローズが目撃した、使用人が情報を漏らしていたという件かもしれない。
料理人は大変だが、騒動が起きそうなことは、少しでも事前に防いでおかなくてはいけない。
慌ただしくなりそうな厨房を後にして、リカルドはセイブリアンの部屋へと急いだ。
即位式の流れは決まっていた。
皇太子は早朝から、皇宮の北に広がる森を抜けて、北東にある神殿にこもり、神への祈りを捧げる。
午後になると神殿の扉が開かれて、大聖堂にて即位の儀が行われる。
立会人として招待されたのは、皇族、国の貴族、周辺国の王族や貴族も含まれていた。
大聖堂はかなりの大きさだが、その周りを取り囲むように兵士が配置されている。
神殿の東と西には、それぞれ別の入口があるが、そこにも多くの兵が配置されて、皇宮の騎士や、そこにベイリーから来た騎士達も警備に参加している。
皇宮と神殿を繋ぐ、神の森は、皇宮騎士団が中心となって警備しているので、こちらも完璧に思われた。
皇宮全体は難攻不落と呼ばれて、高台の立地に加えて、容易に攻められない構造になっているので、いざとなれば皇宮に戻り、完全防御の体制をとる準備も進められていた。
皇太子は即位の儀を行った後、皇宮内で最初の勅令を発する予定になっている。
そこで国として周辺国と和平の道を進むことと、皇弟達の強い権限を奪い、反対する者は皇都から遠い場所へ送られるとされていた。
皇太子反対派が動くなら、今であることは考えられるが、果たして本当に仕掛けてくるのか、予想ができなかった。
「失礼します」
支度中だと聞いて廊下に立っていたが、名前を呼ばれて、リカルドはセイブリアンが着替えている部屋に入った。
「わぁぁっ……!」
大鏡の前に立っているセイブリアンを見つけたリカルドは、息を吸い込んで声を上げてしまった。
セイブリアンは皇族用の黒い軍服を着ていた。
胸に並んだ光り輝く勲章、襟や袖には金糸が織り込まれていて、体に沿って作られた礼服は、セイブリアンの大きな体をより逞しく見せて、目が眩むほどカッコ良かった。
セイブリアンは入り口に背を向けていたので、肩からお尻にかけての引き締まったラインが、最初に目に入って、釘付けになり、ドキドキと胸が高鳴った。
くるりと振り返ったセイブリアンの髪は、ビシッと後ろに撫で付けられていて、いつもより色っぽく見えてしまった。
「こういう格好は苦手なんだ。窮屈で、自分ではない気がしてしまう」
「そんな……すごく、素敵です。カッコ良くて、目が離せないです」
吸い寄せられるように、鏡の前に立っているセイブリアンに近づいたリカルドは、腰に下げられている長剣に触れた。
豪華な宝石の飾りがついていて、実用的ではなさそうなので、儀式用のものだと思った。
「欲しいか? 皇家の宝だが、リカルドが欲しいなら……」
「いっ……いいですよ。そんな恐れ多い。色んな意味で重くて動けません」
手を振って困った顔をしたリカルドを見て、セイブリアンはぷっと噴き出して、その手を掴んで自分の方へ引き寄せた。
ぽすっと、セイブリアンの胸に飛び込んだリカルドが顔を上げると、自分を見て微笑んでいるセイブリアンと目が合った。
「可愛いな、可愛くて仕方がない」
こんな平凡な顔を見て、可愛いなんて言うのはセイブリアンくらいだろう。
それでも、そう言われると、嬉しくて恥ずかしくなり、リカルドは隠れるように、セイブリアンの胸に顔を埋めた。
「こんな時でなければ、リカルドをこのままベッドに連れて行きたい」
「ええっ!」
「頭から足の先まで、愛したい。全部自分のものだと、愛を注ぎ込みたい」
昨夜両思いだと確認したが、いきなりこんな熱量で来られると、どう返していいのか分からない。
ぎゅっと抱きしめられたリカルドは、激しく揺れる胸の鼓動に眩暈がしそうだった。
「せ、セイブリアン様、嬉しいんですけど、そんな……ことは、心臓が持ちません」
「分かっている。大事な時に、こんなところで、無茶なことをするつもりはない」
そう言いながらもセイブリアンはリカルドの背中を大鏡に押し当てて、長い指で軽く顎を持ち上げた。
「これくらいはいいだろう。昨日の続きだから」
「つづ……んっ……」
何かと問いかける前に、リカルドの口は、セイブリアンの口で塞がれた。
昨夜感じたあの柔らかさと、熱い舌を思い出して、ブルっと震えると、少し開いた口の中に、セイブリアンの舌が入ってきた。
「ぁ……んんっ…………ふぅ……」
今朝は温く湿っていて、それが余計に欲情を煽っていく。
ざらついた舌がリカルドの舌を見つけると、ぬるりと絡んできた。
「んっ……」
口付けを覚えたばかりで、どう反応するのが正しいのか分からないが、セイブリアンと同じように舌を動かして絡ませてみると、角度を変えたセイブリアンは、もっと深くリカルドの口に吸い付いてきた。
「はぁ…………ぁ……う……んん」
どこでいつ、息をしていいのか分からず、わずかに唇が離れた時に、息を吸おうとすると声が出てしまう。
セイブリアンはそれが嬉しいようで、もっと鏡に押し付けられて、貪るように口付けられた。
なんて気持ちいいんだろう。
口の中が溶けてしまいそうだ。
頭がぼんやりして、力が入らなくなり、リカルドはセイブリアンの頭の後ろに腕を回してしがみついた。
するとその時、ドアをコンコンとノックする音が室内に響いた。
「皇子殿下、そろそろお時間です。馬車の準備ができました」
開けてよろしいですかと、ルーセントの声が聞こえて、リカルドの頭は一気に現実に引き戻された。
そこで唇を離したセイブリアンの体が、そのまま離れていくと、名残惜しくて腕を掴みたくなってしまった。
「失礼します……、支度は終えられたのですね。馬車の用意はできております」
ルーセントが部屋に入ってきたので、リカルドは鏡の前で、乱れたセイブリアンの襟元を直した。
リカルドは、赤くなった顔を見られないように、俯いて顔を隠したので、ルーセントに気付かれずにすんだ。
「行くぞ」
セイブリアンが歩き出したので、リカルドとルーセントが後ろに続いた。
皇宮の使用人達が足を止めて、端に移動して頭を下げている中を、セイブリアンは堂々と進んでいく。
大きな肩幅、逞しい立派な後ろ姿を見ながら、リカルドは頭の中でため息を漏らした。
昨夜、お互いの気持ちを確認し合ったが、本当にこんな人と自分が付き合うことになったなんて、信じられなかった。
今までも優しくしてもらえたのに、恋人になったらどうなるのか、想像もできなかった。
嬉しくて、嬉しくて。
気持ちはとっくに走り出していた。
しかし、浮かれてばかりはいられない。
今は帝国にとって大事な時、何が起こるか分からない式典を前にして、一歩進むごとに緊張が高まってきた。
あのミケーレが、帝国に入国しているという話は本当なのか、考える度に、色々な問題が増えていくような気がした。
神殿へと続く北の森は、皇族のみが通行可能となっている。
森は迷いの森とも呼ばれて、神殿への道以外は、誰でも迷ってしまうと言われている。
そのため、他の参列者は大きく迂回して神殿に入る道を進む必要がある。
セイブリアンは皇子であるため、森を抜ける道を進み、神殿へと向かうことになった。
一本道であるが、距離があるので、移動は馬車になる。
セイブリアンは皇族用の馬車に乗り、周囲は騎乗した騎士達が囲んだ。
リカルドは御者台に乗って、遠くに見える神殿の建物を目指して進むことになった。
移動中、森の中に、馬の蹄の音と車輪の音が響き渡り、誰も喋る者はいない。
少しずつ空気は重くなって、厳かな空気に包まれていった。
一時間ほど走り続けて、ようやく神殿の前に到着した。
白い石で造られた神殿は、世界を創造したといわれる神に祈りを捧げるために造られたもので、フランティアでも同じ信仰がある。
ここでベイリーの騎士団のほとんどは、神殿門外の警備に向かい、少数は神殿の中に残った。
リカルドと、ルーセント、アルジェンも残り、セイブリアンと一緒に中へ入ることになった。
神殿の中はたくさんの人が行き来していたが、しんと静まり返っていた。
セイブリアンは、皇帝が祈りを終えた後に使用される休憩室で待つことになった。
ルーセントとアルジェンは部屋の前に立ち、リカルドは休憩室でお茶の用意をした。
その間、セイブリアンは窓辺に立って、外の様子を確認していた。
「お茶ができました。熱いのでお気をつけください」
「ああ、ありがとう」
神殿は質素であることが良しとされているらしく、休憩室と言っても、机とソファーが置かれているだけで、他は何もないただ広い部屋だった。
セイブリアンは、ソファーに座ってリカルドが入れたお茶を飲んだ。
「中も静かだが、外も静かだ。まるで何もない一日のように思えてくる。このまま、静かに過ぎ去ってくれたらいいが……」
「あの……、ミケーレ団長ですが……、本当に帝国内にいるのでしょうか。まさか、敵国の皇子と手を組むなんて……」
「……お前から見たミケーレはどんなやつだった?」
「それは……」
同じ上司でも、セイブリアンとは比べ物にならないほど、利己的な人だったことを思い出した。
何かあれば、お前を残してやったのは俺だと言って、面倒な仕事を押し付けてきた。
火事が起きる前は、平民でありながら、期待の新人と呼ばれたリカルドのことを、嫌な目で見てきた。
彼なら勝手に進軍したように、周囲を巻き込んで自分の利益のために、動きそうだとは思った。
「自分の目的を邪魔する者には容赦しなかったです。一族の人はみんな似たような感じで、いつも威張っていましたね」
「おそらくずる賢い皇子の甘言に踊らされていると思うが、ミケーレ自身、かなり問題がある男だ」
そう言った後、セイブリアンの表情は険しくなり、言葉が詰まってしまったように見えた。
いつもと違う様子に、何かあると思ったリカルドは、壁際に立っていたが、ソファーに近づいた。
「……セイブリアン様のことですから、ミケーレ団長の調査をされたのではないですか? 何か、分かったことでも?」
「ああ、それなんだが……」
「もしかして、俺に関することですか? 教えてください」
「…………」
セイブリアンの深刻な顔から、何か重要な情報だと思ったが、重そうな口はなかなか動く気配がなかった。
「俺は大丈夫です。セイブリアン様に、心を強くする方法を教えてもらいました。何を言われても、強く立っている自信があります」
「リカルド……」
真剣な眼差しのリカルドを見て、思い詰めたような顔をしていたセイブリアンだが、ふっと力が抜けて、緩んだ口元から息が漏れた。
「すまない、お前はもう立派に強い男だったな。傷つけたくないと思ったが、これは伝えるべきことだな」
「覚悟をしています」
「分かった、実は――」
セイブリアンが体の向きを変えて、口を開いた時、コンコンとノックの音が響いた。
皇太子殿下がいらっしゃいましたと聞こえたので、話しているわけにいかなくなった。
セイブリアンが目線で後でまたと送ってきたので、リカルドが分かりましたと頷いた瞬間、ガチャリとドアが開けられた。
「リアン、待たせたな」
笑顔で部屋に入って来たのは、セイブリアンの兄、皇太子のユリウスだった。
上下白い衣装を纏ったユリウスが颯爽と現れると、部屋の中の空気が変わり、華やいだものになった。
さすがの存在感だなと、リカルドは圧倒されてしまった。
「午前の儀は終わった。しばらく休息だ」
「滞りなく終えられたこと、お喜び申し上げます」
セイブリアンが頭を下げたので、壁際に下がったリカルドも、そこで頭を下げた。
「ここまで来られたのもお前のおかげだ。色々報告は聞いているが感謝している」
「まだ気を緩めるのは早い。静か過ぎるのが気になるんだ」
分かっていると言って近づいて来たユリウスは、セイブリアンと固い握手をした。
「リリーは? 姿が見えないが……」
「朝から体調が悪い。今日は立っているだけだから、大事をとって下がらせた。皇宮の自室で休んでいるはずだ」
「そうか……、何か必要なことがあれば言ってくれ。こちらの人員を回すこともできる」
「ああ、分かった。すまないな」
セイブリアンは硬い表情だったが、ユリウスは始終口元に笑みを浮かべていた。
そんなユリウスの視線が、そこでセイブリアンから離れて、自分の方に来てしまったので、リカルドはビクッと背中を揺らした。
「……あの者は? フランティア人か?」
「そうだ。名前はリカルド。戦場に取り残されていたところを拾って、今は俺の侍従と、ベイリーでは護衛騎士をやっている」
「フランティア人に身の回りを任せているのか? まったくお前は……変わらないなぁ」
そう言ったユリウスに、穴が空くほど見つめられて、ニコッと笑いかけられたので、リカルドは緊張しながら頭を下げた。
ニコニコしていたユリウスだが、何か急に思い出したかのように、表情が固まってしまった。
「ま……まさか?」
「え?」
口をパクパクさせながら慌てた様子のユリウスを見て、リカルドは何が起きたのか分からずにポカンとしてしまった。
「部下? と言うことはあの……あのあれはもしかして??」
「ユリ、その話は後で……」
兄弟で何か秘密の話でもあるのだろうか。
セイブリアンの困った横顔を見て、聞いてはいけない話なのかもしれないと、リカルドは気まずい気持ちで後ろへ下がった。
しかし、距離を取ったのに、それに気付いたのか、ユリウスの方がツカツカと近づいて来て、真ん前に立たれてしまった。
「うーん、特にこれといって……」
「な、なんでしょうか……?」
ユリウスはセイブリアンと同じで体格が良くて、とにかく体がデカい。
はるか上から見下ろされて、緊張で冷や汗が出てきたところで、ヌッと間にセイブリアンが体を捩じ込ませてきた。
「いい加減にしろ、午後に備えて、ソファーにでも座って休んでいろ」
「あー、隠したな! ますます怪しい! もしかしてルーセントかと思っていたが、これは外れたな」
「ばっ、ルーセントなわけがあるか! ジロジロ見るなって」
セイブリアンがユリウスの背中を押して、何やら兄弟で仲良さそうにソファーに戻っていくので、リカルドはますますポカンとしてしまった。
ガタガタと揺れる窓の音で目を覚ましたリカルドは、水桶からくんだ水で顔を洗うと、ヨシと言って動き出した。
皇宮の厨房の横を通ると、朝早くから食材の下ごしらえをしていた料理人達が途方に暮れていた。
なんでも、招待客用の食事のリストが、外部に漏れたので、急遽当日に変更になったらしい。
もしかしたら、リリーローズが目撃した、使用人が情報を漏らしていたという件かもしれない。
料理人は大変だが、騒動が起きそうなことは、少しでも事前に防いでおかなくてはいけない。
慌ただしくなりそうな厨房を後にして、リカルドはセイブリアンの部屋へと急いだ。
即位式の流れは決まっていた。
皇太子は早朝から、皇宮の北に広がる森を抜けて、北東にある神殿にこもり、神への祈りを捧げる。
午後になると神殿の扉が開かれて、大聖堂にて即位の儀が行われる。
立会人として招待されたのは、皇族、国の貴族、周辺国の王族や貴族も含まれていた。
大聖堂はかなりの大きさだが、その周りを取り囲むように兵士が配置されている。
神殿の東と西には、それぞれ別の入口があるが、そこにも多くの兵が配置されて、皇宮の騎士や、そこにベイリーから来た騎士達も警備に参加している。
皇宮と神殿を繋ぐ、神の森は、皇宮騎士団が中心となって警備しているので、こちらも完璧に思われた。
皇宮全体は難攻不落と呼ばれて、高台の立地に加えて、容易に攻められない構造になっているので、いざとなれば皇宮に戻り、完全防御の体制をとる準備も進められていた。
皇太子は即位の儀を行った後、皇宮内で最初の勅令を発する予定になっている。
そこで国として周辺国と和平の道を進むことと、皇弟達の強い権限を奪い、反対する者は皇都から遠い場所へ送られるとされていた。
皇太子反対派が動くなら、今であることは考えられるが、果たして本当に仕掛けてくるのか、予想ができなかった。
「失礼します」
支度中だと聞いて廊下に立っていたが、名前を呼ばれて、リカルドはセイブリアンが着替えている部屋に入った。
「わぁぁっ……!」
大鏡の前に立っているセイブリアンを見つけたリカルドは、息を吸い込んで声を上げてしまった。
セイブリアンは皇族用の黒い軍服を着ていた。
胸に並んだ光り輝く勲章、襟や袖には金糸が織り込まれていて、体に沿って作られた礼服は、セイブリアンの大きな体をより逞しく見せて、目が眩むほどカッコ良かった。
セイブリアンは入り口に背を向けていたので、肩からお尻にかけての引き締まったラインが、最初に目に入って、釘付けになり、ドキドキと胸が高鳴った。
くるりと振り返ったセイブリアンの髪は、ビシッと後ろに撫で付けられていて、いつもより色っぽく見えてしまった。
「こういう格好は苦手なんだ。窮屈で、自分ではない気がしてしまう」
「そんな……すごく、素敵です。カッコ良くて、目が離せないです」
吸い寄せられるように、鏡の前に立っているセイブリアンに近づいたリカルドは、腰に下げられている長剣に触れた。
豪華な宝石の飾りがついていて、実用的ではなさそうなので、儀式用のものだと思った。
「欲しいか? 皇家の宝だが、リカルドが欲しいなら……」
「いっ……いいですよ。そんな恐れ多い。色んな意味で重くて動けません」
手を振って困った顔をしたリカルドを見て、セイブリアンはぷっと噴き出して、その手を掴んで自分の方へ引き寄せた。
ぽすっと、セイブリアンの胸に飛び込んだリカルドが顔を上げると、自分を見て微笑んでいるセイブリアンと目が合った。
「可愛いな、可愛くて仕方がない」
こんな平凡な顔を見て、可愛いなんて言うのはセイブリアンくらいだろう。
それでも、そう言われると、嬉しくて恥ずかしくなり、リカルドは隠れるように、セイブリアンの胸に顔を埋めた。
「こんな時でなければ、リカルドをこのままベッドに連れて行きたい」
「ええっ!」
「頭から足の先まで、愛したい。全部自分のものだと、愛を注ぎ込みたい」
昨夜両思いだと確認したが、いきなりこんな熱量で来られると、どう返していいのか分からない。
ぎゅっと抱きしめられたリカルドは、激しく揺れる胸の鼓動に眩暈がしそうだった。
「せ、セイブリアン様、嬉しいんですけど、そんな……ことは、心臓が持ちません」
「分かっている。大事な時に、こんなところで、無茶なことをするつもりはない」
そう言いながらもセイブリアンはリカルドの背中を大鏡に押し当てて、長い指で軽く顎を持ち上げた。
「これくらいはいいだろう。昨日の続きだから」
「つづ……んっ……」
何かと問いかける前に、リカルドの口は、セイブリアンの口で塞がれた。
昨夜感じたあの柔らかさと、熱い舌を思い出して、ブルっと震えると、少し開いた口の中に、セイブリアンの舌が入ってきた。
「ぁ……んんっ…………ふぅ……」
今朝は温く湿っていて、それが余計に欲情を煽っていく。
ざらついた舌がリカルドの舌を見つけると、ぬるりと絡んできた。
「んっ……」
口付けを覚えたばかりで、どう反応するのが正しいのか分からないが、セイブリアンと同じように舌を動かして絡ませてみると、角度を変えたセイブリアンは、もっと深くリカルドの口に吸い付いてきた。
「はぁ…………ぁ……う……んん」
どこでいつ、息をしていいのか分からず、わずかに唇が離れた時に、息を吸おうとすると声が出てしまう。
セイブリアンはそれが嬉しいようで、もっと鏡に押し付けられて、貪るように口付けられた。
なんて気持ちいいんだろう。
口の中が溶けてしまいそうだ。
頭がぼんやりして、力が入らなくなり、リカルドはセイブリアンの頭の後ろに腕を回してしがみついた。
するとその時、ドアをコンコンとノックする音が室内に響いた。
「皇子殿下、そろそろお時間です。馬車の準備ができました」
開けてよろしいですかと、ルーセントの声が聞こえて、リカルドの頭は一気に現実に引き戻された。
そこで唇を離したセイブリアンの体が、そのまま離れていくと、名残惜しくて腕を掴みたくなってしまった。
「失礼します……、支度は終えられたのですね。馬車の用意はできております」
ルーセントが部屋に入ってきたので、リカルドは鏡の前で、乱れたセイブリアンの襟元を直した。
リカルドは、赤くなった顔を見られないように、俯いて顔を隠したので、ルーセントに気付かれずにすんだ。
「行くぞ」
セイブリアンが歩き出したので、リカルドとルーセントが後ろに続いた。
皇宮の使用人達が足を止めて、端に移動して頭を下げている中を、セイブリアンは堂々と進んでいく。
大きな肩幅、逞しい立派な後ろ姿を見ながら、リカルドは頭の中でため息を漏らした。
昨夜、お互いの気持ちを確認し合ったが、本当にこんな人と自分が付き合うことになったなんて、信じられなかった。
今までも優しくしてもらえたのに、恋人になったらどうなるのか、想像もできなかった。
嬉しくて、嬉しくて。
気持ちはとっくに走り出していた。
しかし、浮かれてばかりはいられない。
今は帝国にとって大事な時、何が起こるか分からない式典を前にして、一歩進むごとに緊張が高まってきた。
あのミケーレが、帝国に入国しているという話は本当なのか、考える度に、色々な問題が増えていくような気がした。
神殿へと続く北の森は、皇族のみが通行可能となっている。
森は迷いの森とも呼ばれて、神殿への道以外は、誰でも迷ってしまうと言われている。
そのため、他の参列者は大きく迂回して神殿に入る道を進む必要がある。
セイブリアンは皇子であるため、森を抜ける道を進み、神殿へと向かうことになった。
一本道であるが、距離があるので、移動は馬車になる。
セイブリアンは皇族用の馬車に乗り、周囲は騎乗した騎士達が囲んだ。
リカルドは御者台に乗って、遠くに見える神殿の建物を目指して進むことになった。
移動中、森の中に、馬の蹄の音と車輪の音が響き渡り、誰も喋る者はいない。
少しずつ空気は重くなって、厳かな空気に包まれていった。
一時間ほど走り続けて、ようやく神殿の前に到着した。
白い石で造られた神殿は、世界を創造したといわれる神に祈りを捧げるために造られたもので、フランティアでも同じ信仰がある。
ここでベイリーの騎士団のほとんどは、神殿門外の警備に向かい、少数は神殿の中に残った。
リカルドと、ルーセント、アルジェンも残り、セイブリアンと一緒に中へ入ることになった。
神殿の中はたくさんの人が行き来していたが、しんと静まり返っていた。
セイブリアンは、皇帝が祈りを終えた後に使用される休憩室で待つことになった。
ルーセントとアルジェンは部屋の前に立ち、リカルドは休憩室でお茶の用意をした。
その間、セイブリアンは窓辺に立って、外の様子を確認していた。
「お茶ができました。熱いのでお気をつけください」
「ああ、ありがとう」
神殿は質素であることが良しとされているらしく、休憩室と言っても、机とソファーが置かれているだけで、他は何もないただ広い部屋だった。
セイブリアンは、ソファーに座ってリカルドが入れたお茶を飲んだ。
「中も静かだが、外も静かだ。まるで何もない一日のように思えてくる。このまま、静かに過ぎ去ってくれたらいいが……」
「あの……、ミケーレ団長ですが……、本当に帝国内にいるのでしょうか。まさか、敵国の皇子と手を組むなんて……」
「……お前から見たミケーレはどんなやつだった?」
「それは……」
同じ上司でも、セイブリアンとは比べ物にならないほど、利己的な人だったことを思い出した。
何かあれば、お前を残してやったのは俺だと言って、面倒な仕事を押し付けてきた。
火事が起きる前は、平民でありながら、期待の新人と呼ばれたリカルドのことを、嫌な目で見てきた。
彼なら勝手に進軍したように、周囲を巻き込んで自分の利益のために、動きそうだとは思った。
「自分の目的を邪魔する者には容赦しなかったです。一族の人はみんな似たような感じで、いつも威張っていましたね」
「おそらくずる賢い皇子の甘言に踊らされていると思うが、ミケーレ自身、かなり問題がある男だ」
そう言った後、セイブリアンの表情は険しくなり、言葉が詰まってしまったように見えた。
いつもと違う様子に、何かあると思ったリカルドは、壁際に立っていたが、ソファーに近づいた。
「……セイブリアン様のことですから、ミケーレ団長の調査をされたのではないですか? 何か、分かったことでも?」
「ああ、それなんだが……」
「もしかして、俺に関することですか? 教えてください」
「…………」
セイブリアンの深刻な顔から、何か重要な情報だと思ったが、重そうな口はなかなか動く気配がなかった。
「俺は大丈夫です。セイブリアン様に、心を強くする方法を教えてもらいました。何を言われても、強く立っている自信があります」
「リカルド……」
真剣な眼差しのリカルドを見て、思い詰めたような顔をしていたセイブリアンだが、ふっと力が抜けて、緩んだ口元から息が漏れた。
「すまない、お前はもう立派に強い男だったな。傷つけたくないと思ったが、これは伝えるべきことだな」
「覚悟をしています」
「分かった、実は――」
セイブリアンが体の向きを変えて、口を開いた時、コンコンとノックの音が響いた。
皇太子殿下がいらっしゃいましたと聞こえたので、話しているわけにいかなくなった。
セイブリアンが目線で後でまたと送ってきたので、リカルドが分かりましたと頷いた瞬間、ガチャリとドアが開けられた。
「リアン、待たせたな」
笑顔で部屋に入って来たのは、セイブリアンの兄、皇太子のユリウスだった。
上下白い衣装を纏ったユリウスが颯爽と現れると、部屋の中の空気が変わり、華やいだものになった。
さすがの存在感だなと、リカルドは圧倒されてしまった。
「午前の儀は終わった。しばらく休息だ」
「滞りなく終えられたこと、お喜び申し上げます」
セイブリアンが頭を下げたので、壁際に下がったリカルドも、そこで頭を下げた。
「ここまで来られたのもお前のおかげだ。色々報告は聞いているが感謝している」
「まだ気を緩めるのは早い。静か過ぎるのが気になるんだ」
分かっていると言って近づいて来たユリウスは、セイブリアンと固い握手をした。
「リリーは? 姿が見えないが……」
「朝から体調が悪い。今日は立っているだけだから、大事をとって下がらせた。皇宮の自室で休んでいるはずだ」
「そうか……、何か必要なことがあれば言ってくれ。こちらの人員を回すこともできる」
「ああ、分かった。すまないな」
セイブリアンは硬い表情だったが、ユリウスは始終口元に笑みを浮かべていた。
そんなユリウスの視線が、そこでセイブリアンから離れて、自分の方に来てしまったので、リカルドはビクッと背中を揺らした。
「……あの者は? フランティア人か?」
「そうだ。名前はリカルド。戦場に取り残されていたところを拾って、今は俺の侍従と、ベイリーでは護衛騎士をやっている」
「フランティア人に身の回りを任せているのか? まったくお前は……変わらないなぁ」
そう言ったユリウスに、穴が空くほど見つめられて、ニコッと笑いかけられたので、リカルドは緊張しながら頭を下げた。
ニコニコしていたユリウスだが、何か急に思い出したかのように、表情が固まってしまった。
「ま……まさか?」
「え?」
口をパクパクさせながら慌てた様子のユリウスを見て、リカルドは何が起きたのか分からずにポカンとしてしまった。
「部下? と言うことはあの……あのあれはもしかして??」
「ユリ、その話は後で……」
兄弟で何か秘密の話でもあるのだろうか。
セイブリアンの困った横顔を見て、聞いてはいけない話なのかもしれないと、リカルドは気まずい気持ちで後ろへ下がった。
しかし、距離を取ったのに、それに気付いたのか、ユリウスの方がツカツカと近づいて来て、真ん前に立たれてしまった。
「うーん、特にこれといって……」
「な、なんでしょうか……?」
ユリウスはセイブリアンと同じで体格が良くて、とにかく体がデカい。
はるか上から見下ろされて、緊張で冷や汗が出てきたところで、ヌッと間にセイブリアンが体を捩じ込ませてきた。
「いい加減にしろ、午後に備えて、ソファーにでも座って休んでいろ」
「あー、隠したな! ますます怪しい! もしかしてルーセントかと思っていたが、これは外れたな」
「ばっ、ルーセントなわけがあるか! ジロジロ見るなって」
セイブリアンがユリウスの背中を押して、何やら兄弟で仲良さそうにソファーに戻っていくので、リカルドはますますポカンとしてしまった。
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仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!
原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!
だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。
「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」
死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?
原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に!
見どころ
・転生
・主従
・推しである原作悪役に溺愛される
・前世の経験と知識を活かす
・政治的な駆け引きとバトル要素(少し)
・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程)
・黒猫もふもふ
番外編では。
・もふもふ獣人化
・切ない裏側
・少年時代
などなど
最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。
婚約破棄されてヤケになって戦に乱入したら、英雄にされた上に美人で可愛い嫁ができました。
零壱
BL
自己肯定感ゼロ×圧倒的王太子───美形スパダリ同士の成長と恋のファンタジーBL。
鎖国国家クルシュの第三王子アースィムは、結婚式目前にして長年の婚約を一方的に破棄される。
ヤケになり、賑やかな幼馴染み達を引き連れ無関係の戦場に乗り込んだ結果───何故か英雄に祭り上げられ、なぜか嫁(男)まで手に入れてしまう。
「自分なんかがこんなどちゃくそ美人(男)を……」と悩むアースィム(攻)と、
「この私に不満があるのか」と詰め寄る王太子セオドア(受)。
互いを想い合う二人が紡ぐ、恋と成長の物語。
他にも幼馴染み達の一抹の寂寥を切り取った短篇や、
両想いなのに攻めの鈍感さで拗れる二人の恋を含む全四篇。
フッと笑えて、ギュッと胸が詰まる。
丁寧に読みたい、大人のためのファンタジーBL。
他サイトでも公開しております。
表紙ロゴは零壱の著作物です。
【完結】家も家族もなくし婚約者にも捨てられた僕だけど、隣国の宰相を助けたら囲われて大切にされています。
cyan
BL
留学中に実家が潰れて家族を失くし、婚約者にも捨てられ、どこにも行く宛てがなく彷徨っていた僕を助けてくれたのは隣国の宰相だった。
家が潰れた僕は平民。彼は宰相様、それなのに僕は恐れ多くも彼に恋をした。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
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