フキコさんのかけらのおうち

深見萩緒

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12月5日【小棚市場】

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 さて今日は、考えなければならないことがあります。食料が少なくなってきているのです。

 フキコさんのおうちに来るとき、なっちゃんはいくらか食べるものを持って来ました。菓子パンに、クラッカーに、野菜ジュース、それから、甘辛いお魚の缶詰。けれど、いつまでもそんな食事をするわけにもいきませんし、残っている量だって限られています。

 観念して、車を走らせて、買い物に行くべきでしょうか。なっちゃんが考えていますと、鳥のミトラがまた『ゆうびんでえす』と、なっちゃんの肩に降り立ちました。オリーブ色の封筒です。フキコさんからの手紙です。
 封筒の中には、やっぱりオリーブ色の一筆箋。


小棚市場こだないちばは月・水・金に開かれる。十二月なので、シュトーレンを買うとよい』



 その小棚というのは、キッチンにある、すりガラスの引き戸がついている小棚のことでしょう。そこで、どうやら市場が開かれるようです。しかし、それがいったいどういうものなのか、ミトラたちに訊いても、はっきりとした答えは得られませんでした。

『ぼくたち、フキコさんがおかいものしているときは、遊んでいるものね』
『だってフキコさん、なんにも買ってくれないし』
『あれ買って、って言ったら、怒るし』
『怒るよねえ、フキコさん』

 とにかく分かったのは、フキコさんはキッチンにある小棚で、買い物をしていたらしい、ということだけでした。
 小棚で買い物というのは、どういうことでしょう。想像もつきませんが、ちょうど今日は月曜日ですし、なっちゃんはお財布を手に持って、小棚の前に立ちました。


 玄関の靴箱とは違って、小棚は空っぽではありませんでした。すりガラスごしに、お皿やらティーカップやらの輪郭が、ぼんやり水彩画のように透けて見えています。
 なっちゃんは、おそるおそる、すりガラスの引き戸を開いてみました。そこには、透けて見えていた通りの食器が、お上品に並んでいました。

 ……それだけです。

 やっぱり、ただの小棚だ。と、なっちゃんはため息をつきました。しかし、フキコさんがわざわざ手紙に書くほどなのですから、まったくなんにもないということは、きっとないでしょう。

 なっちゃんは引き戸を閉めて、もしかしたら、小棚違いかもしれない。と、キッチンを見回しました。
 キッチンには、もうふたつ、棚があります。ひとつは、天井近くまで背丈のある、小棚というには少し大きすぎる棚です。もうひとつは、壁に板を打ち付けて作られた、小棚というには少し小さすぎる棚です。

 もしかしたら、あっちの棚なのかな。なっちゃんが小棚に背を向けたそのとき、小さな音がしました。

 小棚の中からです。食器の触れ合う、カチャカチャという音が、かすかに聞こえてきます。なっちゃんは小棚の前に膝をついて、耳を澄ませます。誰かの話し声のようなものも、聞こえてきます。

 なっちゃんは、もっとよく聞こうと、すりガラスに頭を近付けました。すると物音と話し声の中に、小さな歌声が聞こえてくるのでした。

 へびのマムシにゃどくがある
 からだのタムシはちとかゆい
 そのてんぼくらハムシはさ
 ちょっとやさいをかじるだけ


 すりガラスの向こうに、ぽつりぽつりと光が灯りました。なっちゃんは引き戸に手をかけて、そして思い直して、まず指先で、ノックをしました。「開いてますよお」と返事がありましたので、そおっと、引き戸を開いてみます。


 積み重ねられたお皿の上にいたのは、何匹かの小さな虫たちでした。黒いつやつやとした羽に、頭とお尻はオレンジ色です。虫たちは、つぶらな瞳と触角をくりくりっと動かしたあとで、「きゃっ」と飛び上がりました。

「フキコさんじゃない!」「フキコさんじゃない!」
「待って、大丈夫。私、フキコさんの知り合いです。フキコさんの代わりに、お買い物をします」
 なっちゃんが手早く説明をしますと、虫たちは互いに顔を見合わせて、とりあえずは安心したようでした。


 改めて、なっちゃんは小棚の中をじっくりと観察します。

 お花の模様が描かれたお皿のふちに、まんまるなリンゴやミカンが並べられ、お皿をいっそう華やかに彩っています。伏せられたティーカップには、それを覆うようにたくさんのクッキーが並べてあり、カトラリースタンドに立てられたスプーンやフォークには、クリスマスオーナメントが束になって結びつけられています。

 そしてそのどれもこれもが、飛び交うホタルの光に照らされて、淡い金色に仄光っているのでした。

「わあ」
 なっちゃんは、思わず子供のように、口をぽかんと開けました。小棚の中は、まさに市場なのです。黒とオレンジの虫たちは、なっちゃんの反応が、お気に召したようでした。「すごいでしょう」と、六本足の生えた胸を張ります。

「この時期は、特別張り切って店を出すんです。なんてったって、クリスマスですから」
「私、シュトーレンをいただきたいのだけど、ありますか?」
 フキコさんからの手紙を思い出して、なっちゃんがそう言いますと、虫たちは、まさにその言葉を待っていましたとばかりに「ありますとも!」と言いました。

 ただ、なっちゃんが少し心配だったのは、この市場にある商品は、どれも虫たち専用のサイズだということです。もしかしたら、シュトーレンも、とても小さいのではないかしら。

 不安に思って尋ねますと、虫たちは「人間専用のサイズも、ご用意しております」と答えましたので、なっちゃんはほっと微笑みました。


「それで、おいくら?」
「ナッツとフルーツと、粉砂糖がたっぷりのシュトーレン。上質のかけらを、とおほどいただきます」
 あら、と思って、なっちゃんは開きかけたお財布を、膝の上に置きました。小棚の市場では、人間の世界の通貨は使えないようです。

「かけらだったら、冬のかけらを持っていますけど、使えますか?」
「どんなもんか、見せてください」
 なっちゃんは、昨日拾った冬のかけらを、虫たちに差し出しました。ハンカチに包んだまま、窓際に置いていたのですが、冬のかけらはその冷たさを少しも失っておりません。「ふむ」と、虫たちは触角を撫で付けました。

「新鮮ですが、あんまり質はよろしくないですねえ。混ざりものが多い。これでしたら、とおと、とおと、加えてななつはいただきます」
 冬のかけらはたくさんありましたので、なっちゃんは「かまいません」と言って、二十七個の冬のかけらを、青いマグカップの中に入れました。

「はい、はい、たしかに。ほかに、なにか必要ですか」
「人間が食べられるようなものはありますか。お肉とか、お野菜とか、牛乳とか」
「もちろん、ありますよ」
「では、残りの冬のかけらで、どれくらい買えますか」
「そうですねえ、それだと……」

 それは、何日かは食べるものに困らないだろうな、と思える量でしたので、なっちゃんは頷いて、あるだけの冬のかけらを、マグカップの中にざらざら流し込みました。


「はい、はい。まいどありがとう。では、お品物は大棚の中に、たしかに入れてありますからね」
 なっちゃんの後ろで、コトン、と小さな音がしました。
「では、今日はたくさん売れたので、もう店じまい。さようなら」

 虫たちが歌うように言いますと、すりガラスの引き戸が、音もなくひとりでに閉じました。それと同時に、ホタルの灯りも、消えてしまいました。

 なっちゃんが引き戸を開けてみましても、そこはもうただの小棚で、冷たい食器が並んでいるだけ。


「不思議だなあ」
 なっちゃんは、なんだかちょっと信じられないような気持ちで、小棚の反対側の壁にある、大きな棚の扉を開けました。そうしますとそこには、ちょうど数日分ほどのお肉やお野菜や牛乳が入っているのでした。もちろん、シュトーレンもあります。

「不思議だなあ」
 同じことを呟いて、なっちゃんは食材を冷蔵庫に移しました。お肉は、なんと中抜きの鶏肉がまるごと一羽だったので、なっちゃんは苦労してそれを解体して、冷蔵庫に詰め込んだのでした。

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