フキコさんのかけらのおうち

深見萩緒

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12月25日【フキコさんのおうち】

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「おはよう、なっちゃん。クリスマスだよ」

 声が聞こえて、なっちゃんはまだ夢うつつのまま、ベッドの中で寝返りを打ちました。

 朝です。クリスマスの朝です。起きて、リビングに行けば、サンタさんからのプレゼントがあるかもしれません。ミトラたちは、何を貰ったでしょうか。

 みんなでプレゼントを見せ合って、それから、朝食にしましょう。シュトーレンは昨日で食べきってしまいましたから、今日は冷蔵庫の中の、ブッシュドノエルを朝食にするつもりです。ジンジャークッキーも、たくさんあります。


「なっちゃん」
「うん、起きるよ」
 返事をして、なっちゃんは目を開けました。そして、目の前の光景が信じられなくて、思わず、息を呑みました。

「おはよう、なっちゃん。クリスマスなのに、お寝坊だね」
 フキコさんが、いたずらっぽく笑いながら、なっちゃんの顔を覗き込んでいるのです。

「フキコさん」
「うん」

 なっちゃんは、ベッドから起き上がりました。そして、冬の朝の寒さと、窓から差し込む陽の光の、目を刺すような煌めきとを一度に感じて、これは夢ではない。と思いました。

「フキコさん」

 なっちゃんは、ベッドから飛び出して、思い切りフキコさんに抱きつきました。

「フキコさん。お手紙、出さなくなっちゃって、ごめんなさい」

 泣きながら、やっとのことでそれを言いますと、フキコさんは「泣き虫なっちゃん」と言って、なっちゃんをぎゅっと抱きしめました。



『フキコさんだー!』
『フキコさん、ひさしぶり!』
『わーい、フキコさん!』

 フキコさんと一緒に一階に降りますと、ミトラたちは、それはもうたいへんな喜びようでした。飛んだり跳ねたり、転がったり。
 思いっきり飛び上がって、フキコさんに頭突きをしようとした芋虫のミトラは、頭突きをする前にフキコさんにキャッチされて、投げ返されていました。


 ミトラたちによる、フキコさん大歓迎を横目に見ながら、なっちゃんは、暖炉の前を確認します。靴下に何が入っているのか、知りたかったのです。

 しかし、暖炉の前には、そもそも靴下がかかっていないのでした。リビングの中を見回してみましたが、どこにも落ちていません。


 ふと、ミトラたちにもみくちゃにされているフキコさんを見ますと、フキコさんが赤い靴下を履いていることに、気が付きました。赤い毛糸で編まれて、履き口のところがボアになっている、可愛らしい靴下です。

 ああ、そういうことか。と思って、なっちゃんはにっこり笑いました。結局、なっちゃんもミトラも、クリスマスにほしかったものは、おんなじだったのです。



 熱い紅茶を淹れて、ブッシュドノエルを切り分けて、そこにジンジャークッキーを沿えますと、クリスマスらしい朝食の出来上がりです。なっちゃんとフキコさんは、向かい合って、テーブルにつきます。

「なっちゃんは、お菓子を作るのが上手だね」

 ブッシュドノエルを食べながら、フキコさんが褒めますと、ミトラたちが『ぼくたちがあわだてたの』『ぼくたちがつくったの』『ぼくたちもじょうずだよー』と大騒ぎです。フキコさんは、「はいはい、ミトラども。えらいえらい」と、ミトラたちを適当にあしらいました。


「それにしても、なっちゃん。クリスマスの準備、大変だったね」
「うん、大変だった。フキコさん、全部知ってるの?」
「まるごと全部ではないけれど、だいたいね。灰色のあの子は、結局、どうするって?」
「クリスマスが終わったら、女王として、みんなの前に顔を出すって」

 なっちゃんの説明を聞いて、フキコさんは満足そうにうなずきました。

「それでいい。結局、何をするにも、肝を据えることが大切だからね。どうなることかと思ったけど、丸く収まってよかったよ」



 フキコさんに訊きたいことが、たくさんありました。去年まで、魔法の使えない女王を手伝っていたのは、フキコさんなんでしょう? どうして、ずっと手伝ってあげられなかったの? どうして、いってしまったの? そして、どうして、このおうちに私を呼んだの?

 疑問はたくさんありますのに、口から出てきません。

 フキコさんは、なっちゃんがたくさんの疑問を抱えていることも、それを言えずにいることも、全て承知しているような笑みを浮かべて、ブッシュドノエルの最後の一切れを、頬張りました。

「それから、なっちゃん」と、フキコさんはお話を続けます。

「星を視る人のところまで行ったんだってね。あの子、元気にしてた?」
「うん。美味しいコーヒーをご馳走になったよ」

 フキコさんは「そうそう」と言いながら、天使のクッキーの羽をかじります。

「あの子はコーヒー派。私は紅茶派。絶妙に気が合わないんだよね、私たち」
「でも、寂しがってたよ」
「そうだろうね。私も寂しいよ」

 その言葉は、なっちゃんには、意外に思えました。フキコさんも、寂しいんだ。


 なっちゃんは「私も、フキコさんがいなくて、寂しい」と言いました。そうしますと、お話を聞いていましたミトラたちも『さびしい、さびしい』と大合唱。えんえん泣き出してしまったミトラもいます。なっちゃんも、さっき泣いたばかりですのに、また涙が滲んできました。

「フキコさん、いかないでよ」

 なっちゃんが、子供みたいに言いますと、フキコさんは困ったように笑いながら、小首をちょっとかしげました。

「でももう、私は、いってしまったから」


 なっちゃんは、うつむいて、一生懸命に涙をこらえました。ミトラたちは、『いかないで』とは言わずに、ただ『さびしい、さびしい』と、繰り返しました。寂しい。と、なっちゃんも呟きました。でも、もう、いってしまったから。


 星を視る人の言っていたことが、今のなっちゃんにはよく分かりました。失われることに耐えられないと、人は、思い出の中で煌めいている星々を、四六時中いつまでも、いつまでも見つめ続けてしまうのです。

「星は、夜に見上げるくらいで、ちょうどいいんだよ」
 なっちゃんの考えを見抜いているかのように、フキコさんが、言いました。

「ともかく、今日はクリスマスなんだから。泣くのはやめて、クリスマスパーティでもしようよ。ね?」

 フキコさんは立ち上がって、なっちゃんの肩をポンポンと叩いてから、リビングに行きました。そして、窓際に置いてある小さなテーブルに、手のひらを置きました。すると、どうでしょう。まばたきをした次の瞬間、テーブルの上には、アンティーク調の立派なレコードプレイヤーが乗っているのです。

「魔法みたい」と、なっちゃんが言いますと、「魔法だもん」と、フキコさんが胸を張りました。


 フキコさんは、やっぱり魔法みたいに(魔法なのですが)、何枚かのレコードも取り出して、色々と彼女なりに吟味し、一枚のレコードをプレイヤーにセットしました。そうっと針を乗せますと、賛美歌が流れ始めます。

「やっぱり、クリスマスと言ったら、これでしょう」


 それから、なっちゃんたちは涙を拭いて、クリスマスをしっかり楽しむことにしました。暖炉に薪をたくさんくべれば、金と赤の炎が踊ります。炎の光に照らされて、飾り付けのジンジャークッキーも、ちらちら瞬きながら光っているように見えます。

 なっちゃんたちは、クッキーを食べて、ホットミルクを飲んで、歌を歌いました。今日一日だけの、楽しいクリスマスを、みんなでお祝いしました。


 この時間が、ずっと続けばいいのに。歌いながら、なっちゃんは思います。フキコさんもいて、ミトラたちもいて、みんな楽しそうです。

 コマドリやハムシたちも、サンタさんからプレゼントを貰ったでしょうか。灰色の侍女もとい灰色の女王も、プレゼントを貰って、喜んだでしょうか。

 そうそう、そういえば、配達員たちは、クリスマスツリーの下の包みに、ちゃんと気が付いたでしょうか。もしかしたら今ごろ、みんなでクッキーを食べているかもしれません。


 本当に、今日は、なんという良い日なのでしょう。今日という日が永遠に続けば、どんなにいいか。なっちゃんは思うのですが、そうもいかないことは、ちゃんと分かっています。

 今日が終われば明日が来ますし、明日はもうクリスマスではないのです。来年まで待てば、またクリスマスはやって来ますが、けれど、今日と全く同じクリスマスは、二度と来ないのです。


「永遠は、魔法でだって作り出せない」

 ツリーのかたちのクッキーをさくさくやりながら、フキコさんがなっちゃんに言いました。フキコさんには、人の心が読めるのでしょうか。

「私の考えていることが分かるのも、魔法なの?」

 なっちゃんが尋ねますと、フキコさんはミトラたちみたいにイヒッと笑って、「それは、私の勘」と言いました。



 おうちじゅうのクッキーを食べ尽くしてしまいますと、なっちゃんとフキコさんは協力して、窓という窓を開け放ちました。雪混じりの真冬の風が、おうちの中に吹き込みます。

『きゃあーっ寒い!』
『さむうい!』

 ミトラたちは大慌てで、暖房部屋に駆け込みました。なっちゃんとフキコさんは、防寒着をたくさん着込んでいましたので、寒い中、おうちじゅうを掃除しました。


 クリスマスが終われば、もう年末です。新年をすっきり迎えるためには、年末に、大掃除をしなければいけません。

 このおうちを大掃除するには、もう、今日しか機会がないのです。フキコさんは、クリスマスの間しかここにいられませんし、なっちゃんも、今日までしか、いないのです。


 たくさんたくさん考えて、決めたことでした。フキコさんのおうちに滞在するのは、一二月二五日まで。なっちゃんには、なっちゃんの生活があります。

 このおうちで、かけらを拾ったり、小棚市場で買い物をしたりして過ごす生活も、素敵なものでしょう。けれど、なっちゃんは、元の生活に戻ろうと決めたのでした。


「どうして?」
 階段の上の天井に、はたきをかけながら、フキコさんが尋ねました。埃を吸い込んでしまわないよう、手ぬぐいで口元を覆っていますので、少し声がくぐもっています。

「だって私、このおうちにいたら、すぐ、星を視る人になってしまいそうだから」
「いやなの?」
「いやではないけど、まだ良いかなって思っただけ」
「いつか、星を視る人になる?」
「なるかも。でも、まだ良いや」

 今はまだ、なっちゃんは、星そのものでいたいと思ったのでした。過去に輝いていた星を見つめるのは、寂しい夜だけで充分です。今は、まだ。


「でも、クリスマスの時期になったら、また来るよ」

 廊下の雑巾がけをしながら、なっちゃんが言いますと、フキコさんは「それがいいよ」と笑いました。

「みんな、喜ぶ」


 それから二人は、黙々と大掃除を続けました。埃を払い、砂を掃き、床を磨きます。寒さがへっちゃらなミトラたちも、手伝ってくれました。

 最後に、掃除の終わったリビングを温めて、暖房部屋にこもっていたミトラたちを移動させて、暖房部屋を掃除すれば、終わりです。



『きれいになったね』
『すっきりしたね』

 ミトラたちの褒めるとおり、おうちはすっきり、綺麗になりました。これならば気持ちよく新年を迎えられます。
 なっちゃんは、達成感たっぷりのため息をつきました。そして、今日この瞬間を目に焼き付けようと思って、ゆっくり、まばたきをしました。

 フキコさんがいるクリスマス。ミトラたちがいるクリスマス。このおうちで過ごす、始めてのクリスマス。とても素敵なクリスマスでした。

 今年のクリスマスは、きっと一等星よりも眩しい星になるでしょう。そして寂しい夜や、苦しい夜には、頭の上でぴかぴか光って、夜を照らしてくれることでしょう。

「なっちゃん」

 ゆっくりとまばたきをしているなっちゃんを、フキコさんが呼びました。そして、「メリー・クリスマス」と言いました。



 荷造りは、ほんの一時間もかからずに終わりました。なっちゃんは、ほとんど手ぶらで、ここに来たためです。
 なっちゃんが去ることを知って、ミトラたちはたくさん文句を言いました。「また、クリスマスの時期には来るから」と言っても、『なっちゃんの、はくじょうものー!』と騒いで、聞きません。

 結局、フキコさんが「ミトラども、いい加減にしなっ!」と怒るまで、大騒ぎは続きました。


「かわいそうなこと、しちゃうな」
 なっちゃんがしょんぼり、うつむきますと、フキコさんは「平気、平気」と、なっちゃんを慰めます。

「お別れしたら、再会が嬉しい。それで良いじゃない。ね、ミトラたち」
『うーん。たしかに、また会うためには、おわかれしないといけないよね』
「そう。再会のために、お別れがあるんだよ。なっちゃんと再会するためにも、今は、お別れしなくちゃね」
『うーんうーん。そうかな。そうかも』


 フキコさんは、なんとミトラの扱いが上手なことでしょう。ミトラたちは納得して、次の再会のために、なっちゃんにさよならをしました。

 芋虫のミトラだけが、『ぼく、ついてっちゃおうかな』などと言いましたので、フキコさんがじろりと睨みました。芋虫のミトラは、ぴゅっと素早く目をそらして、何も言わなかったふりをしました。



 おうちじゅうの戸締まりをして、少ない荷物を持って、なっちゃんは、玄関から外に出ました。鉄の門を抜けて、門にも、しっかり鍵をかけます。

 心配なのは、ずっとここに停めていた車の、バッテリーが上がっていないかどうかでした。しかし、なっちゃんの心配もよそに、エンジンをかけますと、車はお利口さんに、ぶるんと震えました。

「じゃあ、さよなら」
 門のところまで、フキコさんとミトラたちは、お見送りに来てくれました。

「さようなら」
 なっちゃんは、フキコさんと、固い握手を交わしました。


「もし、このおうちが重荷になったら、おうちの鍵、捨てても構わないからね」
 フキコさんが、ミトラたちに聞こえないように、ささやきました。

「ここの鍵は、しぶといから、いくら燃やされたって、煤にはならない。煤の海を流れて、また誰かふさわしい人のところに、辿り着くはずだから。だから、捨てても構わないよ」

 なっちゃんは、このおうちが重荷になることなんてあるかな、と考えます。もしかしたら、あるのかもしれません。

「なっちゃんは、なっちゃんの大切なものを大切にして、生きていくんだよ」
「うん、分かった。ありがとう、フキコさん」


 握手していた手を解いて、なっちゃんは、ミラーの角度を調整します。

『さよなら、なっちゃん』
『さよならじゃないよ、またねだよ』
『あっそうか。またね、なっちゃん』

 ミラーの中で、ミトラたちも、手を振っています。なっちゃんは、運転席の窓から手を出して、ミトラたちに手を振り返しました。

 さよなら、またね。また来年の、クリスマスにね。


 アクセルを踏みますと、車は、ゆっくり山道を走り始めました。

『またね』
『またねー』
『また来年ねー』

 ミトラたちの声が、遠くなっていきます。次にバックミラーを確認したとき、門の前には、ミトラたちの姿も、フキコさんの姿も、もうありませんでした。

「さよなら、またね」

 そう呟いて、なっちゃんは、フキコさんのおうちをあとにしました。



 山道をしばらく行ったころ、後部座席に置いた荷物の中から、小さな声で『ゆれるー』と聞こえました。とても聞き覚えのある声です。もしかして、本当に、ついてきてしまったのでしょうか。

 思わずなっちゃんはふき出してしまって、そして、とりあえず、聞かなかったふりをすることにしました。


 山道は次第に舗装された道路になり、市街になっていきます。

 きらきら輝くクリスマスの思い出と、そして恐らくついてきてしまったミトラと共に、なっちゃんは、いつもの生活へと帰っていくのでした。



<おわり>

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