火灯し妖精と夜の国

深見萩緒

文字の大きさ
12 / 25

暖炉の前で

しおりを挟む

 甘いホットチョコレートを飲んで、お腹も膨れたし体も温まった子供たちは、今は煤けた身を寄せ合って寝息をたてていました。観測所のソファはとても大きく柔らかいので、子供たち全員が横になっても、充分ひろびろとしているのです。
 おじいさんは音をたてないように慎重に、子供たちに薄い毛布をかけて回りました。実浦くんも、少し手伝いました。
 火灯し妖精たちは、観測所の中を見て回るため、連れ立って二階へ上がっていきました。火灯し妖精が「二階には何があるの」「中庭はどうなっているの」「お部屋は全部でいくつあるの」などと立て続けに質問をしたため、答えるのを億劫がったおじいさんが「好きに見てまわるといい」と許可を出したのです。

 おじいさんは、ひどく疲れてしまったようでした。それは、おじいさんの持っていたいわゆる生命力とかいうものを、すべてホットチョコレートに注ぎ込んで、子供たちに飲ませたからであるように思えました。
「ああ、やれやれ」
 カンラン石の輝く暖炉の前に、くたびれた木製の椅子を持ってきて、おじいさんはこれまたくたびれたように座りました。実浦くんは、怒られやしないかとびくびくしながらも、おじいさんの隣に椅子を置き座ります。おじいさんは実浦くんをひと睨みしましたが、あっちへ行けとは言いませんでした。


「ぼくたちがどこから来たのか、訊かないんですね」
 実浦くんが言いますと、おじいさんは実浦くんを馬鹿にするように、フンと鼻を鳴らします。
「どこから来たって、この夜の国ではどこもたかが知れている。せいぜい少し明るい場所と、全く暗闇ばかりの場所があるくらいだ。それにいちいち訊かなくとも、わしには大概分かるんだ」
 おじいさんは少し得意げに、まるで楽団の指揮をするような調子で、人差し指を左右に振りました。
「あの礼儀のなっていない小さな娘は、恐らくもともと人間だったものだ。せわしなく飛び回るヒトリガは、どこまでも可変で自由なものだ。荷物の多すぎる娘は、夜の国の外側から来た旅人だ。違うかね?」
 実浦くんは驚きました。実浦くんが知っている限り、おじいさんの言ったことは、全て正しかったのです。そう言いますと、おじいさんは更に得意になって、とうとう仏頂面の上に笑顔らしきものを浮かべました。
「そうだろう、そうだろう。わしは、観測することは得意なんだ」

 おじいさんがそう言ったので、実浦くんは思い出しました。実浦くんたちはここに、望遠鏡を求めてやってきたのです。実浦くんは、改めて頼んでみます。どうか、望遠鏡を使わせてもらえないだろうか。子供たちの最後のきょうだいを、見つけてあげられないだろうか。
「お願いします。もし何か対価が必要なら、ぼくなんとか工面しますから」
 おじいさんはしかめっ面で、黙ってうつむきました。その表情は、実浦くんのお願いをいやがっているというよりも、体のどこかがとても痛くて、それを我慢しているといったふうでした。
 やがて、おじいさんはうめき声にも似た声で呟きます。
「あるんだ、あるんだよ。望遠鏡はいいやつがあるんだ。でも使えない。燃えてしまったのだよ。もうまともに使えないのだ」
 おじいさんは、水分の少ないしわしわの頬を、指でごしごし擦りました。

 実浦くんは、おじいさんにつらい告白をさせてしまったことを、申し訳なく思いました。「ごめんなさい」と絞り出すように言うと、おじいさんは明るいカンラン石を見つめながら、ゆっくりとまばたきをしました。
「いや、良いんだ。この国のものたちは、誰でもそう変わらない身の上だ。それに、わしはここが気に入っている」
「この国が好きなのですか。こんなに暗いのに」
「光を観測するには、暗くないといかん。煤けた瞳で見ようとするならなおさらだ」
 そう言っておじいさんは、大きなレンズのような目をぎょろっと動かして、すやすや眠っている子供たちを見ました。ふっくらとした唇は少しだけ開かれて、口の端からよだれが垂れています。寝息と同時に、毛布の下の柔らかなお腹が上下します。何か夢を見ているのか、ときどきまぶたや指の先が、電流の走ったようにびくっと動きます。

「あの子らは本当に、愛されるべきものたちだ」
 それは、祈りの言葉のようでした。
「自ら光り輝くべきものたちなのだ。本当はね。あの小さな娘のように」
 おじいさんは、二階へ通じる階段を横目に見ます。観測所の探検はよほど面白いらしく、誰もまだ戻ってくる気配はありません。実浦くんは、初めはあんなにおじいさんが怖かったのに、今はおじいさんと二人だけで話せることを、嬉しく思い始めていました。
「この国では、自ら輝くものと、そうでないものがあるようです。ぼくは火灯し妖精に光を分けてもらうまで、全く闇とおんなじでした。一体、何が違うのでしょう」
 実浦くんが尋ねると、おじいさんはちょっと気の毒そうに、実浦くんを見ました。そして、指の先で真っ白な髭をねじって遊びながら、「それはだね」と言います。
「光は、夜の国の外からもたらされるのだ。誰かが、放棄されたもののことを思い出し、愛おしく思うたびに、その存在は光り輝くのだよ」

 それを聞いて、実浦くんは足元の床板が突然消えてしまったような錯覚に陥りました。ここまで登ってきたぶんの高さから、突き落とされるような落下感です。それをもたらした感情は、悲しみよりももっと手に負えない、寂しさというものでした。
「では」と、実浦くんは平気そうなふりをして、なるべくいつも通りの声を出します。
 そして「では、ぼくを思い出すものは誰もいないのですね」と続きそうになった言葉を、ぐっと飲み込みました。そのあまりに寂しすぎる言葉の代わりに「では、火灯し妖精は、いつも誰かに思い出してもらってるんですね」と言いました。おじいさんは、実浦くんの寂しさに気が付かないふりをしてくれました。
「そうだ。放棄されてなお、惜しまれ、慈しまれ、忘れ去られずにいる」
「前に一度、あの子の光が消えてしまったことがありました」
「生きているものは忙しいのだ。放棄されたものを、いつ何時でも思い出しているわけにはいかない。失われたもののことばかり考えていては、やがて生きていけなくなってしまう」
「ああそうです、ぼくは」
 実浦くんは何か言おうとして、何を言おうとしたのか分からなくなって、じっと黙ってしまいました。
 すぐ喉元で失われた言葉を、実浦くんは何とかして取り戻そうとしたのですが、もはや実浦くんの心のどこにも、口にすべき言葉はなかったのです。
「まあ、わしに言わせてみりゃあね」
 と、おじいさんが少し大きめの声を張り上げました。
「光らないからといって、それがどうということもない。現に、わしは元気にやっている」
 実浦くんは、それが失礼にならないか少し考えてから、「そうですね」とうなずきました。


 やがて実浦くんもおじいさんも、しっかり口を閉じて、無言のまま暖炉を眺めるだけになりました。
 カンラン石は、ぱちぱち音を立てながら光っています。その音は、石の表面に細かなひびの入る音です。
 子供たちの寝息も聞こえます。二階から、何かを見て感嘆しているらしい火灯し妖精の声も、わずかに聞こえます。
 それら全てが混ざり合い、干渉することなく見事に調和して、時間というものの呼吸音をかたち作っているようでした。
「そうだ」
 時間が何度か深呼吸をしたあと、おじいさんが突然、思い出したように言いました。
「電波通信をやってみよう。きょうだいたちがここにいると分かれば、向こうからこちらへ来てくれるかも知れない」
 おじいさんはやにわに立ち上がり、さっさと階段を登っていってしまいます。その動きがあんまり俊敏でしたので、実浦くんは慌てて小走りになって、息を切らして追いかけなければなりませんでした。
「通信機器は屋上にある。やってみよう、それが良い」
「電波通信が、あの子らのきょうだいに届くでしょうか。届いたとして、それが理解できるでしょうか」
 実浦くんが心配そうに言いますと、おじいさんは振り向いて、自信たっぷりににやっと笑いました。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「いっすん坊」てなんなんだ

こいちろう
児童書・童話
 ヨシキは中学一年生。毎年お盆は瀬戸内海の小さな島に帰省する。去年は帰れなかったから二年ぶりだ。石段を上った崖の上にお寺があって、書院の裏は狭い瀬戸を見下ろす絶壁だ。その崖にあった小さなセミ穴にいとこのユキちゃんと一緒に吸い込まれた。長い長い穴の底。そこにいたのがいっすん坊だ。ずっとこの島の歴史と、生きてきた全ての人の過去を記録しているという。ユキちゃんは神様だと信じているが、どうもうさんくさいやつだ。するといっすん坊が、「それなら、おまえの振り返りたい過去を三つだけ、再現してみせてやろう」という。  自分の過去の振り返りから、両親への愛を再認識するヨシキ・・・           

独占欲強めの最強な不良さん、溺愛は盲目なほど。

猫菜こん
児童書・童話
 小さな頃から、巻き込まれで絡まれ体質の私。  中学生になって、もう巻き込まれないようにひっそり暮らそう!  そう意気込んでいたのに……。 「可愛すぎる。もっと抱きしめさせてくれ。」  私、最強の不良さんに見初められちゃったみたいです。  巻き込まれ体質の不憫な中学生  ふわふわしているけど、しっかりした芯の持ち主  咲城和凜(さきしろかりん)  ×  圧倒的な力とセンスを持つ、負け知らずの最強不良  和凜以外に容赦がない  天狼絆那(てんろうきずな)  些細な事だったのに、どうしてか私にくっつくイケメンさん。  彼曰く、私に一目惚れしたらしく……? 「おい、俺の和凜に何しやがる。」 「お前が無事なら、もうそれでいい……っ。」 「この世に存在している言葉だけじゃ表せないくらい、愛している。」  王道で溺愛、甘すぎる恋物語。  最強不良さんの溺愛は、独占的で盲目的。

ノースキャンプの見張り台

こいちろう
児童書・童話
 時代劇で見かけるような、古めかしい木づくりの橋。それを渡ると、向こう岸にノースキャンプがある。アーミーグリーンの北門と、その傍の監視塔。まるで映画村のセットだ。 進駐軍のキャンプ跡。周りを鉄さびた有刺鉄線に囲まれた、まるで要塞みたいな町だった。進駐軍が去ってからは住宅地になって、たくさんの子どもが暮らしていた。  赤茶色にさび付いた監視塔。その下に広がる広っぱは、子どもたちの最高の遊び場だ。見張っているのか、見守っているのか、鉄塔の、あのてっぺんから、いつも誰かに見られているんじゃないか?ユーイチはいつもそんな風に感じていた。

大人にナイショの秘密基地

湖ノ上茶屋
児童書・童話
ある日届いた不思議な封筒。それは、子ども専用ホテルの招待状だった。このことを大人にナイショにして、十時までに眠れば、そのホテルへ行けるという。ぼくは言われたとおりに寝てみた。すると、どういうわけか、本当にホテルについた!ぼくはチェックインしたときに渡された鍵――ピィピィや友だちと夜な夜な遊んでいるうちに、とんでもないことに巻き込まれたことに気づいて――!

影隠しの森へ ~あの夏の七日間~

橘 弥久莉
児童書・童話
 小学六年の相羽八尋は自己肯定感ゼロ男子。 幼いころに母親を亡くした心の傷を抱えつつ、 大きな夢を抱いていたが劣等生という引け目 があって前を向けずにいた。 そんなある日、八尋はふとしたきっかけで 入ってはいけないと言われている『影隠しの 森』に足を踏み入れてしまう。そこは夏の間、 奥山から山神様が降りてくるという禁断の森 で、神様のお役目を邪魔すると『影』を取ら れてしまうという恐ろしい言い伝えがあった。  神様も幽霊も信じていない八尋は、軽い気 持ちで禁忌を犯して大事な影を取られてしま う。影、カゲ、かげ――。なくても生きてい けるけど、ないとすごく困るもの。自分の存 在価値すらあやうくなってしまうもの。再び 影隠しの森に向かった八尋は、影を取り戻す ため仲間と奮闘することになって……。  初恋、友情、そしてひと夏の冒険。忘れら れない奇跡の七日間が始まる。※第3回きずな児童書大賞奨励賞受賞作品 ※この物語はフィクションです。作中に登場 する人物、及び団体は実在しません。 ※表紙画像はたろたろ様のフリー画像から お借りしています。

瑠璃の姫君と鉄黒の騎士

石河 翠
児童書・童話
可愛いフェリシアはひとりぼっち。部屋の中に閉じ込められ、放置されています。彼女の楽しみは、窓の隙間から空を眺めながら歌うことだけ。 そんなある日フェリシアは、貧しい身なりの男の子にさらわれてしまいました。彼は本来自分が受け取るべきだった幸せを、フェリシアが台無しにしたのだと責め立てます。 突然のことに困惑しつつも、男の子のためにできることはないかと悩んだあげく、彼女は一本の羽を渡すことに決めました。 大好きな友達に似た男の子に笑ってほしい、ただその一心で。けれどそれは、彼女の命を削る行為で……。 記憶を失くしたヒロインと、幸せになりたいヒーローの物語。ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:249286)をお借りしています。

少年騎士

克全
児童書・童話
「第1回きずな児童書大賞参加作」ポーウィス王国という辺境の小国には、12歳になるとダンジョンか魔境で一定の強さになるまで自分を鍛えなければいけないと言う全国民に対する法律があった。周囲の小国群の中で生き残るため、小国を狙う大国から自国を守るために作られた法律、義務だった。領地持ち騎士家の嫡男ハリー・グリフィスも、その義務に従い1人王都にあるダンジョンに向かって村をでた。だが、両親祖父母の計らいで平民の幼馴染2人も一緒に12歳の義務に同行する事になった。将来救国の英雄となるハリーの物語が始まった。

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

処理中です...