片角の音楽隊

深見萩緒

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プロローグ・王の凱旋と片角の少女(3)

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 呼吸を意識するのが好きだ。歌を美しく歌うには、美しい呼吸が必要になる。けれど今は、美しさなんかには構っていられない。
 私は呼吸を乱しながら、細い路地を疾走する。背後から怒声が追いかけてくる。振り返って確認する余裕はないけれど、かなり追いつかれているだろうことは、怒声の近さから推測できた。

(だめ、捕まったら殺される――!)
 もっと速く走らなければ。頭ではそう思っても、身体がついてこない。無様によろけながら必死に逃げる。


 ほんの数分前まで、私はささやかな幸せを噛みしめていた。

 母が死に、ずっと塞ぎ込んでいたところに聞いた華やかな知らせ。古城からほど近い街で、北方の敵国をくだした魔王様の凱旋パレードがあるのだという。
 幼い頃に一度だけ、母と一緒に街に出たことがあった。あまり詳しくは覚えていないけれど、賑やかできらきらしていて、とても楽しかった記憶だけはしっかりと残っている。

 一人の時は、絶対に街に出ないように。母は私に厳しく言い聞かせていたけれど、母亡き今となっては「一人でない時」なんてものはなくなってしまった。母がいなければ、私はいつだって一人なのだ。
 母の言葉にいつまでも従っていては、私は永遠に街に行けない。住む所と食べるものはともかく、衣服は街に行かなければまかなえないし――などと自分に言い訳をしながら、凱旋パレードの匂いにつられ、私は恐るおそる街へ出た。


 街へ行ってまず驚いたのは、橋の下に川ではなく大きな道があったことだ。流れる水を避けるための橋ではなく、流れる人波を避けるための橋なのだ。
 そんなふうに、街はとにかく初めて見るもので溢れかえっていた。

 たくさんの人。空から舞い散る紙吹雪。金細工の龍が空を舞い炎を噴いて、魔王様の凱旋に威厳を添えている。
 あんまり楽しいものが多すぎたせいで、私はすっかり油断してしまっていた。特にパレードの中ほどにいる魔王様の姿を見付けたときなど、私は周囲を警戒することをすっかり忘れていた。

 あれが魔王様。夜のような漆黒の髪に、黄金の光がきらめいている。芸術品のように美しい立ち姿。あんな綺麗な人、見たことがない……。

 ぼけっと見入っていたせいで、ふところの財布をスられたと気付いたときにはもう遅かった。盗られまいとして、咄嗟に盗人の手を掴んだのも更に良くなかった。
 どちらの腕に引っかかったのか、深手にかぶっていたフード付きマントが引き剥がれた。その途端――

「片角だ!」

 群衆のどこからともなく、声が上がった。


 ――そして、今に至る。



 肺が爆発してしまいそうだった。ここで脚を止めてしまった方が、いくらか楽かも知れない。でも、死にたくはない。

 追ってきているのは、「無魔力狩り」だろう。片角の魔族は無魔力であることが多い……らしい。昔と違って、最近では片角なんて滅多に産まれないのだと母は言っていた。そしてこうも言っていた。「無魔力の魔族だとばれたら、すぐに処刑されてしまう」と。

 死ぬのはいやだ。死んだら、もう二度と歌を歌えなくなってしまう。必死に走る私の脳裏に、歌を歌う母の横顔がよぎる。お母さん、助けて……お母さん!

 心の中で母を呼んだその瞬間、私は何者かに髪を掴まれ、悲鳴を上げながら後方へのけぞった。

「捕まえた!」
 さっき私の財布をスろうとした男が、意気揚々と叫ぶ。無魔力を捕らえたら報奨金でも出るのか、「今夜はぱーっと遊ぶか」などと言って喜んでいる。
 どろぼうだし、しかも女の子の髪を掴む乱暴者。

「サイテー」
 息を切らしながら毒づくと、男は口元を歪ませて「そうだぜ」と笑った。


 一度捕まってしまえば、もはや抵抗のすべなんて残されていなかった。男の手から警備隊の手に引き渡され、私は恐怖にガタガタ震えながら、おとなしく縮こまっていることしかできない。

 お母さん、助けて!

 どんなに叫んでも、脳裏の母はたおやかに歌うだけで、私を助けてはくれなかった。


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