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第1話・地下牢とアメイジング・グレイス(1)
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冷たい石壁に寄りかかっていると、身体の芯まで冷え切っていくように感じる。この冷たさが指先まで行き渡るのと夜が明けるとでは、どちらが早いだろう。いずれにせよ、私はもうすぐ死ぬ。
地下牢には風も光も入って来ないから、死があとどれくらいで訪れるのか、私には知りようがなかった。
最後に牢屋番が巡回に来てから、ずいぶん時間が経ったように思えるけれど……だとすると、もう朝は近いのかも知れない。
短い人生だったな。と深い溜め息をつく。無魔力の人生としては、比較的に長かったのかも知れないけれど。
無魔力。魔族の品位を貶めるとして、生まれ次第即処刑が義務付けられている劣等種。
無魔力専用の地下牢は私のほかに人気はなく、無魔力というものが昨今ではいかに珍しい存在なのかがよく分かる。
惨めな思いで、私は頭の右側についている角を撫でた。黒曜石のように澄んだ黒色のこれが、左側にもついてくれていたら、私はこんな所に居なくて済んだのに。
涙が溢れそうになって、私は膝を抱えてうずくまった。何か楽しいことを考えよう。迫り来る死から目を逸らすために、私は目をつぶって夢想する。大好きなお母さんのこと、大好きな歌のことを。
母の記憶と音楽とは、切っても切り離せないものだった。母は何をするにも鼻歌を歌い、メロディを口ずさみ、周囲に音楽を溢れさせずにはいられない人だった。暇さえあればピアノの前に座り、ヴァイオリンを触り、フルートを吹いた。
母が居なくなってからの古城は恐ろしいほどに静かで、母と一緒に古城までもが息絶えてしまったように感じた。危険を冒してまで街へ出たのは、外界への憧れももちろんあったけれど、生まれてはじめての沈黙に耐えられなくなったからだ。街は、私の思うような音をもたらしてはくれなかったけれど。
楽しいことを考えようと思ったのに、結局は暗い考えばかりを渦巻かせてしまう。死を目前にしているこの状況じゃ、仕方ないのかも知れない。
私は考えるのをやめて、唇を開いた。歌おう。歌っていれば、つらいことも悲しいことも考えずに済む。
これまでの私の生は、細部まで音楽に溢れていた。だったら死の間際まで、徹底的に音楽で満たしてやる。
そしてどうせ歌うなら、遠慮していたって仕方ない。私は思い切り声を張って、最初のいち音を伸びやかに発声した。
お母さんが一番好きだった歌、『アメイジング・グレイス』。一日に必ず一回は歌っていたと思う。伸びやかに壮大なメロディラインが、私も大好きだ。
知らない国の言葉だけれど、歌詞の意味は、母がなんとなく教えてくれた。母との輝かしい思い出が刻まれた歌。音のひとつひとつに、あの日々のぬくもりすら感じることが出来る。
(お母さんが一緒にいてくれるなら、死ぬのも怖くないかな。そうか、そうだよね……死んだらきっと、またお母さんに会えるんだもん……)
そして私は、歌いながら目を閉じた。
……なんて、そうそう簡単に諦められるわけがない!
死んだら歌えなくなる。死んだら、母が遺してくれた音楽を二度と聴けなくなる。それをあっさりと諦められる私ではない。
右手の中には、地下牢中の床を這い回ってかき集めた石砂利が握りしめられている。
こうして大きな声で歌っていれば、何事かと思った牢屋番が様子を見に来るだろう。そうしたらこの石砂利を顔面に投げつけてやって、怯んだ隙をついて、こんなところ逃げ出してやるんだ。
二番、三番と歌を歌い進めながら、私はその時を待った。そしてついに、冷たい廊下に人影が現れる。そいつは牢の中を覗き込み、鍵束らしきものを手に持った。
なおも歌いながら、私はタイミングを見計らう。男が、ずらりとならぶ金属のうち一本を手に取った。カチリ。硬い音を立てて鍵が開く。
――今だ!
私が大きく右手を振りかぶるのと、彼が「お前、魔法が使えるんじゃないか!」と言うのと、ほぼ同時だった。
「え? あっ」
「えっ? うわっ!」
思い切り投げた石砂利が、男の顔面を直撃する。
「うぎゃっ!」
目に砂でも入ったのか、男が吠えた。
地下牢には風も光も入って来ないから、死があとどれくらいで訪れるのか、私には知りようがなかった。
最後に牢屋番が巡回に来てから、ずいぶん時間が経ったように思えるけれど……だとすると、もう朝は近いのかも知れない。
短い人生だったな。と深い溜め息をつく。無魔力の人生としては、比較的に長かったのかも知れないけれど。
無魔力。魔族の品位を貶めるとして、生まれ次第即処刑が義務付けられている劣等種。
無魔力専用の地下牢は私のほかに人気はなく、無魔力というものが昨今ではいかに珍しい存在なのかがよく分かる。
惨めな思いで、私は頭の右側についている角を撫でた。黒曜石のように澄んだ黒色のこれが、左側にもついてくれていたら、私はこんな所に居なくて済んだのに。
涙が溢れそうになって、私は膝を抱えてうずくまった。何か楽しいことを考えよう。迫り来る死から目を逸らすために、私は目をつぶって夢想する。大好きなお母さんのこと、大好きな歌のことを。
母の記憶と音楽とは、切っても切り離せないものだった。母は何をするにも鼻歌を歌い、メロディを口ずさみ、周囲に音楽を溢れさせずにはいられない人だった。暇さえあればピアノの前に座り、ヴァイオリンを触り、フルートを吹いた。
母が居なくなってからの古城は恐ろしいほどに静かで、母と一緒に古城までもが息絶えてしまったように感じた。危険を冒してまで街へ出たのは、外界への憧れももちろんあったけれど、生まれてはじめての沈黙に耐えられなくなったからだ。街は、私の思うような音をもたらしてはくれなかったけれど。
楽しいことを考えようと思ったのに、結局は暗い考えばかりを渦巻かせてしまう。死を目前にしているこの状況じゃ、仕方ないのかも知れない。
私は考えるのをやめて、唇を開いた。歌おう。歌っていれば、つらいことも悲しいことも考えずに済む。
これまでの私の生は、細部まで音楽に溢れていた。だったら死の間際まで、徹底的に音楽で満たしてやる。
そしてどうせ歌うなら、遠慮していたって仕方ない。私は思い切り声を張って、最初のいち音を伸びやかに発声した。
お母さんが一番好きだった歌、『アメイジング・グレイス』。一日に必ず一回は歌っていたと思う。伸びやかに壮大なメロディラインが、私も大好きだ。
知らない国の言葉だけれど、歌詞の意味は、母がなんとなく教えてくれた。母との輝かしい思い出が刻まれた歌。音のひとつひとつに、あの日々のぬくもりすら感じることが出来る。
(お母さんが一緒にいてくれるなら、死ぬのも怖くないかな。そうか、そうだよね……死んだらきっと、またお母さんに会えるんだもん……)
そして私は、歌いながら目を閉じた。
……なんて、そうそう簡単に諦められるわけがない!
死んだら歌えなくなる。死んだら、母が遺してくれた音楽を二度と聴けなくなる。それをあっさりと諦められる私ではない。
右手の中には、地下牢中の床を這い回ってかき集めた石砂利が握りしめられている。
こうして大きな声で歌っていれば、何事かと思った牢屋番が様子を見に来るだろう。そうしたらこの石砂利を顔面に投げつけてやって、怯んだ隙をついて、こんなところ逃げ出してやるんだ。
二番、三番と歌を歌い進めながら、私はその時を待った。そしてついに、冷たい廊下に人影が現れる。そいつは牢の中を覗き込み、鍵束らしきものを手に持った。
なおも歌いながら、私はタイミングを見計らう。男が、ずらりとならぶ金属のうち一本を手に取った。カチリ。硬い音を立てて鍵が開く。
――今だ!
私が大きく右手を振りかぶるのと、彼が「お前、魔法が使えるんじゃないか!」と言うのと、ほぼ同時だった。
「え? あっ」
「えっ? うわっ!」
思い切り投げた石砂利が、男の顔面を直撃する。
「うぎゃっ!」
目に砂でも入ったのか、男が吠えた。
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