近未来都市 アバンドル

ゴウキ

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第9話:朝6時——集まったのは、怒りか希望か

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夜が明ける前の街は、音が少ない。
冷えた空気だけが、路地を流れていく。

朝霧は旧市庁舎の裏で、息を殺していた。
ユイは隣で、複写した紙束を輪ゴムでまとめている。

《廃棄都市処理プロトコル:発動まで 47:12:08》

数字が減っていく。
72時間が48時間になった瞬間から、時間の感触が変わった。
“猶予”が“処刑台のカウント”になった。

ユイが小さく言う。

「針谷……連絡つかない」
「最後に見たの、放送塔の下だ」

朝霧は答えられなかった。
喉の奥が、硬い。

針谷がいなければ、情報の流れが細くなる。
だが、針谷がいると——頼ってしまう。

頼る余裕は、もうない。

ユイが紙束を見せた。
そこには封筒の内容が、そのまま複写されている。

《廃棄都市処理プロトコル:段階移行条件》
——人口低下
——施設飽和
——象徴の確保
——世論誘導完了(✓)

このチェックが、最も残酷だった。
“準備が終わった”と言っている。

朝霧は言った。

「紙は、何枚ある」

「百二十」
ユイは即答した。
「少ない。でも“少ないからこそ”価値が出る」
「奪い合いになったら終わりだから、配り方決めよう」

「……読む人に渡す」
朝霧が言う。
「怒鳴る人じゃない。見ようとする人に」

ユイは頷いた。

「市長っぽいね」
それは皮肉じゃなく、少しだけ温かい声だった。

遠くで、古い時計塔が鳴った。
五時五十九分。
あと一分。

旧市庁舎前の広場は、街灯がまばらだ。
薄暗い中、誰もいないように見える。

朝霧の胸が、嫌な痛みを出した。

——来ないかもしれない。

放送は届いた。
でも届いたからといって、人が動くとは限らない。
この街は長く、諦めることで生きてきた。

朝霧は深呼吸して、広場へ出た。

六時。

静寂。

その瞬間、遠くの角から足音がした。
一人。
次に二人。
そして十人。
数が増える。

ゆっくり、しかし確実に。

朝霧は目を見開いた。

集まってくる。

老人。
作業服の男。
子どもを抱いた母親。
前の晩の飲み屋の常連の顔。
そして——旧市庁舎で会った年配の元職員もいた。

彼らの表情は同じではない。
怒り、疑い、不安、そして——少しの期待。

ざわめきが広場に広がる。

「ほんとに市長だ」
「逃げたんじゃなかったのか」
「紙があるって、あれか?」
「テロ犯が何言ってやがる」

朝霧の足がすくみそうになる。

ユイが背中を叩いた。

「行け」
「ここで黙ったら、放送の意味が消える」

朝霧は一歩前へ出た。

「来てくれてありがとう」

その一言で、罵声が飛んだ。

「ありがとうじゃねぇ!」
「お前のせいで街が——」
「総理の息子がここに来た時点で終わってたんだ!」

朝霧は言い返さなかった。
言い返したら、物語は“喧嘩”になる。
喧嘩は分断を生む。

朝霧は紙束を掲げた。

「これは旧市庁舎の地下保管庫から出た文書の写しだ」
「48時間後、アバンドルは廃棄される」
「それが“計画”として書かれている」

群衆がざわつく。

「見せろ」
「本物か?」
「また騙す気か」

ユイが前に出て、最初の一枚を広場中央の掲示板に貼り付けた。
古いガラスの掲示板。
割れている。
でも、貼り付けた紙は目に見える。

「読め」
ユイの声は短い。
「これが“消せない”やつだ」

人々が近づく。
覗き込む。
指でなぞる。

そして、ある男が呟いた。

「……世論誘導完了って」
「チェック、入ってるじゃねぇか」

別の女が震える声で言う。

「……私たち、最初から捨てる予定だったってこと?」

群衆の空気が変わる。
怒りが、矛先を変え始める。
市長ではなく、“見えない誰か”へ。

朝霧は次の一言を慎重に落とした。

「俺は犯人じゃない」
「でも、俺が犯人にされた“理由”はここにある」
「この街を廃棄するために、犯人が必要だった」

誰かが言う。

「じゃあ、どうすりゃいい」
「48時間で何ができる」

朝霧は息を吸い、吐いた。

「止める」
「街を止める」
「そして、見せる」
「ここに人がいることを」

ユイが紙束を配り始めた。
一枚ずつ。
読む手。
震える手。
受け取らない手。

朝霧は受け取らない人を見た。
その目は恐れだった。

恐れは、敵じゃない。
恐れは、守りたいものがある証拠だ。

そのとき、広場の外側がざわついた。

重いエンジン音。
白いライト。
装甲車。

中央警備局。

人々が一斉に振り向く。

「……来た」
「早すぎる」
「やっぱり潰しに来たんだ」

装甲隊が降りる。
黒い装甲服。
バイザー。

隊長が拡声器で言った。

「この集会は違法である」
「市民は直ちに解散せよ」
「朝霧恒一を引き渡せ」

広場が静かになる。
誰もが、次の一歩を探している。

ここで逃げたら終わり。
ここで戦えば、怪我人が出る。

朝霧は前へ出た。
手は上げない。
目を逸らさない。

「解散しない」
朝霧は言った。
「市民が文書を読むのは違法じゃない」
「紙を読む権利まで、奪えるのか」

隊長は一瞬だけ黙り、冷たく言った。

「権利は、秩序の上にある」
「秩序を乱す者は排除する」

その言葉が、広場に刃を落とす。

——秩序。

父と同じ言葉。

朝霧の背中が冷える。
だが、視界の端で市民が一歩、前に出た。

作業服の男。
さっき朝霧に罵声を浴びせた男だ。

「秩序?」
男が言った。
「俺らを捨てる秩序なら、もういらねぇ」

次に、別の女が前へ出た。
子どもを抱いた母親。

「私たちはここにいる」
「消えるわけがない」

広場が、少しずつ前に出る。
恐れが消えたわけじゃない。
恐れの上に、選択が乗った。

隊長のバイザーが光る。

「……排除を開始する」

装甲隊が前進した。

その瞬間。

広場のスピーカーが、勝手にノイズを吐いた。

ブツ……ザザ……

そして、聞き覚えのある声が割り込んだ。

『——聞こえるか、アバンドル』

針谷の声。

朝霧の呼吸が止まる。

『市長さん、借りがあるって言ったよな』
『返す』

どこからだ。
旧放送塔?
別の回線?
わからない。

でも——生きている。

針谷の声は続く。

『中央警備局の皆さん』
『あなた方が今やってること、全部録ってる』
『しかも“データ”じゃない。紙だ』

隊長が一瞬だけ硬直した。

針谷が笑う。

『紙は燃やせる』
『でも燃やした瞬間、燃やしたことが残る』
『それが今のアバンドルだ』

ユイが朝霧を見て、目で合図する。

「今だ」
「逃げ道じゃない」
「押し切る」

朝霧は一歩前へ出た。
そして叫んだ。

「市民の皆さん!」
「文書を持って帰ってください!」
「一枚でもいい!」
「あなたの家に残せ!」
「誰かに見せろ!」

広場が動く。
人が散る。
逃げるんじゃない。
“拡散”するために散る。

装甲隊が混乱する。

「止めろ!」
「紙を回収しろ!」

だが、どこから回収する。
人の家を全部回収できるのか。
それはもう、街を敵に回すという宣言だ。

隊長は判断を変えた。
狙いを一点に絞る。

「朝霧を確保しろ!」

装甲隊が朝霧へ向かう。

ユイが朝霧の腕を掴み、走った。

「市長!」
「次の場所へ!」

「次?」
朝霧が息を切らす。

ユイが言った。

「紙は撒けた」
「次は——“象徴”を奪う」
「A-001が生きてるなら、取り戻す」
「死んでても、取り戻す」

朝霧の胸が締め付けられる。

A-001。

あいつが犠牲になった。
その犠牲を、“物語”にされる前に回収しないといけない。

針谷の声が、最後に割り込んだ。

『市長さん』
『処理層の“搬出口”が動いてる』
『今夜、カプセルが外へ出る』

朝霧の目が見開く。

「外へ?」

ユイが顔を歪める。

「……廃棄の前に、在庫を移す」
「街を消す前に、中身だけ回収する」

針谷が言った。

『場所は——旧貨物線のトンネル』
『今夜、22時』
『来なきゃ終わる』

ノイズ。
通信が切れた。

ユイが言う。

「22時」
「あと……何時間?」

朝霧は端末を見た。

《発動まで 39:48:11》

まだ時間はある。
でも余裕はない。

朝霧は走りながら、初めてはっきりと言った。

「奪う」
「象徴を」
「物語ごと」

旧貨物線トンネルへ向かう途中、朝霧の端末に新しい通知が出た。
《対象A-001:搬送準備完了》
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