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序章
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1.
北寄りの風が、アパートの部屋の窓をカタカタと鳴らした。街頭の木々が激しく揺れているのが夜目にもわかる。遠くから犬の鳴き声が聞こえていた。
室内には、二人の男がいた。二人は兄弟だった。
兄は、窓際に置かれた机でパソコンを操作していた。ダイニングテーブルの椅子を引っ張り出し、兄の横に座った弟がモニターを覗き込む。
「まずは、ここかな」兄が、モニターに視線を向けたまま呟いた。
「いいんじゃないの」弟も頷く。
「ここが、諸悪の原点だ。こいつらが、オレたちをこのような目に合わせたんだ」兄が、モニターの画面を憎々しげに睨みつける。画面には、国会議事堂が映し出されていた。
マウスを握る手を震わせながら、傍らに置いてあった小箱に視線を向ける。小箱の中には、苦労の末に手に入れた武器が納められていた。二人の野望を実現するための武器である。
「兄貴。やっぱり、七カ所が限度なのかな?」弟も、小箱に視線を向けた。
「中途半端に破壊しても、意味がないだろう?」
「そうなんだろうけどね」
「さぁ、最初のターゲットは決まった。次のターゲットだけど、お前なら、どう考える?」
兄が、弟の顔を覗き込んだ。
「オレなら……」弟が、つばを飲み込む。
「警察庁なんか、どうだろう? 治安の中枢を担っているからね」
「警察庁なあ……」
「兄貴の構想には、警察庁は入っていなかったのか?」
「もちろん、入っているよ。ただ、そこよりも先に狙うべきターゲットがあると思っているんだ」
「どこ?」
「防衛省だよ。国防の中枢機能が集まっている。早めに潰しておいたほうがいいと思う」
二人の間で、第二、第三のターゲットが、防衛省、警察庁であると決められた。
「あと、四カ所か……」弟が呟く。
「行政と経済の中枢もつぶさないとな」
「霞が関?」
「それと、日銀」
「そうだね」
第四、第五のターゲットが決まった。
「あと、二カ所か……」兄が、天井に視線を向けながら腕を組む。
「東京以外の場所に仕掛けるっていうのはどうかな? 大阪なんかにも、国の重要な施設はあるし」
「どうなのだろうか……。国の主要な機能は、首都である東京に集中している。だから、東京を徹底的につぶしたほうが効果的なんじゃないのか? それと、破壊するためにオレたちが遠方まで移動しなければならなくなるのも良くないと思う」
「兄貴の言う通りかもな。今のやり取りで思いついたんだけど、交通の要を破壊するのも効果的なんじゃないのか?」
「例えば?」
「東京駅と羽田空港。その二カ所を破壊したら、絶対にパニくると思うよ」
弟が、喉の奥でククッと笑った。
「それって、いいかもね」兄も、笑みを浮かべる。
こうして、すべてのターゲットが決められた。
2.
金曜日の午後八時、新宿歌舞伎町は、大勢の人間でごった返していた。駅へ向かう人の流れと駅からやって来る人の流れとが、あちらこちらでぶつかり合っている。
街には、いつものような活気あふれる光景が広がっていた。
酔客同士が小競り合いを展開する横で、抱き合ったカップルが二人だけの世界に浸っている。着飾った若い女性たちが嬌声を上げ、その周囲に男たちが群がる。
街中の至る所に、人だまりができていた。
そんな中、道端で話し込む二人の男の姿があった。
一人はジャンパーにジーンズ姿の若者であり、もう一人は小ざっぱりとしたスーツに身を包んだ年齢不詳な男だった。
ジャンパー男は、酔っ払っていた。柱に片手をつき身体を支えながらスーツ男に相対している。
ジャンパー男が、絡みつくような視線で言葉を発した。
「なに保険だって?」
「妄想保険です」
「妄想保険? なに、それ?」
ジャンパー男が鼻で笑った。妄想という言葉と保険という言葉が結びつかなかった。
「人間、誰しも感情を爆発させたくなるときがあります。そんなとき、通常ですと理性が働き行動に移すことはないのですが、時と場合によっては、理性が働かずに感情が爆発することがあります。その結果、犯罪が発生し、やった側もやられた側も被害者になります」
「やった側が被害者になるって、どういうこと?」
「罪を犯せば、罰せられるじゃないですか。身柄を拘束されて、長い間刑務所に入れられてしまう。今まで築き上げてきたものが一瞬のうちに崩れ去ってしまう。刑期を終えても、犯罪歴を消すことはできません。世間からの冷たい視線に耐えながら、一生過ごしていかなければならないのです。計画的に罪を犯した人は別ですが、一時の感情の爆発で罪を犯した人に関しては、その人自身も被害者なのだと私どもは考えています」
「そうとも言えるかもね」
ジャンパー男が、今一つ要領を得ないという表情で頷いた。しかし、スーツ男の話に興味を抱いたようでもある。
「その話と妄想保険とやらが、どういう関係にあるわけ?」ジャンパー男が、話の先を促す。
「妄想保険とは、そのような事態に陥ったときに、感情の爆発を食い止めるための保険です。理性が利かなくなったときに感情の爆発を食い止める方法は、頭の中で妄想するしかありません。実際に行動に移すのではなく、頭の中で行動するのです。そうすれば、相手に危害を加えることなく感情を爆発させることができます」
「そんなの、保険なんかに入らなくても、普段から心掛けておけば済む話なんじゃないの?」
「それができないから、人は、あるとき理性が働かなくなるのです。妄想しようなどと思う前に、行動に移してしまうのです。そうならないようにいち早く妄想させるのが妄想保険です」
「その保険に入れば、これからずっと、ヤバいときは妄想で食い止めてくれるのか?」
「ずっとではありません。一度きりです」
「一度きり? そんなの、意味ないじゃん」
「理性が働かなくなることなんて、そう滅多にあるものではありません。あっても、一生のうちに数回程度なものです」
「そりゃ、そうなんだろうけれども……。でも、保険って高いんでしょ?」
「お金は必要ありません。モニターになっていただければよいのです」
「そうなの? 他にも、モニターになった人いるの?」
「いらっしゃいますよ。今まで五名の方にモニターになっていただきました。モニターは六名を予定しておりましたので、あなたがなられるのでしたら、最後のモニターということになります」
スーツ男が、誘うような笑みを浮かべた。
ジャンパー男が、柱から手を放す。
「入られますか?」
スーツ男からの問いかけに、ジャンパー男は首を縦に振った。
北寄りの風が、アパートの部屋の窓をカタカタと鳴らした。街頭の木々が激しく揺れているのが夜目にもわかる。遠くから犬の鳴き声が聞こえていた。
室内には、二人の男がいた。二人は兄弟だった。
兄は、窓際に置かれた机でパソコンを操作していた。ダイニングテーブルの椅子を引っ張り出し、兄の横に座った弟がモニターを覗き込む。
「まずは、ここかな」兄が、モニターに視線を向けたまま呟いた。
「いいんじゃないの」弟も頷く。
「ここが、諸悪の原点だ。こいつらが、オレたちをこのような目に合わせたんだ」兄が、モニターの画面を憎々しげに睨みつける。画面には、国会議事堂が映し出されていた。
マウスを握る手を震わせながら、傍らに置いてあった小箱に視線を向ける。小箱の中には、苦労の末に手に入れた武器が納められていた。二人の野望を実現するための武器である。
「兄貴。やっぱり、七カ所が限度なのかな?」弟も、小箱に視線を向けた。
「中途半端に破壊しても、意味がないだろう?」
「そうなんだろうけどね」
「さぁ、最初のターゲットは決まった。次のターゲットだけど、お前なら、どう考える?」
兄が、弟の顔を覗き込んだ。
「オレなら……」弟が、つばを飲み込む。
「警察庁なんか、どうだろう? 治安の中枢を担っているからね」
「警察庁なあ……」
「兄貴の構想には、警察庁は入っていなかったのか?」
「もちろん、入っているよ。ただ、そこよりも先に狙うべきターゲットがあると思っているんだ」
「どこ?」
「防衛省だよ。国防の中枢機能が集まっている。早めに潰しておいたほうがいいと思う」
二人の間で、第二、第三のターゲットが、防衛省、警察庁であると決められた。
「あと、四カ所か……」弟が呟く。
「行政と経済の中枢もつぶさないとな」
「霞が関?」
「それと、日銀」
「そうだね」
第四、第五のターゲットが決まった。
「あと、二カ所か……」兄が、天井に視線を向けながら腕を組む。
「東京以外の場所に仕掛けるっていうのはどうかな? 大阪なんかにも、国の重要な施設はあるし」
「どうなのだろうか……。国の主要な機能は、首都である東京に集中している。だから、東京を徹底的につぶしたほうが効果的なんじゃないのか? それと、破壊するためにオレたちが遠方まで移動しなければならなくなるのも良くないと思う」
「兄貴の言う通りかもな。今のやり取りで思いついたんだけど、交通の要を破壊するのも効果的なんじゃないのか?」
「例えば?」
「東京駅と羽田空港。その二カ所を破壊したら、絶対にパニくると思うよ」
弟が、喉の奥でククッと笑った。
「それって、いいかもね」兄も、笑みを浮かべる。
こうして、すべてのターゲットが決められた。
2.
金曜日の午後八時、新宿歌舞伎町は、大勢の人間でごった返していた。駅へ向かう人の流れと駅からやって来る人の流れとが、あちらこちらでぶつかり合っている。
街には、いつものような活気あふれる光景が広がっていた。
酔客同士が小競り合いを展開する横で、抱き合ったカップルが二人だけの世界に浸っている。着飾った若い女性たちが嬌声を上げ、その周囲に男たちが群がる。
街中の至る所に、人だまりができていた。
そんな中、道端で話し込む二人の男の姿があった。
一人はジャンパーにジーンズ姿の若者であり、もう一人は小ざっぱりとしたスーツに身を包んだ年齢不詳な男だった。
ジャンパー男は、酔っ払っていた。柱に片手をつき身体を支えながらスーツ男に相対している。
ジャンパー男が、絡みつくような視線で言葉を発した。
「なに保険だって?」
「妄想保険です」
「妄想保険? なに、それ?」
ジャンパー男が鼻で笑った。妄想という言葉と保険という言葉が結びつかなかった。
「人間、誰しも感情を爆発させたくなるときがあります。そんなとき、通常ですと理性が働き行動に移すことはないのですが、時と場合によっては、理性が働かずに感情が爆発することがあります。その結果、犯罪が発生し、やった側もやられた側も被害者になります」
「やった側が被害者になるって、どういうこと?」
「罪を犯せば、罰せられるじゃないですか。身柄を拘束されて、長い間刑務所に入れられてしまう。今まで築き上げてきたものが一瞬のうちに崩れ去ってしまう。刑期を終えても、犯罪歴を消すことはできません。世間からの冷たい視線に耐えながら、一生過ごしていかなければならないのです。計画的に罪を犯した人は別ですが、一時の感情の爆発で罪を犯した人に関しては、その人自身も被害者なのだと私どもは考えています」
「そうとも言えるかもね」
ジャンパー男が、今一つ要領を得ないという表情で頷いた。しかし、スーツ男の話に興味を抱いたようでもある。
「その話と妄想保険とやらが、どういう関係にあるわけ?」ジャンパー男が、話の先を促す。
「妄想保険とは、そのような事態に陥ったときに、感情の爆発を食い止めるための保険です。理性が利かなくなったときに感情の爆発を食い止める方法は、頭の中で妄想するしかありません。実際に行動に移すのではなく、頭の中で行動するのです。そうすれば、相手に危害を加えることなく感情を爆発させることができます」
「そんなの、保険なんかに入らなくても、普段から心掛けておけば済む話なんじゃないの?」
「それができないから、人は、あるとき理性が働かなくなるのです。妄想しようなどと思う前に、行動に移してしまうのです。そうならないようにいち早く妄想させるのが妄想保険です」
「その保険に入れば、これからずっと、ヤバいときは妄想で食い止めてくれるのか?」
「ずっとではありません。一度きりです」
「一度きり? そんなの、意味ないじゃん」
「理性が働かなくなることなんて、そう滅多にあるものではありません。あっても、一生のうちに数回程度なものです」
「そりゃ、そうなんだろうけれども……。でも、保険って高いんでしょ?」
「お金は必要ありません。モニターになっていただければよいのです」
「そうなの? 他にも、モニターになった人いるの?」
「いらっしゃいますよ。今まで五名の方にモニターになっていただきました。モニターは六名を予定しておりましたので、あなたがなられるのでしたら、最後のモニターということになります」
スーツ男が、誘うような笑みを浮かべた。
ジャンパー男が、柱から手を放す。
「入られますか?」
スーツ男からの問いかけに、ジャンパー男は首を縦に振った。
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