妄想のススメ

makotochan

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第2章 犯行声明

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1.
 兄弟にとって、日本は敵国だった。
 二人は、在日A国人である両親のもとに生まれた。自分たちがA国人であることを知らされたのは、二人が小学生になってからであった。
二人は、生まれたときから日本名だった。
 彼らの両親も日本で生まれ育ったのだが、祖父母たちは、戦時中日本に強制連行されていた。肉親の何人かが日本兵によって殺され、財産も没収されたということであった。
 それなのに、両親は、兄弟の前では日本の悪口を一言も言わなかった。A国人としての誇りは持ちながらも日本人として生きていけと兄弟を諭した。そうすることが、兄弟にとって幸せなのだということを何度も口にした。
 あるとき、両親は、祖国から食材を輸入し販売する事業を始めた。個人商店からのスタートだったが、食材の加工に乗り出すにつれて事業も拡大し、いつしか会社になった。
 経済的な余裕が生まれたおかげで、兄弟は不自由な思いをすることもなく勉学に励み、青春時代を過ごした。ともに一流大学に入学し、工学部と理工学部に籍を置いた。
 このまま頑張って卒業すれば一流企業への就職が待っているのだと二人は信じて疑わなかった。
 しかし、そのときすでに、二人の前に不遇の道へと続く扉が開いていた。
 数年前から日本と祖国との間で政治的な摩擦が生じ、次第にエスカレートしていた。
 そんな中、政府が、祖国に対する制裁として祖国からの輸入品に対して莫大な関税を課すことを決定した。
 その決定は、両親の営む事業に甚大な影響を及ぼした。食材の仕入れを祖国からの輸入に頼っていたからだ。
 利益を確保するためには大幅な値上げをしなければならないが、そのようなことをすると商品が売れなくなるのは明らかだった。
 そんな中、さらに追い打ちをかける事態が発生した。
 両親の会社が販売する商品の中に異物が混入しており、そのことをマスコミが報道し、騒ぎとなった。
 真相は従業員の一人が意図的に商品に異物を混入したものであり、両親もそのことに気づいていたが、両親はそのことは公表せずに、製造過程で偶発的に異物が混入したのだという釈明を行った。
 しかし、事態は、それでは収まらなかった。
 一部のマスコミが、祖国からの輸入品に対して特別な関税を課す政策へ抗議するために両親が意図的に商品の中に異物を混入したのだという記事を掲載した。まったくの冤罪だったが、祖国に対する敵対心をあおる世論が、その記事を後押しした。
 両親のもとに、抗議の電話やメールが殺到した。大衆雑誌の記者たちが、興味本位で、両親のことを追い回した。
 これにより、会社の業績は急落した。
 会社を維持するためには資金が必要であり、両親は金策に走った。幸い、担保にするための不動産はあり融資を受けられる条件はそろっていたのだが、どの銀行も首を横に振った。どこも、口にはしなかったが、両親がA国人であることが理由であった。
 両親は、精神的に追い込まれていった。
 そんな両親を追い詰めるかのように、一般市民が、両親に対する嫌がらせを行った。家の周りに両親のことを誹謗中傷するビラを貼りつけ、動物の死骸や汚物を家の前にまき散らした。
 防犯カメラに犯行の一部始終が映し出されており、兄弟が警察に訴え出たのだが、警察の腰は重たかった。映像が不鮮明であり、行為者を特定できないからだという曖昧な言い訳を口にしたものの、銀行と同様に、A国人に対する差別であることは明らかだった。
 やがて、耐えきれなくなった両親が自殺した。
 会社の業績悪化により生じた借金は、両親の死亡保険金と会社を売却することで賄われた。
 兄弟は、裸のまま放り出された。大学も中退しなければならなくなった。
 兄弟は、身分を隠しながら、生きるために働くことを余儀なくされた。

2.
 「とりあえず座れよ」訪ねてきた弟に、兄がダイニングテーブルの椅子を指さした。
 冷蔵庫から缶ビールを二本取り出してテーブルの上に並べた。
 弟の向かい側に座った兄が、缶ビールのプルタブを開け、中身をグビグビと飲み始めた。
 大きく息を着いた後に「上手くいったか?」と声をかけた。
 弟も、缶ビールのプルタブを開けた。ビールをひと口喉に流し込み、おもむろに口を開いた。
 「計画通りにいけたよ」
 「そっか……」兄が、満足げに頷いた。
 「兄貴のほうは、どうだったの?」
 「結論から言うと、計画通りにいけたんだけど、防衛省は、正直ヤバかったよ」
 「なにかあったのか?」
 「見学受付時の本人確認のときに、手荷物の中身をしつこく聞かれてさ」
 「中身を調べられたのか?」
 「バッグの中を覗かれた。持ち物を一つ一つ調べるようなことまではされなかったけど」
 「兄貴だけが聞かれたのか?」
 「他にも、聞かれていた人はいたみたいだけどな。とにかく、冷や冷やしたよ。カズは、そういうの、何もなかったのか?」
 「全然。本人確認以外は何も聞かれなかった。正直、警察庁の入るビルは厳しいチェックがあるのかなと思って万全の準備をしていったんだけど、肩透かしだったよ」
 カズと呼ばれた弟が、肩をすくめた。
 「天が、オレたちに味方してくれているのさ」兄が、不敵な笑みを浮かべた。カズの顔にも、笑みが広がった。
 「これからどうするの? 順番に、スイッチを押していくか?」カズが、隣の部屋の机の上に視線を向けた。
 机の上には、トランシーバーのような形をした装置が置かれていた。先端に、無線を発信するためのアンテナが取り付けられていた。二人の知識を結集して作り上げた高度な装置だった。
 「それでもいいんだけどな……。だけど、ただ破壊しただけでは面白くはないと思わないか?」
 「どういうこと?」
 「どうせなら、もっと混乱させるようなことをやりたいとは思わないのかってことだよ」
 「もっと混乱させるようなことって? 具体的に、なにをするつもりなの?」
 「政府に対して、犯行声明文を送りつけるんだよ。国内の主要施設に破壊力のある爆弾をセットしたという内容でな。内閣総辞職をしなければ爆発させると脅してやる。いたずらではないということを解らせるために、わざと仕掛けてある爆弾を発見させるんだ」
 「七カ所のうちのどこかを教えるのか?」
 「そんな人の良いことはやらないよ。それように、新たに仕掛けるんだ」
 「でも、もう爆薬はないよ」
 「囮なんだから、ダイナマイトでいい。たしか、カズが前の現場でくすねてきたダイナマイトがあっただろう? 二本だったかな?」
 「うん」
 「あれに起爆装置をつけて、囮用にセットしよう」
 「どこにセットすればいいんだ?」
 「内閣府なんてどうだ? 館内の目立たないところにダイナマイトをセットする。セットした後に、犯行声明文を送り付ける。声明文の中に、爆弾を仕掛けた場所を書いておくんだ。実際に爆弾が仕掛けられているのがわかれば、間違いなく、声明文は、お偉方のもとに届くはずだ。一定期日までに内閣総辞職をするという政府発表をしなければ爆破を行うとでも書いておこうか」
 兄が、喉の奥でククッと笑った。
 「でも、そんなことをしたら、政府は主要施設の内部を徹底的に調べるんじゃないのかな?」
 カズが、不安げな表情を浮かべる。
 「それで、いいじゃないか。発見される爆弾がダイナマイトだから、奴らは、他に仕掛けられているかもしれない爆弾もダイナマイトだという頭で探すだろう。そんなんじゃ、オレたちがセットした爆弾を見つけることなんか絶対にできっこないよ」
 「素人じゃ、絶対に見つけられないだろうね」
 「カズは、二本のダイナマイトに起爆装置をセットしてくれ。無線式ではなくてタイマー式のほうがいい。声明文を送る前に発見されたくないから、爆弾とはわからないように外見をカモフラージュしてほしい。作るのに、どのくらいの時間がかかる?」
 「そうだな……。三日もあれば、いけると思う」
 「わかった。じゃあ、そっちは頼む。オレは、犯行声明文を作るよ。爆弾を仕掛けるのもオレがやる」
 二人は、目を合わせて頷き合った。

3.
 封筒を手にした内閣府総務課職員の岩本は、違和感を覚えた。
 封筒の宛名は内閣官房長官であり、差出人のところには全国労働者保護協会の文字が印刷されていた。全国労働者保護協会は、ブラック企業から労働者を守るための活動を行っている民間団体である。関係省庁への意見や陳情なども精力的に行っていた。
 最初はその手の郵便物なのかなと思った岩本だったが、宛名の文字が妙に角ばっていることが気にかかっていた。まるで、定規でも使って字を書いたように見える。
 官房審議官以上の要職者宛に届いた郵便物は、総務課長を通じて本人に手渡す決まりになっている。
 岩本は、総務課長に対象郵便物を渡す時に感じたことを口にした。

 岩本から郵便物を受け取った総務課長の栗原も、違和感を覚えていた。
 内閣官房長官宛に届く郵便物の多くは、意見書や陳情書の類である。
 内閣官房長官は、政府の公式見解を発表する役目を担っている。日常的にその姿を目にすることで、内閣官房長官という存在が国民と政府との間の窓口を果たしているのだと感じてしまう人間がたくさんいるようであり、毎日のように各種団体や個人からの郵便物が寄せられていた。ホームページ上にも国民からの意見を受け付けるための専用フォームを設けているのだが、郵便物の数は一向に減らない。
 そのような郵便物をすべて届けていたのでは内閣官房長官としての職務に支障をきたすため、事前に内容の確認を行う権限が栗原には与えられていた。
 栗原は、封を開いた。
 封筒の中には、一枚の紙が入っていた。A4サイズのコピー用紙に文字が印字されている。
 中身を確認した栗原の顔色が変わった。
 自分の手元にとどめ置いてよい内容ではなかった。しかし、内閣官房長官に直接手渡すべき内容でもない。
 栗原は、封筒を持って大臣官房長室へと向かった。

 「実際に、爆発物は仕掛けられていたのかね?」封筒の中身に目を通した内閣官房長官の鷲尾は、目の前で硬い表情を浮かべている大臣官房長の藤森に確認した。
 青い顔をした藤森が頷く。
 一階の玄関ホールに置かれていた観葉植物の中に、ダイナマイトと起爆装置らしきものが隠されていた。観葉植物の図柄がプリントされた布で全体が覆われており、外から見る限り、そのようなものが紛れていることに気づけないような状況にあったということだ。
 「うむ……」鷲尾は、表情を曇らせた。
 手紙の内容は内閣総辞職を求めるものであり、期限までに公式発表が行われなかった場合は国内の主要施設に仕掛けた爆発物を爆破させるというメッセージが添えられていた。期限は、今日から二週間後である。
 過去にも、脅迫めいた郵便物が届いたことがあった。悪質な内容のものは警察に通報し、捜査を依頼した。しかし、爆発物が発見されるようなケースは今まで一度もなかった。
 それが今回、自分たちが働く建物の中に爆弾が仕掛けられていたのだ。
 「どうされますか?」藤森が、顔色を窺った。
 「どうもこうも、このような脅迫に屈していたのでは、政治は成り立たないよ」鷲尾が、言葉を吐き捨てる。
 「しかし、実際に爆発物が仕掛けられていましたが」
 「まだ、本物と決まったわけではない。警察に連絡して、調べてもらおう」
 「総理への報告は、いかがなされますか?」
 「爆発物が本物かどうかを調べてもらってからでもいいのではないかね? 偽物であれば、気にする必要はない。キミ、大至急警視庁へ連絡してくれ」
 鷲尾は、爆発物が本物であるかどうかを見極めたうえで、どのように対応するかを決めようと決断した。

4.
 連絡を受けた警視庁は、その日の深夜に、爆発物処理班のメンバーを内閣府へ向かわせた。
 万が一のために内閣府の入る建物や近隣の建物で働く人たちを退避させる必要があったのだが、場所が場所なだけに、日中にそのようなことを行うと政治や経済に混乱をきたすことが予想された。そのようなことをすれば、マスコミが嗅ぎ付け、大騒動になるのは間違いない。
 その日は、対象となる建物で働く人間に、午前零時以降の残業を禁止する特別措置が取られた。
 捜査の結果、爆発物は本物であることが判明した。脅迫文に書かれていたタイムリミットから一時間後に爆発するようにタイマーがセットされていた。
 この結果は、即刻内閣官房長官へ報告された。
 それと同時に、警視庁内で捜査チームが結成された。
 政治的な判断は政府に任せるとしても、れっきとした犯罪行為であり、犯人を捕まえる必要がある。爆発物が本物であったということは、犯人の言う通り、国内の主要施設に爆発物が仕掛けられている可能性があった。
 内容が内容なだけに、警視庁は、マスコミに嗅ぎ付けられないように極秘で捜査を進める方針を固めた。

 警視庁から連絡を受けた内閣官房長官の鷲尾は、翌朝、総理官邸に内閣総理大臣の大村を訪ねた。
 大村の今日のスケジュールは、午後二時に予定されている閣議までの間は、総理官邸内で執務を行う予定となっていた。
 突然の訪問に、大村は怪訝な表情を浮かべた。鷲尾の予定外の行動は、突発的且つ緊急性の高い事案が発生したことを意味するからだ。
 「総理。お忙しいところを恐縮ですが、これをご覧いただけますか?」鷲尾は、脅迫文を差し出した。
 大村が、執務の手を止め、中身に目を通す。
 「実際に、爆発物は仕掛けられていたのかね?」鷲尾が大臣官房長に訊ねたのと同じ言葉を大村は発した。
 「仕掛けられていました。中身も、警視庁の爆発物処理班の人間を呼んで調べさせましたが、本物だということでした」
 「マスコミの反応は?」
 「今のところは大丈夫です。政治記者番の連中も、気づいていないようです」
 「そうか……」
 大村が、さして興味もないといったような表情で脅迫文を封筒にしまった。封筒ごと鷲尾に押し返す。
 「一応、ご報告までと思いまして」鷲尾は、スーツのジャケットの内ポケットに封筒をしまった。このことに対する大村の判断は、聞くまでもないことだと思っていた。
 「当然、警視庁は動いているのだよね?」大村が、上目づかいに聞いてくる。
 「そのように報告を受けております」鷲尾は、警視庁から連絡を受けた内容を説明した。
 「もちろん、このような戯言を相手にするつもりは毛頭ないが、問題は、犯人が指定した期日だよ」
 「と申されますと?」
 「ペギー国務長官の来日があるじゃないか」
 「あっ!」
 鷲尾は、声を上げた。
 アメリカとの間で行われる中国の軍事台頭に対抗するための南西諸島から東南アジアにかけての防衛体制に関する協議が、十五日後に東京で開かれる予定となっていた。そのために、前日にペギー国務長官をはじめとしたアメリカの要人たちが来日する。
 犯人は、要求に対する期限は切っていたが、政府が要求通りに行動しなかった場合に、いつ爆発物を爆発させるのかということについては触れていない。
 ペギー国務長官の来日に合わせて爆発させるつもりでいることも考えられる。期限が切れた直後に爆発させるつもりであったとしても、国内が大混乱に陥ることは必至であり、アメリカとの協議どころではなくなる。
 「爆発物が仕掛けられているという前提で、我々も行動しなくてはならないようですね」鷲尾は、自らを諭すように口にした。
 「無論そうだ。しかし同時に、我々は、何事にも屈するわけにはいかない。それが政治というものだからだよ。警視庁からは、定期的に報告が入るようになっているのかね?」
 「そのように指示はしてあります」
 「私のところへも毎日報告が入るようにしてもらいたいな」
 「わかりました。総理へは、私から直接ご報告するようにしましょう」
 「頼む。それと、マスコミ対策も徹底してほしい。下手に騒がれると、アメリカとのことに影響が出る。我が国の信用失墜にもつながりかねない」
 政治的なテロの発生は、政情不安であるように諸外国には映る。
 大村は、自らが積極的に外交にかかわることで、近隣諸国との経済や軍事面での連携強化に乗り出していた。そんな大村の苦労が水の泡と化す危険性もあった。
 「他の閣僚への報告は、いかがしますか?」鷲尾は、マスコミ対策だけではなく、閣僚への対策も必要なのではないかと感じていた。閣僚の中には、虎視眈々と次の総理の座を狙っている連中もいる。
 「当面の間は、私たち二人の胸の中にとどめておこう。今の我々には、政治的な課題が山積している。このようなことに閣僚たちとの間で貴重な時間を費やすことは許されないと考えているが、あなたは、どう思うかね?」
 大村から視線を向けられた鷲尾は、頷いた。
 政治が決めない限り、世の中は変わらない。
 自分たちには、無駄に浪費する時間など一秒たりともなかった。
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