飛空艇の下で

上津英

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最終話 生贄の終わり

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 どくん、と組み敷いている体が脈動するようにびくつく。
 人が死ぬ前の生理現象に似ていて、思わず息を飲む。しつこくもがいていた動きも止んだ。

「がっ!!」

 炎に埋もれ聞こえないはずのロベルトの声が、どこからか聞こえた気がした。
 その後は手品か、よくできた映写機でも見ているようだった。
 脈打つロベルトの動きが停止したと思ったら、花が高速で枯れるように肌の色がくすんでいく。
 そして徐々に皺が刻まれ、青年のようだったロベルトの容姿が老人の物へと変わっていった。
 止まっていた時間が一気に動き出したのだ、と理解できた時にはもうロベルトの肌が溶けていた。

「へっ」

 蝋人形を溶かしたかのような崩れ落ち方が不気味で、思わず襟を掴んでいた手を離す。こんな現象見たことがない。
 すっかり溶解し、骨だけになってしまったロベルトを一歩引いて眺めていた。先ほどまで人間の形だった者が服を着た人骨に変わってしまったのは何とも言えない恐怖がある。
 ロベルトはもう動かない。
 分かっているのにすぐに動く気になれなかった。体の力が抜け、へたへたとその場に座り込む。目の前で起きた奇妙な現実が未だに受け入れられない。

 暫くして、あの村に戻れるのだ、と実感が沸いてきた瞬間、隣で変わらず燃えていた焚火が強風に吹かれたように身をくねらせた。
 自分の髪は少しだって揺れていないのに、どうして炎が揺れるのだと目を見張り勢いよく隣を向いた。心なしか赤みが増したような焔は、血のように赤くて気味が悪い。

「なに……」

 じりじりと尻餅をついた状態で焚火から後ずさる。得体の知れない獣でも映しているようだ。
 ブラッドの呟きに、炎は応えるようにパチパチと音を立てる。
 と。

「贄にならず生き延びた供物は初めて見た」

 どこからともなく、男性とも女性ともつかない中性的な声が響いてきた。
 耳元の空気が震えて音を作っているように思えて息を殺していた。呼吸が浅くなる。
 これがロベルトが言っていた悪魔という奴なのだろうか。ギリギリにしか動かない、と聞いているのでこの場に悪魔とやらが潜んでいても不思議ではないのかもしれない。

「……生きたかった、から」

 ゆっくりと立ち上がり、骨だけとなったロベルトから離れる。周囲を見渡してみたが、当然誰もいなかった。

「そのようだな。生きたいなら、あの男のように私と契約するか? こんな機会二度とないぞ?」

 耳元で甘い囁き声がした。
 たしかにロベルトのように少々のことで死ぬことがないのは魅力的なのだろう。
 嫌という程チョコレートケーキだって食べられるだろうし、飛空艇の更なる進化だって見られる筈だ。
 それでも、一緒に生きたいと思った人は先に死んでしまうだろうし、人と触れ合うことも出来なくなる。

「……そんなことをしなくても、人は楽しく生きられるよ。あんたもこんな悪趣味な事は止めたら」

 言い終え、少し離れたところに落ちている剣を拾い、残ったロベルトの服を包帯状に切り、腕を止血する。
 そしてザクリザクリと地面に穴を掘っていく。地面を掘って出来た土を焚火に被せていった。
 少しして、分かった、とでも言うように燃え残っていた火が水を掛けられたが如くしゅっと消えていった。
 人為的な消え方が気取っているように思えて、ちえと舌打つ。
 同時に、今まで上手く吸えなかった息が吸えるようになった気がする。ふう、と何度も深呼吸を繰り返した。

 終わったのだ。
 骨だけになったロベルトは、いつの間にかその骨も消えていた。おそらく風化まで時間が進んだのだろう。
 着る人のいなくなった刻まれた服がヒラヒラと風に揺れるのを見ながら、ブラッドは音のしなくなった空き地を後にした。

 いつの間にか空き地に連れてこられたので、今どこにいるのか分からない。あの村に戻れるかどころの問題ではない。
 明るくなったのも幸いし、崖に沿って歩いていく。半日ほどしか眠らされていないのだ、谷底に向かって一日ほど歩けばあの村に辿り着けるだろう。
 そう信じて足場の悪い道を歩く。
 清流を見付けた時はあの村も近くにあるはずだと気持ちが昂った。
 空もいつの間にか橙色に変わっていき、森も暗闇に呑まれ始めていった頃。

 雰囲気が変わり、足場の悪い道が拓けた。
 この道には覚えがある。ロベルトと共に歩いた道だ。食われると初めて聞いた場所だ、よく覚えている。
 虹でも見付けたかのようにぱっと目を見張り、足に鞭打ってその道を進んでいった。
 自然に囲まれた道の雰囲気が次第に人工的な物に変わっていく。
 あの村の入り口にある木の上は飛空艇がよく見えるから好きだ、と少女は言っていた。だからきっと今も入り口にいるのだろう。

 道を進んでいくと、柵が見え一本の痩せ細った木が見えた。
 その頼りない木の上に、上空を見上げている少女が座っていた。
 銀色の長い髪。幼さの残る横顔。モニカだ。
 足音を立てて近付くと、こちらに気が付いたらしいモニカの顔が自分に向く。
 その瞳が段々見開かれていく。

「あ、ブラッド!! 昨日急いで出て行ったって聞いたからもう会えないんだと思ってたよ。ってその怪我どうしたの……!?」

 あっと目を丸め、身軽な動作で地上に飛び降りてくる。
 一応の止血はしたとは言え、作業服は切れ血が滲んでいる。

「あ、ああ……あのさ、モニカ。ちょっとお願いがあって、ロベルトと別れてきたんだ」
「お願い? なに?」

 ロベルトの話が出たからなのか、モニカはそれ以上腕の傷について触れなかった。きっと何かあったと察してくれたのだろう。
 実際、自分が村に転がり込むとしてもモニカの一存では決められない筈だ。そもそも何処に住むのかも分からない。断られる可能性だってある。
 分かっているが、ブラッドはそれでも頼もうと思った。ゆっくりと口を開く。

「俺、この村に居てもいい? 村のみんなの……モニカの近くにいたいんだ」

 少女の目を見ながら話す。もっとうまい言い方もあったと思うが、変にこねくり回すのは止めておいた。
 モニカは自分の申し出に酷く驚いたようだった。頬を桃色に染め、零れんばかりに青色の目を見開いて視線を泳がせていた。
 数秒後、驚いていたモニカの表情がじわじわと嬉しそうな物に変わる。

「……え、本当に? いいの? 何もない村だよ? いいの??」

 何度も念を押され、笑みが零れる。
 うん、と頷くと、モニカはぱっと花が開いたかのような満面の笑みを浮かべた。

「うん、うん! もちろんだよ! 名前もない村だけど、いらっしゃいませ!」

 嬉しそうなモニカを見て、張り詰めていた緊張がスッと引いた。
 良かった。嬉しい。
 言って良かった。こんな人生でも、生きてて良かった。
 頭上を飛ぶ飛空艇の下で、ブラッドは初めて自分の居場所を見付けられた気がした。
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