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第3章 九州大学病院の一角で
第10話 「でね、さっき鴻野君のお母さんから連絡貰ったんよ」
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「佐古川君お早う。今日も暑かね」
翌朝、おおぞらの入口にあるガラス張りの自動ドアを開けると、涼しげな表情を浮かべている所長に出迎えられた。
「わっ、藤沢さん⁉ ビックリしたぁ……」
「あらごめん、驚かすつもり無かったんやけど話があって。良いから中に入りー。夏に自動ドア開けっ放しにすんのは犯罪たいよ?」
そう言い小百合はおおぞらのホールに戻っていく。
「藤沢さんがそげんとこに居ったからやん……?」
僅かに附に落ちない物の、確かにこの猛暑日に自動ドアをずっと開けておくのは罰金物だ。歩もさっさとおおぞらの中に入った。
まだ職員しか居ないこの時間帯のおおぞらは静かだ。
多くの職員が更衣室や事務所に居る上、まだ出勤していない人も多いからだ。ホールの奥にセミオープンキッチンで人参を切っている奥津の姿を認める。
「でね、さっき鴻野君のお母さんから連絡貰ったんよ」
爽やかな青チェック開襟シャツ姿の小百合から切り出された。
「付き添い、良かやって。何時も毎週金曜日に市内の病院にリハビリに行っとるけん次の金曜日の午前に落ち合わせたいって話たい。詳しくは電話して下さいやって」
「やった! 良かったぁー……あー藤沢さん格好ええよ有り難う!」
感極まりながら礼を伝えると、小百合に「普段は格好悪か思っとーと?」と睨まれた。その後どこの病院なのかも教えてくれた。
「佐古川君、鴻野君のお母さんに会った事あると? さすがプリンスの母君だけあって美人なクイーンたいよ」
「昨日藤沢さんと話しとるの見たですばい、あん人かな。確かに鴻野君と似とったわぁ。そんじゃあ藤沢さん、次からの鴻野家への電話は俺がするったいね! わざわざ有り難う、じゃー俺送迎車の鍵取ってくるばい」
「……うん。まあ程々にね」
事務所の扉を開ける前、セミオープンキッチンの中に三角巾をした黒いエプロン姿の女性の姿が見えた。職員や利用者約四十人分の昼食を作るには朝から準備が必要だ。
確か今日は鯖の味噌煮と人参サラダだと献立表に書いてあった。それに厨房スタッフが余り物や貰い物でアドリブの汁物を作る。
二十年間平日はほぼ毎日四十人分近い食材を注文しているお得意様だからか、ちょくちょく商店街から果物や野菜にお菓子をサービスして貰う日も多い。有り難い事だ。
「奥津さん、お早うございます~」
「あら佐古川さん、お早う」
切っていた人参から顔を上げ、一つ結びにしている博多マダムがふわりと笑う。
「昨日、鴻野君美味しそうに茄子の挟み揚げ食べとったですたいよ」
味処奥津の料理にがっしり胃袋を掴まれているので、不思議と奥津には口調が丁寧になってしまう。
「まっ。きゃ~嬉しい! 佐古川さんは? 美味しかったと?」
「勿論ですたい! 今日も楽しみにしとーとです」
「うふふふ、有り難う。そう言って貰えるんが一番嬉しいわぁ、みんな笑ってくれるんだもの。やけん仕事でも料理作っとるんよ、私」
うふふ、と頬を持ち上げて笑い、細身の博多マダムは人参を切る作業に戻っていった。それを見て歩も事務所に入る。
それからの時間の流れは早かった。
送迎をし、利用者と午前の時間を過ごして、味処奥津を堪能した。午後の時間も利用者と過ごし次に帰りの送迎。おおぞらに帰って報告や少々の事務を済ませ――歩は今、白く無機質な固定電話を耳に当てていた。
連絡が取りやすい電話番号として教えて貰ったクイーンの携帯電話に掛けているのだ。
プルルル、と単調な電子音が四回鳴り終わった時。
『はい、どうしました?』
滑舌の良い女性が電話に出た。
小百合のようにハキハキとしているが柔らかい。この母親の下で育ったのなら尚也が元々明るい性格だと言うのも頷けた。
「あ、初めましてこんにちは。おおぞらの職員で尚也君のリハビリに付き添いたいって言った佐古川です」
尚也と母親――志摩子と言うらしい――は東京から来ているので分かりやすく標準語にした。自分の名前を聞き志摩子が「ああっ!」と合点がいったような声を上げる。
『こんにちは佐古川さん、尚也の母親の志摩子と言います。貴方の事は藤沢さんから聞いてます~なんでも尚也のリハビリ通院に同行したいとか……良いんですか? 面白くないと思いますけど』
「全然良いですよー。どんなリハビリをしているか見たい、おおぞらでも出来そうな自主トレメニューを先生に考えて欲しいと言うのが目的ですから。付き添いを許可してくれて有り難うございます。尚也君にもそうお伝え下さい」
『いえいえ、尚也の事気にして下さってこちらこそ有り難うございます。おおぞらさんは手すりも多いので、尚也が自主トレをやる分には問題無いと思いますよ。先生方もそういう事を頼まれるの多いみたいですし、受けて下さると思います』
朗らかな口調で告げられた言葉にホッと胸を撫で下ろす。理学療法士も慣れているようで頼もしい。
『それじゃあ佐古川さん、金曜日の午前に病院で落ち合わせる……って事でお願い致します。暑いから病院で合流したいそうです、尚也。困った子でごめんなさいね……』
「いえ。尚也君のその気持ち分かります。蒸されちゃいますもんね」
冗談っぽく返すと、電話越しにクスリと志摩子が笑ったのが分かった。
しかし、夕方の主婦に電話するものではなかったと次の瞬間後悔する。受話器の奥から聞こえる音がどこか慌ただしい。
『では佐古川さん、金曜日の九時五十分に一階の受付近くでお待ちしておりますので。あ、病院は――』
「藤沢さんから聞いてます、九州大学病院ですよね。では、忙しい時に有り難う御座いました! 金曜日、宜しくお願い致します。失礼致します」
『はい、こちらこそ有り難う御座いました。失礼致します』
互いに挨拶をした後、プツリと通話が途切れた。
ツーツー、と電子音しか聞こえなくなった受話器を元の場所に戻し、一仕事終わったと息をつく。
と。
翌朝、おおぞらの入口にあるガラス張りの自動ドアを開けると、涼しげな表情を浮かべている所長に出迎えられた。
「わっ、藤沢さん⁉ ビックリしたぁ……」
「あらごめん、驚かすつもり無かったんやけど話があって。良いから中に入りー。夏に自動ドア開けっ放しにすんのは犯罪たいよ?」
そう言い小百合はおおぞらのホールに戻っていく。
「藤沢さんがそげんとこに居ったからやん……?」
僅かに附に落ちない物の、確かにこの猛暑日に自動ドアをずっと開けておくのは罰金物だ。歩もさっさとおおぞらの中に入った。
まだ職員しか居ないこの時間帯のおおぞらは静かだ。
多くの職員が更衣室や事務所に居る上、まだ出勤していない人も多いからだ。ホールの奥にセミオープンキッチンで人参を切っている奥津の姿を認める。
「でね、さっき鴻野君のお母さんから連絡貰ったんよ」
爽やかな青チェック開襟シャツ姿の小百合から切り出された。
「付き添い、良かやって。何時も毎週金曜日に市内の病院にリハビリに行っとるけん次の金曜日の午前に落ち合わせたいって話たい。詳しくは電話して下さいやって」
「やった! 良かったぁー……あー藤沢さん格好ええよ有り難う!」
感極まりながら礼を伝えると、小百合に「普段は格好悪か思っとーと?」と睨まれた。その後どこの病院なのかも教えてくれた。
「佐古川君、鴻野君のお母さんに会った事あると? さすがプリンスの母君だけあって美人なクイーンたいよ」
「昨日藤沢さんと話しとるの見たですばい、あん人かな。確かに鴻野君と似とったわぁ。そんじゃあ藤沢さん、次からの鴻野家への電話は俺がするったいね! わざわざ有り難う、じゃー俺送迎車の鍵取ってくるばい」
「……うん。まあ程々にね」
事務所の扉を開ける前、セミオープンキッチンの中に三角巾をした黒いエプロン姿の女性の姿が見えた。職員や利用者約四十人分の昼食を作るには朝から準備が必要だ。
確か今日は鯖の味噌煮と人参サラダだと献立表に書いてあった。それに厨房スタッフが余り物や貰い物でアドリブの汁物を作る。
二十年間平日はほぼ毎日四十人分近い食材を注文しているお得意様だからか、ちょくちょく商店街から果物や野菜にお菓子をサービスして貰う日も多い。有り難い事だ。
「奥津さん、お早うございます~」
「あら佐古川さん、お早う」
切っていた人参から顔を上げ、一つ結びにしている博多マダムがふわりと笑う。
「昨日、鴻野君美味しそうに茄子の挟み揚げ食べとったですたいよ」
味処奥津の料理にがっしり胃袋を掴まれているので、不思議と奥津には口調が丁寧になってしまう。
「まっ。きゃ~嬉しい! 佐古川さんは? 美味しかったと?」
「勿論ですたい! 今日も楽しみにしとーとです」
「うふふふ、有り難う。そう言って貰えるんが一番嬉しいわぁ、みんな笑ってくれるんだもの。やけん仕事でも料理作っとるんよ、私」
うふふ、と頬を持ち上げて笑い、細身の博多マダムは人参を切る作業に戻っていった。それを見て歩も事務所に入る。
それからの時間の流れは早かった。
送迎をし、利用者と午前の時間を過ごして、味処奥津を堪能した。午後の時間も利用者と過ごし次に帰りの送迎。おおぞらに帰って報告や少々の事務を済ませ――歩は今、白く無機質な固定電話を耳に当てていた。
連絡が取りやすい電話番号として教えて貰ったクイーンの携帯電話に掛けているのだ。
プルルル、と単調な電子音が四回鳴り終わった時。
『はい、どうしました?』
滑舌の良い女性が電話に出た。
小百合のようにハキハキとしているが柔らかい。この母親の下で育ったのなら尚也が元々明るい性格だと言うのも頷けた。
「あ、初めましてこんにちは。おおぞらの職員で尚也君のリハビリに付き添いたいって言った佐古川です」
尚也と母親――志摩子と言うらしい――は東京から来ているので分かりやすく標準語にした。自分の名前を聞き志摩子が「ああっ!」と合点がいったような声を上げる。
『こんにちは佐古川さん、尚也の母親の志摩子と言います。貴方の事は藤沢さんから聞いてます~なんでも尚也のリハビリ通院に同行したいとか……良いんですか? 面白くないと思いますけど』
「全然良いですよー。どんなリハビリをしているか見たい、おおぞらでも出来そうな自主トレメニューを先生に考えて欲しいと言うのが目的ですから。付き添いを許可してくれて有り難うございます。尚也君にもそうお伝え下さい」
『いえいえ、尚也の事気にして下さってこちらこそ有り難うございます。おおぞらさんは手すりも多いので、尚也が自主トレをやる分には問題無いと思いますよ。先生方もそういう事を頼まれるの多いみたいですし、受けて下さると思います』
朗らかな口調で告げられた言葉にホッと胸を撫で下ろす。理学療法士も慣れているようで頼もしい。
『それじゃあ佐古川さん、金曜日の午前に病院で落ち合わせる……って事でお願い致します。暑いから病院で合流したいそうです、尚也。困った子でごめんなさいね……』
「いえ。尚也君のその気持ち分かります。蒸されちゃいますもんね」
冗談っぽく返すと、電話越しにクスリと志摩子が笑ったのが分かった。
しかし、夕方の主婦に電話するものではなかったと次の瞬間後悔する。受話器の奥から聞こえる音がどこか慌ただしい。
『では佐古川さん、金曜日の九時五十分に一階の受付近くでお待ちしておりますので。あ、病院は――』
「藤沢さんから聞いてます、九州大学病院ですよね。では、忙しい時に有り難う御座いました! 金曜日、宜しくお願い致します。失礼致します」
『はい、こちらこそ有り難う御座いました。失礼致します』
互いに挨拶をした後、プツリと通話が途切れた。
ツーツー、と電子音しか聞こえなくなった受話器を元の場所に戻し、一仕事終わったと息をつく。
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