蒸気の中のエルキルス

上津英

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第2章 それはうそぶく蒸気のように

2-12 「あ、知り合い?」

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「えっ? 案内は全然良いですけど、ヴェンツェルさん大学間に合うんですか? 逆方向になりますけど」
「間に合わないけど良い! 周辺の把握のが大事だよ」

 そこまでハッキリ言われると何にも言えない。
 それに。
 サボりがあったからこそ、ドミニクと仲良くなれたのだ。ヴェンツェルともそうなったって不思議はない。

「なら行きますか」

 笑って頷き、交差点を左に曲がる。膝に泥を着けて遊んでいる幼児がいる公園横を通り、住宅街に入っていく。排気口から、白く可視化された蒸気が蛇のように踊っている。

「この辺りだと教会の前の道が、川と工業区と生活排気の影響で特に霧が出やすいんですよ」

 あの辺りの道は霧が出やすい、あの道は混む、と説明している時。

「……オレ、あっちの道行ってみたいな」

 倉庫が並んでいる場所に出る狭い道を見て、青年がボソッと呟いた。
 そこは、汚くて狭いのもあり滅多に人が通らない裏道だ。

「あー、ここ。倉庫があるだけですよ。夏は蚊が多いんで、通ったら絶対どこか刺されます」

 この時期ならもう平気だけど、と付け加えて砂利道を歩いていく。

「ふうん……」

 この青年にしては珍しくこちらを見ながら相槌を打たれる。数分程行くと、倉庫のずっと奥にミトズロッドの白い校舎が見えてきた。
 ヴェンツェルとの小旅行ももうお終いだ。
 自分は良きガイドになれただろうか。そう尋ねようとして──ふと違和感を覚えた。
 視界の隅に、赤色が見えたのだ。

「……?」

 倉庫に凭れかかっている物に視線が吸い込まれる。赤い、大きな物があったのだ。
 いや、違う。人だ。
 力なく腕を投げ出している死体だ。

「うわああっ!?」

 顔、腹部、足。
 何箇所も切られており、いたる所が赤黒く染まっていた。

「死んで、えっ……!」

 血に汚れた死体を前に、頭が上手く動かない。
 切断死体を見た事はあるが、あの時は気が昂っていたからかそう驚かなかった。しかし今は、全くの不意打ちだ。
 ただただへっぴり腰になっていた。
 少ししてようやく頭が回り、この死体が見知った少年だと気が付く。

「え……?」

 大幅に着崩した地味な制服。見覚えのある顔。──自分と同じ赤い髪。

「フレッド……!?」

 それは賑やかなクラスメイトだったのだ。

「あ、知り合い?」

 ヴェンツェルは自分と違い落ち着いていた。
 医学の勉強をしているなら、血がこびり付いている服にも、見開かれている青い瞳にも耐性があるのだろう。
 てっきり遊んでいるとばかり思っていたクラスメイト。こんな所で項垂れているなんて少しも思わなかった。
 こちらを見ていたヴェンツェルの視線を振り払うように、血まみれの死体の元に駆け寄る。

「フレッドッ!」

 血がこびり付いた頬を叩いたら目が覚めないか──そう右手を持ち上げかけ、すんでのところで思い留まる。

「っ」

 もう学友に触れては駄目なのだ。

「じゃあ警察に電話してくるよ」

 後方から聞こえてきたのは、相変わらず落ち着いている声。
 その声に返事をする事が出来ない。砂利を踏む音が遠ざかっていく。

「フレッド……何で」

 もう顔を上げる事の無いクラスメイトを見ながら呟く。
 フレッドは血だらけだが、現場に血の海は無い。何処かで切り刻まれた後こんな寂しいところに連れて来られたのだろう。自分達が発見しなかったら、フレッドは何時発見されていただろうか。

「……っ」

 目の前の光景が受け入れられず視線を落とすと、日陰が故に湿っている茶色い地肌が広がっていた。
 異臭の中、ノアは唇を噛み締めていた。

***

 おかしい。
 課長からゴードンの解剖結果を聞かされたクルト・ダンフィードは、真っ先にその理由が気になった。

「えーっと、課長? それってつまり、ゴードンは何らかの理由で1日生かされてた、って事すか?」

 刑事課全員が集まった煙草臭い部屋。静まり返った部屋の沈黙を一番に破ったのは、リチェだった。

「そうなるね。行方不明になったのは土曜で、何故か生かされてた日曜を挟んで、殺されたのが月曜になるから」
「誘拐じゃなくて自発的に失踪した後、日曜に切り裂きジャックに捕まった、って可能性はあります?」

 切り裂きジャック──やはり犯人はそう呼ばれる事になった。直にメディアもこの殺人鬼をそう呼び出すだろう。

「無いね。手足を拘束してただろう跡は土曜から出来た物なんだってさ」
「霧が出る遺棄しやすい日まで殺害を待ったって線は?」

 良く犯人はそうしますよね、と続けたリチェは同意を求めるように周囲を見渡す。2人のやり取りを見ていた数人が頷いた。

「それも無いね。金曜からずーっとエルキルスは霧が出てた。遺棄しようと思えば何時でも出来た筈なんだよ。空白の1日も食事……お菓子だけど貰ってたみたいだから、監禁だけして家を空けてたわけでも無さそう。性的暴行された跡も無いし何で1日間があるんだろう? 難儀な事件になりそうだね」

 小太りの課長は憂鬱そうにボヤいた後、再び書類に視線を落とした。

「で、死因は喉を切られた事による失血死。顔から足先まで25ヶ所刻まれていて、開腹後肝臓を摘出されて持ち去られてた。雨で血が流れたのかと思ってたけどこれは発見現場じゃない所で殺害を行われたからのようだよ、切り傷は遊んでる感じもあったみたいだけど、肝臓摘出に関しては解剖医が褒めてたくらい綺麗な傷、無駄のなさだったから、犯人は解剖の知識がある可能性が高いね」
「知識まであるなんて、本当に切り裂きジャックだな」

 課長の言葉に反応したのは、刑事課で一番犯人を捕まえているベテランの強面の男性だった。
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