蒸気の中のエルキルス

上津英

文字の大きさ
60 / 108
第2章 それはうそぶく蒸気のように

2-11 「今霧が出てるんだ、お前はさっさと殺さないと」

しおりを挟む
 こちらを振り返ってスケアリーは言う。この女性は小柄な自分より背が高く、冷たさを感じる碧眼がこちらを見てくる。この目が嫌いだ。

「もう良いのか? 浴室は……」
「良いよ。彼等を殺す必要はそもそもあんまり無いから、少し可哀想だしね」

 そういえばそうだった。
 彼等を殺すのは、あくまでもスケアリー側から自分への報酬なのだ。それは悪いね……と歯切れ悪く言い、玄関に向かった後ろ姿を見送る。
 スケアリーは自分に殺人を依頼してきておいて、被害者に同情する。突然の女性らしさと言い、随分とまあ二面性のある性格だ。

「また、電話するよ。良いか? 余計な殺しはするなよ、じゃ」

 スケアリーは短くそう言い、夜のエルキルスへと消えていく。今日の外気は冷たく、すぐに玄関ドアを閉めた。

「っ……ああ長かった……」

 ぶつぶつ言いながらも頬が緩んだ。
 これでようやく作業に打ち込める。流石にもう誰も来ないだろう。
 急いで浴槽に戻る。口から出る声は、好きな人に会う時のように弾んでいた。

「ただいまっ」

 ヴェンツェルが声を掛けると、赤毛の男子──フレッドは見るからにびくついた。

「んーっ、んーっ!」

 怯えきった目は限界まで見開かれ、「来るな」とばかりに首を振って髪を乱している。

「今更そんな態度取らなくたって良いって。……初めて会った時、オレの事馬鹿にしてたでしょ」

 一昨日の夕方、ゴードンが見付かった日だ。
 背の高いこの少年と狭い路地ですれ違った時、見下されている感じがして嫌になったのだ。経験上、自分を見下す人は怒って来るから。
 スケアリーから出された条件に合っていたので、「引っ越してきたばかりだから、ちょっと道を教えて欲しい」と適当な事を言って上手く自宅に誘い込み、後頭部を殴って気絶させた。

「今霧が出てるんだ、お前はさっさと殺さないと」

 唇に薄い笑みを浮かべ、浴室に放置していた手術用品滅菌ケース――大学からくすねた――から取り出したメスを握り締める。

「んんんーっ!!」
「大丈夫だって、オレ解剖は上手いから。お前の肝臓、何色なんだろうね?」

 それを見た少年がますますくぐもった声を上げたが、自分の耳には極上のオペラにしか聞こえず、もっと聞きたくなっていた。

***

 同じ生活リズムを送りたくても、住む場所が変わるとそれは出来なくなる。
 川沿いのマンションからミトズロッド高校までは、ポピーよりも7分程遠い。なので理論上は7分早く出れば良いだけの話だ。
 しかし朝の工業区を通る事になる為、ノア・クリストフはポピーに居た時より15分早く家を出る事にした。引っ越し翌日くらいは真面目に生きたかったのだ。

「ふぁ~ねむ…………あ」

 瞼の重みを感じながら霧の出ていないマンションホールを出ると、ゴミを捨てている見覚えのある人物を見付け足が止まった。
 天然パーマの黒い髪。
 黒縁眼鏡の奥の青い三白眼。
 猫背で小柄な体躯。
 間違える訳が無い。新しき隣人ヴェンツェル・ラグナイトその人だ。
 自分と同じく眠そうではあるが、口端が持ち上がっていて昨日より機嫌が良さそうだ。何か良い事でもあったのだろう。
 ふと、ヴェンツェルがこちらに気が付いた。

「あ。ノア、だっけ?」

 機嫌が良いからか、青年は昨日とは別人のような明るい表情でこちらに近寄って来る。

「こんな時間に高校間に合うの? 近いのか?」
「お早う御座います。あー、ミトズロッドなんで直ぐですよ」

 周囲に影響を受けたからとは言え、自分が新しい知人に丁寧に喋るようになったのが、我が事ながらくすぐったい。ちょっと前なら考えられなかった。

「へっミトズロッド? そうなんだ、ふうん……ふうん」

 自分の高校名を聞いたヴェンツェルは目を丸くし、まじまじと自分を見始めた。
 ミトズロッド公立高校はお坊ちゃん学校や進学校では微塵もないので、そのような反応をされると恥ずかしい。

「じゃあ歩いていくのか? オレもルイリーフに大学あるから……途中まで一緒に行こうよ」
「へ」

 驚いた。
 隣人は人嫌いだと思っていただけに、こんな展開になるとは全く思っていなかったのだ。けれど途中まで方向が一緒なら、断るのも問題だ。
 なにせ、隣人なのだし。

「はい、行きますかっ」

 ぎこちなさと気恥ずかしさを感じながら言うと、天然パーマの青年も頷いた。
 しかし。

「………………」
「………………」

 敷地を出て少しの間、お互い無言だった。静かすぎて、近くの煙突から蒸気を排出するボイラー音が聞こえるくらいだ。
 話題が無いのにどうして隣人が自分を誘ったのか、不思議に思ってしまう。気まずいのでこちらから話を振る。

「…………ヴェンツェルさんって、大学で何勉強してるんですか?」
「外科だよ。解剖学、外傷学、内科学とかそういうの……」
「医学生だったんですか? 凄ぇ」

 感嘆と同時に納得する。
 そう言えば確かにルイリーフには有名な医大があるし、医学生なら1LDKで独り暮らしも出来るわけだ。きっと親が金持ちなのだろう。
 自分の反応にヴェンツェルが気分良さそうに、ふふっと頬を持ち上げる。

「外科の勉強ってそんなに色々やるんですね」
「うん。他にも模擬手術とか画像診断や術式とか……オレはまだ2年生だから、これでもまだまだだと思うよ。人間の体ってこうなってるんだな、臓器ってこんな色してるんだな、こうすれば良いんだな、って分かって面白いんだ。人体の神秘? ああいうの感じる。模擬手術は献体だからどれだけ弄っても大人しいし……」

 どうやらヴェンツェルは話しかければ応じてくれるタイプらしい。
 それから2階建ての馬車バスが走っている鉄橋を渡るまで、たまに途切れはするものの会話は続いた。
 思った通り、ルイリーフ医科大学に通っていると言う。若干訛っているのも納得だ、わざわざ出て来たのだろう。
 ルイリーフに行く交差点に差し掛かった時。

「あっ」

 不意にヴェンツェルがこちらに三白眼を向けた。何か名案を思い付いたかのように、にぃっと唇を歪ませながら。

「そうだ、ノア。ちょっとミトズロッドまで着いて行かせてよ。オレ引っ越してきたばかりで、この辺の道あんま知らないんだよね」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

身体交換

廣瀬純七
SF
大富豪の老人の男性と若い女性が身体を交換する話

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件

こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。

処理中です...