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第3章 それは湿った蒸気のように
2-21 「あっそうだ、叔父さん」
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第3章 それは湿った蒸気のように
徒歩圏内にある女子校に行く前、イヴェット・オーグレンは教会の扉を合鍵を使って開けていた。
理由は1つ。
玄関ホールの左斜め、礼拝堂の隣にある集会室に居るだろう人物に用事があるからだ。
「お仕事中に失礼します~」
集会室の扉を開ける。少し俯き加減だったのは自分の選択に自信が持てていないからだ。
「えっイヴェットさん!? この時間に教会に来るなんて珍しいですね。どうされました?」
一番に自分に反応したのは、集会室のパイプ椅子に座っていた叔父――グレイのカーディガンを羽織っている――だった。
「具合でも悪いんですか? 大丈夫ですか? 朝御飯の時から元気ありませんでしたが」
「なあ馬鹿ユスティン、具合が悪かったらこっち来るわけないと思わないか?」
叔父の言葉に、どこか呆れた声で返したのは黒い作業着を着たアンリだった。キャスター付きのオルガンの椅子に座っているが、体は叔父の方を向いている。
良かった、ぶらぶらしていなかった。この人に用があったのだ。
「どうしたの?」
「大した話じゃないよ、朝御飯中は眠かっただけだし……。あのさ、アンリさんが作ったカメラ借りたいんだけど、何処?」
「あ~、それなら俺の部屋だ」
深刻な内容では無かったからかどこかホッとしたアンリが言う。
「カメラなんて何に使うんです?」
語尾を上げた叔父の疑問は当然だ。
あれからずっと――朝御飯中もスケアリーの事で頭がいっぱいだった程――自分はどうスケアリーに返信するべきか考えていた。
自然消滅や、正直に性別を打ち明けるのは論外。
そんな事をしては、折角の大切な時間を台無しにしてしまう。スケアリーとの信頼関係にヒビが入り、それが切っ掛けで飽きられてしまうかもしれない。
見るからにスケアリーからの手紙が短くなったり、頻度が減っていくのは見たくなかった。そんな事、考えるだけで目の前が暗くなっていく。
だったら。
だったら、適当に偽の写真を送ってコーヒーは断る。それが良い。
スケアリーは夜しか都合が付かないようだし、アルバイトや研修がある、と言えば話は有耶無耶になるだろう。
これならこのまま、何の障害も無く夢のような時間を続けられる。
これが一番だ。
そのような結論に至ったからこそ、イヴェットは今カメラの所在を確認しているのだ。カメラを入手するという第一関門が達成出来そうで、自然と力んでいた全身の力が緩んでいく。
「うん、ちょっと写真を撮ろうと思って……誰を、とか聞かないでね」
「はあ。って事は人を撮るんですか?」
「聞かないで、って言いましたー!」
自分達のやり取りを横目に見ながら、首からゴーグルを提げているアンリが立ち上がる。
「じゃあ2階に取りに行って来るよ。ちょっと待っててね?」
「うん、有り難う~!」
集会室を出ていく背中に礼を言い、ひと仕事終わったとばかりに息を吐く。
2人だけになった集会室は先程よりも静かだ。こっそりと叔父を盗み見る。自分の視線に気付いた叔父がこちらを向いた。一瞬間があった後、良い事を思い付いたとばかりに、叔父がにんまりと目を細めてくる。
「……アンリも居ませんし、カメラ何に使うか教えてくれます?」
調子に乗った少年のような表情で、真っ直ぐこちらを見てきた。
叔父は自身の容姿の良さを──姪が叔父の外見を好きな事も──自覚しているだけに時たま狡い。
「もー! 言わないからね!?」
「むっ。それくらい良いじゃないですかっ。それで久しぶりに一緒に撮りましょうよ!」
突っぱねると、ふて腐れた叔父の声が返って来る。
だからか。
「……何でこんな短い時間で喧嘩出来るわけ?」
「わっ!?」
掌にセピア色の木製カメラを乗せたアンリが、集会室の出入り口に立って感心したように問い掛けてくる。背中をいきなり叩かれた時のように、ビクリと体が跳ね上がった。
「仲が良いんだか悪いんだか。っと、はい」
すれ違いざまカメラを渡される。少し冷たいそれを「有り難う」と受け取り、落とさないよう持ち直した。
「あっそうだ、叔父さん」
椅子から立ち上がり、外に出ようとして思い出す。
「そろそろ髪切ったら? ちょっと長くなってきた」
写真の話題が出来なくなったからか、叔父は不貞腐れ気味に返してくる。
「ああ、安いとこ探して日曜礼拝までには行きますよ。イヴェットさんに言われたからには切りませんと」
「うんうん。じゃあお邪魔してごめんね! 有り難う。学校行ってくるよー。叔父さんアンリさん、お仕事頑張ってね!」
「ん、行ってらっしゃいー?」
「はい、お疲れ様でした。気を付けて下さいね」
2人の声を背に、廊下ながら寒さを感じる外に出た。
イヴェットはカメラを何度も持ち直しながら、顔を上げて教会の扉を押し開けた。
実は今日、叔父にもアンリにも言っていない事があるのだ。
今借りたカメラ。
それで誰を撮るかはもう決めている。今日の午後会いに行く予定だ。
***
「さてと……じゃあ俺も1時間くらい外出るよ。ちょっと会いたい人が居てね」
パタン、という音を背に、紙袋──ティナへの手土産に用意したカイロが入った──を持ちながらアンリ・アランコは幼馴染に告げた。
が。
「待って下さい。最近貴方ぶらぶらしてばっか居ますけど、仕事してくれます? 日中に」
ピクッと眉を動かしたユスティンが自分の正面に立ち、集会室から出て行きにくいように圧迫しだしたのだ。
「うわっ」
そこに立たれるのは困る。これでは流石にティナに会いに行きにくい。
徒歩圏内にある女子校に行く前、イヴェット・オーグレンは教会の扉を合鍵を使って開けていた。
理由は1つ。
玄関ホールの左斜め、礼拝堂の隣にある集会室に居るだろう人物に用事があるからだ。
「お仕事中に失礼します~」
集会室の扉を開ける。少し俯き加減だったのは自分の選択に自信が持てていないからだ。
「えっイヴェットさん!? この時間に教会に来るなんて珍しいですね。どうされました?」
一番に自分に反応したのは、集会室のパイプ椅子に座っていた叔父――グレイのカーディガンを羽織っている――だった。
「具合でも悪いんですか? 大丈夫ですか? 朝御飯の時から元気ありませんでしたが」
「なあ馬鹿ユスティン、具合が悪かったらこっち来るわけないと思わないか?」
叔父の言葉に、どこか呆れた声で返したのは黒い作業着を着たアンリだった。キャスター付きのオルガンの椅子に座っているが、体は叔父の方を向いている。
良かった、ぶらぶらしていなかった。この人に用があったのだ。
「どうしたの?」
「大した話じゃないよ、朝御飯中は眠かっただけだし……。あのさ、アンリさんが作ったカメラ借りたいんだけど、何処?」
「あ~、それなら俺の部屋だ」
深刻な内容では無かったからかどこかホッとしたアンリが言う。
「カメラなんて何に使うんです?」
語尾を上げた叔父の疑問は当然だ。
あれからずっと――朝御飯中もスケアリーの事で頭がいっぱいだった程――自分はどうスケアリーに返信するべきか考えていた。
自然消滅や、正直に性別を打ち明けるのは論外。
そんな事をしては、折角の大切な時間を台無しにしてしまう。スケアリーとの信頼関係にヒビが入り、それが切っ掛けで飽きられてしまうかもしれない。
見るからにスケアリーからの手紙が短くなったり、頻度が減っていくのは見たくなかった。そんな事、考えるだけで目の前が暗くなっていく。
だったら。
だったら、適当に偽の写真を送ってコーヒーは断る。それが良い。
スケアリーは夜しか都合が付かないようだし、アルバイトや研修がある、と言えば話は有耶無耶になるだろう。
これならこのまま、何の障害も無く夢のような時間を続けられる。
これが一番だ。
そのような結論に至ったからこそ、イヴェットは今カメラの所在を確認しているのだ。カメラを入手するという第一関門が達成出来そうで、自然と力んでいた全身の力が緩んでいく。
「うん、ちょっと写真を撮ろうと思って……誰を、とか聞かないでね」
「はあ。って事は人を撮るんですか?」
「聞かないで、って言いましたー!」
自分達のやり取りを横目に見ながら、首からゴーグルを提げているアンリが立ち上がる。
「じゃあ2階に取りに行って来るよ。ちょっと待っててね?」
「うん、有り難う~!」
集会室を出ていく背中に礼を言い、ひと仕事終わったとばかりに息を吐く。
2人だけになった集会室は先程よりも静かだ。こっそりと叔父を盗み見る。自分の視線に気付いた叔父がこちらを向いた。一瞬間があった後、良い事を思い付いたとばかりに、叔父がにんまりと目を細めてくる。
「……アンリも居ませんし、カメラ何に使うか教えてくれます?」
調子に乗った少年のような表情で、真っ直ぐこちらを見てきた。
叔父は自身の容姿の良さを──姪が叔父の外見を好きな事も──自覚しているだけに時たま狡い。
「もー! 言わないからね!?」
「むっ。それくらい良いじゃないですかっ。それで久しぶりに一緒に撮りましょうよ!」
突っぱねると、ふて腐れた叔父の声が返って来る。
だからか。
「……何でこんな短い時間で喧嘩出来るわけ?」
「わっ!?」
掌にセピア色の木製カメラを乗せたアンリが、集会室の出入り口に立って感心したように問い掛けてくる。背中をいきなり叩かれた時のように、ビクリと体が跳ね上がった。
「仲が良いんだか悪いんだか。っと、はい」
すれ違いざまカメラを渡される。少し冷たいそれを「有り難う」と受け取り、落とさないよう持ち直した。
「あっそうだ、叔父さん」
椅子から立ち上がり、外に出ようとして思い出す。
「そろそろ髪切ったら? ちょっと長くなってきた」
写真の話題が出来なくなったからか、叔父は不貞腐れ気味に返してくる。
「ああ、安いとこ探して日曜礼拝までには行きますよ。イヴェットさんに言われたからには切りませんと」
「うんうん。じゃあお邪魔してごめんね! 有り難う。学校行ってくるよー。叔父さんアンリさん、お仕事頑張ってね!」
「ん、行ってらっしゃいー?」
「はい、お疲れ様でした。気を付けて下さいね」
2人の声を背に、廊下ながら寒さを感じる外に出た。
イヴェットはカメラを何度も持ち直しながら、顔を上げて教会の扉を押し開けた。
実は今日、叔父にもアンリにも言っていない事があるのだ。
今借りたカメラ。
それで誰を撮るかはもう決めている。今日の午後会いに行く予定だ。
***
「さてと……じゃあ俺も1時間くらい外出るよ。ちょっと会いたい人が居てね」
パタン、という音を背に、紙袋──ティナへの手土産に用意したカイロが入った──を持ちながらアンリ・アランコは幼馴染に告げた。
が。
「待って下さい。最近貴方ぶらぶらしてばっか居ますけど、仕事してくれます? 日中に」
ピクッと眉を動かしたユスティンが自分の正面に立ち、集会室から出て行きにくいように圧迫しだしたのだ。
「うわっ」
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