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第3章 それは湿った蒸気のように
2-29 ――教会の人間らしく頑張ろう?
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質問する声が震えた。
アンリが家族も同然に過ごしているのは、この青年を祖父がずっと心配しているからだ。祖父が言えばアンリは異動に同行するだろう。
もしこの青年まで居なくなるなら寂しすぎる。こちらを見たアンリは微笑み首を横に振った。
「俺はここに残るよ。新任牧師を扱くようお父さんから頼まれてるし、イヴェットちゃんが心配だしね?」
叔父が嫌そうに顔を顰める中、涼しくなってきた礼拝堂で「良かった」と安堵の息を吐いている自分が居た。
「お父さん達は8月までに北部のどこかに。お義兄さん達はもう暫く残ってエルキルスとルイリーフの教区を兼任してくれるけど、結局は東部のどこかに行く。で、8月下旬からここは俺ら3人になる」
潰さないようにしないとなあ……、とアンリがふっと力無く笑った。本人は冗談のつもりで言ったのだろうが、その表情はどこか眉が下がっている。
この中ではアンリしか社会人は居なく、この青年だってまだまだ若い。それに、エルキルス教会は叔父とアンリが産まれる前から祖父達が切り盛りしてきた。さすがにアンリも不安なのだろう。
今の表情はらしくない。その表情を見て何も思わぬ程、自分の心は死んでいない。
「——大丈夫だよ!」
気付けば床から立ち上がって、叔父もアンリも見下ろしている自分が居た。
「叔父さんは確かに新卒だけど、子供の時から教会に馴染みはあるんだし! アンリさんは就職組でもうずっと働いてるわけだしっ! あたしだって高校生になるわけだし立派な大人だよ! ここの信者さんみんな優しいし! 忙しい日の夕飯はお惣菜とかにしたら良いんだし! やっていけるよ! ね?」
声を張って伝えたからか。自分がこんな事言うなんて思っていなかったのか。2人がどこか驚いたように目を見張っていた。涼しくなった礼拝堂に、自分の声が反響してすぐに静かになる。
「…………ね?」
反応が無い事が急に不安になって、もう一度呼びかける。頬を持ち上げて笑ったつもりだったが、ぎこちない物になっていた。
「っ」
静かだった礼拝堂の空気を壊したのは、僅かに震えた叔父の笑い声だった。
「すっかり元気になって、何よりです。あんなに泣いていたのに……っ」
「もー叔父さんうるさいっ!」
叔父は偶に茶化してくるから、ついつい喧嘩をしてしまうのだ。しかしおかげでアンリも自分も表情が和らいだ。
「まー給料出るなら大丈夫か……。俺の言う事はちゃんと聞くようにな、スティグセン牧師? お前昔からすぐ怒るしそこも不安なんだよ」
「それは大体貴方のせいですからっ! 頷きかねますね」
口端を上げて言うアンリに先程の翳りは無く、それに返事をする叔父の表情も元に戻っている。
「ふふっ。もーそんな事言わないで、教会の人間らしく頑張ろう? 約束っ!」
「…………イヴェットさんが言うなら、はい」
どこか不貞腐れた叔父の声にクスクスと笑い、自分を奮い立たせるように目を細めた。
「約束は破る為にあると俺は思ってるけど、じゃー約束ね?」
「あははっアンリさんそれ駄目でしょー?」
何時ものように笑えているのだからもう大丈夫だ、そう思いながら。
***
――教会の人間らしく頑張ろう?
そう言って笑う自分の言葉をふと思い出したのは、嘘を吐くやましさがあったからだろうか。
ノアがいきなり文通の話題を出してきたのもあるに違いない。
(きっとそうなんだろうな……ごめんね)
イヴェット・オーグレンは俯いて、今しがた現像を終えたノアの写真を持って外に出た。
ここは警察署併設施設、通称現像科だ。
同じ敷地内にあるエルキルス警察署より二回り小さいが、老若男女が絶えずここの自動ドアを踏む。
24世紀現在。
アンリのように知識があればカメラは作れるが、現像となるとそうも行かない。写真の現像は、専用機がある現像科で行うのが一般的だ。
初回は個人情報の記入や指紋採取。2回目以降はカードの提示と小銭を対価に現像を行う為、警察側も犯罪捜査をスムーズに運べるというメリットがあり、施設を提供している。現像科に指紋が無いのは裏社会の人間のみ、という真偽不明の都市伝説まである程だ。
(スケアリーさんへの手紙を投函したら、アンリさんと叔父さんの好きな唐揚げ作ってみようかな。あ、後ドミニクさんに貰ったクーポンもあげようっと。髪切らせたいし……)
どこか興奮した思いで夕方の予定を考えながら歩いていたからか。
「きゃっ!」
「うわっ!」
ドンッ! と大きな音を立てて誰かと正面衝突した。バランスが崩れ、地面に尻餅をつく。
「いった……っ」
「っとと……ごめんなお嬢さん! 大丈夫か?」
前を向いて歩いてよ! と文句を言ってやりたかったが、自分も上の空だった手前その言葉は飲み込んだ。けれどついつい、眼鏡を掛け直している人物を見る目がキツくなり——その人がプラチナブロンドである事に気が付く。
白に近い金髪。警察官特有の青い制服。
あっと思った。
「ってリチェさん?」
尻餅をついたままで居るからか、巨人のように背が高く見える青年の名を呼ぶ。
見間違える訳が無い。この人だって、誘拐された自分を助けてくれた1人なのだから。
「ん? あっ、イヴェットちゃん!? 久しぶり~、ごめんな」
一瞬だけ訝しがられたものの、リチェはすぐに目元を和らげてこちらに手と笑顔を向けてくる。その後ろには異性が苦手なクルトが自分から逃げるように隠れていた。
「有り難う御座います! クルトさんもこんにちは。お久しぶりです」
「…………久し、ぶり」
先月ノアを入れた3人で、クビになり掛けたリチェを助けるという秘密を共有したおかげか、俯いてはいるも若干反応が返ってくる。
が。
「お、俺、先行ってる……!」
クルトはそう言うなり厩舎へ走っていった。足が早いので、あっという間に視界から消えていく。
「ごめんな、あいつ人見知りなんだ。特にイヴェットちゃんみたいな若くて可愛い子は」
フォローするようにリチェが言う。先月の作戦時以外にも、事情聴取で石像のような彼を何度も見ているので分かっている。
「あははっ……リチェさんは行かなくて良いんですか?」
警察官が厩舎に赴く用事は1つ。どこかへ行くのだ。
彼等は刑事課だから、今は切り裂きジャックの件で多忙を極めている筈だ。
「ん~ちょっとなら良いかな! 現像料に来てたのか?」
が、リチェは急いでいる風もなく話を続けてくる。それを見るに、火急の用では無さそうだ。
そうなると自分だってこの青年と話したかった。リチェは自分達によって助かった事を知らないだろうが、自分は知っている。間近でリチェの笑顔を見たかった。
「はい、写真を現像しに」
だよな~と相槌を打つ青年のライトブルーの瞳が、何かに気付いたように地面に向けられる。
「あ、悪い写真落ちちゃったな」
対面に立っていた青年が地面を見て身を屈める。
「え?」
言われて気が付いた。
ぶつかった時にか。手にしていた筈の長方形の紙を、何時の間にか地面に落としてしまっていたのだ——しかもノアが写っている方が表の状態で。
アンリが家族も同然に過ごしているのは、この青年を祖父がずっと心配しているからだ。祖父が言えばアンリは異動に同行するだろう。
もしこの青年まで居なくなるなら寂しすぎる。こちらを見たアンリは微笑み首を横に振った。
「俺はここに残るよ。新任牧師を扱くようお父さんから頼まれてるし、イヴェットちゃんが心配だしね?」
叔父が嫌そうに顔を顰める中、涼しくなってきた礼拝堂で「良かった」と安堵の息を吐いている自分が居た。
「お父さん達は8月までに北部のどこかに。お義兄さん達はもう暫く残ってエルキルスとルイリーフの教区を兼任してくれるけど、結局は東部のどこかに行く。で、8月下旬からここは俺ら3人になる」
潰さないようにしないとなあ……、とアンリがふっと力無く笑った。本人は冗談のつもりで言ったのだろうが、その表情はどこか眉が下がっている。
この中ではアンリしか社会人は居なく、この青年だってまだまだ若い。それに、エルキルス教会は叔父とアンリが産まれる前から祖父達が切り盛りしてきた。さすがにアンリも不安なのだろう。
今の表情はらしくない。その表情を見て何も思わぬ程、自分の心は死んでいない。
「——大丈夫だよ!」
気付けば床から立ち上がって、叔父もアンリも見下ろしている自分が居た。
「叔父さんは確かに新卒だけど、子供の時から教会に馴染みはあるんだし! アンリさんは就職組でもうずっと働いてるわけだしっ! あたしだって高校生になるわけだし立派な大人だよ! ここの信者さんみんな優しいし! 忙しい日の夕飯はお惣菜とかにしたら良いんだし! やっていけるよ! ね?」
声を張って伝えたからか。自分がこんな事言うなんて思っていなかったのか。2人がどこか驚いたように目を見張っていた。涼しくなった礼拝堂に、自分の声が反響してすぐに静かになる。
「…………ね?」
反応が無い事が急に不安になって、もう一度呼びかける。頬を持ち上げて笑ったつもりだったが、ぎこちない物になっていた。
「っ」
静かだった礼拝堂の空気を壊したのは、僅かに震えた叔父の笑い声だった。
「すっかり元気になって、何よりです。あんなに泣いていたのに……っ」
「もー叔父さんうるさいっ!」
叔父は偶に茶化してくるから、ついつい喧嘩をしてしまうのだ。しかしおかげでアンリも自分も表情が和らいだ。
「まー給料出るなら大丈夫か……。俺の言う事はちゃんと聞くようにな、スティグセン牧師? お前昔からすぐ怒るしそこも不安なんだよ」
「それは大体貴方のせいですからっ! 頷きかねますね」
口端を上げて言うアンリに先程の翳りは無く、それに返事をする叔父の表情も元に戻っている。
「ふふっ。もーそんな事言わないで、教会の人間らしく頑張ろう? 約束っ!」
「…………イヴェットさんが言うなら、はい」
どこか不貞腐れた叔父の声にクスクスと笑い、自分を奮い立たせるように目を細めた。
「約束は破る為にあると俺は思ってるけど、じゃー約束ね?」
「あははっアンリさんそれ駄目でしょー?」
何時ものように笑えているのだからもう大丈夫だ、そう思いながら。
***
――教会の人間らしく頑張ろう?
そう言って笑う自分の言葉をふと思い出したのは、嘘を吐くやましさがあったからだろうか。
ノアがいきなり文通の話題を出してきたのもあるに違いない。
(きっとそうなんだろうな……ごめんね)
イヴェット・オーグレンは俯いて、今しがた現像を終えたノアの写真を持って外に出た。
ここは警察署併設施設、通称現像科だ。
同じ敷地内にあるエルキルス警察署より二回り小さいが、老若男女が絶えずここの自動ドアを踏む。
24世紀現在。
アンリのように知識があればカメラは作れるが、現像となるとそうも行かない。写真の現像は、専用機がある現像科で行うのが一般的だ。
初回は個人情報の記入や指紋採取。2回目以降はカードの提示と小銭を対価に現像を行う為、警察側も犯罪捜査をスムーズに運べるというメリットがあり、施設を提供している。現像科に指紋が無いのは裏社会の人間のみ、という真偽不明の都市伝説まである程だ。
(スケアリーさんへの手紙を投函したら、アンリさんと叔父さんの好きな唐揚げ作ってみようかな。あ、後ドミニクさんに貰ったクーポンもあげようっと。髪切らせたいし……)
どこか興奮した思いで夕方の予定を考えながら歩いていたからか。
「きゃっ!」
「うわっ!」
ドンッ! と大きな音を立てて誰かと正面衝突した。バランスが崩れ、地面に尻餅をつく。
「いった……っ」
「っとと……ごめんなお嬢さん! 大丈夫か?」
前を向いて歩いてよ! と文句を言ってやりたかったが、自分も上の空だった手前その言葉は飲み込んだ。けれどついつい、眼鏡を掛け直している人物を見る目がキツくなり——その人がプラチナブロンドである事に気が付く。
白に近い金髪。警察官特有の青い制服。
あっと思った。
「ってリチェさん?」
尻餅をついたままで居るからか、巨人のように背が高く見える青年の名を呼ぶ。
見間違える訳が無い。この人だって、誘拐された自分を助けてくれた1人なのだから。
「ん? あっ、イヴェットちゃん!? 久しぶり~、ごめんな」
一瞬だけ訝しがられたものの、リチェはすぐに目元を和らげてこちらに手と笑顔を向けてくる。その後ろには異性が苦手なクルトが自分から逃げるように隠れていた。
「有り難う御座います! クルトさんもこんにちは。お久しぶりです」
「…………久し、ぶり」
先月ノアを入れた3人で、クビになり掛けたリチェを助けるという秘密を共有したおかげか、俯いてはいるも若干反応が返ってくる。
が。
「お、俺、先行ってる……!」
クルトはそう言うなり厩舎へ走っていった。足が早いので、あっという間に視界から消えていく。
「ごめんな、あいつ人見知りなんだ。特にイヴェットちゃんみたいな若くて可愛い子は」
フォローするようにリチェが言う。先月の作戦時以外にも、事情聴取で石像のような彼を何度も見ているので分かっている。
「あははっ……リチェさんは行かなくて良いんですか?」
警察官が厩舎に赴く用事は1つ。どこかへ行くのだ。
彼等は刑事課だから、今は切り裂きジャックの件で多忙を極めている筈だ。
「ん~ちょっとなら良いかな! 現像料に来てたのか?」
が、リチェは急いでいる風もなく話を続けてくる。それを見るに、火急の用では無さそうだ。
そうなると自分だってこの青年と話したかった。リチェは自分達によって助かった事を知らないだろうが、自分は知っている。間近でリチェの笑顔を見たかった。
「はい、写真を現像しに」
だよな~と相槌を打つ青年のライトブルーの瞳が、何かに気付いたように地面に向けられる。
「あ、悪い写真落ちちゃったな」
対面に立っていた青年が地面を見て身を屈める。
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