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第3章 それは湿った蒸気のように
2-30 「そっかそっかーごめん。あーっ、女子高生は可愛いなあ!」
しおりを挟む「ん? これ……ノアか?」
「あああああああーっ!!」
思わず大声が出た。
中腰になっていたリチェがビクッと震え、何事だとばかりに体を起こした。その隙に慌てて写真を拾い、スクールバッグにしまう。
「あは、あははっ……」
風に飛ばされなかったのは運が良かったが、被写体がバレたのは運が悪かった。
『文通相手に嘘の写真を送る為ノアを撮った』
異性の写真を持っていた相手を前にそんな解釈をしてくれる人は、蒸気を食べて腹を満たす人ぐらい居ないだろう。
「ふーん、ノア、ねえ。いやー高校生って良いよなあ本当」
現にリチェは楽しそうに呟いている。頬が熱くて顔を上げられない。
「ごっ、ごめんなさい……お恥ずかしいところを……!」
「俺こそごめんな! 絶対秘密にするし、俺もノアは良い奴だと思うし、あんな事あったらイヴェットちゃんがノアを好きにな——」
「好きじゃないですっ!!」
絶対何かを勘違い——とは言えなくはないのかもだけど——している青年の言葉に被さるように否定する。
反射的に顔を上げて言ったからか、眼鏡の奥で弓なりになった瞳と目が合う。釜で熱したガラスのように赤くなった自分の顔を、ばっちり見られてしまった。
「そっかそっかーごめん。あーっ、女子高生は可愛いなあ!」
肩を震わせるこの青年からふいっと顔を背ける。
この人本当に警察官か?
——そう思った時だった。
「あっ……なあ、ノアとは最近何時会った? 変な奴とか近くに居なかったか?」
今までとは違う真面目な声。この流れで聞くには些か不自然な物がある。
「え?」
だからか、聞き返す声も慎重な物になってしまった。青年の表情を見ようと上げた顔からは、自然と熱が引いていた。
「ああいや、あいつがミトズロッドの生徒なのは知ってるか? ほら、今あそこ騒がしいだろ」
「はい、知ってます。切り裂きジャックですよね、フレッドさんと友達だ、って子が私の学校にも居て……辛い事件です。ノアさんとはついさっき会いました。えーっとその……これ、1時間前くらいにミトズロッドで撮ったんです。友達と一緒に居ましたよ、変な人は居なかったかと」
ハッキリ言いたくない部分もあったので、途中もごつきながら答える。
「そっかそっか、何にもないなら良いんだ。事件が落ち着くまでさ、これからもノアの事気にしてやってくれよ。ノア、今一人暮らしだってのはー……知ってる、よな? 勿論!」
ニヤニヤ返してくる青年の声には、先程感じた真剣なトーンがどこにも含まれていなかった。変に動揺したらまた揶揄われそうなので、落ち着き払って返す。
「はい、聞きました。一人暮らしってだけでも大変なのに学校で殺人事件まで起きて、神経使う事重なりすぎですよね。ノアさんの事気にするようにします。ところでー……お仕事大丈夫ですか? クルトさん待っていますよ?」
「あっはっはっは、嫌な事思い出させるなよなー」
ニッコリと話を切り上げようとしたら、リチェの頬が見るからに強張った。諦めたようにふう、と重い息を吐き、青年は肩を竦めて煉瓦造りの厩舎に向き直る。
「じゃっ恋する乙女と戯れるのはここまでにして、仕事して来るか。イヴェットちゃんまたな、気を付けて」
「ですからっ! あああーもうっ! はい……っ、お仕事頑張って下さい。さようなら」
違う、と否定したかったが、そうするとまた揶揄われそうなので止めた。
自分も手紙を投函したらさっさと帰ろう。
──そう思った、が。
「あっ! 待った!」
「はい!?」
まだリチェが何か言おうとしているので、返す声がついつい強くなってしまった。
「これだけ! これだけ聞かせてっ!」
警察官の制服を着ているリチェと高校の制服を着ている自分が、現像科の前で軽い喧嘩をしているからだろうか。先程から近くを通り掛かる人の視線が突き刺さっている気がしてならない。
ノアの事は聞かれたくない──そう身構えていたが、青年は意外な事を言い出した。
「イヴェットちゃんさ、俺幾つに見える?」
「はいいい? どうしてですか?」
この流れでは突飛な質問。
完全に虚を突かれ、どう反応していいか分からず若干動揺しながら返す。
外見年齢と言うのはそんなに気になる物なのだろうか。女子高のせいか、男性の外見年齢はいまいち分からない。
「いや、事件関係者にちょっと言われて気になって。怒らないから客観的なご意見を!」
オーディションが如く一礼する青年をじっと睨み値踏みしていく。そういう事ならこの突然の年齢当てクイズに挑戦しよう。
「警察で働いてるから18以上なのは確かですよね。クルトさんが後輩に居るから19以上で…………」
「そういうのは良いから、見た目だけでずばっと言ってくれ!」
ふむ、と考え直す。
意外と表情豊かな叔父のように表情豊かな青年だ。これは完全に偏見だが、きっと同年代なのだろう。しかし22の叔父より年上に見える。
となると。
「24くらいですか?」
捻り出した答えを正直に口にする。申し訳無いが、若く見積もる気はなかった。
怒られてもしょうがない──そう思ったものの。
「だよな!? 俺老けてないよな!? よっしゃ!」
どうやら自分は正解を言い当てたらしい。宝くじに当選したかのように歓喜する青年にホッと胸を撫で下ろす。
「有り難うイヴェットちゃん! 元気出た! 仕事してくる、じゃあなー!」
「えっとー……行ってらっしゃい?」
その喜びように唖然としつつ、意気揚々と厩舎に駆けて行った青年を見送る。厩舎の影にリチェが姿を消すと溜息が胸の内から込み上がってきて、はあああ、と大きく溜息を吐く。
「なにこれ。なんか……疲れた……」
梅雨頃友達と日帰り登山に行った時よりも、ずっと気力を使った気がする。
年齢当てクイズで気力を使ったのもあるが、一番は。
「恋する乙女とか……もー……」
ブツブツ言いながら自分も歩道に出て、赤色のポストの元へ向かう。
でも。
リチェの言う通りなのだろう。自分はあの少年の事が好きなのだ。
助けて貰った吊り橋効果かもしれないが、ノアに会った時の胸の高鳴りは変わらない。
「……良い人だもんね」
初めて会った時、ボロボロのハンカチを届けに来てくれた事を思い出し笑みが溢れる。
だが、ノアへの感情とこれからする事は別だ。イヴェットは意を決したように唇を結び直した。
昨夜の内に書いたスケアリーへの手紙をスクールバッグから取り出し、写真を入れて封をし、祈るような気持ちで投函する。
「は~」
手紙がポストの中に落ちた音と、駐車場から馬のいななきが聞こえてきたのは同時で、思わず溜息を吐いていた。
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