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第6章 蒸気は噴き出した
2-57 「ぅ……あ……っ」
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「私はね。嘘吐きは嫌いだけど、正直者は好きなんだ」
女性はぽつ、と呟くと視線を自分に向けて来る。その表情は何処か安心しているように見えて、やはり同一人物だとは思えなかった。
「赤毛君。正直なガールフレンドに免じて、今回は見逃してあげるよ。イヴェット君に感謝するんだな」
スケアリーはそう口にするなりライトの光を消し、カツカツと自分達から離れていった。
「えっと……」
事態を飲み込もうとしている自分の横、イヴェットはふと何かに思い至ったようだった。
「っスケアリー!? スケアリー・メアリーさんですよね!?」
女性に向かって声を掛けていたが、スケアリーからは何の返事も無かった。カツカツと言う靴音がただ遠ざかっていく。
ふと、その靴音が止まった。
「赤毛君、だけど覚えておいてくれ。君は殺されるに値する人間かもしれないって事を」
遠くから話し掛けられる内容は、自分の頭を一瞬停止させるには十分だった。
「へ?」
何の話だか分からなかった。
どうしてただの高校生である自分にそんな価値があるのだ。
「どう言う……っ!」
聞き返そうとしたが、遠ざかっていく靴音が立ち止まる事はもう無かった。
靴音が完全に消えると、林道は葉擦れの音だけしかしなくなった。
谷底に落ちたヴェンツェルや、止血されたとは言え負傷した足や、先程の言葉など気になる事は多い──ものの。
「たす、かった……?」
危険は去ったのだ。
大きく胸を撫で下ろす。ホッとしたら太腿の傷が急に痛み出し、ガクッと体の力が抜けた。
「きゃっ!」
支えてくれていたイヴェットごと鋪道に倒れ込む。とりあえず少し休みたかった。
「…………知り合い、か? スケアリーって」
「んー……多分、知り合い……」
「正直、ってのは何だ……?」
「んー……それは多分ノアさんのお蔭、かなあ……? って言うか苦しいからぁ!」
「え? は?」
一緒に倒れ込んだイヴェットを、抱き締めているような形になってしまった事に気付く。
慌てふためいて離れたい気持ちも少しはあったが、足の痛みもあってそれはする気にならなかった。
それよりも。
「イヴェットー……有り難うなー……っ」
身を挺して助けてくれたこの少女に礼を言いたかった。どうしてここが、と聞きたくもあったが、それは一先ず置いておく事にした。
「ううん……あ! 足! 救急車! 呼んでくるから待っててっ!」
同じく一瞬休みかけていたイヴェットが、思い出したように声を上げ、慎重に自分の腕を首から外した。
林道の奥からユスティンの声がしたのは、そんな時だった。
「イヴェットさん! 大丈夫ですか!」
鋪道を走ってきたユスティンは、ランタンを持っていた。林道が一気に明るくなる。
「姪馬鹿まで!?」
意外な人物の登場に驚く。
牧師服姿の青年は、血塗れの鋪道と自分の足とイヴェットとの距離を見て、扉を開けたら死体が転がっていたかのように表情を強張らせる。ピタッと状況を整理するように立ち止まった。
「叔父さんっ! 谷底に犯人が、切り裂きジャックが落ちたの! 私は大丈夫だけど、ノアさんが足切られてて!」
谷底に向かって血痕が伸びている様を一瞥したユスティンが、何か言いたそうではあったものの緊張した面持ちのまま頷いた。
「…………ノアさん、大丈夫ですか?」
「いや、早く病院行きてぇな……」
「それが良いかと。あっちの出入り口の近くに馬車を待たせています、ひとまずそれで病院に行きましょう。イヴェットさん、私も手伝いますから馬車までノアさんを運びましょう」
「うん!」
ユスティンが側に寄って来て片膝を突き、よっとと自分を立ち上がらせてくれた。牧師服が血で汚れるのも厭わない様子に申し訳なくなる。
「……まさかお前も助けに来てくれたなんてな」
左右を支えて貰っているおかげで随分と歩きやすい。
「ノアさん、何か勘違いされていませんか? 私は貴方を数秒しか心配していませんよ。ここに来たのは、イヴェットさんを放っておけないと思っただけですから」
意外そうに呟いた自分が面白くなかったのか、いつものように自分を毛嫌いしている表情に戻ったユスティンが「ふんっ」と続ける。
「ただ……前床屋でお会いした時、言ったじゃないですか。イヴェットさん、最近楽しいんだって」
自分の話題が出たからか、ん? とイヴェットが眉を顰める。
「認めたくはこれっぽっちも無いんですけど、それは貴方のおかげでも小指の爪くらいはあるんだと思います。貴方にもしもの事があればイヴェットさんが悲しみます。私、それは嫌なんです。それだけですから!」
林道を抜け月明かりの下に出たからか、敵に威嚇している動物のように騒ぎ出したユスティンが一層良く見える。
そんなユスティンを見ていると、改めて助かった実感が湧いてきた。完全に気が抜けたのもあり「有り難う」とへらっと笑って返すと、ムッと眉を釣り上げた牧師が山間に響く程大きい声を発した。
「嫌なんですよ!? イヴェットさんが悲しむからですからね!?!?」
「叔父さんっ! うるさいっ!!」
それまで自分の介助に集中してくれていたイヴェットが、流石に我慢出来ないと叔父を一喝する。肩を跳ねさせた牧師は、愛しの姪に叱られ見るからにしゅんとしていた。
馬車の灯りが見えて来た中、見慣れて来た光景に久々に笑えたような気がした。
***
寒い。いや、冷たい。
少ししてそれが、背が水に浸かっているからなのだと気付いた。
もう数秒してその水が浅い川である事に思い至り、ヴェンツェル・ラグナイトは意識と、全身──特に脇腹と太腿の、焼けるように熱い痛みを思い出した。
「ぅ……あ……っ」
痛い。
頭が割れるように痛い。
全身が痛いのに、指先が動かせない。
頭を強く打って何処かに後遺症でも出たのだろうか。あの高さから落ちて助かったのは運が良かったが、これではもう人が殺せない。肝臓を取り出せない。
女性はぽつ、と呟くと視線を自分に向けて来る。その表情は何処か安心しているように見えて、やはり同一人物だとは思えなかった。
「赤毛君。正直なガールフレンドに免じて、今回は見逃してあげるよ。イヴェット君に感謝するんだな」
スケアリーはそう口にするなりライトの光を消し、カツカツと自分達から離れていった。
「えっと……」
事態を飲み込もうとしている自分の横、イヴェットはふと何かに思い至ったようだった。
「っスケアリー!? スケアリー・メアリーさんですよね!?」
女性に向かって声を掛けていたが、スケアリーからは何の返事も無かった。カツカツと言う靴音がただ遠ざかっていく。
ふと、その靴音が止まった。
「赤毛君、だけど覚えておいてくれ。君は殺されるに値する人間かもしれないって事を」
遠くから話し掛けられる内容は、自分の頭を一瞬停止させるには十分だった。
「へ?」
何の話だか分からなかった。
どうしてただの高校生である自分にそんな価値があるのだ。
「どう言う……っ!」
聞き返そうとしたが、遠ざかっていく靴音が立ち止まる事はもう無かった。
靴音が完全に消えると、林道は葉擦れの音だけしかしなくなった。
谷底に落ちたヴェンツェルや、止血されたとは言え負傷した足や、先程の言葉など気になる事は多い──ものの。
「たす、かった……?」
危険は去ったのだ。
大きく胸を撫で下ろす。ホッとしたら太腿の傷が急に痛み出し、ガクッと体の力が抜けた。
「きゃっ!」
支えてくれていたイヴェットごと鋪道に倒れ込む。とりあえず少し休みたかった。
「…………知り合い、か? スケアリーって」
「んー……多分、知り合い……」
「正直、ってのは何だ……?」
「んー……それは多分ノアさんのお蔭、かなあ……? って言うか苦しいからぁ!」
「え? は?」
一緒に倒れ込んだイヴェットを、抱き締めているような形になってしまった事に気付く。
慌てふためいて離れたい気持ちも少しはあったが、足の痛みもあってそれはする気にならなかった。
それよりも。
「イヴェットー……有り難うなー……っ」
身を挺して助けてくれたこの少女に礼を言いたかった。どうしてここが、と聞きたくもあったが、それは一先ず置いておく事にした。
「ううん……あ! 足! 救急車! 呼んでくるから待っててっ!」
同じく一瞬休みかけていたイヴェットが、思い出したように声を上げ、慎重に自分の腕を首から外した。
林道の奥からユスティンの声がしたのは、そんな時だった。
「イヴェットさん! 大丈夫ですか!」
鋪道を走ってきたユスティンは、ランタンを持っていた。林道が一気に明るくなる。
「姪馬鹿まで!?」
意外な人物の登場に驚く。
牧師服姿の青年は、血塗れの鋪道と自分の足とイヴェットとの距離を見て、扉を開けたら死体が転がっていたかのように表情を強張らせる。ピタッと状況を整理するように立ち止まった。
「叔父さんっ! 谷底に犯人が、切り裂きジャックが落ちたの! 私は大丈夫だけど、ノアさんが足切られてて!」
谷底に向かって血痕が伸びている様を一瞥したユスティンが、何か言いたそうではあったものの緊張した面持ちのまま頷いた。
「…………ノアさん、大丈夫ですか?」
「いや、早く病院行きてぇな……」
「それが良いかと。あっちの出入り口の近くに馬車を待たせています、ひとまずそれで病院に行きましょう。イヴェットさん、私も手伝いますから馬車までノアさんを運びましょう」
「うん!」
ユスティンが側に寄って来て片膝を突き、よっとと自分を立ち上がらせてくれた。牧師服が血で汚れるのも厭わない様子に申し訳なくなる。
「……まさかお前も助けに来てくれたなんてな」
左右を支えて貰っているおかげで随分と歩きやすい。
「ノアさん、何か勘違いされていませんか? 私は貴方を数秒しか心配していませんよ。ここに来たのは、イヴェットさんを放っておけないと思っただけですから」
意外そうに呟いた自分が面白くなかったのか、いつものように自分を毛嫌いしている表情に戻ったユスティンが「ふんっ」と続ける。
「ただ……前床屋でお会いした時、言ったじゃないですか。イヴェットさん、最近楽しいんだって」
自分の話題が出たからか、ん? とイヴェットが眉を顰める。
「認めたくはこれっぽっちも無いんですけど、それは貴方のおかげでも小指の爪くらいはあるんだと思います。貴方にもしもの事があればイヴェットさんが悲しみます。私、それは嫌なんです。それだけですから!」
林道を抜け月明かりの下に出たからか、敵に威嚇している動物のように騒ぎ出したユスティンが一層良く見える。
そんなユスティンを見ていると、改めて助かった実感が湧いてきた。完全に気が抜けたのもあり「有り難う」とへらっと笑って返すと、ムッと眉を釣り上げた牧師が山間に響く程大きい声を発した。
「嫌なんですよ!? イヴェットさんが悲しむからですからね!?!?」
「叔父さんっ! うるさいっ!!」
それまで自分の介助に集中してくれていたイヴェットが、流石に我慢出来ないと叔父を一喝する。肩を跳ねさせた牧師は、愛しの姪に叱られ見るからにしゅんとしていた。
馬車の灯りが見えて来た中、見慣れて来た光景に久々に笑えたような気がした。
***
寒い。いや、冷たい。
少ししてそれが、背が水に浸かっているからなのだと気付いた。
もう数秒してその水が浅い川である事に思い至り、ヴェンツェル・ラグナイトは意識と、全身──特に脇腹と太腿の、焼けるように熱い痛みを思い出した。
「ぅ……あ……っ」
痛い。
頭が割れるように痛い。
全身が痛いのに、指先が動かせない。
頭を強く打って何処かに後遺症でも出たのだろうか。あの高さから落ちて助かったのは運が良かったが、これではもう人が殺せない。肝臓を取り出せない。
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