蒸気の中のエルキルス

上津英

文字の大きさ
106 / 108
第6章 蒸気は噴き出した

2-57 「ぅ……あ……っ」

しおりを挟む
「私はね。嘘吐きは嫌いだけど、正直者は好きなんだ」

 女性はぽつ、と呟くと視線を自分に向けて来る。その表情は何処か安心しているように見えて、やはり同一人物だとは思えなかった。

「赤毛君。正直なガールフレンドに免じて、今回は見逃してあげるよ。イヴェット君に感謝するんだな」

 スケアリーはそう口にするなりライトの光を消し、カツカツと自分達から離れていった。

「えっと……」

 事態を飲み込もうとしている自分の横、イヴェットはふと何かに思い至ったようだった。

「っスケアリー!? スケアリー・メアリーさんですよね!?」

 女性に向かって声を掛けていたが、スケアリーからは何の返事も無かった。カツカツと言う靴音がただ遠ざかっていく。
 ふと、その靴音が止まった。

「赤毛君、だけど覚えておいてくれ。君は殺されるに値する人間かもしれないって事を」

 遠くから話し掛けられる内容は、自分の頭を一瞬停止させるには十分だった。

「へ?」

 何の話だか分からなかった。
 どうしてただの高校生である自分にそんな価値があるのだ。

「どう言う……っ!」

 聞き返そうとしたが、遠ざかっていく靴音が立ち止まる事はもう無かった。
 靴音が完全に消えると、林道は葉擦れの音だけしかしなくなった。
 谷底に落ちたヴェンツェルや、止血されたとは言え負傷した足や、先程の言葉など気になる事は多い──ものの。

「たす、かった……?」

 危険は去ったのだ。
 大きく胸を撫で下ろす。ホッとしたら太腿の傷が急に痛み出し、ガクッと体の力が抜けた。

「きゃっ!」

 支えてくれていたイヴェットごと鋪道に倒れ込む。とりあえず少し休みたかった。

「…………知り合い、か? スケアリーって」
「んー……多分、知り合い……」
「正直、ってのは何だ……?」
「んー……それは多分ノアさんのお蔭、かなあ……? って言うか苦しいからぁ!」
「え? は?」

 一緒に倒れ込んだイヴェットを、抱き締めているような形になってしまった事に気付く。
 慌てふためいて離れたい気持ちも少しはあったが、足の痛みもあってそれはする気にならなかった。
 それよりも。

「イヴェットー……有り難うなー……っ」

 身を挺して助けてくれたこの少女に礼を言いたかった。どうしてここが、と聞きたくもあったが、それは一先ず置いておく事にした。

「ううん……あ! 足! 救急車! 呼んでくるから待っててっ!」

 同じく一瞬休みかけていたイヴェットが、思い出したように声を上げ、慎重に自分の腕を首から外した。
 林道の奥からユスティンの声がしたのは、そんな時だった。

「イヴェットさん! 大丈夫ですか!」

 鋪道を走ってきたユスティンは、ランタンを持っていた。林道が一気に明るくなる。

「姪馬鹿まで!?」

 意外な人物の登場に驚く。
 牧師服姿の青年は、血塗れの鋪道と自分の足とイヴェットとの距離を見て、扉を開けたら死体が転がっていたかのように表情を強張らせる。ピタッと状況を整理するように立ち止まった。

「叔父さんっ! 谷底に犯人が、切り裂きジャックが落ちたの! 私は大丈夫だけど、ノアさんが足切られてて!」

 谷底に向かって血痕が伸びている様を一瞥したユスティンが、何か言いたそうではあったものの緊張した面持ちのまま頷いた。

「…………ノアさん、大丈夫ですか?」
「いや、早く病院行きてぇな……」
「それが良いかと。あっちの出入り口の近くに馬車を待たせています、ひとまずそれで病院に行きましょう。イヴェットさん、私も手伝いますから馬車までノアさんを運びましょう」
「うん!」

 ユスティンが側に寄って来て片膝を突き、よっとと自分を立ち上がらせてくれた。牧師服が血で汚れるのも厭わない様子に申し訳なくなる。

「……まさかお前も助けに来てくれたなんてな」

 左右を支えて貰っているおかげで随分と歩きやすい。

「ノアさん、何か勘違いされていませんか? 私は貴方を数秒しか心配していませんよ。ここに来たのは、イヴェットさんを放っておけないと思っただけですから」

 意外そうに呟いた自分が面白くなかったのか、いつものように自分を毛嫌いしている表情に戻ったユスティンが「ふんっ」と続ける。

「ただ……前床屋でお会いした時、言ったじゃないですか。イヴェットさん、最近楽しいんだって」

 自分の話題が出たからか、ん? とイヴェットが眉を顰める。

「認めたくはこれっぽっちも無いんですけど、それは貴方のおかげでも小指の爪くらいはあるんだと思います。貴方にもしもの事があればイヴェットさんが悲しみます。私、それは嫌なんです。それだけですから!」

 林道を抜け月明かりの下に出たからか、敵に威嚇している動物のように騒ぎ出したユスティンが一層良く見える。
 そんなユスティンを見ていると、改めて助かった実感が湧いてきた。完全に気が抜けたのもあり「有り難う」とへらっと笑って返すと、ムッと眉を釣り上げた牧師が山間に響く程大きい声を発した。

「嫌なんですよ!? イヴェットさんが悲しむからですからね!?!?」
「叔父さんっ! うるさいっ!!」

 それまで自分の介助に集中してくれていたイヴェットが、流石に我慢出来ないと叔父を一喝する。肩を跳ねさせた牧師は、愛しの姪に叱られ見るからにしゅんとしていた。
 馬車の灯りが見えて来た中、見慣れて来た光景に久々に笑えたような気がした。

***

 寒い。いや、冷たい。
 少ししてそれが、背が水に浸かっているからなのだと気付いた。
 もう数秒してその水が浅い川である事に思い至り、ヴェンツェル・ラグナイトは意識と、全身──特に脇腹と太腿の、焼けるように熱い痛みを思い出した。

「ぅ……あ……っ」

 痛い。
 頭が割れるように痛い。
 全身が痛いのに、指先が動かせない。
 頭を強く打って何処かに後遺症でも出たのだろうか。あの高さから落ちて助かったのは運が良かったが、これではもう人が殺せない。肝臓を取り出せない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

身体交換

廣瀬純七
SF
大富豪の老人の男性と若い女性が身体を交換する話

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件

こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。

処理中です...