ユユラングの幽霊

上津英

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第二話 死の恐怖

13 「一階まで降りていいぞ!」

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 ユユラング城は四階立てで、比較的小さいこの城は上から見て正方形になるよう作られている。跳ね橋を南に向けて架けるため、方角を分かりやすくするからだ。
 北棟、西棟、南棟、東棟とそれぞれ独立した棟が四つあり、一族と使用人の住居、厨房は全部東棟にあった。
 各棟は一階以外行き来が出来ないので、地下牢に行くには一度一階まで降りる必要がある。

 リリヤは壁を抜け、二階から一階に飛び降りるような勢いで床の上に立つ。被っていたフードが衝撃で外れたため、ぱさりと白髪がなびいた。
 空を飛ぶ時は妖精のようだったのに降りる時はそうではないようだ。
 隣に立ったリリヤをフードを被り直して横目に一度大きく息を吸う。

「エスコートをよろしくね」

 呟いてから扉をゆっくりと音を経てずに開ける。

「……うん」

 なにか言いたげな微妙そうな反応が後方から返ってきた。
 廊下に出てしまうと振り返ってリリヤの顔を見る時間も惜しくて、振り返るのは止めておいた。おそらくエスコートという辺りが引っ掛かったのだろう。
 後ろ手に扉を閉め、リリヤの言う通り誰もいない廊下を階段に向かって進む。

「降りても?」
「そこで待っていろ」

 階段の陰に隠れ、旅芸人も真似できない軽やかさで少女を見送る。
 一人になるとリリヤのおかげで和らいだ緊張がぶり返してきて、セオドアは息を潜めた。
 幽霊が保証してくれたこの状況も一秒毎に姿を変えていく。今にも誰もいないはずの階段から誰かの靴音が聞こえてきそうだ。

「一階まで降りていいぞ!」

 階下から自分にしか聞こえない声が響く。
 リリヤの声に促され、音を立てぬよう慎重に降りていった。使用人の部屋がある階を通る時は、つい腰が曲がった。

「少し先も見てきたんだけどな、礼拝堂の周辺には人が多かったから、中庭で一度やり過ごした方がいい。あそこは障害物が多い」

 ここから地下牢のある西棟まで行こうと思うと、北廊下にある礼拝堂の前を通らないといけない。一階の南廊下はそもそも存在していないからだ。
 北廊下は中庭への出入り口とも繋がっているため明るい。
 それだけに人に見つかる可能性が高い。頷いて返事をする。
 東廊下は窓が設けられていないため、灯りがなければ日中でも誰とすれ違ったか分からない程暗い。今も壁に取り付けてある蝋燭の灯りで、僅かに明るいだけだ。

「いつ来てもここは暗いな」
「窓がないからね」

 なぜか声を潜めるリリヤと同じくらい声を潜めて返す。これだけ暗いと多少は胸を張って歩ける。
 中庭に繋がる出入り口に進む途中、煌々と燃えている蝋燭の一つに近寄った。手を伸ばして蝋の溶けた軸を指先で摘まむ。
 溶けた部分を手で触るのは熱く、眉間に皺が寄った。
 それを堪えて火のついたままの蝋燭を床に落とす。
 ぽふ、と間の抜けた音を立てて床に落ちた蝋燭は、衝撃で火が消えることもなく燃え続ける。

「なにしてるんだっ」

 耳の近くから少女の少々引き攣った声が聞こえた。
 いつもの調子とは大分違っていて、隣を見る。どうやらこの幽霊は暗くても見えるようだ。
 リリヤの表情は引き攣っていて、火を怖がっているように見えた。体も小さく震えている。
 まるで昔、火事にでも遭ったことがあるかのようだ。
 幽霊は一度死んでいる。火あぶりか事故かは分からないが、リリヤも飲まれてしまったのかもしれない。だから部屋でも窓際にいたのだろうか。
 気を取り直すように笑みを浮かべる。

「やり過ごすためだよ」

 まだ熱さの残る指先を持て余しつつ小声で返した。
 自分が暮らした場所を火で汚すのは抵抗があったが、中庭に近い場所だから大事にはならないだろう。

「ふん……」

 失態を見せた自分にか、鼻を鳴らすリリヤの横を抜ける。

「中庭を見てくる」

 リリヤが告げ、廊下を走っていき、やがてその体が太陽に晒される。
 幽霊というのは吸血鬼と違って日光を浴びても問題ないようだ。
 リリヤが返ってくるまでの間、壁に背中を預け息を潜める。

「中庭の中央に女中が二人いたが、おしゃべりに夢中になっていたから、隙を見て花壇の陰にでも隠れろ!」

 指示を待っていると、柱の陰から顔を覗かせるリリヤが声を張るのが分かった。
 近くに人がいる。その事実に体が強張りながらも頷いた。
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