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Ⅰ Trollmann―魔法使い―

6 「ま、魔法使いが私に何の用よ?」

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 ウィルは寂しそうに呟いた後、自分に見えるように杖を掲げる。魔法使いが持つ杖というのは、どうやら細く歪な物らしい。
 慌てて立ち上がり、首を左右に動かして周囲に視線を巡らせた。と、気を利かせてくれたのか火の玉の数が10個近く増え、一気に部屋が明るくなる。

「あ、貴方は本当に人間なの? エルフではなくて?」
「はい。あ、でも神話の時代にご先祖様があの小神族と子を成したおかげで魔法が使えるのですが……俺は1825年生まれの人間です」

 寝台をなんとか4つ敷き詰められそう、という広さの部屋。自分が思っていた以上にウィルは近くにいた。
 ノルウェー人らしく背が高い。明るいところで見ると2歳違いの青年は飾り気が無く、それだけに端正な顔立ちが際立っていた。見目が良いのはエルフの末裔だからでもあるのだろう。

「ま、魔法使いが私に何の用よ?」

 ウィルの顔をじろじろと眺める。
 口調と同じく温和な顔。男嫌いの母親は屋敷に滅多に男性を入れないので、魔法使いを抜きにしても知らない顔だ。

「それなのですが。先程アストリッドは、崖の上の家でピアノを弾いていましたよね?」
「な……っ!? や、うん。弾いてた、良く知ってるね」

 どうして自分の名前を知っているのだ、と驚いたが彼は疑いようもないくらい立派な魔法使いだ。
 なら自分の名前程度知っていてもおかしくない。気を取り直し青い瞳を伏せて頷く。

「俺もあの演奏、実は裏の森で聴いていたんですよ。それですっかり貴女のファンになってしまいまして」

 ウィルは目を細めながらストレートな言葉を投げてくれた。そんな目で見られてはこちらの警戒も緩む。

「え、そうなの……それは有り難う」
「ショパンの子犬のワルツ。どうしてあれを?」
「極夜の時期の昼にはああいう曲が似合うかな、って」

 素敵な選曲理由ですね、と青年は笑った。魔法使いってショパンを知っているんだ……という不思議な気持ちと、擽ったい気持ちと、早く先を聞きたい気持ちが同時に襲ってくる。

「演奏後、貴女は怒り狂った母親にすぐに連れ戻されてしまいました。随分理不尽な理由で怒っていたでしょう。そんな理由で、あんなに素敵な演奏をしていた人が折檻されるのではないか……と貴女が心配になりまして、1ファンとして貴女を助けに来たんです」
「そ、それは有り難う。嬉しいわ。でも助けに、って大袈裟じゃない? お母様もすぐに出してくれるでしょうし」
「大袈裟かどうかはこの後の話を聞いてご判断を。俺は先程ロヴィーサとリーナの話を盗み聞きしたんです」

 2人の名前も把握している事に、鮮やかな手品を見た時に似た感動を覚えつつも――不穏な物を感じた。あの2人が何を話したのだ。
 自分の瞳の揺れに気付いたウィルが唇を動かす。

「貴女が音楽をやるなんて言わなくなるまでずっと地下牢に入ってて貰う、と。ロヴィーサはリーナに言っていました」
「ずっと……って、え、ずっと!?」
「はい。30年経とうともずっと、だそうです」

 困惑すると同時にゾッとした。
 一瞬ウィルが嘘をついているかと思った。が、彼が嘘を付く理由が思いつかないので、母は本気で自分を監禁する気なのだろう。確かに廊下でそんな事を言っていたが、大袈裟に言っているのだと思っていた。
 背筋が寒くなったのは、この空間が寒いからではない。

「…………」

 これからの時間をあんな暗くて寒い空間に費やせる訳が無いし、かといってピアノの道を諦める事も出来ない。
 そんな手段を取ろうとした母とも、悲しいがもう話し合うなんて望めないだろう。だったら進む道は一つしかない。貯金するくらい考えていた事。心はすぐに固まった。

「それで俺は貴女がここから逃亡する手伝いを、と思ったんです。貴女もそれを望むだろうと思ったのですが……要らぬ事でしたか?」
「そんなわけない、そんなわけないよ! ピアノを弾けないなんて嫌。助けてくれて寧ろ感謝してる。有り難う。決めた。私、このまま家を出て音楽を勉強しに行こうと思う。私みたいなお嬢様がやっていけない、ってお母様は嫌がってるのかもしれないけど……だからって監禁されるよりずっと良いもの!」

 覚悟を決めるように告げた言葉。それがいい、とばかりにウィルは頷いてくれた。

「貴女ならそう言うと思っていました。俺も手伝いましょう、落ち着くまで同行させて下さい。申し訳ありませんが貴女を目的地まで瞬時に飛ばせるような魔法は無いんですよね……ですが、護衛くらいは出来ますから」
「ううん十分よ、有り難う! 心強いわ。でも良いの?」
「はい。先程言ったじゃないですか、俺は貴女のファンなのだと。守らせてくれませんか」

 躊躇う事なく紡がれる言葉に、暖炉の温もりに触れた時のように気持ちが解れた。自分の話を聞いてくれる存在がこんなに力をくれるとは思っていなかった。心が温かくなり、目を伏せて「有り難う」と呟くと、ウィルの頬が嬉しそうに持ち上がる。
 では、とウィルの呟きに合わせて周囲に浮かんでいた火の玉が、部屋の奥にある階段の元へ漂っていく。

「……」

 改めて見ると、この階段。
 土を階段の形に拵えただけの簡素な物で、あちこちに凹凸が目立っていた。子供が雪で同じ物を作ったとしてももっと綺麗だろう。
 これはウィルが不器用だからなのか。
 「ふふっ」とこの空間に来てから初めて笑みが零れた。

「どうかされました?」

 すぐ前を歩いていた青年が不思議そうに尋ねてくる。

「ううん、ただ貴方って本当に人間なんだなあって思って」
「はい……? 最初に言いました、よね? 俺はノルウェー生まれノルウェー育ちのノルウェー人ですよ?」

 首を捻りつつ返って来た言葉も少しも魔法使いらしくなくて目を細める。「そうだったね」と笑ったおかげで余裕が生まれた。
 不格好な階段を登り深々と雪が降る森に出るまでの間、アストリッドは一度も口を開かなかった。どんどん寒くなるが、女中が渡してくれたコートを着ていたので助かった。
 考えるのはこれからの事。

「ウィル、あのね」
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