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Ⅱ havn―海―

24 「僕と歳の近い魔法使いって居ないの?」

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「ん、航海保険の件でトロムソにな。それと会社からの金で全額賄えたら良いんだがどうなるか……」

 他の船員達はまだ体を休めていると言うのに、40を過ぎた船長はもう動こうとしている。昨日甲板で寝ていたのはこの為だったのだろうか。

「ウィルはもう起きてんのか?」
「まだです。伝言なら承りますよ?」

 んじゃ頼む、と言ったルーベンは少し視線を彷徨わせてから切り出した。

「ウィル、と言うかお前も……行くアテがねーなら俺の代わりにカウトケイノに行っちゃくれねーか?」
「カウトケイノに?」

 ルーベンの口から飛び出した町の名前に目を丸くし、少しして合点がいった。

「あ、ルーベンさんの奥さんが帰った実家って、もしかしてカウトケイノだったんですか?」
「ああ、あんな事故が無かったら俺もすぐにカウトケイノに行って家事くれー手伝うつもりだったんだ。でもそうも行かなくなっちまって……」

 苦虫を噛み潰したような表情で言うルーベンを見ていると、こちらまで胸がはち切れそうな思いに襲われる。あんな事故、誰だって起きるとは思わない。
 数秒後、ルーベンがぽつりと呟いた。 

「カリン、ってのが嫁の名だ。嫁は内気でな、あの町に友達が居ねーんだ。義父母も高齢で、どこまで頼りになるか分からねー。そこでお前達にあいつの出産を手伝って欲しいんだ。俺の手紙があればあいつもお前らに少しは心を開くだろ。あいつも40近い、何かあったらばあちゃんの時みてーにウィルに助けて貰いたくて……図々しいのは承知だが、船も沈んで嫁にも何かあったら辛すぎてな……それで」

 後半になるにつれ滑舌が悪くなっていくのは、この人なりの面目なさに思えた。

「ルーベンさんって……実は優しいですよね。私達も乗せてくれたし」

 奥さんへの愛情を感じる頼みに、気付けば感心しきった声が漏れていた。「うるせ」とぶっきらぼうに返されたのも目を細めてしまう。
 確かにこの人の気持ちを考えると、落馬したところを更に踏まれるような思いはこれ以上したく無いだろう。

「良かったらでいい。ウィルが起きたら検討してくれ。それだけだ」
「そういう事なら絶対頷かせますよ、カウトケイノに行きます。通り道でしょうし」

 だから躊躇いなく頷いた。ここからスウェーデンに行くには街道に出て南下する必要があるので、どっちにしろカウトケイノは通る。
 カウトケイノは高原にある町。高原野菜が主流で、自分の嫌いなセロリもあちこちにあるだろうが、そんな事断る理由にならなかった。
 自分が頷いたのを見て、眉間に皺を寄せていたルーベンの表情がぱっと明るくなった。

「そうか、有り難うな! 心強い、頼んだ。じゃ、道中気をつけろよ」
「はい! ルーベンさんも気をつけて行ってらっしゃい」

 頬を持ち上げて笑うルーベンから封筒を受け取った後、慌ただしく宿屋の階段を下りていく背を見送った。体躯の良い船乗りが居なくなるだけで、人の居なくなった廊下が一気に広く感じられた。
 扉を閉めて部屋に戻ると、ベッドの上で寝息を立てている青年の姿が視界に映った。

「……」

 ウィルと自分がセットで扱われがちなのは仕方無いが、自分もこの青年に会ってからまだ1週間も経っていない。もう子供の頃から一緒に過ごしていた気分になるが、実際は1番好きな食べ物さえ知らない関係だ。

「早く起きなさいよねー……」

 でも、それが何だと言うのだろう。この青年の優しさを自分は知っている。
 ウィルと話がしたかった。あの瞳を見ながら、みんなを助けてくれて有り難う、と伝えたかった。叩き起こせば済むだろうが、今はそうしたくない。

 ――寂しかったのか?

 ふと、数日前に甲板で言われたルーベンの言葉が頭を過ぎる。言われた直後は否定した言葉だったが、今はそうだね、と素直に思えた。
 その事実に笑みながら溜息をついて椅子に座り、起きる気配の無い魔法使いの寝顔を眺める事にした。
 それからは路銀を稼ぐ為、この小さな港町で自分でも出来そうな仕事を探した。自室から持ってきたノルウェーターラーはあの事故で海に沈んでしまったのだ。
 『北風のくれたテーブルかけ』というノルウェーの昔話に出てくる金を吐く羊でもいれば心配は無用だったろうが、そんな羊はどこにも居ないので自力で稼がないといけない。

 市場の売り子、牧場の掃除婦、機織り。案外色々な仕事があったけれど、迷う事なく教会でオルガンを弾く仕事を選んだ。どうも係の人間が突き指したらしい。
 稼いだお金で新しくランタンや皮の鞄を買った。ハンカチやブラシ。2人分のカップや皿、ポケットに入っていた魔法のコーヒー豆を入れても十分に余る大きさだった。

***

 いつも1人だった。
 山奥で両親と3人で暮らしているので1人きりの家で夜を明かす事は無かったけれど、それでもウィルは常に孤独だった。
 年に1回は遊牧中のサーミ人達が小屋の近くを通りかかる。見知らぬ人と会う機会はそれくらいだ。滑落した遭難者も偶に面倒を見るが、それは寧ろ会いたくなかった。
 サーミの子供達は自分と仲良くしてくれた。
 が、正体は隠していたし彼らは遊牧の関係必ず居なくなったし、二度と会う事は無くて、それもまた寂しかった。

 年老いた父がやっていたように精霊魔法を使えば遠くの人とも話せるが、精霊魔法を使う条件を達成していない自分には、それも魔力が込められた物を用意されないと出来なかった。
 しかも人間と精霊魔法で話す事は「面倒になるから」と禁じられていて。
 なので誰かと好きな時に話せても、歳の離れた両親の友人くらいとしか話せなかった。話せるのは嬉しかったし我が子のように可愛がってくれたが、同時に寂しさも増した。

「僕と歳の近い魔法使いって居ないの?」

 ある日、両親にそう聞いた事がある。その人と友達になれば寂しくないのでは。そう思ったのだ。
 しかし両親にはすぐに首を横に振られてしまった。
 なんでも魔法使い自体早死しやすく、子は高確率で死産となるらしいのだ。結果魔法使いの子供はもう自分以外居ないのだという。母も7人生きて産めなかったらしい。
 そんな事言われても少しも分からなかった。
 ただ自分はずっと寂しいままなんだと分かって泣いた。
 巷で流行っているらしい炭酸水も飲めないつまらない毎日。
 どうしてこんな寂しい世界に僕を産んだんだ! と両親を責めた事もあった。両親はとても困った顔をして泣いてしまい、申し訳無くなって自分も泣いた。

「せっかくサーミの子が夏至祭に誘ってくれたのに」

 13になったばかりの初夏、暇を持て余しきった自分はまた母親にそんな事をぼやいていた。
 父親が数カ月前に死んだ事もあって、この時自分はいつも以上に寂しかったのだと思う。
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