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Ⅲ Løy―嘘―

29 「お嬢様が男性と……?」

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 アストリッドはウィルには強気だったが、まあそれはそれ。部下やソニアも褒めていた程アストリッドの性格は良い。きっとラップ人にも優しくて、だからこのラップ人はこんなに必死なのだろう。
 このままいけば負債は何とかなりそうだ。
 女性が自分を促すのを見ながら、パイプタバコの準備をし唇に浮かべていた笑みを深めた。

 赤い壁に灰色の三角屋根と白い窓枠の古い屋敷。上品な貴婦人でも住んでいそうな如何にもな建物だ。
 ハンメルフェストにある自宅とはまるで違う。当然窓ガラスにヒビは入っていない。
 道すがら自分をリーナと名乗った女性は、雪で滑りそうになるのを堪えながら勢い良く玄関を開ける。

「ロヴィーサ様! お嬢様の行き先を知っている方を見つけました!」

 扉も閉めないとは流石ラップ人。
 そんな事を思いながら後を着いて玄関に入ると、すぐに奥から赤毛を一纏めにし青いドレスを着た40代程の女性が飛び出てきた。

「本当!? って男……まあ良いわ、早くアストリッドの行き先を話しなさい!」

 その女性――母親だろう――はこちらを見て眉を潜めた後、酷く高圧的に物を言って来た。人に物を聞く態度じゃない。良い印象は無く鼻を鳴らす。

「はっ、気がつえーところも良く似てること、さすが親子。ただでは教えねーよ。わりーがこっちも船と荷が沈んで金が欲しいところでな。この情報で足りねー分を補う気なんだ」

 嫌味を返しながら、これも金の為だと言い聞かせて言葉を飲み込む。罪悪感も、売ると決めたら薄くなっていった。
 その後は落ち着いて話せるよう玄関では無く、緑色の花が白色の花瓶に生けられている応接間に通された。
 改めて自己紹介した後、アストリッドがウィルと言う19の青年と居る事を伝えるとロヴィーサと言うらしい女性の眉が跳ね上がった。

「なっ、誰よそれ!」
「お嬢様が男性と……?」

 同時に返って来たロヴィーサとリーナの驚きに満ちた声。その反応に満足しにぃっと笑みを深める。

「ここからは現金を頂きたいところなんだが……」

 声のトーンを落として切り出すと、応接間に大きな舌打ちが響いた。

「チッ、仕方無いわね。リーナ、持って来なさい」

 貴婦人らしからぬ態度にこちらまで舌打ちをしたくなったがそれを抑え、部屋を出ていく黒髪の女中の背を見送る。
 その間ロヴィーサと会話する事はなく、応接間に沈黙が広がった。雪が窓を叩く微かな音しかしない応接間に数分後、リーナがドアノブを回す音が響く。
 その手には大量の銀貨の重みを感じる麻袋がぶら下がっていた。あれだけあれば負債は賄えるだろう。見えて来た光に唇が歪む。

「ご苦労、でもそれはまだ貴女が持ってなさい。……ルーベンさん、買うのは勿論構わないのだけど、1つ条件があるわ。貴方、船が沈んだという事は今職が無いと言う事でしょう? 雇われ船長のようだし。だったら船が直るまで、トロムソでうちが出資している港の仕事をしてくれないかしら」

 扉の前にリーナを立たせながら、目元の皺が目立つ女性は女商人の顔を覗かせて喋る。
 今の沈黙で考えていた事なのだろう。高圧的で娘の事しか考えていないのかと思っていたが、どうやらこの女性も案外物を考えていたようだ。
 自分に人質になれ、と言っているのだ。適当な事を言って金を持ち逃げされない為、監視下に置かせろ、と。
 確かに仕事はない……が、下手すれば長期間拘束される。
 金は工面出来ても嫁や新しい命に会えなくなるのは辛い。呼び出せば済むだろうが、そうするにも住む家が無い。
 そんな思いが顔に出ていたようだ。クスリとロヴィーサに笑われた。

「安心なさい。丁度空き家を紹介出来そうなの。崖上で少し寒いけど子供の多い地域にある一軒家よ。そこに住みなさい、なんならあげるわ」

 隣人に獲り過ぎた農産物でも分け与えるような口調で言われ、リーナの時と同じく違和感を覚える。幾ら条件があるとは言え、大量の銀貨や住居をこうも簡単に人に分け与えるだろうか。
 この家はもしかしたら、無心に祈りを捧げている狂信者達の集会所のように静かに狂っているのかもしれない。
 いや……と思い直す。愛しい子の為なら人はこうも必死になれるのだろう。自分だって、まだ見ぬ子供にですら今みたいに必死になっている。

「分かったよ、暫く世話になるわ。それでアストリッドとは本土の港で会ったんだ。ウィルと駆け落ちごっこをしてる最中だったよ」
「本土……に? ですが! お嬢様が本土に渡った証言は得られませんでした。それに、え、駆け落ちごっこ……?」
「俺が最初勘違いしてお前ら駆け落ち中かってからかってたんだ。あいつらもお前らから逃げる為に逆手に取って演技したってとこじゃねーの」

 自分の言葉にリーナが目を丸くしたその時――応接間に、ばんっ! とテーブルを叩く大きな音が広がった。見てみると、そこには顔面蒼白のロヴィーサが立ち上がっていた。

「だから、誰よそのウィルって!」
「うるせーな、知るかよ。でもまあ案外本当に駆け落ち中かもしれんぞ。確かにあいつらの仲は良かったんでな。ま、これは冗談だが――」
「アストリッドにはそもそも男の友人は居ないのよっ!」

 ロヴィーサは冥界の番人に睨まれているかのように、依然として顔を青くしたまま立ち尽くしている。人の話を聞いていないのは同じだが、先程までの高圧的で時には狡猾な顔を見せていた女性と同一人物だとは思えなかった。

「冗談だって言ったろ。実際あの2人に駆け落ちは無いな」

 嫌……許せない……と放心状態で呟いているロヴィーサとは暫く話せないだろう。極端な人だ。もう少し話を聞いて欲しい。

「どうしてそう思われたのですか?」

 その様子に呆れていると、状況を整理しようと努めているリーナに話し掛けられた。ラップ人を相手にしたくない気持ちはあったが、次にする話は先にリーナに納得して貰った方が良さそうだ。
 そう思い口を開いた。

「ウィルは特別な人間だったんだ。多分、ウィルは世間と絶縁した環境で育ったんだろうよ。そんな男がアストリッドと愛を育む時間は無かった筈だ」
「それはどういう……?」
「ラップ人のあんたは信じてくれるだろーが、ウィルはノアイデ、魔法使いだったんだ。いや厳密にはノアイデとは違うかもしんねーがそういう事にしろ」

 ノアイデ――ラップ人にとっての魔法使い。
 北部ノルウェーで仕事をしているとラップの文化に触れる時があるので、古来より彼らに信仰されているシャーマンの事も知っていた。
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