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Ⅳ Farvel―決別―

43 「着いた……」

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 今は何時だろう。
 夜空に出ていた赤いオーロラはいつの間にか消えていた。今は頭に降り積もった雪を払う気にもなれずただ林に居た。
 1日前の自分なら「戻って下さい!」とアストリッドを止めに行っている。しかしあの少女は、自分がした事に気付いたのだ。
 咄嗟に自分が着いていけなかったのは、確かに拒絶されたから。
 どんな顔をしていいかも分からない自分が、あんなに錯乱した少女に着いていく資格はない。
 ――その時。
 すぐ隣の草むらがカサカサと小さな音を立てて揺れた。なんだろう、と思って顔を上げる。

「……あ」

 視線の先、銀世界の中で微かに色を持っている枯れた草むら。そこに、1匹の白いウサギが居たのだ。
 多くの敵が冬眠している事を知っているのだろう。キョロキョロと周囲を見渡しては居るものの、その表情は夏よりもずっとくつろいでいる。

「……」

 自分が動いては驚かせてしまう。自然と息を潜めていた。
 数秒後。
 ひょこり、と。草むらの陰からもう1匹白いウサギが顔を出した。どうやら連れが居たらしい。
 2匹の兎は雪上に小さな足跡を残しながら、ぴょこぴょこと林の奥に消えていく。
 小動物を見ていると山奥で過ごしていた時を思い出す。あの時は彼らを見つけるのもちょっとした遊びだった。ほんの少し前までは山奥でひっそりと暮らしていたのに、今では慣れ親しんだ光景が懐かしい。

 ふと、山奥に居た時の気持ちを思い出した。
 小屋でひっそりと暮らしていた時は、ただアストリッドの力になりたかった。どうせ自分の事は覚えていないのだし、と少女の隣に誰が居ようとも、陰から支えられるだけで十分だった。
 それなのにどうして、あの時の気持ちを忘れてしまったのだろう。
 実際また会って、話して、名前を呼ばれて。
 もっと一緒に居たい、役に立ちたい、とすっかり欲が出てしまった。

「…………そっか」

 自分はアストリッドに気持ちを押し付けすぎたのだ。
 側で守らせて欲しい、と。守りたいんだ、と。
 だから理由を付けてレオンの事で嘘をついた。彼女の気持ちも聞かずに。

 ――謝りたい。

 貴女の気持ちも聞けば良かった、と言いたかった。その上で、自分はもう一度彼女に寄り添うべきなのだろう。彼女の気持ちを汲むべきなのだろう。
 だったら自分がすべき事は1つしかない。

「レオンを、アストリッドを助けないと……!」

 アストリッドに拒絶されたのは前が見えなくなる程怖かったが、でもおかげで自分の間違いに気付けた。

「レオンは……無事か」

 以前アストリッドには「スウェーデンまで飛ばせるような魔法はない」と言ったのだが、自分1人だったら少し話は変わってくる。
 魔法で補助しつつ雪山や水を滑れば、ものの数時間でカウトケイノからトロムソに行けるのだ。
 屋敷に忍び込みレオンを治した後が大変だ。人体魔法の影響で眠くなっても、意識がある内に地下牢まで戻って森に出ないといけないのだから。だがそれも自傷すれば少しは睡魔から逃げられるだろう。

 そうと決まれば早速行動だ。
 即席のスキー板を作り、風を切りながら暗い山を滑った。入り組んだ場所にあるトロムソが近くなる頃には空腹を覚えたが、それは後回しだ。
 トロムソに来るのは3回目。
 おかげで多少土地勘がある。海をまた渡って早朝のトロムソ本島に行くのは、刺繍をするよりも楽だった。アストリッドの屋敷に行くのに人目を避けるように森の中を動く。

「っと、ここだ……」
 三角屋根の赤い屋敷を見上げながら、今はその裏に広がる森に居た。厨房と思しき所から微かな明かりが漏れていて、既に人が起きている事を教えてくれた。
 野犬に遭遇しない事を祈りながら、レオンが屋敷の2階の一室に居る事に当たりをつける。自分なら魔法で2階の部屋に侵入するより、地下室から屋敷に侵入し隙を見てレオンの部屋に入った方が良いだろう。
 外は雪が降っているのでその痕跡を持ち込まぬよう注意しながら埃臭い地下牢に侵入する。

「……」

 住人に見付かったら即座に騒ぎになるだろう。今この家には女中とロヴィーサしか居ないようだが、途中誰かに遭遇してはレオンを助けるどころではなくなる。
 息を殺し人の気配に敏感になりながらレオンの部屋に向かった。暗い廊下の中、厨房から漂ってくるパンを焼いている匂いに、忘れていた空腹を思い出す。

「ねえ、私の編み棒どこにあるか知らなくて? パンが焼き上がるまでやっていたいのだけど」
「っ!」

 その時。廊下の奥から女性の声が聞こえてきて、慌てて棚の影に隠れた。
 精霊魔法越しに何度も聞いた、ロヴィーサの声。
 台所にいる女中に質問しているようだ。厨房にしか明かりがなかったのでロヴィーサはまだ寝ていると思っていたが、どうも違ったらしい。

「あ、お早う御座います。それでしたら居間に――」

 すぐそこで聞こえるやり取り。自然と肩に力が入る。
 少しして廊下を歩く音が聞こえ、遠ざかっていく。この隙に誰も居ない2階に上がり、少し余裕が生まれたと息を吐いた。

「着いた……」

 音を立てぬよう部屋に入り火の玉を出す。
 1番に視界に飛び込んできたのは壁沿いにある簡素な寝台だった。
 その上に紫色の顔をした茶髪の幼子がぐったりとしていた。隣には白い枕が置かれており、自然と口端が下がる。
 レオンの病状は急を要する。早速取り掛かるしかない。

「っ!」

 精霊魔法を展開し、風の力で革靴を裂き己の足に穴を開ける。

「っつぅ……!」

 痛い。涙が出る。思わず声が漏れた。
 しかしこれで人体魔法の眠気もマシになる。意識を失う事なく外まで逃げ出せるだろう。すぐに止血もしたので床に痕跡も残らない。
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