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Ⅳ Farvel―決別―
42 「泣きな。泣きな」
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アストリッドの瞳からぼろぼろと涙が溢れ出して止まらない。
「……ごめん、なさい……アストリッドに、聞かせたく、なかった」
噛み締めた唇から零れ落ちた短い言葉。今の自分にはそれだけ口にするのが精一杯で。
錯乱した少女の手が雪を掻き毟っては、責めるようにこちらに投げ付けてくる。
「貴方も結局お母様と同じで、私の気持ちを……無視するのね。貴方なんて嫌い! 大ッキライ!!」
遠慮なく投げつけられる雪の感覚に胸が締め付けられる。泣いている顔を見たくなくて、糾弾から逃れるように視線を雪に落とす。こんな最悪な形で業というのは返って来るらしい。
次の瞬間、頬に一等冷たい衝撃が走った。
「馬鹿っ!」
頬に投げた雪を最後に、立ち上がったアストリッドは町の方へと走り出す。その背中を追い掛ける事は今の自分には出来なくて。
「アストリッド……」
どんどん離れていく背。愛しい少女は、足を止める事も振り返る事もせず遠ざかっていく。
微かに動いた唇から零れたのは言い訳がましい呟き。
「俺は……ただ貴女に、笑ってて欲しかったんだ……っ」
風にかき消される程小さな呟きが、離れていく少女に聞こえるわけが無い。
自分を変えてくれた少女との約束を守りたい。役に立ちたい。その事ばかり考えて生きてきた。
彼女の夢が叶えば自分も彼女も満たされるのだと。それで彼女は泣かないと信じていた。
視線を落とすと、雪上に倒れているリーナの遺体が見える。
「……俺は馬鹿、だな」
少し語学に明るいからって、それが何になるのだろう。アストリッドが錯乱している事すら言い訳にならない。自分の気持ちが行き過ぎていた事に、アストリッドと話し合う道があった事に、何故気付かなかったのか。
いつの間にか冷たい風が頰を叩いている。その痛みを甘んじながら唇を噛み締めていた。
頭上では相変わらず赤色のオーロラが波打っている。
はるか昔海の覇者であったヴァイキング達は、オーロラの光は北欧神話に関係する物だと信じていた。あの光は戦乙女ワルキューレが、勇敢な戦死者の魂を天に運ぶ際の鎧の輝きなのだ、と。
そんな物が今日の夜空に出ている。何て皮肉だろう。
空を見上げたくなくて俯くも、今度は雪上で舞っているお下げが目に入る。行き場のない思いに胸が痛んだ。
気付けば濡れていた頬を容赦なく叩く風が、いつも以上に冷たく感じられた。
***
町に戻ったアストリッド・グローヴェンは一番にトロムソ行きの乗合馬車に飛び乗った。タルヴィクで路銀を稼いでおいて本当に良かった。
「ひっく……」
本当はトロムソに戻るべきでは無いのかもしれないが、今は上手く物を考えられなかった。
自分が戻らなければレオンが死に、リーナの死が無駄になる。この日の傷は死ぬまで自分を苦しめるだろう。
それにウィルだ。
あの金髪の魔法使いから離れたかった。
ウィルが嘘を吐くなんて思っていなかった。それもサーミ人であるレオンの事で。
いや、レオンの事じゃなくとも嘘を吐かないと思っていた。不器用で優しい人だと疑わなかった。
「っ」
でも違った。ウィルは顔を見た事が無い幼子に、情を向けてくれなかった。
思えばウィルは約束したという人を「もう良い」で済ませていた。実は自分が思っていたより優しい人では無かったのか。
ただただ悲しかった。
誰だって嘘はつく。知らない人間は手を伸ばしにくい。自分だってその1人だ。
なのにどうして割り切れないのだろう。あの優しさを信じたかった。
監禁されると分かっているのに戻るのは、頭から被った血の温もりが忘れられないからだ。息子を、息子を、とあの温もりが自分を冥界へと引きずり込む。
レオンを助けに帰らなければ。リーナが命を賭したのだから。
ウィルはきっと、自分がトロムソに戻っている事にすぐ気が付くだろう。止めに来るのだろうか。それとも、自分は見捨てられるのだろうか。
見捨てられた時、自分はまた泣くのだろう。
「……ひっ……う」
涙は止まってくれない。
何故まだこんなに泣けるのか。移動中の夫婦と少しの商人しか馬車に乗っていないからか、自分の嗚咽だけが車内に響いている。
顔を上げると、近くの席に座ってこちらを心配そうに見ている20代程の女性と目が合った。移動中の商人のようだ。
「……酷い顔ね、恋人と喧嘩でもしたの?」
紅い唇が動き話しかけられた。
ずっと心配してくれていたのだろう。眉が下がっている。優しい声がこの状況では有り難く、だからか自分も素直に頷けた。
「嘘、つかれました……」
涙ながらに告げると女性が「ああ……」と呻くように嘆く。
「それは確かに辛いわ……そういう時はいっぱい泣いた方が良い」
「泣くな」ではなく「泣いていい」と言われ、じんわりと染み入る物があった。その優しさに押し出されるようにまた涙が溢れて来た。
「ふ……うぇ」
「泣きな。泣きな」
ぽんぽん、と女性に軽く頭を撫でられ、俯いてまた泣いた。優しい人が乗っていて良かった。これで「うるさい!」と怒鳴られでもしてたら一層凹んでいた。
――人間ってこんなに泣けるんだな。
どこか他人事のように思いながら、また頬を濡らした。
***
遺書にあった通りリーナの遺体は燃やし、遺骨を拾って即席の筒に納めた。
母が亡くなった時も遺体は燃やしたが、この作業は何回やっても慣れてくれない。
「……アストリッド」
彼女は今どこに居るのか。
きっとトロムソに向かっているのだろう。魔法を使えば良いのに、アストリッドと別れてから上手く頭が働かなかった。
「……ごめん、なさい……アストリッドに、聞かせたく、なかった」
噛み締めた唇から零れ落ちた短い言葉。今の自分にはそれだけ口にするのが精一杯で。
錯乱した少女の手が雪を掻き毟っては、責めるようにこちらに投げ付けてくる。
「貴方も結局お母様と同じで、私の気持ちを……無視するのね。貴方なんて嫌い! 大ッキライ!!」
遠慮なく投げつけられる雪の感覚に胸が締め付けられる。泣いている顔を見たくなくて、糾弾から逃れるように視線を雪に落とす。こんな最悪な形で業というのは返って来るらしい。
次の瞬間、頬に一等冷たい衝撃が走った。
「馬鹿っ!」
頬に投げた雪を最後に、立ち上がったアストリッドは町の方へと走り出す。その背中を追い掛ける事は今の自分には出来なくて。
「アストリッド……」
どんどん離れていく背。愛しい少女は、足を止める事も振り返る事もせず遠ざかっていく。
微かに動いた唇から零れたのは言い訳がましい呟き。
「俺は……ただ貴女に、笑ってて欲しかったんだ……っ」
風にかき消される程小さな呟きが、離れていく少女に聞こえるわけが無い。
自分を変えてくれた少女との約束を守りたい。役に立ちたい。その事ばかり考えて生きてきた。
彼女の夢が叶えば自分も彼女も満たされるのだと。それで彼女は泣かないと信じていた。
視線を落とすと、雪上に倒れているリーナの遺体が見える。
「……俺は馬鹿、だな」
少し語学に明るいからって、それが何になるのだろう。アストリッドが錯乱している事すら言い訳にならない。自分の気持ちが行き過ぎていた事に、アストリッドと話し合う道があった事に、何故気付かなかったのか。
いつの間にか冷たい風が頰を叩いている。その痛みを甘んじながら唇を噛み締めていた。
頭上では相変わらず赤色のオーロラが波打っている。
はるか昔海の覇者であったヴァイキング達は、オーロラの光は北欧神話に関係する物だと信じていた。あの光は戦乙女ワルキューレが、勇敢な戦死者の魂を天に運ぶ際の鎧の輝きなのだ、と。
そんな物が今日の夜空に出ている。何て皮肉だろう。
空を見上げたくなくて俯くも、今度は雪上で舞っているお下げが目に入る。行き場のない思いに胸が痛んだ。
気付けば濡れていた頬を容赦なく叩く風が、いつも以上に冷たく感じられた。
***
町に戻ったアストリッド・グローヴェンは一番にトロムソ行きの乗合馬車に飛び乗った。タルヴィクで路銀を稼いでおいて本当に良かった。
「ひっく……」
本当はトロムソに戻るべきでは無いのかもしれないが、今は上手く物を考えられなかった。
自分が戻らなければレオンが死に、リーナの死が無駄になる。この日の傷は死ぬまで自分を苦しめるだろう。
それにウィルだ。
あの金髪の魔法使いから離れたかった。
ウィルが嘘を吐くなんて思っていなかった。それもサーミ人であるレオンの事で。
いや、レオンの事じゃなくとも嘘を吐かないと思っていた。不器用で優しい人だと疑わなかった。
「っ」
でも違った。ウィルは顔を見た事が無い幼子に、情を向けてくれなかった。
思えばウィルは約束したという人を「もう良い」で済ませていた。実は自分が思っていたより優しい人では無かったのか。
ただただ悲しかった。
誰だって嘘はつく。知らない人間は手を伸ばしにくい。自分だってその1人だ。
なのにどうして割り切れないのだろう。あの優しさを信じたかった。
監禁されると分かっているのに戻るのは、頭から被った血の温もりが忘れられないからだ。息子を、息子を、とあの温もりが自分を冥界へと引きずり込む。
レオンを助けに帰らなければ。リーナが命を賭したのだから。
ウィルはきっと、自分がトロムソに戻っている事にすぐ気が付くだろう。止めに来るのだろうか。それとも、自分は見捨てられるのだろうか。
見捨てられた時、自分はまた泣くのだろう。
「……ひっ……う」
涙は止まってくれない。
何故まだこんなに泣けるのか。移動中の夫婦と少しの商人しか馬車に乗っていないからか、自分の嗚咽だけが車内に響いている。
顔を上げると、近くの席に座ってこちらを心配そうに見ている20代程の女性と目が合った。移動中の商人のようだ。
「……酷い顔ね、恋人と喧嘩でもしたの?」
紅い唇が動き話しかけられた。
ずっと心配してくれていたのだろう。眉が下がっている。優しい声がこの状況では有り難く、だからか自分も素直に頷けた。
「嘘、つかれました……」
涙ながらに告げると女性が「ああ……」と呻くように嘆く。
「それは確かに辛いわ……そういう時はいっぱい泣いた方が良い」
「泣くな」ではなく「泣いていい」と言われ、じんわりと染み入る物があった。その優しさに押し出されるようにまた涙が溢れて来た。
「ふ……うぇ」
「泣きな。泣きな」
ぽんぽん、と女性に軽く頭を撫でられ、俯いてまた泣いた。優しい人が乗っていて良かった。これで「うるさい!」と怒鳴られでもしてたら一層凹んでいた。
――人間ってこんなに泣けるんだな。
どこか他人事のように思いながら、また頬を濡らした。
***
遺書にあった通りリーナの遺体は燃やし、遺骨を拾って即席の筒に納めた。
母が亡くなった時も遺体は燃やしたが、この作業は何回やっても慣れてくれない。
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彼女は今どこに居るのか。
きっとトロムソに向かっているのだろう。魔法を使えば良いのに、アストリッドと別れてから上手く頭が働かなかった。
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