アストリッドと夏至祭の魔法使い

上津英

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Ⅴ Love―約束―

55 「もー……まあ話が早いし今は許してあげる」

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「っ、アストリッド!?」

 気付けばウィルの手を振り払っていた。冬の森独特の厳しい匂いが、動きを止めた自分に纏わりついて来る。
 枯れ木の近くに居た青年の足も止まり、己の赤い髪が乱れる程首を横に振った。

「駄目よ! 私、やっぱり逃げないわ。私が逃げたらまたレオンのような存在が生まれる! それは嫌!」
「ですが! もうロヴィーサが貴女を手放す事はありませんよ。貴女がピアノを弾く事を許さないでしょう」
「そうね、でも私思うの。お母様は意地になってるんだわ。娘だから分かる、あの人は立ち止まれなくなっているだけなの! 娘を守る事しか道は無い、って自分で自分を縛ってるのよ。足を止めて頭を冷やせば少しは考え直してくれるはずよ! 私も貴方も、ルーベンさんだってそうだったのだから!」

 最初グローヴェンの屋敷を抜け出した時、母と話し合う事はもう無理だと思った。けれど今、むしろ自分は母親ときちんと話し合うべきなのだと思っている。そうしなければ自分も周囲もまた頬を濡らすだけだ、と。

「ピアニストになれるのならお父様に妨害されたって良い、私はもう赤ん坊では無いの! 幾らでも切り抜けてみせる!」
「お、お父様? マグヌス……の事ですよね? どうして今?」
「ちょっと、いつの間に私の父親の事探ったのよ」

 この青年が父親の事を把握しているのは今更驚かないが、そんな時間が何時あったろう。むっとしながら問う。

「タルヴィクからカウトケイノに行く馬車の中でです。貴女の背中にあった火傷が気になって、貴女の髪を使って火傷について人体魔法を使っただけです。それでマグヌスの事を知ったんです。それと貴女がベリーを食べた事以外は知りませんから! 腐ったチーズにはなっていません……!」

 一際情けない声を上げるウィルが後半何を言っているかは良く分からなかったが、その説明を聞いて腑に落ちた。確かにあの早朝、ウィルは最後の1人になるまで馬車でぐっすり眠っていた。あの時か。

「もー……まあ話が早いし今は許してあげる」

 ふんっと返し、説明を続ける。

「なら知っているでしょう? 私の背中の火傷はお父様による物だったって。それでお母様は、赤ん坊の私に暴力を振るったお父様がクリスチャニアの楽団に居るから、万が一にも私を引き合わせたくなくてピアノに反対し続けていたの」

 ウィルは最初困惑していたが、事情を知ると咀嚼するように一度頷く。
 この魔法使いは自分の父親の事なら、トロムソに居る誰よりも詳しい筈。何か言ってくれるんじゃないかと思い、森の中いつもより暗い青色の瞳を見上げる。

「そう言う事だったんですね。あの、こう言うのも変ですが、安心して下さい。マグヌスは5年前の10月に肝臓病で亡くなっていました。ですから……」

 どこか言いづらそうに告げられた言葉に、思考が一瞬停止した。
 既に棺の中に居る事も想像していた。夢の妨げでもあり自分に火傷を負わせた人物なのに、実際聞かされると枯れている花を見付けた時のように言いようのない気持ちに襲われる。

「そ……っかぁ……」

 喉から出た声もいつもより弱々しい。こんな時に出し続けたい声色ではなく、一度目を閉じる。気持ちを落ち着かせるように何回も深呼吸した後ゆっくりと目を開いた。

「なら私がピアニストになる障害は無いって事ね! お母様にそれを伝えないと……」

 次に口を開いた時にはもう声色がいつも通りに戻っていて、自分の物だからこそこの声に気持ちが奮い立った。
 そんな自分を見てか、少しして一度頷いたウィルが微笑んだ。自分の背中を押してくれる、大好きな笑顔。気付けば自分も笑んでいた。

「問題はどうお母様を冷静にさせるかね……」

 言ったは良いものの、これが1番難しいと思う。火山の噴火や暴風雨を鎮めるような物だ。

「……」

 物理的に母に危害を加えるのが1番楽な方法かもしれないが、そんな真似はしたくないし、ただの時間稼ぎにしかならないだろう。
 母を冷静にさせる方法が、このトロムソにあるだろうか。
 考えている間、ぱさりと木から雪が落ちた。

「あ」

 ――その時、ふっと閃いた。
 いつの間にか俯いていた顔をガバリと上げて、正面の青年を見据える。そうだ、あの方法なら――。

「ウィルッ、貴方を一度拒絶した私がこんなお願いするのは調子良すぎるのだけど……」

 それを実行するにはこの魔法使いの協力が不可欠だ。幾ら今一緒に居られるとはいえ、自分は一度ウィルから逃げた。なんとも図々しいお願いだろう、と不安になりウィルを見上げる。
 青い瞳と視線が絡まると、「今更何だ」とでも言うように青年の頬が綻んだ。

「良いんですよ、何でも言って下さい。最初に地下で言った通り、俺に貴女を守らせてくれませんか。で?」

 その笑顔に心の底から活力が湧いて来る。実を言うと、この方法を採るのは怖かったから。

「有り難う、協力してほしいのは――」
「アストリッド!! アストリッド!! どこに居るの!?」

 次の言葉を口に仕掛けた時、不意に木々の隙間から黒いドレスの婦人が姿を表した。
 神に救いを求めているかのように青ざめたロヴィーサは、赤く染まった短剣を手に持ち素足で雪を踏んでいて、先程まで被っていた紺色の羽根つき帽子が脱げ、赤い髪を炎のように乱して立っていた。
 ルーベンを刺し、氷が巻き付いた靴を脱いで必死にここまで走って来たのだろう。悪魔のようで、とても名家を出た婦人の姿とは思えなかった。

「ルーベンさん本当に生きてるの……!?」
「大丈夫です、足を刺されたようですが生きています。まだあの家で蹲ってはいるようですが……」

 大丈夫と言われても、こんな光景を前にしたら血の気が引く。
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