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Ⅴ Love―約束―
61 「まっ、良いか」
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名案だとばかりに言うと、ウィルの表情が泣きそうな程暗くなっていく。少しして、ポツリと呟いたのが分かった。
「ううう……いいやもう、そんな記憶消しちゃえ……」
直後。
「っ」
ズキリ、と頭が痛んだ。反射的に頭を抱える。
気付けばキツく瞑っていた目を開くと――どうしてか崖上の開けた所にいた。
「あれ、なんで……?」
いつの間にこんな所に来てしまったのだろう。ピアノの前に並んでいた筈なのに、上手く思い出せない。この素焼きのカップは自分が飲んでいた物なのか。
あたふたしていると、すぐ離れた所から「今寝んの!?」と叫ぶ少年の叫び声が聞こえて来た。小柄な少年に、背の高い少年が凭れかかっている。
「……」
背の高い少年が引き摺られているのを横目で見ながら、不思議な気分に襲われていた。
思い出せないのに、決して忘れてはいけない約束。自分は何か凄く大切な事を――。
しかし、その先が出て来ない。トロールに悪戯された、とはまさにこの事を言うのだろう。
「まっ、良いか」
そんな事より大好きなピアノを弾きに行こう。ピアニストになる為にピアノを弾こう。覚えていないけれど、確かに約束をしたから。
何故か切り株の上にあったジューンベリーを頂きながら、素焼きのカップを持ってピアノの元へ歩いていった。
***
不思議な夢を見ていた。いや、あれは夢ではない。忘れていた――消されていた自分の、アストリッド・グローヴェンの懐かしい記憶だ。
あの夏至祭を終えた日、母と喧嘩した時確かに誰かと何かを約束していた事は覚えている。それはウィルだった、という訳か。
ウィルと自分は6年前に会っていた。
あの魔法使いは、ずっと前から自分を守ってくれていた。
「……ウィル」
起きて一番あの魔法使いの名を呼んでいた。ズキズキと身体が痛んだがどうでも良かった。
記憶を消していたのなら仕方ないかもしれないが、会った事がある事くらいは教えて欲しかった。それにもし自分が半年後の夏至祭に行かなかったり、ピアニストになる夢を捨てていたらどうしていたのだろう。それでもあの青年の事だから、お手伝い妖精ニッセのように陰ながら自分を支えていたのかもしれない。
とにかくウィルに会いたかった。会って、思いの丈を全部伝えたかった。
板で出来た天井――グローヴェンの屋敷の物だ――を映しながら考えていると、視界に頬がこけたロヴィーサが写り込んできた。
「起きたの、アストリッド!? 良かった、生きててくれた……! 神よ感謝します……!!」
陽光を背に祈りを捧げている母親に、崖上で対峙した時のような熾烈さはない。そこに居たのは、ただただ娘の無事を祈る母親だった。
「もう、心配させてっ!」
次の瞬間、ガバッとロヴィーサに勢い良く抱き締められ息を呑む。視界が紫色のドレスで一杯になる。
「……っ」
強くなる腕の力に、耳元で聞こえる啜り泣き。それだけで母が今どんな気持ちでいるかが伝わってきた。
「お母様……心配かけてごめんなさい……」
「良いの、貴女が生きてただけで……ごめんね、こんな目に遭わせて……っ!」
――自分が子供だった時の優しい母が戻って来たようだ。
そう思ってしまうような優しい声。照れくささもあって話題を変える。
「ウィルは? 私が飛び降りてから何日経ったの?」
「2日よ。隣の部屋で寝ているわ。……魔法使いってずーっと寝てるのね」
そんなに時間が経っている事に驚くも、冗談めいた母の一言についつい頬が綻んだ。
「ふふっ、そうだね。私もそう思う」
母とこんな風に穏やかに笑いあえたのは何時ぶりだろう。
ウィルが寝ていると言う事は、きっと自分に人体魔法を使ったという事だろう。そう思ったら、ロヴィーサはあの時の事を、自分の夢をどう思っているかが途端に気になりだした。
丁度腕も離れたので、視線を上向かせ青色の瞳と目を合わせる。その瞳が、こちらの視線を受けて一度伏せられた。
「アストリッド……あのね。私、この2日間ずっと貴女が死ぬかもって考えていて、ずっと怖かったの。私が1番怖いのはマグヌスの暴力でも男社会でもない、貴女を失う事だったんだって思い出した。そうしたら私、自分がリーナに……レオンの母親にした事がどれだけ酷かったのか気付いたのよ。ううん、リーナだけじゃない。ルーベンさんの足を刺した事も、あの魔法使いを殺そうとした事も……貴女を追い詰めた事も」
母の言葉に嘘が無い事は青色の瞳を見ていれば良く分かった。一度そこで話を区切ったロヴィーサは、しばらくしてまた言葉を紡ぎ出した。
「私、ずっと間違えていたのね。貴女が起きたら優しくしようって思った。話を聞こう、貴女を認めようって。あの魔法使いにも怒られたものだわ。何が守るだ! って」
目を細めて笑う検のないロヴィーサの言葉に目頭が熱くなっていく。母は立ち止まってくれたのだ。自分の気持ちをようやく受け入れてくれたのだ。
目から零れた熱い液体が頬を伝う。感情を我慢出来なかった。
「お母様……っ」
母はそんな自分を見て仕方無さそうに笑った。昼で明るいのもあってか、その笑顔はどこまでも柔らかかった。
「今まで気付こうとしなくてごめんね、アストリッド。ピアノ、やりなさい。貴女の夢を私にも応援させて。でも、ノルウェーには戻って来なさいよ」
ずっとその言葉が聞きたかった。
「有り難う、お母様……有り難う!!」
心の中に積もった雪が溶け、春の息吹が芽吹き出す。
今日は何て暖かい日だろう。
心がすっかり晴れて嬉しくもあったが、体はまだまだ負傷していたのでベッドの上から動けずにいた。
正直暇だったし、寝返りを打つのにも苦労した。読書も編み物も出来る気がせず、ひたすら寝ていた。人体魔法の睡眠は粘れば起こせると知っていたが、彼には寝て欲しかった。
松葉杖を突いたルーベンや元気に笑うレオンが代わる代わる見舞いに来てくれた。ルーベンが慰謝料として母をパトロンに付けたと聞けたのは面白かったが、ずっと家に居てくれる訳もなく、あの青年に会いたい気持ちのまま夜を明かした。
「ううう……いいやもう、そんな記憶消しちゃえ……」
直後。
「っ」
ズキリ、と頭が痛んだ。反射的に頭を抱える。
気付けばキツく瞑っていた目を開くと――どうしてか崖上の開けた所にいた。
「あれ、なんで……?」
いつの間にこんな所に来てしまったのだろう。ピアノの前に並んでいた筈なのに、上手く思い出せない。この素焼きのカップは自分が飲んでいた物なのか。
あたふたしていると、すぐ離れた所から「今寝んの!?」と叫ぶ少年の叫び声が聞こえて来た。小柄な少年に、背の高い少年が凭れかかっている。
「……」
背の高い少年が引き摺られているのを横目で見ながら、不思議な気分に襲われていた。
思い出せないのに、決して忘れてはいけない約束。自分は何か凄く大切な事を――。
しかし、その先が出て来ない。トロールに悪戯された、とはまさにこの事を言うのだろう。
「まっ、良いか」
そんな事より大好きなピアノを弾きに行こう。ピアニストになる為にピアノを弾こう。覚えていないけれど、確かに約束をしたから。
何故か切り株の上にあったジューンベリーを頂きながら、素焼きのカップを持ってピアノの元へ歩いていった。
***
不思議な夢を見ていた。いや、あれは夢ではない。忘れていた――消されていた自分の、アストリッド・グローヴェンの懐かしい記憶だ。
あの夏至祭を終えた日、母と喧嘩した時確かに誰かと何かを約束していた事は覚えている。それはウィルだった、という訳か。
ウィルと自分は6年前に会っていた。
あの魔法使いは、ずっと前から自分を守ってくれていた。
「……ウィル」
起きて一番あの魔法使いの名を呼んでいた。ズキズキと身体が痛んだがどうでも良かった。
記憶を消していたのなら仕方ないかもしれないが、会った事がある事くらいは教えて欲しかった。それにもし自分が半年後の夏至祭に行かなかったり、ピアニストになる夢を捨てていたらどうしていたのだろう。それでもあの青年の事だから、お手伝い妖精ニッセのように陰ながら自分を支えていたのかもしれない。
とにかくウィルに会いたかった。会って、思いの丈を全部伝えたかった。
板で出来た天井――グローヴェンの屋敷の物だ――を映しながら考えていると、視界に頬がこけたロヴィーサが写り込んできた。
「起きたの、アストリッド!? 良かった、生きててくれた……! 神よ感謝します……!!」
陽光を背に祈りを捧げている母親に、崖上で対峙した時のような熾烈さはない。そこに居たのは、ただただ娘の無事を祈る母親だった。
「もう、心配させてっ!」
次の瞬間、ガバッとロヴィーサに勢い良く抱き締められ息を呑む。視界が紫色のドレスで一杯になる。
「……っ」
強くなる腕の力に、耳元で聞こえる啜り泣き。それだけで母が今どんな気持ちでいるかが伝わってきた。
「お母様……心配かけてごめんなさい……」
「良いの、貴女が生きてただけで……ごめんね、こんな目に遭わせて……っ!」
――自分が子供だった時の優しい母が戻って来たようだ。
そう思ってしまうような優しい声。照れくささもあって話題を変える。
「ウィルは? 私が飛び降りてから何日経ったの?」
「2日よ。隣の部屋で寝ているわ。……魔法使いってずーっと寝てるのね」
そんなに時間が経っている事に驚くも、冗談めいた母の一言についつい頬が綻んだ。
「ふふっ、そうだね。私もそう思う」
母とこんな風に穏やかに笑いあえたのは何時ぶりだろう。
ウィルが寝ていると言う事は、きっと自分に人体魔法を使ったという事だろう。そう思ったら、ロヴィーサはあの時の事を、自分の夢をどう思っているかが途端に気になりだした。
丁度腕も離れたので、視線を上向かせ青色の瞳と目を合わせる。その瞳が、こちらの視線を受けて一度伏せられた。
「アストリッド……あのね。私、この2日間ずっと貴女が死ぬかもって考えていて、ずっと怖かったの。私が1番怖いのはマグヌスの暴力でも男社会でもない、貴女を失う事だったんだって思い出した。そうしたら私、自分がリーナに……レオンの母親にした事がどれだけ酷かったのか気付いたのよ。ううん、リーナだけじゃない。ルーベンさんの足を刺した事も、あの魔法使いを殺そうとした事も……貴女を追い詰めた事も」
母の言葉に嘘が無い事は青色の瞳を見ていれば良く分かった。一度そこで話を区切ったロヴィーサは、しばらくしてまた言葉を紡ぎ出した。
「私、ずっと間違えていたのね。貴女が起きたら優しくしようって思った。話を聞こう、貴女を認めようって。あの魔法使いにも怒られたものだわ。何が守るだ! って」
目を細めて笑う検のないロヴィーサの言葉に目頭が熱くなっていく。母は立ち止まってくれたのだ。自分の気持ちをようやく受け入れてくれたのだ。
目から零れた熱い液体が頬を伝う。感情を我慢出来なかった。
「お母様……っ」
母はそんな自分を見て仕方無さそうに笑った。昼で明るいのもあってか、その笑顔はどこまでも柔らかかった。
「今まで気付こうとしなくてごめんね、アストリッド。ピアノ、やりなさい。貴女の夢を私にも応援させて。でも、ノルウェーには戻って来なさいよ」
ずっとその言葉が聞きたかった。
「有り難う、お母様……有り難う!!」
心の中に積もった雪が溶け、春の息吹が芽吹き出す。
今日は何て暖かい日だろう。
心がすっかり晴れて嬉しくもあったが、体はまだまだ負傷していたのでベッドの上から動けずにいた。
正直暇だったし、寝返りを打つのにも苦労した。読書も編み物も出来る気がせず、ひたすら寝ていた。人体魔法の睡眠は粘れば起こせると知っていたが、彼には寝て欲しかった。
松葉杖を突いたルーベンや元気に笑うレオンが代わる代わる見舞いに来てくれた。ルーベンが慰謝料として母をパトロンに付けたと聞けたのは面白かったが、ずっと家に居てくれる訳もなく、あの青年に会いたい気持ちのまま夜を明かした。
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