苦い果実

花野未季

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苦い味⑴

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「兄ちゃん、ほんとうに戦争に行ってしまうんか?」
 修平が尋ねました。

「そうじゃな」
 兄ちゃんの返事は、一言だけ。

「なんで、行かんとだめなんじゃろ」
 誰かの声がします。

「国民の務めじゃ」
 兄ちゃんの答えに納得しない私達は黙りこみました。
 私は、喉がつかえたようになり、口の中の金柑をうまく飲み込めません。

「毎朝なぁ、お堂の天子様にご挨拶してから学校行くじゃろ。あれ、めんどくさいねん」
 唐突な山田くんの言葉に、みんな驚きました。

 戦前は、神社のお堂に、天皇陛下と皇后陛下のお写真が飾られていました。
 私達の学校の近くにも、小さな鎮守様があって、おふたりのお写真が掲げられていたのです。

 私達生徒は、毎朝通学途中に鎮守様に寄って、必ず直立不動で一礼してから、学校に行くようにしていました。それは習慣のようなもので、面倒だとか思ったことはありません。

「僕とこからは、お堂は遠回りになるねん」
 彼の言い分は、子供らしい発想です。でも、もし大人に聞かれたら、ただでは済まなかったでしょう。

 私はゴクリと金柑を飲み込みました。
「そんなこと言うたらだめじゃ」

 山田くんは頷いて、
「わかってるけど、父ちゃんも戦争に連れて行かれてるし。僕は嫌いや」

 彼が言おうとしている次の言葉がわかった私は、咎めるように言いました。
「山田くん、それ以上は何も言うな。大人に聞かれたら大変じゃ」

「分かっとる」
 そう答える山田くんは憮然としていましたが、彼はその後、ひょうきんな笑顔で言いました。
「さすがは級長はんや!」

 彼の顔からは、先ほどまでの深刻な表情は消えていました。
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