ひと夏のココナツジュース

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ひと夏のココナツジュース

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「あち…」

外へ出ると思わず声が漏れた。夏の日差しが容赦なく照り付け、道行く人も皆眉間にしわをよせていた。

俺、陽(あきら)は特にやることがなかったので何となく近所の売店へ足を運んだ。何か、うんと冷たい飲み物を一気に飲み干したい気分だ。 


売店では背中の丸いおばあちゃんがうちわで自分を仰ぎながら気怠そうに新聞を読んでいた。俺に気が付くと
「いらっしゃい」と一言言い、また新聞に目を戻した。

俺はこの、昔ながらの雰囲気がある売店が好きだった。もう少し足を延ばせばコンビニもあるが、機械的に丁寧すぎる接客をされるよりも、ここのおばあちゃんのぶっきらぼうな対応の方がなんだか自然に感じた。

さて、アクエリアスにしようか、コーラにするか…



「ぷはぁ…」

コーラを選んで正解だった。冷たい炭酸が喉を心地よく通って行き、俺は天を仰いだ。

青空の中、雲がゆっくりと流れている。時々吹く風に揺られて売店にぶら下がっている風鈴が音を鳴らす。

ふと視線を戻すと白いワンピースを着た少女が売店に来ていた。

今どき白のワンピースって珍しいな、と思いながら少女を見ていると目が合ってしまい、俺は慌てて目を反らした。
ガラガラと、クーラーボックスの中を漁っている音がする。

「これ下さい」

透き通るような声だった。


飲み物を買った少女は俺から少し離れたところでそれを飲んでいるようであった。

何となく気になった俺は少女に目を向ける。

目を瞑って飲み物を飲むその姿はいかにも夏の飲み物のCMに出ていそうな、爽やかな印象を受けた。
見た感じ年は俺と同じくらいか少し下かな?


「ぷはぁ…」
少女も俺と同じように満足そうな表情で声を漏らしていた。

ふと少女の持っている飲み物を見て俺は思わず目を丸くした。


ココナッツジュース…。


それは俺も一度だけ飲んだことのある飲み物だった。

当時名前の珍しさに釣られて買ったはいいが、すぐに後悔するような味であった。

あれを美味しいそうに飲む人間がいるとは…


視線に気が付いたのか少女が怪訝そうな表情でこちらを向いた。俺はまた慌てて目を反らす。そしてなんとなく気まずかったのでそのまま自宅へ歩き出した。





自宅へ着くと付けっぱなしにしていた冷房の冷気が体を包み込む。
テーブルには母が作り置きしたチャーハンが置いてあった。

俺はそれをレンジへ入れ、スイッチを押した。ぐるぐるとレンジの中で回るチャーハンを眺めながら思わずため息が出る。

夕方からバイトか。嫌だなあ。


高校を卒業した俺は大学へ進学する道も、就職する道も選ばず何となくフリーターになった。
当初母は「うちは母子家庭なんだから、しっかりしてもらわないと」と顔をしかめたが、俺が押し切ったのもあって
「20までには就職しなさいよ」と折れた。

あれから約1年が立ち俺は既に19歳になってしまっていた。母が言う期限までもう1年を切っている。

焦りはあったものの俺はもう何もかも諦めていた。このまま20歳になったら何となくどこかに就職して、何となく一生を過ごすのだろう…



一体俺は、何のために生きているんだろう。



チン、とレンジが鳴り我に返った。少し温め過ぎたチャーハンの皿の端を持ちながらすぐに机に置く。
息を吹きかけて冷まし、将来の不安をかき消すようにかきこんだ。

バイトの時間が刻々と迫る中、俺は現実から逃げるようにスマホゲームを起動した。




「いらっしゃいませ」

スーパーのレジのバイトは高校時代から続けているが、未だに憂鬱だった。

笑顔をつくるのが面倒で今までマスクをつけながら接客していたが、先日とうとうチーフに「ずっとマスクつけているみたいだけど、何で?」と問いただされてつけられなくなってしまった。

無理やり口角を上げ、声の高さを1オクターブ上げて接客する自分が嫌いだった。

客足が少なくなったころに時計を見るとバイト終了まで後1時間を切っていた。

早く終わらないかなと内心ため息をつきつつ、俺は機械的に「いらっしゃいませ」と声を発した。




「おかえり」

バイトから帰ると母がテレビを見ながら待っていた。

「ん」

俺は目を合わせずに返事をし、テーブルに置かれたラップのかかったカレーライスをレンジに入れた。

「暑かったでしょう。お客さんいっぱい来た?」

「まあね」

俺は生返事をし、温めたカレーを息で冷ましながらかきこんだ。
テレビでは生んだ子どもを捨てる親が増えているという暗いニュースが流れていた。

「嫌ねえ…」母がテレビを見ながらつぶやく。俺はそれには反応せずひたすらカレーを食べることに集中した。


「そーいえば陽、あんたそろそろ就職のこととか考えー」「ごちそうさま」

母の言葉を遮り、俺は皿を流しに下げ、自室へ向かった。母の声が背中越しに聞こえるが、無視し、ドアを閉めた。


ベッドに身を投げ出し、スマホを見るが、すぐに顔の横に置く。天井を眺めてぼーっとする。

だめだ、何も考えたくない。シャワーは明日の朝浴びることに決め、俺は部屋の電気を消した。





昼前に目が覚めた俺は窓を開けて外を見た。今日も空は青く、日差しが照り付けていた。
今日はバイトが休みの為いくらか気が軽かった俺は鼻歌交じりにリビングへ向かった。

テーブルにはラップされた焼きそばが置いてあった。

それを見て一瞬昨日の晩のことが頭をよぎるが、考えないようにし、俺はまた売店へ足を運んだ。




外は昨日と同じく暑かった。

よし、今日はアクエリアスを飲もう。



売店につくと昨日の少女が飲み物を持って立っていた。近所に住んでいるのだろうか?

俺に気が付くと少女は軽く会釈をしてきた。驚いた俺は体が熱くなるのを感じながら会釈をし返し、早足でクーラーボックスまで行き、アクエリアスを取り出した。


少女から離れたところで俺はアクエリアスを喉に流し込む。

いきなり頭下げてくるからビックリしたじゃないか、まったく。あれ、でも会うのが2回目の場合、挨拶するのは自然なことなのかな…

そんなことを考えながら少女に目を向けると、またココナッツジュースを美味しいそうに飲んでいた。

「また…」

思わず声が漏れていた自分に俺は驚いた。しまった、聞かれたか?

残念なことに少女にも聞こえていたらしく、こちらを見て「はい…?」と返してくる。


慌てた俺は
「あ…それ、ジュース。また飲んでるなーって思っちゃって。いや、別に良いんですけど、それ飲んでいる人あんま見たことなくて、めずらしいなーって…すいません」と上ずった声で、早口で言ってしまった。


聞いている間少女は怪訝そうにしていたが、フフッと少し笑って
「ああ、ココナツジュースですね。好きなんです、私」と答えた。

少女の笑顔を見て少し安心した俺は「ココナツ?ココナッツでしょう?」と余計なことを言ってしまう。

「え?ココナツですよ。これ」と少女。

「いや…ラベルに『ココナッツ』って書いてあるし…」と俺が言うと少女はペットボトルを見返し、顔を少し赤らめて

「どっちでも良いじゃん!…ココナツの方が呼びやすいし」と早口で言ってくる。

俺は慌てて「あ…すいません」と目を反らして謝る。

「いや…別に…」と少女。



しばらく気まずい沈黙が流れ、俺はアクエリアスをもう一度喉に流しこむ。味がしなかった。


俺は何かしゃべらなくてはと思い「それ、美味しい?」とまた余計なことを口走る。

「え?ああ…おいしい。」と少女。

「俺、それ美味しいって言っている人初めて見たよ。俺も飲んだことあるけど、すげーまずくて…」
言った後で後悔し、恐る恐る少女を見た。


意外にも少女は笑っており、
「うん、友達にも言われる」と答えた。

少女は空を見ながら「でも好きなんだ。」と続けた。


その横顔を見た時、俺は『美しい』と感じた。それが恋心なのかはわからなかったが、純粋に感じた。



「俺、陽っていうんだ。太陽の『陽』って書いて『あきら』。君は?」俺は自然とそう尋ねていた。

少女は振り返り、ポカンとした表情をしている。

俺は自分の発言を認識し、再び体が熱くなるのを感じた。
「いや!いきなりごめん!ナンパとかじゃなくてね!そういうんじゃなくて…変だよね俺。すいません。」

慌てて俺が言うのを聞いて少女は吹き出した。

「ははは…そんな謝らなくて良いのに」と笑った後少女は

「夏美って言います。『夏』に『美しい』って書いて『なつみ』。」と自己紹介した。

「夏に生まれたから夏美って、親も単純だよね」と少女は続けた。


「はは…でも良いじゃん、夏美って」

「ありがとう。『陽』って書いて『あきら』って名前も珍しいよね。」



名前の話題で何となく盛り上がった俺たちは、その後数十分たわいもない話をした。



その中で少女、夏美は俺と同じ学年で今年の夏に19歳になること、

絵を描く専門学校に通っており今年の春にこの辺へ引っ越してきたこと、

現在一人暮らしをしていることなどが分かった。


一通り話したところで、何となく名残惜しさを感じつつも「じゃあ…」と俺が言い帰ろうとすると

「連絡先教えてよ」と夏美の方から言ってきた為俺はぎょっとした。

「このへん来たばっかでまだ友達ほとんどいなくてさ…良ければ。」と夏美は続けた。

俺は内心ガッツポーズをしつつ「ああ…いいよ別に」とクールを装って答えつつスマホを出した。

「ありがと」と夏美は笑う。


こうして俺と夏美は連絡先を交換した。


風に揺られる風鈴の音がいつもより美しく聞こえた。






それから俺たちは頻繁に連絡を取り合うようになり、いつしか「夏美」「陽」と呼び合う親友のような仲になっていた。

色々な所へ遊びにも行った。


夏美は思いつくとすぐ行動するタイプなようで、

「陽!今から自転車で海行こう!」と突然言い出すようなことばかりであった。

「海!?多分ここから2~3時間はかかるぞ!?」と俺が言っても

「いいの!行ってみよう?」と押し切られた。


また、ある時は「今日一日、この猫に付いていってみよう」と言い始めたこともあった。

「は!?」と俺が言うのを聞こうともせず、夏美が猫に付いて行ってしまったため俺も慌てて後を追った。

住宅街を練り歩き、道なき道を通り、川沿いへも行き…結局最後には猫を見失ってしまったがちょっとした冒険気分を味わえた。


俺はそんな夏美の破天荒な所に初めは戸惑ったが、徐々に楽しくなり、やがて「次はどんなことを言い出すんだろう…」とワクワクするほどになっていた。






そんなある日の帰り道。山登りをしてきていくらか疲れを感じつつ家へ向かって夏美と歩いていると、


「陽は将来の夢とかあるの?」とふいに夏美は聞いてきた。

「…夏美は?」と俺は聞き返す。


「私ね…将来漫画家になろうと思うんだよね」と夏美は言った。

「へえ…すごいじゃん」俺は何となく、下を向いて答えた。

「まあ、まずは色々と片付けてからだけどさ」と前置きし、夏美は続けた。

「昔からの夢だったからさ、今出版社に持ち込みとかしているんだけど、なかなかだめでさ…。でも良いんだ、好きなことをするって楽しいし」


俺は胸の奥が少しだけチクッと痛むのを感じた。


「なんか好きなことをしている方が『生きている』って思えるんだよね」


胸の痛みが増す。やめろ、やめてくれ。


「せっかく一度しかない人生だからさ、どうせなら好きなように生きたいなって」「もうわかった!!!」


俺は無意識に怒鳴っていた。夏美はきょとんとしている。俺は続けた。

「すごいなあ夏美は。自分が好きなことをわかっていて、将来の夢もあって、それに向かって努力もしていて!」

「…え、陽?」と夏美。俺は構わず続ける。

「俺にはそういうの、なんっっにもないよ!!将来の夢も!!希望も!自分が何が好きで、何をしたいのかも!!
くだらないフリーターだよ!一度しかない人生なのにな!?」

夏美は黙って聞いていた。俺は続ける。

「本当、何のために生まれたかわからないよ!親もきっと俺なんか生まなけりゃよかったって思っているだろうな。
さっさと見捨ててくれればこっちも楽なのに」

パシッ、と夏美は俺の頬をはたいた。

俺は何が起きたのかわからずきょとんとしてしまったが、すぐ我に返り

「ああ、なんか怒鳴ってごめん…」と謝ろうとしたが

「甘ったれるな!!」と夏美は怒鳴り、走って行ってしまった。


俺は頬と胸の痛みを感じながらその後姿を眺めることしかできなかった。







それから夏美からの連絡は途絶えた。俺も気まずさから連絡することができなかった。

夏美と一緒に遊んでいた日々は今思えばあんなにも輝いていたが、今はどんよりと暗い日々が続いている。
皮肉にも外は相変わらず快晴だった。


俺があの日怒鳴ってしまったのは、夏美の話を自分の現状と勝手に比べてしまい、劣等感をぬぐえなかったからであった。

なんとも情けない話だ。

何もやる気が起きずスマホを眺めていると突然電話がかかってきた。

夏美からだった。


俺は慌てて「もっ、もしもし?!」と電話をとると

「明日朝9時、ありったけの着替えとお金持って東京駅集合ね」

「は!?」と言う間もなく電話は切れていた。訳が分からなかった。





夏美と会うのは2週間ぶりであった。

東京駅へ行くと俺よりも大きな荷物を持った夏美が「遅い!」と言い待っていた。

「ああ…ごめ」「行こ!」

俺の言葉を遮って夏美は先を急いだ。俺は慌てて後を追った。





「…どこ行くの?」
新幹線に乗ったところで俺は恐る恐る答えた。

「大阪」と答える夏美。

「何しに?」

「人探し」夏美はそう答えると先ほど買った駅弁を頬張って「美味しい!」と感想を漏らした。


仕方なく俺も自分で買ったおにぎりを頬張った。しばらく沈黙が流れた。

窓の外を見ると目まぐるしく景色が通り過ぎて行った。


「私さ」と最初に口を開いたのは夏美だった。


「親に捨てられたんだよね」


「えっ」俺は思わず目を丸くした。

夏美は続けた。

「まあ、捨てられたっていうのは言いすぎか。でも、小さい頃にお母さんから施設に預けられてさ。あんまり覚えていないんだけど」

夏美は卵焼きをつつきながら話す。

「お母さんは一度も面会に来なかったよ。そのまま施設で育って、18歳になった時、施設を出て独り立ちしたんだ。」



俺は呆然としていた。いつも明るく振る舞う夏美にそんなつらい過去があるなんて知らなかった。
と、同時に俺は自分のことばかり考え怒鳴り散らしてしまった自分を悔いた。

あの日俺、夏美になんて言った?夏美に、たしか…


『親もきっと俺なんか生まなけりゃよかったって思っているだろうな。さっさと見捨ててくれればこっちも楽なのに』



思えば俺が夏美に頬を叩かれたのはその直後であった。それが夏美に対し決して言ってはいけないことだと改めて理解した俺は

「ごめん!!本当にごめん!!」と頭を下げた。


「許さん」と夏美は即答した。

泣きそうになりながら夏美を見返す俺を見て夏美は突然大笑いした。

きょとんとする俺に夏美は

「うそうそ、いいよ!許す!」と言い卵焼きを頬張った。

「実はさ」と夏美が続ける。


「あの日カッとなって陽を叩いちゃったけど…ああ、ごめんね。痛かったでしょう」

俺は首を横に振る。

「それでね…カッとなっちゃったけどさ、ふと陽の言っていることを後から思い返してさ。つらいのは自分だけじゃないんだなって思ったんだよね」

夏美はふうと息を吐き、再び話し出した。

「今までは自分だけこんな目にあって…なんて思っていたけど、なんだろ、陽の言葉を聞いて親がいてもいなくても、つらい人だっているし、つらいのは自分一人じゃないから、なんていうか…いつまでも思い詰めていたって仕方ないなって思ってさ!」

夏美は焼き鮭をつつきながら続ける。

「なんか、うまく言えないんだけど、とにかく前へ進もうと思ってね!だから…悪いけど協力して!」
と夏美は焼き鮭をまるごと頬張った。


俺はこんなにもつらい過去を背負いながら前を向こうとしている夏美をとても愛おしく、そして尊く感じた。


「良いよ。協力する」俺は力強く、そう答えた。

「つまり、お母さんを捜すんだね?」


「正解!」と夏美は笑った。

俺も何となく笑った。

「お母さんは大阪にいるんだ?」と俺が聞くと、


「いないよ。USJ行きたいだけ」と答える夏美。

「…USJ?」

「そう、ユニバーサル・スタジオ・ジャパーーーーン!」

「は!?」俺が立ち上がると夏美はケタケタと笑いながら残りのご飯をかきこんだ。







「陽~見てみて!ミニオンズの帽子!可愛いっしょ~」

USJについた夏美は大いにはしゃいでいた。周りには多くの人がおり、各々がコスプレをしていたり、被り物をしていたりして楽しんでいる様子であった。

「いや似合うけどさ…夏美、お母さん探しは?」と俺が言うと

「まずはせっかく来たのだから楽しまないと!!」と言い俺にもミニオンズの被り物をかぶせてくる。

「はあ…」俺は釈然としなかったが、夏美の笑顔を見て少し安心した。



一通り遊び終えると夏美がスタッフの一人に話しかけていた。
そのスタッフは「少々お待ちください」と言いどこかに行ってしまった。

「何て言ったの?」と俺が尋ねると

「ここでお母さんの今の居場所を知っている人が働いているらしくて」と夏美は答えた。


夏美は続けて「陽と会っていない間にさ、施設の人とかと連絡とってお母さんの居場所聞いたんだけど誰も知らなくてね。唯一、お母さんの今の居場所を知っている人の情報だけ教えてもらえたんだよね」と話した。


「なるほど」と俺が言っている間に先ほどのスタッフが一人の初老女性を連れてきた。


その女性は夏美を怪訝そうに見ながら「私が桜井ですが…」と話しかけてきた。

夏美が事情を説明し、名を名乗ると桜井さんは

「あなたが、あの夏美ちゃんなのね…大きくなったわね…」と言い涙を流した。




桜井さんは色々と話をしてくれた。

桜井さんは夏美の母親と幼馴染で夏美が生まれたての頃までは時々母親宅へ遊びに行っていたこと、

当初母親は別れたばかりの夫の借金を肩代わりさせられ、頼れる親戚もいなかった為やむを得ず夏美を施設に預けたこと、

母親は借金返済の為懸命に働き、何とか返済できたものの、過労と夏美を施設に預けた罪悪感から精神病にかかってしまい、入院していたこと、

そして1年前にようやく回復し、今は沖縄にいること。



「…沖縄って!」

最後まで話を聞いていた夏美は一言目にそう放ち、そして笑っていた。

俺と桜井さんが呆気にとられていると

「ごめんなさい!私を夏に生んで、『夏美』って名前つけるわ、今は沖縄にいるわで、お母さんどんだけ夏好きなんだよって思って」

夏美は笑ってそう答えた。

俺と桜井さんも「たしかにね」と顔を見合わせ軽く微笑んだ。





桜井さんと別れた後、沖縄へは明日行くことにして、俺たちはビジネスホテルへ行った。もちろん別々の部屋をとって。

ホテルのロビーで寝るまでの時間を2人で話しながらつぶそうということになった。


「俺さ、家に帰ったら小説書いてみようと思うんだよね」と俺は切り出した。

「え、そうなの?」と驚く夏美に俺は続ける

「俺昔小説家目指しててさ。けど高校上がったころに俺じゃあ無理だってあきらめて、見て見ぬふりしていたんだよ。けど、夏美を見て、なんか俺も頑張ろうかなって…」

「良いじゃん。なれるよ、陽なら」夏美はそう言ってくれた。

「ありがとう」と俺が答える前に


「ありがとうね」と夏美の方が急にお礼を言ってきた。


「いろいろと…それにこんなところまで来てくれて」と続ける夏美に「まだ、お母さんに会えるまで終わりじゃないよ」と俺は答えた。

「そうだね。お母さん会ってくれるかな…私のこと覚えているかな…」と夏美。

「覚えているし、会ってくれるよ、きっと」俺はそう言って持っていた飲み物を流し込んだ。

「ありがとう」そう言うと夏美もカバンから飲み物を取り出した。

「またココナッツジュースかよ!!!」俺は思わずツッコミをいれた。

「うん。ココナッツじゃなくて『ココナツ』ジュースね」と夏美は言い、それを流し込んだ。

「本当好きだよね、それ」と俺が呆れると

「うん、好きな物には一途なの私。…人にもね!」と言い俺をじっと見た。

俺は飲み物を吹き出しそうになり軽く咳き込むと、

「…じゃあ明日もあるし、もう部屋戻るわ!おやすみ!」と言い慌てて部屋へ戻った。

背中越しに夏美が笑いながら「おやすみ~!」と言うのが聞こえた。








翌日俺たちはさっそく沖縄へ向かった。大阪空港から約2時間かけて那覇へ着いた。

「あちっ!」と二人同時につぶやく。

さっそく桜井さんが教えてくれた場所へ向かう。

道中「シーサーだ!シーサー!」「台風?ハリケーン?だっけ。来たら怖いね!飛ばされちゃう!」と

やたらテンション高く話していた夏美であったが、いざ教えられた住所に近づいていくと徐々に口数は減っていった。


そうして到着した場所は小さなアパートだった。


夏美が息をのむのが聞こえた。

顔を見ると、今にも泣きだしそうな、不安そうな、今まで見たことのない表情を見せていた。


俺は無意識に夏美の手を握った。そして

「大丈夫。俺もいるから。一緒に行こう」と言った。

夏美は驚いた顔をしていたがそれを聞くと大きく頷いた。




玄関のチャイムを押す。

夏美の手は震えていた。俺はぎゅっとその手を強く握った。


ガチャッとドアが開き、女性が出てきた。


一瞬怪訝そうに俺たちを見たが、夏美の顔を見て

「……夏美?」とかすれるような声で聞いてきた。

夏美が小さく頷くと母親は数秒固まった後、両目から大粒の涙を流し

そして夏美を抱きしめた。

抱きしめられた夏美は恐る恐る母親の背中に手を回し、そして号泣した。




一通り泣いた後、夏美の母親は涙ながらに自分の今までの心情をぽつり、ぽつりと話し始めた。

今までずっと夏美を施設に預けたことを悔いていたこと、

夏美にずっと会いたかったこと、

精神病が回復してからはすぐにでも会いに行こうと思ったが、自分に夏美と会う資格があるのかどうかずっと悩み続けていたこと。



夏美はそれらを泣きながら「うん、うん」と母親の目を見て聞いていた。

母親は一通り話し終えると首から下げていた、年季の入ったペンダントの蓋をそっと開けた。

そこには赤ん坊、おそらく小さい頃の夏美であろう子が写っていた。

それを夏美に見せ、母親は夏美に力強く言った。


「ひと時も、ひと時もあなたを忘れたことなんてない。そしていつも思っていたわ。愛しているわ、夏美。」


夏美にそれ以上の言葉はいらなかった。夏美は再び号泣し母親を強く抱き返していた。







夏美は結局そのまま母親宅に泊まり、俺は家へ帰ることにした。夏美と母親は帰ろうとする俺を止めてくれたが、
バイトがあると嘘をついて俺は帰った。

本当に良かった。

俺は心の底からそう思い、帰りの飛行機に乗った。








夏美からはその数日後に連絡があり、「このままお母さんと沖縄で暮らす」とのことであった。

学校はもともとさぼり気味だったこともあり、退学し、沖縄で働きながら漫画家を目指すと言っていた。

俺は「頑張れよ!応援してる。俺も頑張るわ」と返した。俺はスマホを置くと、

先日残りのバイト代をはたいて思い切って購入したノートパソコンの電源を入れた。








「あち…」

外へ出ると思わず声が漏れた。真夏の太陽が容赦なく照り付け、蝉がやかましく鳴いていた。


夏美と沖縄へ行ったあの日から1年が経とうとしていた。

あの後もしばらく連絡をとりあっていたが、お互い忙しくなり、徐々に夏美とは疎遠になってしまっていた。



俺は今もフリーターを続けている。しかし、一つだけ変わったことがある。

小説家という夢を追いかけ始めている。パソコンで小説をうち、それを投稿しては落選することを繰り返している。

成果は出ていないが、夢を追うことはとても楽しかった。



母に対する態度も改めた。しっかりと話す時間も作り、俺は自分の夢を打ち明けた。母は「自分で決めたのなら、頑張りなさい。」と笑顔で答えてくれた。

それからバイトがない日は家事も少し手伝うようになった。今日もテーブルに少し焦げたチャーハンを母に作って置いてきた。




俺は何となくスマホでweb漫画を見ながら売店へ足を運んだ。

ふと、新作漫画が目に入る。『ナツと太陽』というタイトルであった。


読んでみると主人公の『ナツ』という女子が人格を持った太陽を操り、敵を倒していく能力者バトル漫画であった。

なかなか面白く、読み進めていると主人公が飲み物を飲む描写が出てきて俺は手を止めた。



主人公ナツは作中で『やっぱ‘’ココナツ‘’ジュースは美味しいな!」と言っていた。



俺は思わず笑ってしまった。まだそれ、言い張るのかよ。





売店へ着いた俺は何となくココナッツジュースを手に取り、飲んでみた。



「…まっじぃ」


俺は苦笑いした。



さて、俺も頑張らなきゃな。


ココナッツジュースを持った俺は帰宅すると、パソコンに向かった。

次の小説は何にしようかな…と頭を抱えたが、何も浮かんでこなかった。仕方なく飲みかけのココナッツジュースを強引に喉へ流しこんだ。




ふと、俺はあることを思い出していた。


それは一緒に遊んでいるときにふと夏美が言った言葉であった。

「あきらの字って『ひ』とも読むよね。」

「そうだね」俺は何気なく答えると夏美はこう続けた。

「『ひ』と夏で、しかも始めて会ったのも夏じゃん。うちらどんだけ夏好きなんだよってね!」






昔を思い出しながら俺は今飲み干したココナッツジュースを眺めた。


「よし」


俺はパソコンに小説のタイトルを打ち込んだ。





『ひと夏のココナッツジュース』





タイトルを見返した俺はその後小さく笑って、




小文字の『ッ』だけ消した。




































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