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20・前向きに検討します
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これでも古田社長に提案した案は、午前中に高山課長や竹村係長としっかり議論して出した結論なのだ。フルティアーズ様を優遇することで、当社は展示設営などの費用的にも負担が大きくなるから、副社長にも話を通しておいた。フルティアーズ様はお得意様でもあるし、その導入実績の影響力はかなり大きい。その後、芋づる式にフルティアーズと付き合いのある会社数社からも引き合いが入り、成約に結びついた。うちとしては、多少身を削ってでも誠意を見せたい相手なのだ。だけど古田社長は……。
こうなったら、相手の希望を聞くしかない。何もかもは受け入れられないけれど、意向を尋ねる価値はあると思う。
「そうですか。恐れ入りますが、古田社長はどのような形をご希望ですか? あいにく弊社は機械メーカーでして、恥ずかしながらアパレル製品の展示方法について、あまり多くのノウハウを持っておりません。アイデアをちょうだいできましたら幸いです」
「ノウハウも何もそんな難しいこと考えなくていいわ。ただ、生身の人間に着て欲しい。それだけよ。服って、人間が着るためにあるでしょう? 人間が着てこそ、その服に命が宿るの」
「それは、もう少し具体的に言いますと……」
「ファッションショー形式、もしくはモデルがうちの商品を来て会場内をウォーキングするかのどちらかね。トルソーに着せるだけじゃ、うちの服は死んでるも同然よ。それに、イベントって本来華やかなものだもの。これぐらいやらなきゃ盛り上がらないわよ?」
そう言えば、私はあまり『イベント』というものを知らない。ボッチ故に、そのような楽しい場に出かけることもないし、前回の周年行事は私の入社前だったのでどんな雰囲気だったのかも知らない。そんな私が、果たして『周年行事』を『イベント』までレベルアップさせることができるのだろうか。
もちろん、運営事務局は私だけでは無い。だから私だけが妙にイベント全体に対して責任感を持ちすぎるのも傲慢だろうし、同時に下っ端社員ががんばってできることなんて少ないことも分かっている。でも、私はこの機会に高山課長が昨夜言った通り、良い意味で別人になりたいのだ。この際他力本願は止めて、自分から行動し、何か結果を残したい。
私は竹村係長に目配せした。竹村係長は、続けざまに軽く頷く。許可は取れた。
「ご意見ありがとうございます。承知いたしました。一度社に戻って、前向きに検討させていただきます」
前向きにという言い方は、遠まわしにお断りする際にも使う常套句。だけど、私の精一杯の目力で古田社長に私の意気込みが伝わることを強く祈る。
「ありがとう。返事、楽しみに待ってます」
古田社長が笑顔になった。一瞬、実家の母親を思い出した。
帰り道は国道の渋滞に巻き込まれて、会社に戻ったのは定時十分前だった。道すがら、竹村係長とは古田社長の要望に対する解決案を議論済み。予算や会場スペースを鑑みると、ファッションショーは見送って、会場内をモデルさんに闊歩してもらう案を採用することにした。これを高山課長に報告して承認をもらった後、メキシコへ出張してしまった橋本部長へ同じ内容のメールを送る。これらが終わった頃には、既に七時になっていた。社内のイントラネットで役員スケジュールを確認したところ、副社長は会議で外出中なので、報告は明日にまわすことにしよう。
席に座ったまま思いっきり伸びをすると、隣の席から声がかかった。
「お疲れ様でした」
森さんが、珍しくこの時間まで残ってくれている。白岡さんから今回の事を聞いて、心配してくれていたらしい。
「お得意先の社長さんが相手だったんですよね?! 私だったらそんな緊張する仕事なんて、絶対逃げちゃいます」
私はこの後もう少し残業する予定だったので、机の引き出しに備蓄している栄養補助食品を取り出して頬張った。腹が減っては戦はできぬという奴である。
「逃げちゃ駄目でしょ。社会人失格だし、女が廃る」
「のりちゃん先輩が女を語るなんて……!」
相変わらず失礼な後輩だ。でも、私が外出している間、他部署から依頼のあったカタログの出庫管理をして、会社の代表アドレスに届いたメールも捌いてくれていたので大助かりだった。
「森さんもお疲れ様」
私は、彼女にもチーズ味の栄養補助食品を手渡した。
「本当に大変だったんですよ? のりちゃん先輩がいないとすぐに質問できないし、すっごく心細かったんですからぁ」
早速開封して口に運ぶ森さん。だけど、すぐに動きが止まってしまった。
「これ、あまり美味しくないです」
何だと? 私は平日、ほぼ毎日これを食べているんだぞ?
「のりちゃん先輩、そろそろ炊飯器持ち込んだ方がいいかもしれませんね」
「森さんもその伝説、知ってるんだね。そうだなぁ。年が明けたら本当に持ってくるかも」
私達は二人でクスクス笑いあった。イベントに向けた準備をざっと頭の中でおさらいすると、あながちこれが冗談で済まされないと思うだけに失笑気味である。ともかく、森さんとは少し打ち解けた気がして嬉しかった。
そこへやってきたのは竹村係長。その後ろには高山課長の姿もある。
「紀川、今夜空いてる? 今から高山課長と飲みにいくんだけど」
「空いてますけど行きません」
隣で森さんが「私も行ってお手伝いしますので、今夜こそキメてください!」と囁いているけれど、無視。上司が帰るなら、私も帰る。夜食を食べてしまったけれど、たまには私も早く帰りたいもの。
「それより、高山課長? 例の件、もしかしてまだ社長に話してくださっていないんですか?」
瞬時に高山課長の表情が石になった。叩いたら割れそうなぐらいの固まり様。
「紀川さん、今夜は僕が奢るから、そのことはやっぱり無かったことに……」
もごもご言い始めた高山課長は、竹村係長に引きずられるようにして二階フロアから立ち去った。きっとこの後は近所の飲み屋に入って、竹村係長から「せめて年始にはお願いしますね?」とか言われるハメになるのだろう。ご愁傷さまでございます。
こうして、比較的平和に今年が終わろうとしていた。まさかこの後、人生初の賑やかな正月が待っているとも知らずに、その日も私は掃除をせずにぐうたらと小百合と家飲みをして寝たのだった。
こうなったら、相手の希望を聞くしかない。何もかもは受け入れられないけれど、意向を尋ねる価値はあると思う。
「そうですか。恐れ入りますが、古田社長はどのような形をご希望ですか? あいにく弊社は機械メーカーでして、恥ずかしながらアパレル製品の展示方法について、あまり多くのノウハウを持っておりません。アイデアをちょうだいできましたら幸いです」
「ノウハウも何もそんな難しいこと考えなくていいわ。ただ、生身の人間に着て欲しい。それだけよ。服って、人間が着るためにあるでしょう? 人間が着てこそ、その服に命が宿るの」
「それは、もう少し具体的に言いますと……」
「ファッションショー形式、もしくはモデルがうちの商品を来て会場内をウォーキングするかのどちらかね。トルソーに着せるだけじゃ、うちの服は死んでるも同然よ。それに、イベントって本来華やかなものだもの。これぐらいやらなきゃ盛り上がらないわよ?」
そう言えば、私はあまり『イベント』というものを知らない。ボッチ故に、そのような楽しい場に出かけることもないし、前回の周年行事は私の入社前だったのでどんな雰囲気だったのかも知らない。そんな私が、果たして『周年行事』を『イベント』までレベルアップさせることができるのだろうか。
もちろん、運営事務局は私だけでは無い。だから私だけが妙にイベント全体に対して責任感を持ちすぎるのも傲慢だろうし、同時に下っ端社員ががんばってできることなんて少ないことも分かっている。でも、私はこの機会に高山課長が昨夜言った通り、良い意味で別人になりたいのだ。この際他力本願は止めて、自分から行動し、何か結果を残したい。
私は竹村係長に目配せした。竹村係長は、続けざまに軽く頷く。許可は取れた。
「ご意見ありがとうございます。承知いたしました。一度社に戻って、前向きに検討させていただきます」
前向きにという言い方は、遠まわしにお断りする際にも使う常套句。だけど、私の精一杯の目力で古田社長に私の意気込みが伝わることを強く祈る。
「ありがとう。返事、楽しみに待ってます」
古田社長が笑顔になった。一瞬、実家の母親を思い出した。
帰り道は国道の渋滞に巻き込まれて、会社に戻ったのは定時十分前だった。道すがら、竹村係長とは古田社長の要望に対する解決案を議論済み。予算や会場スペースを鑑みると、ファッションショーは見送って、会場内をモデルさんに闊歩してもらう案を採用することにした。これを高山課長に報告して承認をもらった後、メキシコへ出張してしまった橋本部長へ同じ内容のメールを送る。これらが終わった頃には、既に七時になっていた。社内のイントラネットで役員スケジュールを確認したところ、副社長は会議で外出中なので、報告は明日にまわすことにしよう。
席に座ったまま思いっきり伸びをすると、隣の席から声がかかった。
「お疲れ様でした」
森さんが、珍しくこの時間まで残ってくれている。白岡さんから今回の事を聞いて、心配してくれていたらしい。
「お得意先の社長さんが相手だったんですよね?! 私だったらそんな緊張する仕事なんて、絶対逃げちゃいます」
私はこの後もう少し残業する予定だったので、机の引き出しに備蓄している栄養補助食品を取り出して頬張った。腹が減っては戦はできぬという奴である。
「逃げちゃ駄目でしょ。社会人失格だし、女が廃る」
「のりちゃん先輩が女を語るなんて……!」
相変わらず失礼な後輩だ。でも、私が外出している間、他部署から依頼のあったカタログの出庫管理をして、会社の代表アドレスに届いたメールも捌いてくれていたので大助かりだった。
「森さんもお疲れ様」
私は、彼女にもチーズ味の栄養補助食品を手渡した。
「本当に大変だったんですよ? のりちゃん先輩がいないとすぐに質問できないし、すっごく心細かったんですからぁ」
早速開封して口に運ぶ森さん。だけど、すぐに動きが止まってしまった。
「これ、あまり美味しくないです」
何だと? 私は平日、ほぼ毎日これを食べているんだぞ?
「のりちゃん先輩、そろそろ炊飯器持ち込んだ方がいいかもしれませんね」
「森さんもその伝説、知ってるんだね。そうだなぁ。年が明けたら本当に持ってくるかも」
私達は二人でクスクス笑いあった。イベントに向けた準備をざっと頭の中でおさらいすると、あながちこれが冗談で済まされないと思うだけに失笑気味である。ともかく、森さんとは少し打ち解けた気がして嬉しかった。
そこへやってきたのは竹村係長。その後ろには高山課長の姿もある。
「紀川、今夜空いてる? 今から高山課長と飲みにいくんだけど」
「空いてますけど行きません」
隣で森さんが「私も行ってお手伝いしますので、今夜こそキメてください!」と囁いているけれど、無視。上司が帰るなら、私も帰る。夜食を食べてしまったけれど、たまには私も早く帰りたいもの。
「それより、高山課長? 例の件、もしかしてまだ社長に話してくださっていないんですか?」
瞬時に高山課長の表情が石になった。叩いたら割れそうなぐらいの固まり様。
「紀川さん、今夜は僕が奢るから、そのことはやっぱり無かったことに……」
もごもご言い始めた高山課長は、竹村係長に引きずられるようにして二階フロアから立ち去った。きっとこの後は近所の飲み屋に入って、竹村係長から「せめて年始にはお願いしますね?」とか言われるハメになるのだろう。ご愁傷さまでございます。
こうして、比較的平和に今年が終わろうとしていた。まさかこの後、人生初の賑やかな正月が待っているとも知らずに、その日も私は掃除をせずにぐうたらと小百合と家飲みをして寝たのだった。
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