19 / 61
19・もっと面白いこと
しおりを挟む
結局家に帰りついたのは十時過ぎ。エアコンをつけると頭に角を生やした小百合が現れた。美人が怒ると本当に怖い。お詫びに、また一晩中エアコンをつけっぱなしにするよう約束させられ、私は乾燥対策の一環で洗濯物を部屋干しし、マスクをつけて就寝した。また小説が読めるとか、RPGのゲームもしようかなどと小百合は大騒ぎしていたので、眠りは浅かった気がする。
翌朝、橋本部長と話をするためにいつもより三本早い電車に乗った。会社の最寄り駅から歩いていると、見慣れた後ろ姿を発見。
「竹村係長、おはようございます」
「おはよう。早いな」
「昨夜の件がありますし」
「そうだな」
「竹村係長、毎日歩きなんですか?」
「うん。うち、あそこの高層マンション」
振り返ると、シックなブラウンの壁の軽く十五階以上はありそうな建物が見えた。この辺りでは最も高い建物で、いずれは私もあんなところに引っ越してみたいと考えていた場所でもある。まさか、竹村係長が住んでいたなんて……! うっかり引っ越す前で良かった。上司と同じマンションに住むなんて勘弁。
「会社に近くて良い立地ですね」
とりあえず無難な事を言っておく。
「終電逃した時はおいで」
『終電逃す』イコール『帰れない』。『おいで』イコール『泊まり』……?! もう嫌だ、朝からこの人何言ってんの?!
「こらこら、朝からそんなにがっつくなよ。紀川が真っ赤になってるぞ」
後ろからやってきたのは高山課長だ。この人、案外いつもタイミングがいいな。竹村係長は「おはようございます」と高山課長に挨拶したものの、フンと鼻を鳴らして早歩きを始めた。姿勢が良く見えるように、気合を入れて7センチヒールを履いてきた私には追いつけるはずもなく。
職場に着くと、橋本部長は既に席にいた。まだ始業一時間前なのに、すごい。外回りが多い方なので、早朝の人気が少なく集中しやすい時間帯にメール処理や書類決済をこなしているのかもしれない。
「橋本部長、おはようございます」
「あ、紀川さん。聞いたかい?」
「はい。新田くんから伺いましたが、もう少し詳しくお話を聞かせてください」
下っ端社員の私は、なんで私に仕事擦り付けるんだなどと不満は言わない。この件は竹村係長のサポートの下、私がちゃんと対応すると決めたのだ。営業部長でも収集できない案件をまとめるっていうのもカッコイイでしょ? 一晩かけて、そう考えることにしたのだ。
橋本部長は、声のトーンを落として話し始めた。
「実はな……」
外出したのは、その日の午後だった。竹村係長が運転する社用車に乗って(私は免許を持っていない)、向かった先は隣の市にあるオフィス街。何の足しにもならないかもしれないけれど、梅蜜機械のロゴが入ったお煎餅を一箱、お土産として持ってきた。手土産が入った紙袋の持ち手が私の手汗で駄目になりそうなぐらい緊張感が募っている。
事前に電話連絡を入れてアポはとっていた。フルティアーズ本社は大きなビルの八階に入っている。まずは受付に向かって名刺を出し、用件を述べるとすぐにエレベーターへ誘導された。そしてやってきたのは十階の応接室。大きな窓からは都会の風景が一望できる。ビルの谷間の彼方、キラキラ光っているのは海かもしれない。でも、古田社長を待つこの時間、景色をゆっくり楽しめる程の余裕は無い。隣を見ると、竹村係長も固く口を結んでいた。
それから十分後。
「お待たせしました。古田です」
颯爽とした足取りで現れたのは、モデル体型の女性。背が高くて、私の胸元あたりから脚が生えている気がする。おそらく、本当はそれなりにお年を召しているのだろうが、見た目年齢は三十代前半といったところ。ウエストを太めのベルトで締めた赤いコクーンシルエットのスカートが印象的だ。
おどおどしながらも、竹村係長に続いて名乗り、名刺を交換する。古田社長の表情に怒りはあまり感じられないが、好戦的な態度に見受けられた。一応、橋本部長から事情を聞いて本件解決に向けた案を考えてきたのだが、うまく話ができるだろうか。
「今日は春夏コレクションの展示会やっているのよ。できればさっさと済ませてちょうだい」
古田社長は時計ばかりを気にしている。私は早速具体的な話を始めることにした。
「お忙しい中お時間をいただきありがとうございます。まずは、今回の問題について確認させてください。当初は、ご提供いただくデザインのワンピースを製造デモンストレーションで例として取り上げさせていただくだけの予定でしたが、それではフルティアーズ様のメリットがあまりに少ないということですよね」
橋本部長が私を名指しした理由はここにある。高山課長と竹村係長が副社長にプレゼンした企画書のベースは、私がほとんどを作り上げた。橋本部長は新田くん経由でそれを知っていたのだ。古田社長の期待に応えるには、イベントの内容自体に一部見直しが入ることは必至。だから元のアイデア提供者である私が責任を取るためにも派遣されてしまったのだ。
「メリットというか、馬鹿にしてるの?と言いたいわ。切って、縫って完成。それだけでしょ? 完成したうちのワンピースはほぼ出番が無いじゃないの」
「ごもっともです。せっかく弊社のイベントに古田社長の素晴らしいデザインをご提供いただくのに、こんな基本的なことも見逃しておりまして大変申し訳ございませんでした。弊社としましては、デモンストレーションするワンピースの他にも、フルティアーズ様のコレクションを展示するエリアを設けたいと考えております。当日は他のアパレルメーカーや縫製工場からもお客様がみえますし、会場となる市民ホールは貸し切ることにしましたので、一般消費者の目に留まるホール外側の位置にディスプレイすることも可能です」
さらに言えば、今回のお詫びとしてフルティアーズ様のちらしも『自由にお取りください』形式で設置許可を出そうかと思っている。
古田社長は少し考える素振りをしたけれど、すぐにキッと眉を吊り上げた。
「杓子定規な橋本くんよりは及第点いってるわ。でもね、そちらがやろうとしているのは所謂『イベント』なのよ? それに、服っていうものは、本来トルソーに着せた状態だけでは魅力が存分に伝わらないのよ。もっと何か面白いことを考えなさいな」
面白いこと?!
そんな謎かけをされても、緊張のあまり私の頭はフリーズしかけている。竹村係長は私に任せっきりで助けてくれないし、どうしよう。
翌朝、橋本部長と話をするためにいつもより三本早い電車に乗った。会社の最寄り駅から歩いていると、見慣れた後ろ姿を発見。
「竹村係長、おはようございます」
「おはよう。早いな」
「昨夜の件がありますし」
「そうだな」
「竹村係長、毎日歩きなんですか?」
「うん。うち、あそこの高層マンション」
振り返ると、シックなブラウンの壁の軽く十五階以上はありそうな建物が見えた。この辺りでは最も高い建物で、いずれは私もあんなところに引っ越してみたいと考えていた場所でもある。まさか、竹村係長が住んでいたなんて……! うっかり引っ越す前で良かった。上司と同じマンションに住むなんて勘弁。
「会社に近くて良い立地ですね」
とりあえず無難な事を言っておく。
「終電逃した時はおいで」
『終電逃す』イコール『帰れない』。『おいで』イコール『泊まり』……?! もう嫌だ、朝からこの人何言ってんの?!
「こらこら、朝からそんなにがっつくなよ。紀川が真っ赤になってるぞ」
後ろからやってきたのは高山課長だ。この人、案外いつもタイミングがいいな。竹村係長は「おはようございます」と高山課長に挨拶したものの、フンと鼻を鳴らして早歩きを始めた。姿勢が良く見えるように、気合を入れて7センチヒールを履いてきた私には追いつけるはずもなく。
職場に着くと、橋本部長は既に席にいた。まだ始業一時間前なのに、すごい。外回りが多い方なので、早朝の人気が少なく集中しやすい時間帯にメール処理や書類決済をこなしているのかもしれない。
「橋本部長、おはようございます」
「あ、紀川さん。聞いたかい?」
「はい。新田くんから伺いましたが、もう少し詳しくお話を聞かせてください」
下っ端社員の私は、なんで私に仕事擦り付けるんだなどと不満は言わない。この件は竹村係長のサポートの下、私がちゃんと対応すると決めたのだ。営業部長でも収集できない案件をまとめるっていうのもカッコイイでしょ? 一晩かけて、そう考えることにしたのだ。
橋本部長は、声のトーンを落として話し始めた。
「実はな……」
外出したのは、その日の午後だった。竹村係長が運転する社用車に乗って(私は免許を持っていない)、向かった先は隣の市にあるオフィス街。何の足しにもならないかもしれないけれど、梅蜜機械のロゴが入ったお煎餅を一箱、お土産として持ってきた。手土産が入った紙袋の持ち手が私の手汗で駄目になりそうなぐらい緊張感が募っている。
事前に電話連絡を入れてアポはとっていた。フルティアーズ本社は大きなビルの八階に入っている。まずは受付に向かって名刺を出し、用件を述べるとすぐにエレベーターへ誘導された。そしてやってきたのは十階の応接室。大きな窓からは都会の風景が一望できる。ビルの谷間の彼方、キラキラ光っているのは海かもしれない。でも、古田社長を待つこの時間、景色をゆっくり楽しめる程の余裕は無い。隣を見ると、竹村係長も固く口を結んでいた。
それから十分後。
「お待たせしました。古田です」
颯爽とした足取りで現れたのは、モデル体型の女性。背が高くて、私の胸元あたりから脚が生えている気がする。おそらく、本当はそれなりにお年を召しているのだろうが、見た目年齢は三十代前半といったところ。ウエストを太めのベルトで締めた赤いコクーンシルエットのスカートが印象的だ。
おどおどしながらも、竹村係長に続いて名乗り、名刺を交換する。古田社長の表情に怒りはあまり感じられないが、好戦的な態度に見受けられた。一応、橋本部長から事情を聞いて本件解決に向けた案を考えてきたのだが、うまく話ができるだろうか。
「今日は春夏コレクションの展示会やっているのよ。できればさっさと済ませてちょうだい」
古田社長は時計ばかりを気にしている。私は早速具体的な話を始めることにした。
「お忙しい中お時間をいただきありがとうございます。まずは、今回の問題について確認させてください。当初は、ご提供いただくデザインのワンピースを製造デモンストレーションで例として取り上げさせていただくだけの予定でしたが、それではフルティアーズ様のメリットがあまりに少ないということですよね」
橋本部長が私を名指しした理由はここにある。高山課長と竹村係長が副社長にプレゼンした企画書のベースは、私がほとんどを作り上げた。橋本部長は新田くん経由でそれを知っていたのだ。古田社長の期待に応えるには、イベントの内容自体に一部見直しが入ることは必至。だから元のアイデア提供者である私が責任を取るためにも派遣されてしまったのだ。
「メリットというか、馬鹿にしてるの?と言いたいわ。切って、縫って完成。それだけでしょ? 完成したうちのワンピースはほぼ出番が無いじゃないの」
「ごもっともです。せっかく弊社のイベントに古田社長の素晴らしいデザインをご提供いただくのに、こんな基本的なことも見逃しておりまして大変申し訳ございませんでした。弊社としましては、デモンストレーションするワンピースの他にも、フルティアーズ様のコレクションを展示するエリアを設けたいと考えております。当日は他のアパレルメーカーや縫製工場からもお客様がみえますし、会場となる市民ホールは貸し切ることにしましたので、一般消費者の目に留まるホール外側の位置にディスプレイすることも可能です」
さらに言えば、今回のお詫びとしてフルティアーズ様のちらしも『自由にお取りください』形式で設置許可を出そうかと思っている。
古田社長は少し考える素振りをしたけれど、すぐにキッと眉を吊り上げた。
「杓子定規な橋本くんよりは及第点いってるわ。でもね、そちらがやろうとしているのは所謂『イベント』なのよ? それに、服っていうものは、本来トルソーに着せた状態だけでは魅力が存分に伝わらないのよ。もっと何か面白いことを考えなさいな」
面白いこと?!
そんな謎かけをされても、緊張のあまり私の頭はフリーズしかけている。竹村係長は私に任せっきりで助けてくれないし、どうしよう。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
〈銀龍の愛し子〉は盲目王子を王座へ導く
山河 枝
キャラ文芸
【簡単あらすじ】周りから忌み嫌われる下女が、不遇な王子に力を与え、彼を王にする。
★シリアス8:コミカル2
【詳細あらすじ】
50人もの侍女をクビにしてきた第三王子、雪晴。
次の侍女に任じられたのは、異能を隠して王城で働く洗濯女、水奈だった。
鱗があるために疎まれている水奈だが、盲目の雪晴のそばでは安心して過ごせるように。
みじめな生活を送る雪晴も、献身的な水奈に好意を抱く。
惹かれ合う日々の中、実は〈銀龍の愛し子〉である水奈が、雪晴の力を覚醒させていく。「王家の恥」と見下される雪晴を、王座へと導いていく。
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
☘ 累計ポイント/ 180万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる