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18・乾杯は缶コーヒーで
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今のところ周年行事の内容はこのように決まっている。
まず、会場は会社近くにある市民ホール。体育館並に広い部屋があるので、時々地元の物産展や小さな商談会も行われている場所だ。ホールは半分に区切っておいて、片方は展示場、半分は式典とパーティーの会場となる。展示場では、各社の機械を生産フローに合わせて並べ、当日はCADによる型紙作成、裁断、縫製、できればワンポイントの刺繍までを一気通貫でご披露することになっている。各機械に関する会社様は、それぞれの出展機裏にミニブースを設けておき、当社社員から声がかかれば自社製品の営業も可能だ。この一連のデモンストレーションで行うのは、ワンピースの制作工程。おそらく近所のホテルのシェフを呼び寄せて振る舞うディナーよりも、お客様にとってはこちらのデモンストレーションの方がメインディッシュとなる予定である。
「で、その目玉となるワンピースデザインの提供を取りやめたいと? で、ついでに周年行事にもご参加いただけないと?」
やはり、有名なデザイナーや大手企業の列席を賜ると、周年行事は格が上がる。デザイン提供だけでなく、お越しになるのも取りやめるとは辛すぎる。
「新田くん、正直に言って? あなた、何をやらかしたの?」
「いや、僕じゃなくて部長がちょっと……それで、経営企画の紀川さんに何とかしてもらえって……」
犯人は橋本部長か……! 他部署の社歴も浅い女子社員に何とかしろだと?! 隣には、険しい顔で竹村係長が立っていた。
「僕への当てつけかな」
「どういう意味ですか? 竹村係長、橋本部長と喧嘩でも?」
「いや、あのな、面と向かってやりあったわけじゃない。ただ、周年行事で協力してもらう会社のアレンジを当初は営業に頼んでいたんだ。そしたら、それは経営企画の仕事だと言われて僕が動き始めたんだけど、いざ話が進み始めたら『なぜ営業を通さない?!』って怒ってるらしくって」
「何その矛盾? 肝がちっちゃいというか……」
思わず本音が出てしまう。面倒な仕事を押し付けあってみたものの、プライドや体面も維持したいしで難しいところなのだろう。だからって、自分の失敗の尻拭いを押し付けてくるなんて有り得ない。
「たぶん紀川が選ばれたのは、僕のこと以外にも何か意図はあると思う。明日、橋本部長が出勤されたら詳細を確認しよう。先方へお訪ねする時は一緒に行くし」
そりゃそうです。一人で行ってこいなんて言われた日には、私、この会社を辞めますから!ま……私も生活があるので辞められませんけど。
不貞腐れて俯いていると、急に頬が熱くなった。
「お疲れ様」
差し出されたのは缶コーヒー。白岡さんは、空いている森さんの席から回転椅子を引っ張り出すと、そこに座って自分の缶コーヒーのタブを開けた。ふわっと広がる芳しい香り。脳に直接働きかけるようなそれを吸い込むと、すっと視界が冴え渡って冷静さを取り戻させてくれる。
「ありがとうございます」
白岡さんに笑顔を向けると、白岡さんも少し疲れを溜めた笑顔を返してくれた。外見は怪しい人かもしれないけれど、見慣れると十分に癒し効果があるから不思議。
「おい、僕達のは無いのか?」
「レディーにしか奢らない主義なんで」
白岡さんにサラリと交わされてしまった竹村係長は、食堂近くにある自販機へ行って来るといって去っていった。高山課長が、「僕の分も!」などと調子の良いことを叫んでいる。
「白岡さん、どうしましょう……」
どうしようもない時って、どうしようと言うしかなす術が無い。こんなことを言われたら私の知る大抵の男性は、面倒くさい女というレッテルを貼り、実現不可能な具体的な方策について端的に述べて去っていくか、聞かなかったフリをする。でも白岡さんは違った。
「とりあえず、ちょっと話しよう? すごく不安そうな顔してる」
「そりゃぁ不安ですよ。もう、何もかもが不安です。もちろん、森さんの教育がこれから忙しくなる中でちゃんとやっていけるかどうかも不安ですけど、何より周年行事が……」
「たぶん、周年行事っていう言い方が不味いんじゃないかな? ほら、例えば『イベント』って呼んでみるとか。祭りでもいいかもね。ちょっと楽しそうな感じになってきたでしょ?」
そこへ、高山課長も話に割り込んできた。
「イベント。いいじゃないか! これからはイベントと呼ぼう。言霊じゃないが、やはり呼称というのは大事だよ。気難しくて堅苦しい社内行事が、一気に華やかなイメージになったな」
確かにそうかもしれない。でも、『イベント』になったところで実施内容は変わらないし、現在準備がうまく進んでいないのは事実だ。
「ですけど、これだけイベントに向けてがんばったところで、本当に会社のタメになるんでしょうか? お金もたくさんかかりますし。そもそも、うちの会社って今後大丈夫なのかなって最近心配なんです」
先日の展示会参加がきっかけだった。竹村係長に感化されて、私なりに今後どうしていきたいのかなどを考えた時、どうしても会社の先行きについて悩んでしまう。
そこで、また高山課長が口を開いた。
「いいか、紀川さん。確かにうちの会社は中途半端だ。トップシェアを誇っているわけでもない。海外メーカーみたいなデカイ機械も製造していない。海外進出も、まだメンテサポート体制が整いきっていないから、拠点も少ない。でも、同じ裁断機メーカーを見渡してみろ。新たな分野への参入は近年始まったばかりだ。当社もちゃんの波に乗って開発は進んでいる。そういう意味では、まだ群雄割拠の状態だぞ? ここで他社よりも一つ前へ進むのは難しい。だけど、面白い。だからこそ、まだがんばれるし、僕達のようなしがない会社員が奮闘して、工夫ができる場があるんじゃないかな?」
「課長、そんなこと考えてらしたんですね」
久々にまともな話が聞けて、私は内心驚いていた。
「最終的にはあらゆる製品が消費者に合わせていく。これからはそういう時代になるんだ。そして、消費者に新しい体験や感動を売る時代でもある。となると、うちのちっちゃな機械は多品種小ロットでクイック生産が必須の現場でもっと活躍できる。これまで父ちゃん母ちゃんでやっていたような業種の手作業もうちの裁断機が取って代わることもできる。みんなで楽して良いもの作って喜んでもらうんだ。どうだ? 梅蜜機械はちゃんと社会に貢献できそうだろ? だから、諦めるな。こういう逆境のような時は試されていると思え。今こそ大きくなるチャンスなんだ。乗り越えた時には、紀川さんもきっと別人だよ」
頭の中の霧が少しずつ晴れ渡っていく。そっか。今の私は春を待つ桜の蕾と同じ。寒い冬を乗り切って、皆を笑顔にするような花を咲かせる準備をしているのだ。でも、桜みたいにすぐに散ってしまったら切ないな。
そんなことを考えていたら、竹村係長がこちらへ戻ってきた。ちゃんと高山課長の分も買ってきているあたり、この人もサラリーマンなんだなとしみじみ感じる。
「紀川、ちょっと落ち着いたみたいだな」
「はい」
「僕がちょっと良い話をしたからだよね?」
その自慢げな顔は止めてください、高山課長。それさえなければ、株が上がったままだったのに。これを聞いた竹村係長は、小さく唸り声を上げた。
「じゃぁ、僕からも一つ。モノというのは、たいてい複数のパーツができている。つまり、モノづくりの中でほぼ必ずどこかに裁断という工程が存在する。だから、裁断機メーカーである僕達は、まだまだ活躍できる分野があるはずなんだ。ちゃんと市場調査しつつ、しっかりと戦略を練ってもっとユーザーニーズに応えられるような製品を開発していけば、会社はより良くなるはず。それを先導するのが、うちの経営企画部の役目だと思う。紀川はそんな大事な部署に所属しているんだから、もっと誇りに思うように!」
「竹村係長先生に質問! でも、3Dプリンターなどの分野がもっと発展すれば、裁断機なんてどんどん使われなくなって、メーカーも淘汰されていきそうですよね?」
「そんなのまだまだ先だろ。全ての素材が全部3Dプリンターで量産できるようになる頃には、僕達はどうせ墓の中だ。とりあえず、今できることをすればいい。無駄口叩かず、明日からもがんばろう!」
竹村係長が自分の缶コーヒーを開けると、白い湯気がふわっと上がった。私のはすっかり冷たくなっている。
「皆、今日もご苦労さん! 明日からもよろしく頼む!」
やはり課長は、どんな場面でも仕切りたいようだ。白岡さんも、中身が軽くなった缶コーヒーを握り直す。
「乾杯!」
誰が告げることもなく集まった皆が円陣を作り、それぞれが握る缶同士がぶつかって、ガチンと庶民的な音を立てた。高く天井に向けてあげた缶を口元へ導いて、乾いた身体に流し込む。
甘い。
冷たい。
でも、いつもより美味しい。
あ、そういえば新田くんのこと、すっかり忘れていた。辺りを見渡すと、フロアの隅っこの方で体育座りしている姿がありました。彼も缶コーヒーの会に誘えば良かったな。
まず、会場は会社近くにある市民ホール。体育館並に広い部屋があるので、時々地元の物産展や小さな商談会も行われている場所だ。ホールは半分に区切っておいて、片方は展示場、半分は式典とパーティーの会場となる。展示場では、各社の機械を生産フローに合わせて並べ、当日はCADによる型紙作成、裁断、縫製、できればワンポイントの刺繍までを一気通貫でご披露することになっている。各機械に関する会社様は、それぞれの出展機裏にミニブースを設けておき、当社社員から声がかかれば自社製品の営業も可能だ。この一連のデモンストレーションで行うのは、ワンピースの制作工程。おそらく近所のホテルのシェフを呼び寄せて振る舞うディナーよりも、お客様にとってはこちらのデモンストレーションの方がメインディッシュとなる予定である。
「で、その目玉となるワンピースデザインの提供を取りやめたいと? で、ついでに周年行事にもご参加いただけないと?」
やはり、有名なデザイナーや大手企業の列席を賜ると、周年行事は格が上がる。デザイン提供だけでなく、お越しになるのも取りやめるとは辛すぎる。
「新田くん、正直に言って? あなた、何をやらかしたの?」
「いや、僕じゃなくて部長がちょっと……それで、経営企画の紀川さんに何とかしてもらえって……」
犯人は橋本部長か……! 他部署の社歴も浅い女子社員に何とかしろだと?! 隣には、険しい顔で竹村係長が立っていた。
「僕への当てつけかな」
「どういう意味ですか? 竹村係長、橋本部長と喧嘩でも?」
「いや、あのな、面と向かってやりあったわけじゃない。ただ、周年行事で協力してもらう会社のアレンジを当初は営業に頼んでいたんだ。そしたら、それは経営企画の仕事だと言われて僕が動き始めたんだけど、いざ話が進み始めたら『なぜ営業を通さない?!』って怒ってるらしくって」
「何その矛盾? 肝がちっちゃいというか……」
思わず本音が出てしまう。面倒な仕事を押し付けあってみたものの、プライドや体面も維持したいしで難しいところなのだろう。だからって、自分の失敗の尻拭いを押し付けてくるなんて有り得ない。
「たぶん紀川が選ばれたのは、僕のこと以外にも何か意図はあると思う。明日、橋本部長が出勤されたら詳細を確認しよう。先方へお訪ねする時は一緒に行くし」
そりゃそうです。一人で行ってこいなんて言われた日には、私、この会社を辞めますから!ま……私も生活があるので辞められませんけど。
不貞腐れて俯いていると、急に頬が熱くなった。
「お疲れ様」
差し出されたのは缶コーヒー。白岡さんは、空いている森さんの席から回転椅子を引っ張り出すと、そこに座って自分の缶コーヒーのタブを開けた。ふわっと広がる芳しい香り。脳に直接働きかけるようなそれを吸い込むと、すっと視界が冴え渡って冷静さを取り戻させてくれる。
「ありがとうございます」
白岡さんに笑顔を向けると、白岡さんも少し疲れを溜めた笑顔を返してくれた。外見は怪しい人かもしれないけれど、見慣れると十分に癒し効果があるから不思議。
「おい、僕達のは無いのか?」
「レディーにしか奢らない主義なんで」
白岡さんにサラリと交わされてしまった竹村係長は、食堂近くにある自販機へ行って来るといって去っていった。高山課長が、「僕の分も!」などと調子の良いことを叫んでいる。
「白岡さん、どうしましょう……」
どうしようもない時って、どうしようと言うしかなす術が無い。こんなことを言われたら私の知る大抵の男性は、面倒くさい女というレッテルを貼り、実現不可能な具体的な方策について端的に述べて去っていくか、聞かなかったフリをする。でも白岡さんは違った。
「とりあえず、ちょっと話しよう? すごく不安そうな顔してる」
「そりゃぁ不安ですよ。もう、何もかもが不安です。もちろん、森さんの教育がこれから忙しくなる中でちゃんとやっていけるかどうかも不安ですけど、何より周年行事が……」
「たぶん、周年行事っていう言い方が不味いんじゃないかな? ほら、例えば『イベント』って呼んでみるとか。祭りでもいいかもね。ちょっと楽しそうな感じになってきたでしょ?」
そこへ、高山課長も話に割り込んできた。
「イベント。いいじゃないか! これからはイベントと呼ぼう。言霊じゃないが、やはり呼称というのは大事だよ。気難しくて堅苦しい社内行事が、一気に華やかなイメージになったな」
確かにそうかもしれない。でも、『イベント』になったところで実施内容は変わらないし、現在準備がうまく進んでいないのは事実だ。
「ですけど、これだけイベントに向けてがんばったところで、本当に会社のタメになるんでしょうか? お金もたくさんかかりますし。そもそも、うちの会社って今後大丈夫なのかなって最近心配なんです」
先日の展示会参加がきっかけだった。竹村係長に感化されて、私なりに今後どうしていきたいのかなどを考えた時、どうしても会社の先行きについて悩んでしまう。
そこで、また高山課長が口を開いた。
「いいか、紀川さん。確かにうちの会社は中途半端だ。トップシェアを誇っているわけでもない。海外メーカーみたいなデカイ機械も製造していない。海外進出も、まだメンテサポート体制が整いきっていないから、拠点も少ない。でも、同じ裁断機メーカーを見渡してみろ。新たな分野への参入は近年始まったばかりだ。当社もちゃんの波に乗って開発は進んでいる。そういう意味では、まだ群雄割拠の状態だぞ? ここで他社よりも一つ前へ進むのは難しい。だけど、面白い。だからこそ、まだがんばれるし、僕達のようなしがない会社員が奮闘して、工夫ができる場があるんじゃないかな?」
「課長、そんなこと考えてらしたんですね」
久々にまともな話が聞けて、私は内心驚いていた。
「最終的にはあらゆる製品が消費者に合わせていく。これからはそういう時代になるんだ。そして、消費者に新しい体験や感動を売る時代でもある。となると、うちのちっちゃな機械は多品種小ロットでクイック生産が必須の現場でもっと活躍できる。これまで父ちゃん母ちゃんでやっていたような業種の手作業もうちの裁断機が取って代わることもできる。みんなで楽して良いもの作って喜んでもらうんだ。どうだ? 梅蜜機械はちゃんと社会に貢献できそうだろ? だから、諦めるな。こういう逆境のような時は試されていると思え。今こそ大きくなるチャンスなんだ。乗り越えた時には、紀川さんもきっと別人だよ」
頭の中の霧が少しずつ晴れ渡っていく。そっか。今の私は春を待つ桜の蕾と同じ。寒い冬を乗り切って、皆を笑顔にするような花を咲かせる準備をしているのだ。でも、桜みたいにすぐに散ってしまったら切ないな。
そんなことを考えていたら、竹村係長がこちらへ戻ってきた。ちゃんと高山課長の分も買ってきているあたり、この人もサラリーマンなんだなとしみじみ感じる。
「紀川、ちょっと落ち着いたみたいだな」
「はい」
「僕がちょっと良い話をしたからだよね?」
その自慢げな顔は止めてください、高山課長。それさえなければ、株が上がったままだったのに。これを聞いた竹村係長は、小さく唸り声を上げた。
「じゃぁ、僕からも一つ。モノというのは、たいてい複数のパーツができている。つまり、モノづくりの中でほぼ必ずどこかに裁断という工程が存在する。だから、裁断機メーカーである僕達は、まだまだ活躍できる分野があるはずなんだ。ちゃんと市場調査しつつ、しっかりと戦略を練ってもっとユーザーニーズに応えられるような製品を開発していけば、会社はより良くなるはず。それを先導するのが、うちの経営企画部の役目だと思う。紀川はそんな大事な部署に所属しているんだから、もっと誇りに思うように!」
「竹村係長先生に質問! でも、3Dプリンターなどの分野がもっと発展すれば、裁断機なんてどんどん使われなくなって、メーカーも淘汰されていきそうですよね?」
「そんなのまだまだ先だろ。全ての素材が全部3Dプリンターで量産できるようになる頃には、僕達はどうせ墓の中だ。とりあえず、今できることをすればいい。無駄口叩かず、明日からもがんばろう!」
竹村係長が自分の缶コーヒーを開けると、白い湯気がふわっと上がった。私のはすっかり冷たくなっている。
「皆、今日もご苦労さん! 明日からもよろしく頼む!」
やはり課長は、どんな場面でも仕切りたいようだ。白岡さんも、中身が軽くなった缶コーヒーを握り直す。
「乾杯!」
誰が告げることもなく集まった皆が円陣を作り、それぞれが握る缶同士がぶつかって、ガチンと庶民的な音を立てた。高く天井に向けてあげた缶を口元へ導いて、乾いた身体に流し込む。
甘い。
冷たい。
でも、いつもより美味しい。
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