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橘 金春

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 棚の後ろに隠れていた黒服は、ライトの光に誘われるように緩慢な動作で前へと進み出た。

 フードを目深に被り、口元はマスクに覆われているため顔は見えない。

 それでも、その場にいた捜査員全員がライトに照らし出されたその姿を見て息をのんだ。

 闇に溶けるような黒づくめの服の左腕に、表面がぬらぬらと光る球状の物体――梅蕙の首を抱えていた。

「そこで止まれ! 動くんじゃないぞ!」

 拳銃の照準を合わせたまま、捜査員の内一人が叫んだが、聞こえていないのか意図的に無視しているのか黒服はじりじりと捜査員たちとの距離を詰めてくる。

「おい! 聞こえてるのか!? 動くなと……」

 先頭にいた捜査員が言い終わらないうちに黒服は梅蕙の首を右手で掴んだ。

 大きく腕を振りかぶると、ボールを投げるかの如く入り口を固める捜査員達めがけて首を投げつけた。

「……うわぁあああッ!?」

 泡を食って捜査員たちが左右に散り、すんでのところで飛んできた生首を避ける。

 首は血をまき散らしながら廊下の床面に落下し、ぐしゃりと嫌な音を立てて転がった。

 廊下に首が落ちるよりも早く黒服は動いた。

 大きく床を蹴ると、態勢を崩した捜査員たちに向かって突進し、囲みを突破して走り去る。

 その動きはさっきまでの鈍い動きからは考えられないほど速かった。

「しまった!」

「待て! 止まれッ!」 

 後列にいた十束が、黒服を追って廊下を走る。

 ――野郎、なんて速さだ!

 全力で走っても距離は引き離されたままだ。せめて後姿を見失わないように死に物狂いで十束は走った。

 廊下を折れたその先で、開いた扉から部屋に飛び込む黒服の後姿を辛うじて目の端で捉えた。

 息を切らしながら、それでも拳銃を抜き、扉の影に隠れて様子を窺う。

 薄暗い部屋の中からは物音ひとつ聞こえてこない。

 入り口は一つだけでここは三階。袋の鼠とはこのことだ。

「先輩っ……ヤツは……?」

 なんとか追いついてきた榊が小声で尋ねる。

「この部屋の中に、いる。……ヤツはすばしこい。応援頼む」

「……了解っす」

 ライトを照射し、改めて二人で部屋の中を見回したが、ガランとした狭い部屋の中にまったく黒服の影はない。

「窓……閉まってるのに……いったいどこに……」

 榊が呟いた直後、一つ先の部屋でガタン、ガシャーンと何かが倒れて割れるような音が響いた。

「俺、見てきます」

「頼む」

 ――内部にドアなんかがあって、隣と通じているのか?

 そう思って壁面を再度照らしてみるも、まっさらな壁面には穴すら開いていない。

 完全な密室。悪魔や魔物の類ではない限り、人一人が忽然と消えるなんてことはあり得ない。

 左右に目を光らせながら部屋の中に入るとライトで床面を再度照らしてみる。

 ――赤

 ポタリと落ちた血の一滴が部屋の床に染みを作っている。

 ――間違いない、ヤツはこの部屋の中にいる。

 確信を持って十束が部屋の中をぐるりと見回したその時、ピシャリ、と左手の甲で何かがはねた。

 生温かい、黒々とした液体が手の甲をつうっと滴って床に落ちた。

「――榊ッ! 奴はこっちだ!」

 咄嗟に叫んだ直後、天井を仰ぐよりも先に何かが十束めがけて落下してきた。

「ぐ、う……!」

 背中に衝撃を受けてその場に崩れ落ちそうになるのを何とか堪えた。

 取り落としたライトが、床を転がり、あらぬ方向を照らし出している。

 十束の背中を踏み台にして床に降り立った黒服はじっとその場に立ちすくんだままだ。

「動くなっ! 動いたら、撃つ」

 拳銃を引き抜いて銃口を向けると同時に黒服が動いた。

 相手は丸腰で体格も小柄だ。

 抑え込んで動きを止める――黒服が振りかぶった手を十束は左腕で受けた。

「――ぐ、ぁああッ!?」

 瞬間、左腕に激痛が走り、十束は黒服の足下に崩れ落ちた。

 引き絞られるような痛みに息が詰まり額から脂汗が吹き出す。

 だらりと垂れ下がった左腕は、指一つ動かすことができなくなっていた。
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