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橘 金春

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バサバサ、と音を立てて抱えていた大判のファイルに挟んでいた資料が床に散らばった。

「ああっしまった……」

床に屈んで片手で紙を拾い集めていると、通りがかりの女子職員が手伝ってくれた。

「すまない、助かったよ」

「いえ、大丈夫ですよ」

にこ、と軽く笑って十束に資料を手渡すとそのまま部屋の外に出て行ってしまった。

――やっぱり片手だと不便だな……。

ギプスで固めてある左手を眺めて、軽くため息を吐いた。

――ユーコは上手くやれただろうか。

人が出払っているせいでガランとした執務室を見回ながら十束は遺体安置室に向かったユーコのことを考えた。

既に時計は午後四時半を回っており、窓からは西日が差している。

夾竹の遺体……首は県警本部の遺体安置室にある。

変死した遺体は事件性の有無を調べるため司法解剖の必要がある。

遺体の損傷具合によってはDNA鑑定等の諸々の検査が行われ、結果が出るまでの間は遺族に引き渡されることはない。

さらに夾竹の場合は生前家族との折り合いが悪く絶縁状態だったことも関係して遺体の引き取り先がまだ決まっていないのだった。

――殺された本人から殺害犯を聞き出す……か。

幽霊ならではの捜査方法をユーコに提案された時は度肝を抜かれたものだった。

問題は霊がまだ遺体にとり憑いているかどうかだが、「殺された人間はそう簡単にはあの世には行かない」とユーコは涼しい顔で言ってのけた。

被害者の霊と接触することでユーコが弟切の時のように暴走する可能性はないのか問いただしても、ユーコは自信をありげに「大丈夫」と答えた。

恨みを持った別の霊に接触した際も弟切の時のように『飲み込まれる』ことはなかったという。

年齢や境遇――殺された時の状況が似通っていればいるほど、被害者の意識に同調する可能性が高いのではないか、というのがユーコの意見だった。

「それなら明日、刑事さんの出勤時間に合わせて県警本部の前で待ち合わせね」

上機嫌で待ち合わせの場所を告げるユーコに、十束はもう一つ質問投げかけた。

「でも、なんでまた一緒に行く必要があるんだ? これまでだって県警には自由に出入りしていたんだろ?」

わざわざ待ち合わせて同行しなくても、いくらでも勝手に入れるだろうに。

十束の問いにユーコはゆっくりと頭を振った。

「鑑識課で私が刑事さんたちを襲った後、お祓いをしたでしょう? あれから、中には入れてないのよ」

確かに、お祓いの後はぱったりと幽霊騒ぎがなくなったとは聞いていたが……。

十束の思い浮かべる『幽霊』と較べても色々と規格外なところがあるユーコにさえ、お祓いは有効だったのかと思うと妙な気分だった。

――アイツ、ちゃんと幽霊らしいところもあるんだな。

『幽霊らしい』というのも変な話だが、何でもできるわけではなく弱点もあるのかと思うと何だか微笑ましい気持ちになったものだ。

今朝の待ち合わせで十束がユーコに指示されたのは入り口から先に入り、ユーコに向かって小声で「どうぞ、お入りください」と声をかけるということだった。

ユーコ曰く、お祓いにより県警には『結界』がはられている状態なのだという。

色々と調べた結果、『幽霊や妖怪は招かれれば家に入れる』という法則を発見し、それを実践しようと思ったらしい。

十束に『招かれた』後、ユーコがやや緊張した面持ちで歩を進めると、難なく入り口から入ることができた。

やったぁ! 入れた、入れた!と無邪気にはしゃぐユーコは年相応に幼く見えた。

「ありがとう、十束さん!」

花が咲いたような笑顔で、改めて名前を呼ばれると何だか照れくさかった。

終業時刻を過ぎてもユーコは十束のところには戻ってこなかった。

――まあいいか。明日になったら何か向こうから言ってくるだろう……。

いつもなら乗ることのない早い時間の電車に揺られて帰宅しながら十束は楽観的に考えていた。

それよりも片手が使えない今、夕食の支度をどうするか……鞄を置いたら外食に出かようか、といった雑念を思い浮かべながら自宅のドアにカギを差し込んだ。

「……開いてる?」

今朝、間違いなくカギをかけたはずのドアが開いている。

――まさか、空き巣とか……オイオイ、刑事の家に泥棒に入るやつがどこの世界に……。

そっとドアを開けて忍び足で進むと、なぜか空腹を刺激する、食べ物のいい匂いが辺りに漂っているのに気づいた。

「あ、刑事さん、おかえりー。 早かったのね?」

「オイ、不法侵入者!」

にこやかに片手を振ってみせるユーコを見て、十束は頭を抱えて呻いた。
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